うるさく案内放送が試合開始を告げている中、対局室の入口、そこで二人の対局者は出くわした。
互いを認識したのは誰が先って言う事でも無いくらいの同じタイミングだったけど、龍門渕透華が一歩早く、挨拶をする。
「本日の対局、宜しくお願いしますわ、吉留さん」
本人は気軽だろうけど声の中には重みが有る透華から挨拶に、吉留未春はすぐに返事を出す事が出来なかった。 今から戦う相手の前に立ち揺さぶれる心は、どう仕様もない。
ざわつく心を落ち着かせた吉留未春は、ひと息をするくらいの時間を置いてから、ペコリと挨拶を返す。
「……お久しぶりです、龍門渕さん。 春季大会以来ですね」
「あら、もうそんなに経ちますか?」
記憶を遡ってるのか、眼を丸くしては考える仕草を取る透華を前にして、気が抜けてしまった未春は空笑いを送る。 この短い言葉だけで透華はその試合の事をもう忘れてるんだと、解ってしまった。
「やっぱり時間の流れは速いですわね。 その節はお世話になりましたわ」
透華の声は、大昔の思い出を語る様に、柔らかな感じだった。
県内屈指のデジタルの打ち手として名を広く知らされれる龍門渕透華に取って、到底自分に及ばない相手だけの県大会など、印象が薄くても仕方ない。 今年の春季大会でも、その実力を全国へお披露目し順調に突き進んだから同然だと、未春は自分に言い聞かせた。
「また良い試合にしましょう」
「はい、とても楽しみですわね」
薄く笑っている透華の言う通りに、この試合を楽しむ事が出来るだろうか。
吉留未春はその実力を、僅か数ヶ月前に、直接この龍門渕透華と打って実感した。
結果は圧倒的、衣の出番など無く副将戦で他校を飛ばし長野を制した。 清澄が無いからではない。元々長野のどの高校も、龍門渕とは桁の違いが有った。 副将戦で透華の相手として成り立ったのは自分しか居なかったと信じたかったが、そうでもなさそうだった。
その対局で観たつまらなさそうな顔をはっきりと思い浮かぶと共に、先に対局室に入る透華の背中が大きく見える。
でも今それを気にかけた所で当面の試合には何も役立たない。 卓の上で語るしか無いのだ。
やがて対局室の中に4人が揃い、対局開始の鐘がなった。
・
長野 団体戦 副将戦 前半
[東1局]親、龍門渕透華
前半戦の起家になったのは龍門渕透華だった。
配牌とツモ牌の14枚の中透華の打牌、最初は南切り。
心の準備をしてから挑むとしても、そんなにすぐ試合への切り替えが完全な子はそんなに多く無い。 なのに、透華は開始直後の東家の初打牌だと言えども、打牌は相変わらず素早かった。 牌を観てないような感じさえもする。
デジタルを通す打ち筋、徹底的に計算に基づいた選択をするなら、確率の前で悩む事など無い。
続いての南浦数絵も、それに遅れを取らず字牌の切り出しをする。
その特に何の意味も無い一連の流れを、津山睦月は用心深く観察しながら桃子から言われた言葉を思い出す。
『先輩、龍門さんには特に気を付けて下さいっす』
『うむ、そのつもりだけよ。 多分ここで1位を捲る為に大きく出ると思うし、要注意だな』
『いいえ、それ以上にっす』
『他に何か有るのか?』
『……今の龍門渕さん、私が見えてました。 何か、胸騒ぎがするっす』
桃子の不愉快な顰めっ面を見たのはそれが始めてだった。
(桃子にはそう言われたけど、龍門渕さん一人だけ気を付けるなど無理だな)
睦月としては、眼の前に龍門渕透華が座っていても、桃子にそんな顔をさせた龍門渕透華から何ひとつ感じられない。 何か有るのは間違い無いと、桃子には見える何かが有ると信じるが、現実は知ってる通り甘くなかった。
(客観的にこの4人の中で私が一番弱い。 ここに居る全員が危険そうに見えるな)
龍門渕透華、同然この中で第1に注意するべきの相手だ。
序盤は手役を作る為にあんまり悩む余地が無いと言えども、この卓で緊張しないのが無理だった。 だけど毎回牌を切る事、それ事態に圧迫感を感じてしまったらもう終わりなのだ。
睦月は聴牌に向かって突っ走って行く。
7巡目、数絵は平均聴牌速度を考慮しては良い巡目で聴牌に取れた。
利を持たない東場だけど、南家に座り最大限の加速が出来るようになった、今だけに許された事でも有った。
(龍門渕が眼を覚ます前にケリをつけなければ成らない。 まだ視界良好、行ける)
数絵の手、三三三⑥⑥⑥⑧3567南南 ツモ⑨
今は特に役も無いゴミ手だけど、ついてるなら大物手に化ける可能性も有る形だった。 欲を言ったら自風と三暗刻も見える。
なのに数絵は三索を取り出し、迷わず一気に牌を曲げた。
「リーチ」
速い巡目でのリーチ。
数絵の手の中が見えてない三人は、自分の手がリーチを追いかけられる形で無い限りここから勝負には出られない。 降りるという選択を強要し、場の支配力で決める。 それが今の数絵に出来る最大の武器だ。
一通りツモと切り出しを繰り返した卓の上を、南風は一気に射抜いて一閃と成る。
ツモってきた七筒を卓にぶつける軽快な音の後、数絵の点数申告が告げられた。
「ツモ。 リーチ,一発,ツモ───裏3。 3000・6000です」
[東2局]親、南浦数絵
試合開始から早くも迎えた親番、配牌を開いた数絵は牌を見てるようにして、胸下の点数表示版を見下ろした。
今の時点で清澄の点棒は170900点、2位との差は5万点以上。 普通ならもう守るだけで済む簡単な話だったら良かっただろうに、数絵の役割はこれからだった。
(先ずやるべき事はやった。 南入するまで守り切るべき。 私も東場だからとて、そんなに甘い麻雀はしない。 隙は見せない。 ならどう出る? 龍門渕透華)
自分の親番だが手牌など眼中には無い。 数絵はただ上家の龍門渕透華の動きに全ての神経を集中していた。
始めて龍門渕透華と手を合わした龍門渕の屋敷での対局を思い出す。
「あれで正解じゃったかのう」
「何がだ?」
優希の方は見もせずに、まこは眉を顰めて心配そうな声で言う。
「数絵はなぜ故に龍門渕を上家に座らせたか、の事じゃ」
「染谷部長の目は節穴か! あの、のどちゃんストーカーが一番危険だからに決まってるじぇ! 認めたく無いけど、あれは私並のだったじょ」
相変わらず龍門渕透華をストーカー呼ばわりして、敵意を隠さない優希は良いとしても、だた聞いていた紫芝菜月には理解不能な話が耳を通った。
「座らせるって……、席順を勝手に操れるって事? そんな事があり得るの?」
「まァ、それは……先輩達と打って見ると解ります」
理解出来ない話に素っ頓狂な顔をする菜月と違って、美篶は疑いの気持ちなど一切ない顔で、まこの代わりに答えをした。 短い部活だったけど、理不尽な出来事には散々振り回されて、当たり前に受け入れてる。
そんな後輩の顔を観て、菜月はつばを飲込んだ。
「優希が何時も起家引くのと同じ事じゃ」
「そう……」
全く説明に成ってないけど、菜月はもう言わない事にしておく。 これ以上聞くと常識がおかしくなりそうだったので、耳を仕向けなかった。
「でも、数絵と違って私は何時もってまではないじょ?」
急に矢が向けられた優希は、自分は潔白だと抗弁するような口ぶりでそう言った。
確かに優希は起家を引く時が多いけど、絶対そうなるなでは無い。 それでも異常な数値なのは確かで、重要な公式戦こそ、そう成らなかった場合が無い。 他人に取っては優希の恍けるにしか聞こえないのも当たり前の事だった。
けれど、それを言うのすら面倒くさいのか、まこは頬杖を突いてブツブツと言ってやる。
「ワシらで打つと、大抵あんたが起家で数絵がその下家じゃろ」
「そうだったか?」
「数絵は、牽制して置きたい相手の親番で自分が南家に座る為に調整する。 なら今は上家に鶴賀を置くのも手だと思ったんじゃがな」
東2局数絵の親番、利を失った数絵がこれからどうするのか、まこは心配そうにテレビ画面の中を覗いた。
・
[東3局]親、津山睦月
『ロン、發のみ。1000です』
生牌を切り前に出ようとした睦月を、数絵ののみ手が襲った。
10万点持ちの試合で1000点など失っても良いが、親番を活かせなかったのは辛い。 それも南浦数絵を相手に東場の親番を逃してしまったのだ。
これで早くも東4局に入った。 今の吉留未春の親番の後は等々南入する。
特に何も変わってないまま、好機は遠く離れて行く。
この一連の流れを見ていた井上純は大きい声を出した。
「おいおい、また逃げ切ったぞ?」
自分の庭じゃない東場を早く流すのが南浦数絵が思うツボの筈なのに、全く動きを見せない透華を観て、井上純は遅いおやつを取るのすら忘れていた。 ハギヨシに頼んで買ってもらったタコスが冷めていくのにも気づいてないまま、強い口調で語り続ける。
「初っ端から派手にやられて、透華のヤツはどうするつもりなんだ?」
「どうもこうも無いんだと思うよ」
「はぁ?」
「言葉通り、今の透華は何もしてない」
一と智紀の意見は一致しているようだった。
「確かにオレなら仕掛けた所で何もしてないけど、それはデジタルを貫く透華と比べれた普通にある事だろ?」
純の言葉に、一は顔を横に振った。
「違うよ、透華はまだここで押す気が無いんだよ。 顔を見れば解る」
すっと手配を撮っている中継カメラに選手の顔が映るのはそんなに多くないので、短く透華の顔が出ても意識しなかった純にも解って来た。
現状、三人にはしんどい展開となって行き、全てが数絵だけに都合の良い方向へ流れているのに、透華は平然な顔で、ひたすら打っている。
今思えば、あれは強敵と張り合い興奮してる顔でも冷静に何処までも冷たくなった顔でもなかった。
鳴きもリーチもしない、ただ観てるだけの麻雀、自分の気持ちに素直で必要以上に燃える透華には似合わない顔をしている。
「アイツまさか、麻雀が打ちたくないのか?」
東2局では未春の地味な点数の手に数絵が放銃し出和了となったが、それは差し込みに近い方形だった。 3900点を首位の清澄から取り戻せたのは良かったが、それも同じくあんまり重要な事ではない。 早いとこから張っておいた透華のダマテンが決められず流されたのに意味が有った。
でも、それだけでは透華以外は知る余地が無い。当事者たちは開かなかった手牌については、あくまで推測の上でしか知らない。
「鳴ける牌も全部見逃して抱えたまま見せたりもしないから、あの子たちは分からないだろうね」
「じゃ……ずっと、このままって訳なのかよ?」
「いや違うな、純。 一と智紀は、今何もしてないって言っただけだ」
「衣?」
ソファーで横に成っていた衣は姿勢を正しくして、コホンと咳払いをした。
その後、面白そうな表情で話を続ける。
「山の谷から流れて来た河の水司った龗神は、高の上に舞い上がり雲と雨と共に現れるだろ。 トーカは、そこの全員を殺す気だ」
天江衣は子供地味た顔と対照的な物騒な言葉使いで、従姉妹を語った。
そして画面の中の透華は、普通なら切らない筈の赤ドラを手に持って眺めていた。
(────つまらない、本当につまらないですわね……。 勝手に失望する私が間違いですが、がっかりです。 こんなお遊びに、この人たちは何を必死に成ってるのでしょう?)