リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

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13 「変わる生活、です?」

 翌日、結局夜には手を繋いで寝る程に留まったのを思い出しながらシロノは背中をぐぐっと伸ばした。隣ですやすやと眠るすずかの頭を撫でてから、日課になっている自己鍛錬を開始する。ノエルから手渡された水を飲み、ランニングを十四キロ、二倍のゼスト隊メニュー、型の素振り、仮想訓練敵の撃破を終えたシロノは前日のくたくた具合とは違い、少し疲れたな程度の疲労感にバリバリの違和感を感じた。

 可笑しいと流石に当人であるシロノは気付く。ランニングの最中もこのまま更に倍を走れそうな体力の増加、二倍のメニューの筈なのに普段のメニューよりも足りなく感じる筋肉の増加、仮想敵の攻撃を見切ってしまう程に発達した視覚。昨日感じた違和感は確かにシロノへ警鐘を鳴らしていた様で、自分の体に起きた違和感の正体が分からずのまま、朝食の一時間前という時間に自己鍛錬は終わってしまう。つまり、倍の速度で自己鍛錬のメニューが消化されてしまったという事だ。

 最初に違和感を感じたのは昼寝の後。筋肉痛が無かった事に首を傾げた時だ。あの時は色々と動転していて深く考えなかったが、足ががくがくになるまで鍛錬をやったのに若いとは言え寝ただけで治る訳が無かった。つまり、あの時から異変は起きていた訳で。そして、前の事を考えても思い付くのは一つしか無かった。

 そう、すずかに血を吸われてからだった。古今東西、吸血鬼に噛まれた者は吸血鬼になると言う伝承があったりする。それに当て嵌めると、シロノは吸血鬼(仮)になってしまっているとしか思えなかった。

 胸の前でぐっぱぐっぱと利き手である右手を開いて閉じてから小指から握り込んで――地面を抉る様な左足の踏み込みから、腰の回転を放つ勢いへ足した正拳突きを近場の木へ叩き込む。返って来る感覚は硬い物を殴った時のそれではなく、ブロックの上に三つ折りのタオルを置いた物を殴ったかの様なそれで。二センチ程木の幹に埋まった右拳を見てシロノは色々と混乱した。冷静になりつつぐっと引き抜いて見れば、素手で殴った筈の拳はほんのり赤いだけであった。眺めて数十秒で赤みが引くという在り得ない光景がそこにあった。

 

「……え、マジで?」

 

 素で驚くシロノの口元は引き攣っていた。首筋で吸血された際に熱く焼ける様な感覚が体中を迸ったのは夜の一族の血の数滴が注入された結果の反応だったらしい。同時に吸血されていた事により快楽が副作用よりも上回ったと考えた方が良いかもしれない。

 

(そ、そういえばすずかちゃんって今まで輸血パックで過ごしてたから直に飲んだのってあの時が始めてだよな。つまり、飲み方が分からない状況で雰囲気に呑まれて吸血したって事で……。あー、これぼくの責任だわ。すずかちゃん悪くないな。了承したのぼくだもんな……)

 

 夜の一族の血を、それも誰よりも濃く受け継いだすずかの血をシロノの血へ数滴注入した事による細胞活性化による肉体の改造。間違えるとその場で拒絶反応で死んでいた可能性もあるので、ゾッとしつつシロノは成功した運の良さに感謝した。肉体面が恭也に何の努力無しで近付いてしまった事に少し落ち込みつつ、すずかに対してどう伝えたもんかと思案する。取り敢えず、当主である忍へ伝えるのは必須事項だろう。結局はすずかに伝える日が来るだろうし、いつ話すべきかを相談する誰かが必要だ。

 

「……言わないのはなんか退けてるみたいで嫌だな」

 

 すずかに罪を意識して欲しい訳じゃないので、一番上手く行く方法をシミュレーションする。突っ立って唸るシロノの姿に少しお寝坊して白い制服を着たヘアバンドを付けたすずかが首を傾げる。その視線に気付いたシロノは取り敢えず今話す事では無いな、と判断して帰ってきたら話そうと自己完結した。

 

「や、おはよう、すずかちゃん」

「おはようございます、シロノさん。少し寝過ぎちゃいました」

「あはは、十分早いと思うよ。それが制服かな? ……うん、純白な感じで似合ってるね」

「ありがとうございます。結構気に入ってるんです、これ」

 

 最近すずか関連で崩壊しつつあるポーカーフェイスでシロノは接する。膝下まである白いワンピースの様なロングスカートに丈の短い長袖の上着を赤い紐で留める私立聖祥大附属小学校の女子制服を身に纏ったすずかがくるりとその場で回転した。ふわっと膨らむスカートが一回転を終えた瞬間にふわりと戻る。それはメイドターンと呼ばれるメイド必須技術の一つであった。完璧なメイドターンにシロノは素直に感嘆した。

 

「ファリンと一緒に練習した事があるんですよ。くるっとターンする時にふんわりとするのがポイントです♪」

「うん、完璧だった。正直見蕩れてたよ」

「えへへ」

 

 思考していた内容が吹っ飛ぶ照れた笑みにシロノは微笑みを返す。吸血した時が一番恥ずかしかったからか、それとも昨夜のシロノの嬉しかった宣言で恥ずかしさが吹っ切れたのか、すずかがシロノに対し緊張した様子で慌てる様子から少し成長した様だった。むしろ、自身の可愛さをアピールする様な度胸が付いた様で、萌え悶えさせる気か、と言わんばかりの可愛さをシロノに振りまいていた。

 本日は忍も午前から講義があるらしく、お出掛け用の私服でダイニングに居た。シャワーを浴びに行ったシロノと分かれたすずかが座り、数分後にその隣に黒っぽい私服に身を包んだシロノが座る。その日常的になった光景に忍はふふっと微笑み、微笑ましくも嬉しく思った。ノエルお手製の絶品な朝食を終えた外出二人組みは鞄を持ったノエルとファリンを連れて玄関へ。シロノは何となくそれについて行き、ノエルと忍がベンツに乗り込んで先に行ったのをすずかと一緒に見送った。

 

「徒歩で登校?」

「えっと……、うちの学校って進学校でバスの送り迎えがあるんです。なので、外の入り口で時間まで待ちます」

「へぇ……、バスの送り迎えか。中々良い学校なんだね」

「お家によっては車で来る子も居るくらいですからね」

「所謂お嬢様学校って事かな?」

「あはは……、小学生までは共学で中学からは男女別ですね。大学は学部で違うみたいです」

「小学校から大学まであるんだ……。凄いとこだなぁ」

「そうですね、海鳴市では一番大きいと思います」

 

 そのまま数分程談笑していると通りから私立聖祥送迎バスという白い塗装のバスが見えてきて、すずかの目の前に真ん中側の入り口があるように止まる。その運転技術にそこまで力を入れているのかとシロノは少し感心した。

 

「いってらっしゃいませ、すずかお嬢様」

「行ってらっしゃい。気をつけてね(何かあったらこっちで言ってね。迎えに行くから)」

「はい、行って来ます(分かりました)」

 

 ファリンの一礼してから精神通話をしつつシロノがすずかを見送り、すずかは二人に小さく手を振ってバスの中へ足を踏み入れる。シロノの外見は小学三年生から見てすれば美形の気さくなお兄さんと言った具合であり、黄色い声を上げる女の子も居たり、格好良い人だなーと大人な雰囲気に憧れる男の子も居たりと結構人気だった。しかし、シロノはすずかしか見ていないので、ふふんと少し優越気味の気分になるすずかが其処にあった。バスの後ろ側に向かったすずかは最後部席の窓際に座る二人の金髪少女に声をかけた。

 

「おはよう、アリサちゃん、アリスちゃん」

「おはよ、すずか」

「おはようございます、すずかさん」

 

 金髪の左側の一房を赤い球体の飾りの付いたヘアゴムで束ねた強気そうなアリサ・バニングスと、右側の一房を青い球体の飾りの付いたヘアゴムで束ねた淑女然としたアリス・ローウェルが挨拶を返す。瓜二つな従姉妹である二人の隣にすずかが座った事を確認したベテランの運転手は入り口を閉じて、アクセルを踏んで進行した。右の窓際からアリス、アリサ、すずかという席順ですずかの隣は一人座れる程の空きがある。そこには後から来るなのはを足すのがバスでの普段の光景だった。月村邸が見えなくなった頃に、アリサがキランと瞳を輝かせすずかに顔を近寄らせた。

 

「で、あの人は誰よ? 随分と仲が良さそうだったけど」

「ええ、わたくしも気になりますわね」

「えっと……、未来の旦那様、かな」

 

 そうポッと頬を染めて惚気たすずかに二人はフリーズする。ミライノダンナサマ、と意味不明な単語を聞いたかの様に吟味し、未来の旦那様と変換し直して、二度目の絶句をした。親戚のお兄さんとか、従兄だとかそんなチャチなレベルではなく、恋人という過程を吹っ飛ばして旦那様であった。そう言えば、と二人はいやんいやんと可愛い事しているすずかから感じられる大人の色気、つまりは色っぽい雰囲気を感じ取れる事が分かる。

 ――すずかが大人の階段を!?

 小学三年生の女子とは思えぬ聡明なアリサとアリスでさえ、彼氏と呼べる人物は居ない。春休みの一週間程の期間で一体何があったのか凄まじく気になってしまう。特に、シロノの事を疑いの視線で見ていたアリスは思ってしまう。

 

(あのイケメンロリコン転生者なの?! いや、なのって私じゃなくてなのちゃんの語尾だしって、案外テンパッてるわね私!?)

 

 淑女という猫を被った転生者であるアリス・ローウェルは内心でかなり動揺していた。アリスは前世の記憶があり、中身は絵を描く趣味で週間雑誌の漫画を書いていた女子大学生である。勿論漫画、アニメに通じる「お宅の子って……」と称されるオタク喪女であった。もっとも、漫画家という肩書きがあったから家族からすれば誇れる子だったのだが。

 自身の漫画の最終話を締め切りギリギリまで命を燃やして書き上げた記憶があるだけで、その後はアリス・ローウェルという死亡フラグ立っている女の子にいきなり転生して絶叫した。人はそれを産声と言うがアリス的には絶叫でしかなかった。

 死亡フラグビン立ちな自身の名前に戦慄しつつ、転生者である利点をアリスは活かした。IQと性格のせいで疎遠されるフラグを難無く圧し折り、死亡フラグ回避だぜと思っていた。

 そう、あの時までは。

 買い物へ出かけたデイビットの妹である母が誘拐されて色々されて気が触れて亡くなり、父はショックで首を吊ったという残酷なバタフライ効果を現実に見て、トラウマを持ってしまったアリスは傍目から見ても可愛そうな少女であった。

 妹が死んだのは自分の責任だ、とデイビットが養子に迎えるまで自傷気味の精神病にかかりつつあったアリスを救ったのは強気で寂しがりやなアリサだった。目が死んでいるアリスを人一倍気にかけて、更には自身の寂しさの傷を舐め合う事で心の傷を埋めたアリサのおかげでアリスはこうして元気に過ごせている経緯があった。

 そのためか、『魔法少女リリカルなのは』の世界に転生している事をあんまり意識する暇が無く、小学二年生の時に知り合った赤星勇人により、自分以外の転生者が居る事を知ってからアリスは転生した事を意識し始めた。何があってもアリサだけは救ってみせる、と誓って。

 意識して魔法の有無を確認し、見事AAランク程の才能を開花。デバイスが無いなら武術を習えば良いじゃない、と高町家にお邪魔した際に御神流を学び始めている。身体能力を魔法もどきで補助しながらの修行により、半年で徹を覚えたアリスの才能に士郎と恭也は勿論、同性の美由希も関心していた程だ。

 

「そ、それであの殿方はどのようなお名前ですの?」

「えへへ……、え? シロノ・ハーヴェイさんって言うんだ。凄く格好良くて、でもたまに可愛い人でね……」

 

 幸せそうに惚気始めたすずかをアリサに託したアリスはシロノ・ハーヴェイという名前を脳内検索して、『リリカルおもちゃ箱』でのクロノの偽名の家名であったな、と目星を付けた。原作では自分を弱いと感じて、大切な人のために自分を犠牲にしてしまう優し過ぎる子だった、とアリスは九年以上前の情報を思い出す。と、なるとシロノという人物も自分と同じでバタフライ効果で辛い事があったんじゃないか、と知らぬ相手でありながら少し共感してしまう。

 すずかの惚気トークに砂糖を吐いているアリサからの救いの瞳にも気付かずに、アリスは思考に没頭する。マルチタスクがあればそんな事は無かっただろうが、あれは技能の一つであって標準装備できるスキルでは無いのだ。例え知っていても練習の仕方が分からなければ習得はできないのが普通である。

 

(……学校に着いたら勇人にも伝えておくべきね。でも、あいつ剣道馬鹿だし役に立つかしら……?)

 

 案外酷い事を言われている赤星勇人は前世でも剣道をやっていた転生者だ。転生に首を傾げながら、もう一度剣道ができると二度目の生を喜んだ良い意味で真っ直ぐな少年である。中学の大会で右腕の筋を断裂し、剣道人生に終止符を打たれてからは酷いものだった。剣道の掛け声を聞くだけで家に篭ってしまう引き篭もりめいた生活、明るい性格だった息子が暗くなってしまい両親は痛々しい姿を見つめるしかできなかった。そんな心優しい両親が気分が晴れれば、と計画した旅行にて交通事故で衝突しそうになった両親を庇って死んだのだった。剣道という体の芯が折れてしまって、惨めに生きる生活よりは両親のために死ねた方がマシだ、と瞳を瞑り一瞬の衝撃の後、最期を悲鳴で締めまいと耐えて、救急車の中で絶えたのが最期の記憶だった。

 そして、何故か産声を上げていた勇人は転生という未知なる体験を果たしたのだった。動く右腕の感覚に隠れて号泣した事もあった勇人は、すくすくと怪我に人一倍気にする剣道少年となったのだった。

 そして、転生して知識の高い事を活かし、奨学金制度で入学を果たした勇人は成績優秀剣道少年となり、同じクラスになったアリス・ローウェルに問い詰められて転生の事実をゲロったのだった。

 見た目は可愛いアリスに呼び出された時はらしくなくドキドキしていた勇人を待ち受けていたのは、魔王の雰囲気を醸し出す女帝であり、淑女の仮面を脱ぎ捨てたアリス・ローウェルの問い詰めであった。それ以来、協力者として友人関係を結んだ勇人は『魔法少女リリカルなのは』を知らない転生者としてアリスに認識されたのだった。

 

「それでね、シロノさんの横顔がもう、格好良くてね。胸の奥がこう、温かくなっちゃってね」

「あー……、うん。そうね、そうなのね……」

「それでね、シロノさんは――」

 

 悪気が無いすずかの惚気に根を上げたアリサは生返事を返すマシーンと化していた。その様子に先に話題を振らなくて正解だったわ、とアリスは停車したバスへ入ってきた栗毛のツインテ少女に目を向けた。高町家の天使、翠屋の良心とも呼ばれている高町なのはその人だった。その天使の如く姿にアリサはこれで勝つると言わんばかりに挨拶の声をかける。

 

「あ、なのはおはよう!」

「とっても素敵で……、あ、おはよう、なのはちゃん」

「おはようございますわ、なのはさん」

「アリサちゃん、すずかちゃん、アリスちゃん、おはよう!」

「ふぅ……、助かったわなのは。一瞬後光が射して見えたわ……ッ!」

「ふぇ?」

 

 すずかの隣に座ったなのはに拝む様に手を合わせるアリサの姿にアリスは苦笑し、すずかは小首を傾げた。一先ずアリスとアリサはシロノの事をすずかに尋ねる時は色々と質問する事を纏めてからだな、と色々と身と精神に沁みたのだった。


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