東横桃子はハギヨシの後ろを追って塩尻文化会館の外まで出た。
2階の連結通路で繋がってある西側のレザンホールと東側の総合文化センターの間を抜けて入口とは反対側の北方向に出ると、横断歩道が現れる。 それを渡り、また駐車場の間を抜けた。
5分ほどを言葉も無しに歩きながら桃子は、日詰は良くも会場から離れたと思った。 良く分からない町中は何処も同じに見えて、よく迷子になるのに携帯も財布もないのなら、決して出歩かない。
そんな事を考えながら着いたのは、小さい児童公園だった。 その隅にぶら下がったブランコの椅子に、見慣れた女の子が見える。
とてもここには似合わない大きい女の子は、顔を下げてちっとも動かない。 長い髪に顔もよく見えないけど、稲葉日詰に間違いない。
鶴賀の制服がブレザーで良かったものの、セーラー服だったらホラー映画にでも出演して欲しい姿に成ってる。
長い溜息をつく桃子は言葉を失ってしまった。
「偶然見かけたって距離じゃないっすよね……これ」
意図がつかめない龍門渕透華に向けて桃子の独り言と、駄目な後輩の有り様に呆れた感情が混ざった複雑な表情から、自分の案内役が完了したのを読み取ったハギヨシは、桃子の方に体の向きを変えた。
「それでは、私はこれで失礼します」
「あ……はい」
桃子からはまともな返事も返してないのに、その挨拶だけを残して、ハギヨシはふっと消え去った。
小さい風が吹いただけなのに隠れる所もない公園から大人一人が影も残さず消える。 どんな仕組みなのか、目の前で起きた事なのにも、見当もつかない。 でも、今はそれに好奇心を発揮しなくていい。 後にしてもいいのだ。
今は目の前に在る問題児を連れて戻るのが先決である。
春らしき緑の草の上を歩いて日詰の前に立った桃子は、隣のブランコに腰を掛け態と音を出した。
耳障りな金属音にやっと気づいたみたく、日詰の頭が少し動く。 こうでもして気配を出さないと、気づいてもらえないのは、桃子にとってやっぱり面倒いことだ。
「帰るっすよ、ひっちゃん後輩。 よくもこんな所まで来たっすね? でも隠れたって何の解決にもならないっすよ?」
桃子の声は確かに聞こえた筈なのに、返事をしない後輩に桃子は挑発するような口ぶりで話しを続けた。
「それとも私とかくれんぼでも、したかったんすか? 本当小学生っすね」
ギリギリ少女の二人が古典的な遊び場で追いかけっこだし、似たようなもんだ。 ここまで来たからには、小学生時代に戻って思いっきり地面を蹴り飛び上がってみたいけど、近くに誰も無いとはいえ、高校の制服では恥ずかしいのでやめた。
捻くれた言葉にも返事が返ってこないので、桃子はもう一回呼んで観る。
「もしもし、聞こえるっすか?」
「……最下位にしてすみません、先輩。 何も出来ませんでした」
力の入ってない小さい声で、やっと返ってきた返事に、桃子は表情が悪くなってしまう。
「謝られる方がもっと困るだけっすよ? 自己満足の為に謝らないでくださいっす」
「そんなつもりでは……ありました、そうです」
日詰はそれすらも認めてしまっては顔を見せてくれない。 何時もの強気ですこし頑固な所が有る稲葉日詰は何処に消え去ったのか、弱々しくブランコのチェーンを握った両手が少し震えている。
自己嫌悪に陥ったに違いないけど、桃子は上手く慰める奇術を持って無かった。 今まで他人との交流が真っ平無かったと言っても過言ではない生活を送ってきた桃子は、年下の女の子と1対1で接するのも初めてだ。 初めて自分を先輩と呼ぶ後輩が出来て、その距離感もまだ曖昧なまま。 両想いじゃ無いと、空回りするしかない。
それに、ちょっと負けたくらいで逃げ出す者を試合を放棄しなかっただけで褒めるほどヤワな性格ではなかった。 直接怒りもしないけど。
こういう時に、言ってやれる言葉が一つしか思い浮かばなかった桃子は先輩になりきってみる。
「麻雀は理不尽な競技っす。 勝っても負けても受け入れるべきっすよ」
「それが簡単に出来たら、誰も悩んだり諦めたりしません」
「そう言えばそうっすけど……」
ますます悪い方向へ向かってる日詰から、黒い気配の幻覚が見えても可笑しくないと思えるほど、これは重傷みたいだった。
強引にでも連れて帰ると思った桃子の計画は崩れてしまったが、引くわけにもいかない。
「勝てなくて悔しいなら、次頑張ればいいっす」
「私に次はありません。 もうやっても哀れになるだけの無駄な事です」
「次なら沢山有ると思うんすよ?」
首を傾げる桃子を見たのか、日詰はすこしの時間差を置いて話し出した。
「……妹尾先輩と、津山先輩は今回で最後の大会ですよね? もう夏休みだから受験に取り込むならコクマにも出ない筈だし、今日で終わりですよ、私のせいで……すみません」
「先も言ってましたけど、困るだけっすよ……。 敢えて謝りたいのなら、まゆちゃん後輩に言ってくださいっす。 試合中にも日詰ちゃんの事しか考えてない筈っすよ?」
生きた屍のようだった日詰から舌を打つ音がはっきりと聞こえた。 高田檀の話は地雷だったらしい。
「……そうでしょうね、分かってます。 だから檀が苦手なんです」
「そうっすか? 仲良しのふたりだなーと思ったんすけど」
「あの子が一方的に私に構うだけです。 別に長い付き合いでもありません」
年は離れてるけど、かおりん先輩と蒲原元部長みたいな関係だなーと思ったのに、本人には違うらしかった。
「……だから最初から麻雀部に入りたく無かったんです」
「へェー、それは初耳っすね」
「先輩にはすみませんけど、こんな曖昧な成績持ちの部活は必ず5人集めてインターハイの団体戦に出よう!とか、ここで優勝して全国へ行くんだ!って暑苦しい話になるから嫌だったんです。 それで駄目になったらそれでお終いで、そんなのとっくの昔からごめんだったのに……。 同じ部活してから2ヶ月ちょっとで、強い絆が生まれるのは漫画やアニメに出るお話なのに、檀は私に押し付けて……」
吐き出したような言葉が、最後を濁らして止まってしまう。
「まァ……私の事、全否定するっ言葉っすね」
桃子の困ったような音調の声にすこし言い過ぎたのを自分でも感じたのか、日詰は肩がもっと丸めて顔を上げない。
「……別に先輩たちが嫌いとかではありません。 私の気持ちの問題です。 私には親切な気持ちも重いんです」
稲葉日詰は、追い詰められると感情的になりやすい性格だったのだと今になって分かった。 強気なのは作った建前で、中身はダメージへのキャパシティーが小さい女の子。
むしろ笑いたくなってしまった桃子は上がった声で言う。
「いえいえ、私だって僅か2ヶ月くらいで、ふたりと信頼し合う中になったとまでは思ってないんっすよ。 一緒に麻雀打っただけど、週末に買い物とか用事もなしに出かけるとか、友達らしいもんはしてない訳だし、そもそも私はこんな体質だから上手い人付き合い方とか知らないんす」
「もともと先輩と後輩ですから、友達のような距離感は無理です」
「ふむ、どうせ同じ事じゃないんすか? 一緒の学校に通って、一緒の事して、それが友達っすね?」
「……そんな簡単なもんでしょうか」
「まァー、私は普通の友達のあり方なんか知りませんから、こっちが正しいとは言えませんけど」
桃子の浅はかな友達論に日詰は反論してこなかった。 そんな力も残ってないかもだけど、反論が無ければ桃子に理がある事にする、不満が有ったら今言うべきだ。
なので桃子はもっと友達らしく、このまま連れて帰ればいいもんだけど、先輩ヅラをしてみる事にした。
「ひっちゃん後輩が負けても一緒に麻雀部に居る理由くらい、これから皆で沢山探してあげるっす」
明るく振る舞ってみせるつもりの桃子出来るだけ大きく腕を上げてみたけど、日詰は眼を逸して桃子を見ていない。 見てはいるけど、本当の意味では観てないのが、指組をして離さない両手から不安も見える。
「でも、今のひっちゃん後輩にはそんなの耳に入らないっすよね。 まァ、理解出来ない訳でもないっす。 だから、これからも一緒に部活を続けなければならない理由を、ひっちゃん後輩に差し上げるっすよ」
桃子は桃子はブランコから起き上がり、日詰の前に立つ。
「今日の大将戦で私が鶴賀を勝たせて、これから全国大会が終わるまで後3ヶ月、ひっちゃんとまゆちゃんが鶴賀学院麻雀部の人数合わせに付き合わなければならない事にしてあげますから、待って下さいっす」
桃子の意味深な笑いに、日詰はカーテンか縦ブラインドのようにぶら下がってる髪の中から桃子の姿を覗き見していた。
桃子からは後輩の顔がちゃんと見えないけど、そう感じられる。
でも、こう言っても立ち上がってはくれない。 誰が聞いても無謀な宣言に、そうやすやすく応じるとは思ってなかったけど、全く動かないと、すこしは恥ずかしさを感じるのだ。
日詰は溜息のような言葉を、口を開いて言い出した。
「10万点スタートの試合で、10万の差が付いちゃったんです。 先輩でも、こんなのは逆転出来ませんよ」
「駄目だったら、その時に退部でも何でもしたらいいんすよ。 この時間なら中堅の後半が始まってる頃だし、残ってる試合は後4半荘くらいでしょうかね? それくらい見ても損はない筈っす。 でも、私は本気っすよ? 勝ちますから」
桃子は自信満々にはっきりと聞こえるよう、そう言った。 嘘やハッタリ、一か八かの賭けに感じても構わない。 今伝えられる事はこれが精一杯だから。 証明はこれからだ。
「皆の所に戻る気にはなったんすか?」
返事は無い。 でも、返事を聞くまでもない。
「では、帰るっすよ」
その言葉と同時に、日詰の手を強引に引っ張りだした。
思ったよりずっと力の強い桃子に力負けして、重い腰を動かざるを得えなかった日詰は、砂場の上でローファーが埋もれて、ひょろひょろとしながら起きてしまった。
起きたのを起きたけど、相変わらず桃子とは、目を合わせようとしない。
先輩の目線を避けても、悔しくて血が登ったのか情けなさでウロウロと泣いたのか、目は赤くなって涙目に成ってるのを隠せる事は出来ないのに、無駄な足掻きをする。
涙の跡がハッキリ見えるのに、かわいいと言えば可愛いもんだった。
「帰る気にならなくても帰るっすけどね。 もう早く戻らねばならないんっすよ。 むっちゃん先輩の試合前に話しておきたい事があるんで」