ホールの席を埋め尽くしている高校生達は、自分達が登れなかった狭くて厳しい全国への道の上で激戦を繰り広げる少女たちに目を奪われているに違いない。 自分たちの力では辿り着ける事が出来なかったその道のりを見守るのは、決して愉快では無いけど、向上心を呼び起こせるには充分である。
県内の強者だけが揃った麻雀卓の上から派手な点数変動が起こると、同時に観客席もそれに負けないくらいの熱気で盛り上がって来る。
東横桃子は、広い長野の隅々から集まった高校生達の中をゆっくりとすり抜けながら歩いていた。 歓声が上がるのとは関係なく桃子はレザンホールをあっちこっち回る。 一人で歩くのは馴れた事、片手には持ったパンをモグモグとしても誰も桃子には気が付かない。もうすぐ大将戦に出場する選手だとしても運営だろうマスコミだろうと、ステルスモモを見つける事など出来ない。 卓の外でもそれは健在だ。
「今日は贅沢にステーキを食べるつもりだったっすけど、これも先輩の仕事ですししょうがないっすね」
一個では満腹にはなれないクリームパンを食べ終わった桃子は、左右に並ぶ席をいちいち確認する作業に戻った。
しょうがないからこうしているけど、こんな馬鹿みたいな方法で後輩の顔を探すのは精神的にも重い。 これ程多い人数の顔を見ていると、探していた顔まで思い浮かべないくらい脳細胞が回らなくなる。 シナプスが麻痺されそうだ。
檀ちゃん後輩をむっちゃん先輩と一緒に控室に残したのも面倒な仕事だった。 せめて試合開始まででも自分も探しに行くって無理を言う檀を、3人掛かりで止めて、かおりん先輩と二人だけで探しに出ている。
「全く……困った後輩ちゃん達っすね」
勝手に居なくなる無責任なヤツも、試合より友達を優先するヤツも、桃子には理解出来ない。 そんな二人のお陰有って、後輩を探すのにお昼の休み時間を全部使い切った桃子に、そろそろ足に疲れが訪れる。
「この中継室にも……無いから在りそうな所はこれで全部っすね」
かおりん先輩ごと妹尾佳織と二人で手分けして、文化会館の中で稲葉日詰が居そうな所を探してみたけど、なんの所得もなしに全部クリアしてしまった。 途中ですれ違うように移動した可能性も有るけど、だった二人で探しているから仕方ない。
稲葉日詰は携帯も財布他の荷物も全部控室に置いて対局室に行ったので、一人で家に変える事も出来ない筈だ。 荷物を取りに戻ってくると控室で副将戦開始まで待機しているムッキ先輩から連絡が来る。 なのにまだ連絡は無い。
桃子はギャラリーで混雑しているホールを出て、エントランスまで続いた廊下をむやみに歩き始める。 前は透き通ってるけど、行き止まりに立ってしまったのだ。
「じゃぁ……一様かおりん先輩に電話して、控室に戻りますか」
佳織の方から探し出したなら電話が来た筈。 なんの連絡も無いのは、かおりん先輩もまだ見つける事が出来なかったという事だ。
これ以上時間を掛けても手当も無しに人を探すのは無理が有ると判断した桃子は足を止めた。 厳密に言えば落胆して引きこもっただけの可能性が1番なので、これは迷子とはいいづらい。 高校生にもなった女の子を放送で呼ぶのも気が引ける。
「全くしょうがないっすね。 檀ちゃん後輩に、任せろって言ったのが気がかりだけど……」
溜息をついた桃子は、一度控室に戻ろうと足を運ぶ事にした。
だたこのまま時間だけが過ぎて行くと、桃子にも問題に成りかねない。 大将戦まで腹に何でも入れておかないと、麻雀は出来ないのだ。
多分、鶴賀はこのまま最下位を出し抜けず、桃子の番が回ってくると分かっていた。 後輩と先輩が広がった点差を減らせるとは信じてるけど、どうせ県大会の決勝は優勝しか意味のない試合だ。 最終的に一位を取らないと皆で全国には行けない。 この夏に、加治木先輩が住んでいる東京へ、会いに行けないのだ。
その為に乗り越えるべき試練として、桃子には天江衣との厳しい戦いが待っている。 今日の大将戦が終わった後には、去年の副将戦は甘っちょろいお遊びだと思うかも知らないと予感していた。
相手が誰でもお構いなしの怪物、加治木先輩は倒せなかった。 だから今回は自分の手で倒したい。
そんな事を思い返しながら階段を探してエントランスの方に向かう桃子に、対局中継室の隙間から漏れた歓声が耳に入って来た。 結構離れてるのに、防音設備が充実してるホールも、行き来する生徒達のせいで扉が開けっ放しだと、何の役にも立たない。
桃子はチラリとリアルタイム中継を流してるディスプレイを見上げる。 少しの時間差の後で、鶴賀から点数が抜かれた。
決勝戦 A卓 中堅戦 前半 南3局
1位 清澄 151000
2位 龍門渕 112700
3位 風越 82000
4位 鶴賀 54300
今回の放銃は2900点。 画面には点数だけが表示されているせいで、どんな牌だったのかまでは分から無いけど、想像なら出来る。
「完全に染谷さんに押されてるっすね。 まァ、予想はしてましたからいいっすけど」
稲葉から広がった点差は高田に変っても広がる一方、現状最下位の鶴賀が危機的状況なのは誰の目からも分かる。 緊張感が増さっても可笑しくないのに、桃子は平然な顔をして淡々と独り言を呟いた。
今日の中堅戦、先鋒戦の後半からトップを守り切ってる清澄の勢いは止まる事無く、他家との点差は一方的に広がるだけだった。 まるで実力差を押し付けたいように、先鋒の片岡優希からここまで繋いでいる。
昨年も鶴賀は挑戦者だ。 上で待っている者が龍門渕と風越から清澄と龍門渕に変っただけで、何も変ってない。 前年度優勝を決めた清澄の部長である染谷まこが他家の連荘を止める一撃を決める瞬間に興奮するのは同然の事、桃子は動揺などはしない。
エレベーターの前に立って、一度控室に戻って来るようにと、かおりん先輩にメッセージを送っている桃子の後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「あら、東横さんではありませんの?」
余計に高くて鋭い声、なのに今日は音の高さと関係なく落ち着いるように聞こえる。
「こんにちは」
声の方向を振り向いた途端互いの目が合った瞬間気軽に挨拶を送くってくる少女、龍門渕透華だった。 曲線でふわふわする癖毛だけど、真剣に手入れされてるサラサラな長い髪を、お嬢様らしい手捌きで後ろに流す姿はまるで本物のお嬢様らしい。 本物のお嬢様だけど。
「え…えっと……龍門渕の……アンテナさん?」
桃子は挨拶を返す事は出来なかった。 突然過ぎる登場に、桃子はその顔を見ても名前を短く口にしただけ。 頭の中を埋め尽くす疑問で、透華と目が合ってからも、桃子は気が抜けた顔をしてる。
そんな桃子を見て、龍門渕透華は指を縦にして唇も近くに当てて話を続けた。
「ふぅむ、
「え? あ……えっと」
透華から感じる違和感に、声がまともに出ない。
本物の龍門渕透華を目の前にしても、桃子は自分の耳を疑ってしまっていた。
偏見かも知らないけど、見知った人と偶然会ったとしても透華はこんなに気軽く声を掛けるような性格ではない。 何よりやけに落ち着いている。 もっと存在感をばら撒きたがる可笑しな子だと覚えていたけど、色々と違く見える。
それに、龍門渕透華が東横桃子に話を掛けて来るなど、ありえない。 そんなの有り得る出来事では無いのに、今の龍門渕透華は確かにここに居て、桃子と向き合っている。
明白に何かが可笑しい。
桃子がそんな事を考えていた間、全く動こうとしない桃子に首を傾げていた透華は、桃子の後ろを指差した。
「東横さん? あれに乗らないのですか?」
その言葉に正気を取り戻した桃子がまた後ろに振り向くと、エレベーターの扉はもう閉まった状態ですでに上の階に上がり始めている。
「あ……はァ……乗りそこねましたね」
どの階まで登るのかは分からないけど、これで桃子はもう少し龍門渕透華と話すしかなくなった。
桃子は気を引き締めて、この龍門渕透華と言う女を直視する。
「まァ、時間はありますし、また待てばいい事っすよ。 とにかくお名前は失礼しました、龍門渕さん」
「いいえ、違いますわ。 私は責めるつもりで言ったのではありません。 それが東横さんなりの愛称なら嬉しくお受けしますわよ」
「それはどうも」
やっぱりモヤモヤする気持ちが湧いてきた。 去年までの記憶と違いが有り過ぎて思考が追い付けないままコクリと頷いた。
龍門渕透華は気不味そうな顔をしいるに違いない桃子に薄らと微笑んでいる。
「それにしても試合中ですのに何故こんな所に?」
「まぁ……私の出番なら大将戦ですからまだ時間的には余裕有るっす。 私より龍門さんこそ副将戦、何時始まるか分からないんすよ?」
「中堅戦の前半が終わる頃には戻ろうとしていましたわ。 もうすぐ終わるでしょう」
目の前の龍門渕透華を別人とまではないけど、言葉遣いすらも何処か優しいのがむしろゾクッとした。 本来ならいい所の御令嬢だから、この方が有るべき姿なのかもと思ったがそれだけでは理解に苦しむ所がある。
「……そうっすね」
「何か困った事が有るなら何時でも仰ってくださいまし。 何卒お手伝い出来ることが有るなら誠心誠意を尽くして参りますわ」
「……はい?」
突然過ぎるお言葉に桃子が聞き返したら、透華はまた笑う。
「東横さんの顔色が、何か困ったように見えますたので。 疲れているようね見えましてよ? 大丈夫ならそれで良かったのですけど」
「はァ……そうっすか」
桃子はもう何がなんだか、話が合わないのも実感していた。
龍門渕透華とも、試合会場の外で、私的な関係で知り合ってから1年近くなるけど、それも対戦相手としての延長線でしかない関係だ。 先輩や身近な人との薄い人間関係でのコミュニケーションしかしていない桃子に、まともに話した事も無いこのお嬢様との話しがそう簡単に成立するのは無理があった。 それ以前の問題も感じている。
会話が途切れると沈黙が漂う。 その間に桃子は周囲に眼を配り、近くに居る人の面々を確認した。
エントランスにはまだマスコミの人たちが少々残っているが、決勝進出校の二人が揃っているのに、誰ひとりもそれに気づいて近づく者は居ない。 学生たちも同じ、全員が中継や各自の仕事に夢中だった。
ステルスモモのマイナス気配が龍門渕透華までも飲み込み、認識させない。 まだステルスモモは健在だと桃子は安心する事が出来た。
なのに龍門渕透華には破られてしまった。
他人に見られるだけでなく見透かされると、嫌な気持ちになるのだと、今初めて知った。
桃子がどんな気持ちなのか構わず、龍門渕透華はもう一歩踏み入れるよに、口を開く。
「そうですね。 ちょっと前に、東横さんの所の後輩さんと会いましたわ」
そこ一言で、桃子の顔が青ざめる。
一瞬聞き間違いだと思ったけど透華の顔をまた観ると、そんな気は吹き飛んでしまった。
「次鋒戦の結果は残念でしたね。 お名前は稲葉さんでしたね? 試合も結果にしょんぼりしているように見えましたけど、敵で有る私から慰めるのも何かと思って、そのまま置いて来たのですが、東横さんから行ってあげるのがどうでしょうか?」
これは提案や勧誘ではない。 この一瞬で桃子は吐き気が出そうになる。
「……貴方、何ですか? 何処観てるんっすか?」
無理やり近づく者に、桃子はしかめっ面で睨みつけることしか出来なかった。
刺々しい言葉と声、透華はそんな事はお構いなしで左手をあげる。
「お互いにとって楽しい試合にする、私はそれだけですわ」
顔の高さくらいまで持ち上がった透華の指からパッチンと音が出される。
「ハギヨシ、東横さんを案内してあげなさい」
「はい、畏まりました」