原村和は、龍門渕透華とは肌合いが悪いと考えていた。悪い人では無いと知っていても気難しいと感じた。
龍門渕透華は、原村和にこれ以上と無い程に関心を注いだ。だけどもう半年も前にその必要は無くなった。
透華は和にも何か飲み物を頼もうか聞いてみたが、きっぱりと断られてしまった。予想はしていたけれど、自分を睨みつけている和の心が解れるのは無理そうだった。無意味な前座は要らないとの目つきから早速本題に入れと言われるような圧迫さえ感じる。
「それで、咲さんに何が?」
冷静を気取う和は動揺するのを隠すつもりだったけれど、何度も和の麻雀、原村和という人物に隠されていた『のどっち』の片鱗までも見抜いた透華には簡単に看破されてしまう。
「宮永咲が間もなく帰国すると言う情報が入りましたわ」
「咲ちゃんが帰国?まだ連絡無かったじょ、先生からも聞いてないし」
「今や交換学生として学籍が残ってるらしいですが、清澄には戻りません、帰国するなら、ここ東京に住む可能性が高いです」
「なぜだ?」
姉の宮永照が東京の白糸台に通ってはいたけどもう卒業してるから、全然理由が予想でかなかった優希は首を傾げたが、透華は書類をひとつテーブルの上に出した。
「宮永咲に臨海女子高校から麻雀特待生の留学生として来ないかオファーが出ましたと」
「いやいや、日本人なのになぜ留学生なんだじょ」
言葉どうり、日本人が日本に留学なんてあまりにも信じ難い言葉に優希は軽く笑いながら手を振ったけど、透華は返事なしにコーヒーをもう一口飲むだけで真剣そうな表情は変えなかった。
「彼女は確か日本人だけど同時にノルウェーの国籍も持っていますから、無理を通せば不可能な話でも有りません。その為に臨海女子からも手を打つ」
「これは本当なんですか?」
和はその透華が差し出した、内部用の書類らしき物を速読した。どう入手したかは全然予想の出来ないけど臨海女子高校から漏れた物としか見えない。
「臨海女子高校は昨年の郝慧宇、雀明華、ネリー・ ヴィルサラーゼの3人以外に留学生を入れてません、方針を変えたのでは無いのなら先鋒の日本人を除けても一人足りませんわ」
「それが咲ちゃんの分ってわけなのか?」
「実現したら彼女は、サキ・アークタンデとして臨海に交流するでしょう」
想像も出来ない事に頭が追いつかなくなった優希は気が抜かれ、椅子に体をゆったりと掛けて独り言の様につぶやいた。
「そんなの全然知らなかったじぇ……咲ちゃんはまだ戻ってないんだな?」
「はい、帰国はまだです」
「海外にまで行って麻雀から離れたのに、信じ難い話ですね」
「お二人は宮永本人や関係有る者から何も聞いてなかったと理解して宜しいでしょうか?」
捻くる様な言い草でふたりを、特に和を刺激する透華だったけど、和は眉間に皺を作るだけで言葉では言い返せなかった。でも無感情を気取る和の態度がむしろ透華の機嫌を損ねた。
「原村和、貴女は何とも思って無いんですか?」
「……私からは特に有りません」
和の声が低くなる分、透華の声が高くなる。
「それだけですか?」
「敢えて言うなら、咲さんの進路は咲さんが選択します、どんな形であれ咲さんが好きな麻雀を再びやるなら喜ばしい事です」
「それが片岡優希の前でよくも言えますね」
「わ…私は別に」
透華が自分を巻き添えにして言い争いすると、優希はそっと隣に座っている和の表情を覗いてみた。和は軽く見えない程に唇を噛んていた。敢えて見てないふりをして透華の方に目線を戻した。
和はムキになるのを我慢して指を組む。
「私が清澄から転校して、人数も少ない部から抜けてしまったのは優希にもすまないと思いますが、それは仕方の無い私事でして家庭の事情で転校するくらい結構有りがちな話です」
「ふざけないでください!転校は良いです、何故そんな簡単に麻雀をやめたのかを言ってましてよ!」
「……それは私の自由です」
「それが自由だと?それが本当に自由を謳歌する者の表情ですか?宮永咲がその顔を見てどの様に感じたか、考えて見なさい!」
何時でも飛び出だしそうに立ち上がった透華は完全に冷静を失った。テーブルを叩いても全然気がすまなかった透華の声はもっと大きくなる。
「負けに責任を感じる身になってみなさい、どれだけ苦しいか感じてみなさい!」
「のどちゃんに怒鳴るな!なんの権利が有って怒るんだ、馬鹿野郎!」
優希まで大声を放ったが、今度は優希が透華の怒りが向く対象にされる。
「貴方も貴方です!本音を隠しては何も解決しませんわ!」
「私は隠す物などないじょ!」
「それを信じろうと?私は……私だって目標を失って辛いですわ、悲しくなりますわ!!清澄は貴女と宮永を失って未だ5人も揃って無い、鶴賀もほぼ同じ、完全なのは私達の龍門渕だけで、仕様もない相手と風越だけの大会で満足など出来やしません!それで全国に行っても私が目指して、見つけ出した純白の天使は何処にも無い、この私に、こんな戦いの楽しみの欠片も無い大会で満足しろと!?」
奥に積んで来た鋭い言葉たちを長く吐き出した透華は荒い息を吐き出しながら表情もボロボロになっていた。汗で髪の毛もデコやほっぺにくっついてる。
優希も和も、誰も口を開かないくなるとこの場に沈黙が流れた。けれど、これは本の一瞬でしか無いだろうと和も優希も透華も分かっていた。
先に口を開いたのは和だった。
「龍門渕さん、貴方は麻雀に何を求めているのですか」
「貴方こそ、麻雀で求めて来た物の中で何が残ってますの?」
「それは……」
和はそれに言い返す言葉が見つからなかった。長くて短かった自分の人生の中で残した因縁ならいくらでも思い出せる、だけどその中で何一つも今目の前の龍門渕透華に届くとはとても思えなかった。恨みではない、悲しみでもない、何が透華にこんなにも怒りに燃える原動力になっているのか、和はもう一度唇を噛で黙り込む。その一連の仕草が透華の目に入ってしまった。
「解りました……それでも貴方にやる気が無いのなら私がやって上げます……この私が、龍門渕透華が貴方がたの居場所を奪って貰います、貴女が持っていた物も者も全てこの私が貰いましょう、そして後悔しなさい……」
何かが抜かれた様に下を向いたままテーブル上で拳を握って独り言の様に喋りだした。優希も和も声を飲むような執念の深さを感じる。
顔を上げた透華の目つきから黒い念が溢れ出した。
「この私が、直々に宮永咲と臨海女子を全国で倒しますわ!それで貴方も宮永も後悔させてあげます、自らの道を捨てた事を、そして何もかも全部この龍門渕透華が貰います、この片岡優希も私の者にしましょう、どうですか?今の清澄高校のメンバー全員諸共、私が貴方の場所に居た全てを制する事で真のアイドルはこの私だと証明しますわ!貴方はその華麗なる私の姿を血を吐きながら崇めなさい!」
「言うだけでは、何でも良いでしょうけど……」
どんなに舌で毒をぶつけて来ても、冷静で冷たい口調となった和は透華を真っ直ぐ見上げる。
「なら清澄の皆さんを貰ってどうするのですか?貴方の龍門渕高校のメンバーと混ぜますか?それで何がどうなりますか?出来ませんよね、貴方を信じて今まで共にやって来た天江さんや、井上さん、沢村さん、国広さんは?」
「そ…それは」
透華が慌てる顔になると、釘付けに言葉を追加する。
「出来もしない事を、私を挑発する為だけで口にしないで下さい、迷惑です」
「貴方の様に無責任な選択をする者に何を!」
「それも面白いかもな」
いきなり割り込んできた衣の声に、三人の目線が集まった。今までどんな言葉が通うと一言も口を出さずに平凡な表情でミルクティーを飲んでいた天江衣だったが、海の波は既に皆を吸い込んでいた。
「衣?」
「なぁ?トーカ、面白そうではないか?トーカが清澄に転校したらきっと楽しめるよ」
「何を言ってますの?」
「龍門渕は衣に任せてノノカの代わりに清澄を立て直せ、倒す甲斐が在る相手で無いと勝った時の歓喜と悦楽を得られない、だけどトーカが相手なら十分楽しめる」
新しい玩具を貰った子供の様な、だけど背中に電気が流れる感覚をおびき寄せる麻雀を打つ時のような、天江衣の笑いが混じった言葉に誰も言い返せなかった。透華さえも固まってしまう。
「智紀、この目立たがり屋の小娘にデジタル打ちとは何か教えよう」
「衣、それ本気?」
見もしないで座ったままの智紀が言い返すと衣は恐いとしか表現出来ない微笑を浮かべる。
「我が何時虚言をいうか?やるからには自分の領域で倒すのが一番な筈だ」
「透華の傾向とクセはもう見抜いている、十分に可能ではある」
「一、歩にはこれから麻雀の練習に励めと伝え、智紀の代わり次鋒に入れる」
「そんな事ありえませんわ、衣!龍門渕の麻雀部は私が!」
「透華!」
三人の揉め事など眼中に無く、勝手に話を進める衣に戸惑っていた透華がやっとそう言ったけど、むしろ衣が透華の口を防ぐ。
「ここは姉たる我の言葉に従え!」
「何を言ってますの?従う訳が無いではありませんか!」
「トーカは戯れ言を口にする女にされて腹立だしく無いのか?衣は腹立つ、このおねーさんは今怒っている」
強い力の籠もった衣に声が頭の中に響くと透華の動きは止まってしまった、衣に止められた。透華を止めた後は、和の方に衣の目線を移った。衣は何時もとは少し違く、母の様な微笑みで和と目線を合わせたが、和の全身には寒気が襲って来た。
「ノノカも衣の友だ、けれど自分の人生を生きていない、生かされている、押されたまま生き方を決める、その様な者に家族が恥をするのは我慢出来ない」
微笑みから麻雀を打ってる時の、何もかもを喰らい尽くす飽食者の天江衣の顔立ちに変わっている、腰に手を当てて和と対立する様に起き上がった衣がこの場の誰より大きく見える幻覚を全員の目を襲った。
「聞け透華、家族はどんなに離れても家族だ、同じ目標で集まった仲間や友達とは違う、衣たちは単なる友ではない、血が繋がって無くとも魂が結ばれている、友で有りながら家族だからお互いを見て競い合っても一緒だ、変わらぬ家族だ、衣は決心がついた、後はトーカが決めればいい」
「そんな、私達の約束はどうなるのですか?衣にも大切な思い出な筈、簡単にそんな事まで言いますか?」
「大丈夫だ安心しろトーカ、衣たちは家族だから家族を置いて行く訳ない、龍門渕高校が優勝し東京のファミレスにはトーカも付き添いで連れて行ってあげるから」
「だめだ、そんなのこの私が、清澄高校の主将として認めない」
皆が沈まれてゆく衣の深い海の底から、優希の声が波を斥けた。椅子から立ち上がった片岡優希は、天江衣と龍門渕透華、原村和の顔を見回してから言った。
「私が認めない、もう友が別れるのは見たくない、そんな思いをするのは強い私に限る」