リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

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無印22 「翡翠の瞳、です?」

「……さてと、片付けるか」

 

 すずかが学校へ行っている間に散歩でもしようと出かけたシロノは鋭敏な勘で、膨れ上がりそうな魔力反応に気付いた。隠蔽結界魔法を身に纏う様に展開したシロノは家屋の屋上を跳んで一直線に河川敷へ降り立ち、封絶結界に切り替えて半径五百メートルを切り取る様に展開した。すると、その魔力の反応によって刺激されたのか、河川敷に掛かる橋の下から弾け飛ぶ様に青色の禍々しい光りが輝いた。橋の下から現れたのは四メートル程に膨れ上がったイグアナを巨大化させた様な厳つい風貌へ変わったイモリだった。なのはが見たらドラゴンと見間違えそうなその恐ろしさに、シロノは怯える事はせずポケットからS2Uを取り出す。

 

「S2U、起動しろ」

《Stand up》

 

 一瞬の閃光がシロノの身を包み、白く染まる執務服を模したバリアジャケットが姿を現す。そして、瞳を開いたシロノは見た者を氷結させてしまいそうな冷たい表情へ凍らせて行く。空中可変した槍型のS2Uを構えたシロノは執務官モードに意識を切り替えた冷徹の執務官その人であった。

 凍て付く様な気当たりがシロノを中心にして吹き荒れて行き、まるでブリザードの様な気温の変化をイモリは本能で悟って無意識に身体を震わせた。

 

《Strike boost》

 

 踏み込んだシロノの足先に円環状のベルカ式魔法陣が展開される。次の瞬間、その輪に爪先を入れたシロノが背中のジェットを噴射したかの如く加速する。直線型移動展開式魔法ストライク・ブーストは本来は突きの威力を速度で底上げしようとして構築された魔法であり、今では加速ゾーンとしての利用されている。その速度はフェイトのフラッシュ・ムーブの二倍であり、けれどそのせいで柔軟な方向転換ができない縛りのあるピーキーな魔法に仕上がった。

 ダンッと地面を蹴ったシロノはストライク・ブーストの恩恵により空を滑空する。その爆発的な速度により一瞬で距離を詰められたイモリは口を開いてボゥッと火種を燃やした。ファイアブレスと言えるそれは目の前に詰め寄るシロノへと解き放たれた。だが、空中で斜め方向へ展開したストライク・ブーストにより難無く避けられ、雷の様な直角な曲線を描いて隣に現れたシロノに顎を蹴りで搗ち上げられる。砕けた下顎が鋭利な歯によって上顎に突き刺さり、口を閉じれなくなったイモリが噴射する筈だった炎の逆流により口内で暴れて膨らんで行く。バックステップして距離を稼いだシロノは息を取り込んで、身体全体へ行き渡り切った不要な空気を吐き出しながら視線をイモリの心臓へと向けた。S2Uが可変し、長刀へと切っ先を変える。

 

「シァッ!!」

 

 左足でコンクリが砕ける程に踏み込みを入れ、足場を作った瞬間に右腕が限界まで絞られる。ギチィッと筋肉の唸りが聞こえた刹那、腰を回して螺旋の通り道を作り出す。発条という撃鉄をぶち込んだ膂力という弾丸を装填したシロノは、突きという単純にして至高の一撃である銃弾を放った。切っ先が硬い鱗に傷を入れ、その傷が裂けるのと同時に刃が食い込み、勢い良く肌を抜き、骨を通過し、心臓に取り付いていたジュエルシードへと穿つ。非殺傷の魔力刃故に死にはしないが壮絶な痛みを感じているイモリにすまんと思いつつ、先程の渾身の突きにより体内より飛び出したジュエルシードをシロノは封印するために切っ先を突き付ける。

 

「レイデン・イリカル・クロルフル……、ジュエルシード封印。番号はⅤⅢか。これで二つ目……」

 

 ⅤⅢと浮かぶジュエルシードを収納したシロノはバリアジャケットを解除し、結界を解除したシロノは同時にS2Uを待機状態へと戻す。これによって、現在海で眠る六つを除く海鳴市に未回収のジュエルシードの総数は、なのはたちが持つ二つとシロノが持つ二つを引いて十一個となった。今回シロノはアニメで怪鳥と化していたシリアルナンバーを回収した事になる。それも、かなり早い段階で、だ。

 

(……アニメの軌跡が正史であるだなんて誰が証明するんだ。何せ、既に怪鳥を生み出すシリアルナンバーによるイモリの暴走体という差異が生じている。そもそも、この世界は可笑しい事が多過ぎる。在り得ない人物に在り得ない展開に在り得ない出来事。……やはり、この世界は似ている世界でしか無い。アニメ知識はミスリードにしかならない可能性があるな)

 

 ――この世界は紛れも無く現実って事だ。

 シロノは元々この世界を疑っていた。自分でさえもアニメの世界では脇役に過ぎないフェードアウトされた存在では無いかと考えていた。しかし、クロノと同期になった事でこの考えは改まる。何せ、この時点でクロノに何かをした場合、シロノというモブでしか無かった存在は物語に影響を与える人物であると肯定してしまうからだ。言うなれば、ご都合主義という機械仕掛けの神にシロノの存在が消されるのでは無いか、という不安があった。

 だが、実際にシロノは此処に居る。クロノの親友であり、すずかと関係を持ち、吸血鬼もどきという異端まで抱えている物語の破綻者として立っている。

 そして、シリアルナンバーの不一致による乖離現象。いや、そもそもこの世界における必然がこのシリアルナンバーだったのかもしれない。そうならば、その偶然は既に物語から乖離している証拠となる。

 そもそもの考えが間違っていた。並行世界(パラレルワールド)を二次創作のそれと混ぜていたからこその勘違い。そう、シロノたち転生者は神によって選ばれた存在でもなく、記憶だけを持って産まれ直しただけの存在だ。

 もしかしたら、フェイトが男かもしれないし、まだ見ぬはやてに兄弟姉妹が居たりするかもしれない。何もかもの可能性が存在する世界こそ、シロノが立つこの世界だったというだけ。シロノは始めたつもりのだけで、現実にはただ足踏みをしているだけだった。勇人にデバイスを与えて楽をしようと考えたのも、アニメの世界のそれがこの世界でも起きるだろうという希望的観測による結果からである。アニメの世界でなのははジュエルシードの暴走体との戦闘で目立った怪我をしていない。ならば、転生者である勇人たちにもそれは適用されるだろう、という思考から指導訓練を実戦式にしたのだ。

 

「……楽な休暇になると思ってたんだけどなぁ。日和ったなぼくも。ちょっとばかし事態を軽く見過ぎたかもしれない」

 

 頭を掻きつつシロノは緩んでいた気持ちを締め上げる。現実を見ていたつもりがアニメという湖に映った波紋を見ているだけだったと、転生者が故に陥り易い思考の停止。思考を止めるのは愚行であると常に実行していたシロノでさえこれだ。自身が言う様にシロノは日和ったと形容するに値する。

 シロノの信念は目の前の誰かを護る力と成る事だ。一振りの杖であれば良かった、と考えていた。だけど、今の幸せ過ぎる環境がシロノから冷徹さを奪い、執務官という夢に辿り着いた事で目標を見失っていた。

 

(ああ、そうだ。ぼくは未熟だ。未だに正面堂々と勝つ力すらも無い弱者だ。何を忘れていたんだぼくは。自惚れていた。……ぼくは弱いままだ。――あの頃から変わっちゃいない)

 

 シロノの瞳は蒼色から灰色が混ざって濁った色へ変わる。夜の一族は感情の昂りにより瞳の色を変える時がある。それは、すずかが吸血の際に興奮して金色の瞳になる様なもので、体質による変化の一部だ。だが、シロノのそれは漫画で言うハイライトを失った瞳のそれと酷似していた。

 何も映らない様に瞳を閉じてしまえば、すぅっと空気へ溶けて行く様な感覚がする。何もかもを諦めたくなる虚無感が全身を侵食して行く。

 

『良いかシロノ。こいつはな、父さんの親友が持ってた奴と同じなんだ。そいつは海で散っちまったが父さんと真逆な性格でな。熱い一面もある良い奴だった。……お前はやっぱり俺に似てやがるな。よし、執務官の試験受かったお祝いだ。こいつをくれてやる。言っとくがな、こいつはお前にとって一生もんの相棒って訳じゃねぇ。言わば、シロノ・ハーヴェイっていう男を後押ししてやる先輩みたいなもんだ。いつか、お前だけの相棒を持つだろう。そして、これからお前は選択に溢れた世界に足を踏み入れて迷っちまうかもしれない。だから、忘れるな』

 

 ――諦めは万物の終わりだ。常に最善を十全に尽くして考え続けろ。

 だが、脳裏に浮かんだ父の言葉がシロノの瞳に炎を灯す。紅く染まる感覚がシロノの心を燃え上がらせる。それはまるで不死鳥の再誕の様だった。いつしか凍り付いていた思考が動き出す。錆付いた歯車が回り始める。●●●●では出来なかった。だけど、シロノ・ハーヴェイなら出来る。そう、誰かに背中を小さな手で押された気がした。

 

「――始めよう。これがぼくの生き様だと誇れる様に」

 

 開かれた瞳の色は翡翠色。シロノはS2Uをくるんと回して結界を破棄してから待機状態へ戻す。懐にしまってシロノはその重さに笑みを浮かべる。先程は手にあった事すらも忘れるくらいに軽く感じていたS2Uの重みをシロノは噛み締める。

 心地良い重さを感じながら街の探索へと戻れば、時間的にそろそろすずかが塾へ向かう頃に近付いていた。夕暮れに差し掛かった海鳴市の一角から膨れ上がる魔力の高まりを感じたのだった。


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