「透華、遅いな……」
国広一の独り言が、すぐ隣に座っている天江衣の耳に入った。
ちょうど副将前半戦が終わって透華だけがすぐ対局室から出て行く所までは放送中継画面で確認したのだけど、何故なのか透華は未だに控室に姿を見せない。
どうせ長いとは言えない前後半間の休憩時間を控室までの往復に無駄遣いするより、対局室でそのまま休みを取る場合も少なくは無い。売店や自販機で水分補給だけをする可能性も有る。
でも、全国大会か施設が充実してる東京地区の予選会場ならともかく県予選開催中で殆どの部屋が使用中なので他に行くところも無い筈だ。
高貴な御身分のお嬢様である透華がメイドや執事のハギヨシの付き添いも無しに外を彷徨き控室に戻って来ないのは、一の考えではどうも可笑しかった。
でも衣は似合わなくドライな態度のままだった。
「大丈夫だ、トーカの心配なら要らない。戻りはしないだろうがな」
「分かる?」
相変わらずノートパソコンを覗いてるままでの智紀からの質問に、衣は目を閉じ少し考え込む様子になる。
「分かる…のとは少し違うかも知らないなー」
答えは聞く方からは曖昧な表現でしかなかったが、自分に取っての当たり前な事を敢えて言葉にするとしたら上手く表現出来ないと言うのも、人には時々有りがちな話。
「まぁ、そう言う事だ」
短気な衣は忽ち説明する事を諦めた。
「とにかく、心配も気にする必要も無い。この建物の何処かに在るのは確かだからな」
確信を感じさせる言葉使いに誰も疑ったりはしない。
今の衣がどう感じていて何が解かるのか、3人が理解出来る日はこの先永遠に来ないだろけど、せめて今の衣が言っている事に紛れなど無いと3人は信じ切れた。
納得までは至らなくとも、一はそれで頷いた。
「なら良いけど……」
「最近の透華は普通じゃないからな。透華のやつにだけは心配性の国広君が不安がるのは分かる」
「いや、それは……」
純のワザと軽くからかう言葉で凍った場の雰囲気は少し解れる。
雇い主であり友達である透華の事になると一が一段と大げさになる理由に付いては昔から察しがついているが、今は別に関係ない。
純が気にしてるのは他に在った。
「けどまぁ、このまま伏せて置くにも行かない」
純の目線がノートパソコンをいじってる智紀を通りすがり衣に向かう。
「おい衣、結局さ……今日の透華は寝ていたんじゃないよな?」
「最後の打ち方、まるで衣見たいだった」
純の大雑把な質問に智紀が内容を付け加えると、衣の顔は不満げな表情に変わった。
「ふうん?衣をバカにしてるのか?とても褒め言葉には聞こえないな」
「なんだ、ハッキリ言って先の透華の打ち方からお前の匂いがしたんだよ」
「不誠実」
それは衣に取って容認出来ない言葉だったらしい。
「衣は何時もちゃんと麻雀を打ってる!」
「最近は、ね」
かっとしてムキになる衣に一が止めを刺すと、その不意打ちに衣はすぐ反論も出せずに固まってしまう。
でも、このまま知らないフリをしても無駄なので、「コホン」と咳払いをしては周りを見回した。
「……その観点は……違わないのかもだな」
衣らしかぬ態度で素直に認めたが、純がこの話を出した理由は別に衣を追い詰める為ではなかったので、それは別にどうでも良い。
「それより、透華のヤツの事だよ。アレはどう見てもワザとだろ?確実に勝てる方を選ばないのは、透華らしくない」
一も、軽く頷く。
「そうだね、あの打ち方は透華じゃない。相手を玩ぶなどしないよ」
今日の対局、副将戦を逃さず観戦したからには、あれこれ説明を付け加える必要は無かった。皆が知っている何時もの透華とは全く違う内容だったから。
その上口に出さないだけでその理由だって大分分かっている。
この問い合わせが単なる確認に過ぎないって知りながらも、天江衣は自分に求められている答えを、真面目に言葉にした。
「所詮、衣の相手には成らないと思っているんだ。それに、龍門渕の入婿、透華の父が心配していた領域に至った女の子が、その力を思う存分振る舞うのは同然だ」
「……」
「トーカは子供だからな。おもちゃを取られ、それが許せない子供と変わらない」
一の目に、誕生日の遅い従姉妹に数え切れないくらい何度も言われたその言葉をそのまま返した天江衣は、何処か楽しげな様にも見えた。
自分と同じ場所へ立った従姉妹をどう思っているのかは他人が知る余地も無い。
だた沈黙が流れる。
誰も口を開かない短い沈黙のまま数秒が過ぎて、純が口を開いた。
「正直オレ、そんな理由では納得行かねぇんだよなー」
静寂をやぶる女子高生にしては少し低い声が控室の中に響くと、キーボードの上を走る智紀の手も止まった。
変わった前髪を撫で上げて、純は話を続ける。
「理由はともあれ、オレたちを集めたのは透華だ。アイツには責任ってもんが有る。ここまで来てオレ達を集めた本人が目的を放り出すんなら、オレはそれが許せねーんだよ」
もう一段と真剣そうになってる顔立ちが、その言葉に重みを加える。
それに連れて一も自分の顔に苦笑いを作る。
「認めたくないけど透華は相変わらず影を追ってえるから……口には出さないけど皆知ってるよね?ボクを含めて」
色々と諦めているような言葉遣い、それが気まずさを感じさせる。
一の悩みを知っているゆえ、純からため息が漏れた。
「誰に向けられてる怒りなのかは明白」
「まったく……あいつは原村原村って煩かった頃がむしろマシだった気がするぜ」
「生憎衣はトーカの求めてる相手にはなれやしない。このお姉さんまで相手に成らないと怒るのもしょうがないな」
そう言った衣は、斜め上に首を上げて窓の外に目をやった。
少女たちが繰り広げた半荘7回分の時間が積み重なり、大会は終わりに向かってる。随分と時間が経ち夕闇はすぐそこまで近づいていた。
空の色はオレンジ色に染まりつつある。
しかし、太陽が山の峰筋の向こう側へと沈み夜が訪れようとも必ず月が天に登るとは限らない。
今年の6月上旬の夜空に、月は無い。
「月が欠けてるこの時期は何度味わったって、どうしようも無く辛い。情けないお姉さんだ」
天江衣と言う人間とはあまりにも似合わないその言い方は3人の目線を引っ張るのに十分だった。
「お前が弱音吐くのかよ」
「弱音では無い、自分をありのまま認識してるだけだ。行き先の無い怒りが何処へ向かうのかも良く分かっているからな」