昼の12時33分、高校生たちの夏の祭りに向かう為、その入り口である少女たちの会場は熱気を増していた。
後半戦の南4局、最後の親番で連荘を狙い1位を追い掛けようとする動きを許さず、綺麗なタンピンダマテンの出和了りで次鋒戦は終了した。
同然のようにチームの1位を守り、更にその点差を広げて控室に戻る。 次鋒として託された役目を果たしたからには、派手ではなくても些細で温もる歓迎くらいしてもらいたい。
冷静なスポーツマンとしての志より前に出た、すこし乙女チックなその願いは半分だけなら叶った。
あえて控室の扉を開き、その前に突っ立ってる背の丈短い少女と目が合う。 廊下を歩いて近づく自分に向けて、限りなく大きい笑いの花が咲いた笑顔を見せてくれるその微笑ましい光景に、心が蕩けそうになる。
「お疲れ様です、ハオさん」
「いいえ、出迎えありがとうございます」
郝慧宇は、同い年とは思えない程に可愛らしい、この生き物に心から感謝の気持ちでいっぱいとなった。
「やはり凄いです。 私の打ちはまだ未熟ですね」
「まま、そんなに持ち上げなくてもいいですよ。 今のは先鋒で1位を取り渡してくれたお陰も有ります」
慧宇が優しい声でそう言うと、慧宇の言葉にコクリと感謝の仕草を返してくれる。 言葉で無くても気持ちは伝わる。 それは慧宇に向ける充分な感謝の言葉であった。
この学校に転校してから、これほど真面目で気の優しい子と会った事は無い。 いや、短い16年の人生で得た因縁を全て数えても、10本の指に入るくらいだと確信できる。 勿論、臨海で会った智葉も優しく良い人だったけど、そのベクトルが違う。 二人は随分と離れてるタイプだった。
この2年間、他の仲間達は個性的過ぎるし、若い内から成功を味わって世界から集められた変わり者達だから、そういうもんかも知れないと思いながら、慧宇は控室に入る。
(これ大和撫子って事でしょうか? 色々と少し違う気もしますけど、まぁ良いでしょう)
見た目、服装や顔立ちから漂う雰囲気が大和撫子とは距離を感じる。 でも心は確かにそれに近いと、慧宇は思う。
それとは真逆、体に力など一切入ってないままソファーに溶けてるもう一人の同年代の少女に、慧宇は目線を移した。
「ハオにもこんなもんは退屈凌ぎだから、ユキコもそんなに大げさに振る舞わなくていいんだよ?」
慧宇と由暉子の二人を見上げながら、ネリー・ ヴィルサラーゼはソファーに溶け込んで一体化した液体となって、二人を見上げた。
同じ高校2年で、背丈も似たような者同士なのに、何故ネリー・ ヴィルサラーゼと真屋由暉子はこんなに違いが有るんだろうと、慧宇は本気で疑問に思いながら、その隣に座った。
そしたらまたネリーの文句が飛びかかって来る。
「それに今日は長かったな。 朝ごはん食べてないし、もう少しは早めに終わって欲しかったよ。 もうお腹空いてヘトヘトだからね」
「早めに終わらせるのは禁止って言ったネリーのせいですけど」
「私が言ったのは、度中で飛ばさず大将まで繫いでっての意味だったし、遅くまで長引いて良いとは言ってないよ?」
携帯から時間を確認したネリーは慧宇を見つめながらニヤける。
「ネリーは金払う大人達にもっと取り上げる為に働いてるんだよ? それは皆にも都合の良い話の筈だし。 私が試合の最後を派手に飾る仕事して、皆の代わりに金設けして上げてるんだからさ」
自分から恩威を与えてるような言い草、これがネリー・ ヴィルサラーゼだ。 でも郝慧宇だって負けはしない。
「それなら、私に大将を譲って下さい。 私がネリーの代わりに働いて上げますから」
「断る。 ネリーは欲張りなんだ」
ネリーと慧宇もお互いに意味深な笑いを交わす。 これくらい、喧嘩じゃないし、言い争いでも無い。 これは二人の中だから決まっているおはようかこんにちは程度の普通のやり取りでしかない。
「そう言うと解ってました」
今は臨海女子高校の学生、東東京を16年連続で支配している優秀な麻雀部の部員、仲間として全国優勝の為に共に切磋琢磨するけど、基本この学校の留学生達は外で競争する。 たまには同じ舞台で競争し合った者達が集められた場合も有るらしい。
中の良い友達で在りながらも、一番身近な競争者として居続ける。 それが臨海女子高校の麻雀部だ。
日本全国、北海道から沖縄までの日本列島を超えた全世界から集まった少女達が繰り広げる、勝者だけが残る弱肉強食の戦場に、真屋由暉子は自ら踏み入れたのだった。
そうだと由暉子も知ってはいたけど、やはり実際に体験すると自信を失う。
自分と同い年なのにネリーと慧宇の存在は大きくて、由暉子は小さめになった声を出した。
「あの……私なんかが先鋒ですみません」
「全くだよ」
「そんな言い草は駄目です」
「いたっ!」
その瞬間、ネリーの頭にイナズマが下された。
「ネリーちゃんもユキちゃんの試合は観てましたよね? それを見て置いて、そう言うのは意地悪ですよ。 ネリーちゃん」
声を追って後ろを振り向くと、いつの間に控室に戻って来たのか3人の後ろに立ち、笑ってる雀明華が居た。 勿論、日傘の掛けている。
風神は自分がもたらした台風から、カミナリもイナズマも自由自在に操る事が出来る。 ヴァントゥール・雀明華が振るう権能は、監督から年功序列に従い預かった、ただの力が入ってない手刀。 同然痛くも痒くもない。
ネリーは反射的にそう叫んだだけだ。
だから何も無かった事にして、明華に質問する。
「ミョンは監督とインタビューの打ち合わせで一緒に出かけたんじゃなかったの?」
「いいえ、私はちょっと電話しに行ってきただけです。 それに試合後のインタビューですけど、放送局から解説のプロと直接生放送で流したいと言ってきたらしいです。 準備が終わったら監督からまたお呼びするとの事なので、皆さん準備はしてくださいね」
「解説って、また小鍛治プロですか?」
「そうなりますね」
今回も東東京の地区予選中継は小鍛治健夜プロと福与恒子アナウンサーのコンビだ。 日本国内で1番有名な雀士で、比較的に暇なので解説のオファーにも積極的に応じてくれる解説、その小鍛治プロはまた日本の中心である東東京地区が貰ったのだった。
「あのアラフォー?って言う人? インタビューよりは打ってみたいね」
ネリーは興味が冷めたのを隠さない。 解説者としての小鍛治健夜が持つ名など、どうでも良いのだ。 世界を駆ける雀士が興味を持つのは、最年少8冠保持者だった日本最強と呼ばれる小鍛治健夜の名前。
「私は小鍛治さんと春にマルセイユで合ってから2ヶ月ぶりなので」
「公式戦で打ったのじゃないでしょう? ならお金にならないからいいよ」
人生の出来事をひとつの単位に換算するネリーの計算方法で、それは論外だった。
明華はマルセイユで開催された大会に参加したのが、今年最後にランキングに関わる試合だった。 ギリギリ3月末に試合を終えて閉幕直後日本に戻ってるので、冬までランキングを挽回する機会が無い。 その大会で得たのは、日本プロ麻雀協会のプロとして訪問した小鍛治健夜との非公式対局だけで、ネリーとしてはその大会で明華は失った事しか無いと、そうしか見えなかった。
その真っ直ぐな価値観に真屋由暉子は少し引いていた。 その気持ちを表に出す代わりに、明華を憧れが混じってる目で見上げる。明らかにネリーと慧宇に向ける目線とは違う。
「準プロの人が部長って不思議な気持ちです」
誰がどう言ようと、由暉子の中で、今の明華は有珠山の先輩たちと並べる所に飾ってあるのだ。
「輝いて見えます」
「ありがとうございます。 でも、そんなに褒められる事は何もしてません」
「そうだよ、ミョンは年初にランキング落ちたから別にすごくないよ」
ネリーの、ただ一直線の方向から入るツッコミがまた明華を襲う。
でも明華もそんな事では怒らない。 ネリーの隣で笑うだけだった。
「今はランキングより、最後の学生時代を大切にして置きたいので」
「本業放り出して?」
「ネリーも本業は学生ですよ……」
冗談に混ざり皮肉が襲いかかる。 慧宇のツッコミなど、ネリーの耳に念仏だった。
「お二人は真面目だなー。 成績は良いからそれで大丈夫でしょう? ネリーは学校生活よりお金が欲しい。 むしろお金が無いと学校も通えないしね」
「そんな詭弁はもう良いから。 まだ1年も残ってるんだし、少しは真面目に通った方が良いですよ?」
女子高生としてごもっともな言葉だったけど、ネリーは聴かないフリをして明華に話を逸した。
「この話はもういい。 それより監督は? もうお昼の時間だよ?」
「監督はアークタンデちゃんの迎えに行きました。 昼ごはんは既に注文して置きましたのでご心配要りません」
欲しかった答えを得たネリーは満足して、慧宇の肩に自分の頭を載せた。
「そう? ならいい。 出前早く来ないかな。 味に掛けないもんが良いけど」
「ネリーもグルメって事ですね」
「あれもこれもメグのせいだ。 ラーメン道楽が私の舌に何かしたの!」
今度は慧宇が、ネリーのどうでも良いお言葉は放って置き、話を変える。
「アークタンデさん、当日の現場合流すら遅くなって、何か有ったのですか?」
「どうせまた、あの口出しするババァのせいでしょう? どこのお偉いさんなのかは知らないけど、こっちには監督が在るのに口出し過ぎるから気に入らない」
ブツブツとネリーが愚痴を言ってやるけど、明華はそれに乗らず、少し考え込んでから口を開いた。
「私のせいです。 やっぱり私じゃなくてサトちゃんだったら、もっと締り良く器用に皆のまとめ役に成ってくれたのでしょう」
「あの……智葉さんは麻雀だけでなく、部長としても完璧な人だったのですか……?」
「ふぅー……そうですね、メディアから何と言われてもサトちゃんが私達のエースでした。 去年の臨海は辻垣内智葉を中心にして集まってましたから。 私にはサトちゃんくらいの人望は無いらしいです」
明華の弱音に、誰からも答えは帰って来ない。
ただ心配そうな由暉子に、明華は妙な笑いを返した。
「大丈夫です。 ユキちゃんがサトちゃんに負けないつもりでここに在るように、私も頑張りますね」
大事な所はあやふやにして蓋を防いだ感じだったけど、それだけでも由暉子には充分な答えになったらしく、コクリと頷く。
その姿を見て、明華は思い出した事が有った。
雰囲気を一新する為に開き直り声をもっと高くする。
「そうそう、ユキちゃんにもうひとつの伝言が有りました。 個人戦前に単独取材の要請が入ってるらしいですよ」
「え、 私だけにですか?」
「はい、私達の先鋒で瑞原プロを超えるアイドルですから同然とも言えます」
由暉子にもこれはまた予想外でイキナリの話だったけど、先輩達からコーディネートされたアイドル路線上、ある程度覚悟は出来ていた。
臨海女子は今年も変わらなかったインターハイ規定の、先鋒には日本人をオーダーするルールに従い、先鋒にした真屋由暉子以外は全員留学生で編成している。 有力優勝候補の臨海が16年も君臨している東東京の団体戦でマスコミから注目されるとまで予想していた。 17年目の地区優勝を果たしたら、去年の辻垣内智葉と同じく、東東京の団体戦チームで唯一の日本人になる。 マスコミも留学生よりは日本人の国内選手に報道のスポットライトを合わせるのが同然の帰結。
だから由暉子は昨年、アレクサンドラ・ヴィントハイム監督から提案された転校の話を引き受けた。 そのせいで皆とも、両親とも離れてるけど、今はその4人に負けない凄い仲間たちが得られたと思ってる。
訪れた機会を逃さず物にして、よかったと誇りたい。
「すごく、緊張しますけど、成香先輩、誓子先輩、揺杏先輩、爽先輩の為にも頑張ります」
強い志しを固めた時に相応しい台詞を口にする割には、由暉子の口からは震え声が発してる。
「やっぱり先鋒戦が終わって伝えたのが正解でしたね。 それともうひとつ。 言い辛いのですが、監督からその服はどうかと言われましたので、インタビュー前には制服に着替えて下さい」
「えっ」
由暉子の喉から、また変な音が出された。
10ヶ月前、インターハイの晴れ舞台で派手に全国デビューを果たした揺杏特製の服を見下ろす由暉子は、髪型やスタイルも東京に来る前に教わってやり方で1年前その時と同じくしている。
ゆっくり肩からスカートまで、岩館揺杏の愛情と情熱がこもってる素地と裁縫に指を当てた由暉子は、本当の意味で困った顔になる。
「え……でもこれは思い出のこもった大事な物なので……」
「無理に着替えなくても良いじゃん。 ここで制服着てるの誰も居ないよ? ミョンもそれ制服っぽいだけで、制服じゃないでしょう」
この話にはずっと黙って聞いていたネリーは、案外由暉子の味方をしながら助け舟を出した。
でも、明華の好きでこう言ってるのではない。
「その気持ちは分かりますけど、これは学校から問題視されます。 スポンサー達には逆らえませんよ?」
「そうなの? なら駄目だよ、ユキコ」
「裏返すのが早いですね……」
慧宇も呆れるほど、ネリーの立場変えは早い。 この処世術こそ、ネリーが少女の歳で激しい世の中を潜り抜ける事が出来た原動力だ。
でも、それと関係なく今のネリーの言い分は論理的に合ってる話だった。 これは慧宇も由暉子の味方に成ってあげられない。 社会には明文化されなくても、相互信頼に基づき守らなければならない規則が有る。
規則はそうだろうと、由暉子としてもこれは絆の証でもある。
「これ、揺杏先輩からもらった宝物だから、これからの試合にも着ていたいです……」
「あら? それ、ユアンちゃんの手作りだったのですか?」
「はい、揺杏先輩特製の改造制服です」
「なら基本は有珠山の制服だし、やっぱり駄目ですね」
「……はっ! そうでした」
由暉子は自分が今何をしでかしたのか、完璧に理解して、その自分に驚いてしまった。
学生の大会とはいえ、自分の学校の制服を着る規定はない。 服装になんの制限もないから、生まれ持った個性も後から貰った魅力もアピール出来るのは都合の良い、学生たちにぬるい大会。
だとしても、その甘さに便乗して他校の制服を着るという前代未聞の事態を巻き起こしたら、また別だ。
それでも心情的には明華も、慧宇も、またネリーも由暉子の味方に立ち考えて上げる。
「なら臨海の制服でもう一着作ってもらえば? お金出したら、作って貰えるかも」
ネリーからは歪んだ価値観をアピールするような解決方法を提案される。 それをスルーして、慧宇は由暉子の肩に優しく手を当てた。
「流石にそこまでは、岩館さんに顔向け出来ないから言えないのですね」
「はい……」
「ふむふむ、思い出は大事ですからね。 友達ですから言えないものも有るでしょう。 私もユアンちゃんとお友達ですから、その気持ち少しは分かりますよ」
優しい心遣いの言葉の中から聞き捨てならない情報が耳に入り、由暉子は顔を上げて隣に目線を移した。
「明華さん、揺杏先輩と話た事有りましたけ?」
「はい、去年インターハイ準決勝の中堅戦で手合わせをした中ですから。 日本の女子高生なら、それはもう友達になったのだと教えてもらいました」
何か引っかかる言葉、鈍い由暉子にも、その拡大解釈に可笑しさを感じられた。 これは確認しなければ後々挟まってる自分が困る事態が発生しかねないと予感した。
由暉子は慎ましい話しぶりに尋ねてみる。
「それって、誰から教えられたんですか?」
「ヒサちゃんですよ。 竹井久、去年清澄の中堅だった方です。 準決勝ではユアンちゃんとヒサちゃんと、姫松のヒロちゃん、この4人で中堅戦でした。 ユキちゃんも覚えてますよね?」
勿論その出場選手のチームメイトだったから覚えてるけど、今は呑気にその思い出を浮かべている局面ではなかった。
「……全国大会が始まる前に、私から揺杏先輩は明華さんとお友達になっている状況だと伝えて置きます」
「それがいいですね」
「そうしてあげてね」
「えええっ」
明華は文化の違いと言う物を、またまた教わった。