リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

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無印23 「襲い掛かる現実、です?」

 最初は再び剣道が出来る事が嬉しくて仕方が無かった。勇人の人生は剣道一色に染まっていたと言って過言ではなかった。近くの道場に剣道を習う事で前世では知らなかった知識や経験も積む事ができた。勉強は中学二年までのものならほぼ完璧だったし、奨学金制度のある小学校を勧められた時に今生の両親への恩返しとして受けた。

 目の前の他人にしか見えない両親を家族として見るのはとても辛かった。何せ、前世では両親を庇って死んでいた。前世の両親に対する愛情を今の両親にも向けられるかと言えば否だった。自分という血の繋がった他人を育ててくれる両親への罪悪感とも呼べる感情を剣道という閉ざされた筈の道を一心不乱に向かう事で誤魔化し続けてきた。

 

『貴方、二度目の生を謳歌してるかしら?』

 

 道場で朝錬をして、小学校に通って勉強という復習をして、友人と遊びつつも道場で竹刀を振る毎日は充実していた。それは何よりも剣道という失ったものを掴み直せたからだった。だが、赤星勇人という少年から剣道を抜いた場合、何が残るのだろうか。

 勇人自身、前世の記憶の存在に嫌気を感じていた。何せ、経験する殆どの事を前世で経験してしまっている。新しい友人関係や環境だけでは人の心は満たせない。皆が初めて行うそれらに歓喜する隣で勇人はつまらない感情に蓋をするしかできなかった。

 

『ふぅん。でも、それって楽しいの?』

 

 剣道一筋に生きて行くつもりだった。だけど、前世の経験がある勇人は三歳年上の道場の先輩に余裕で勝ってしまう程に力の差を感じてしまった。道場の同年代の少年は勇人の面に練習以外で竹刀を掠らせる事はできないし、大会でも似た様な一方的な展開にしかならなかった。

 小学生剣道大会で優勝してしまった瞬間に勇人は思う。このつまらない感情をいつまで抱えていれば良いんだろう、と。小学二年生に負けた小学六年生。身長差十五センチのジャイアントキリング。本当だったなら泣いて喜ぶ様な感動が胸を熱くさせる出来事だった筈なのに。

 

『優勝おめでとう。凄いじゃない。小人が巨人を倒したようなものじゃない!』

 

 アリス・ローウェルという少女と出会ってから勇人の生活は一変した。剣道一筋だった筈の勇人はアリスから頼まれた色々な事をふたつ返事で請け負う。例え、その結果剣道の時間が減っているのに関わらずに、だ。剣道以外の何かが増えて行く。そんな感覚が勇人は心地良く感じた。

 同じ前世の記憶を持つ少女は不幸な事があっても立ち直した。その時の表情はとても悲しそうで、もう誰にも頼らないと一人で頑張るという決意をしている様なその瞳が印象に残った。

 竹刀を振って、声を張り上げて、足を動かした。

 大好きだった筈の剣道をしているというのに、勇人の脳裏にはアリスの悲しい表情がちらつく。道場の師範にも困った様子で叱られてしまうぐらいに、集中力が下がって行ってしまった。自問自答しても答えは出ない。大好きな剣道なのに、と心が曇る。

 

(……そうだった。確か、あの時もこんな感じだったな)

 

 目の前には勇人の身長の四倍はありそうな獰猛な風貌の怪犬が涎を溢して唸っていた。そして、背中側には足を震わせて立ち尽くすアリスの姿があった。場は夕暮れの神社。あの時と思い出すのは自然公園での事だった。野良犬に絡まれて怯えていたのを助けたあの瞬間、ありがとうと涙交じりの笑顔を見た瞬間から勇人はアリスに恋をしたと自覚した。

 アリスの笑顔が見たい。アリスが今も母親の事でトラウマを抱えているのを、いつも眺めている勇人は気付いていた。自分が無力なせいで誰かが死んだという、幼いアリスには仕方が無さ過ぎる出来事を今も二十一歳の精神はトラウマとして抱えている。前世の記憶が無ければ、自分が再び死ぬ事で母親は救えたかもしれない。そう、それが今もこの世界をアニメの世界だと信じている原因だった。

 

『わたしは母親を殺して生き残ったのよ。最悪なバタフライエフェクト、浅はかにも程があるわ』

 

 巫山戯るなと叫びたかった。そんな訳が無いと勇人は言ってやりたかった。

 けれど、今もアリスはアリサしか信じようとしていない。世界は敵であるから、同類である勇人を手駒にしようと考えていた。それすらも気付いていて勇人は無力さに嘆いた。力が欲しい、と。アリスが信じて背中を貸せるぐらいの力を求めた。

 そして、出会ったのはシロノ・ハーヴェイという人物だった。受け取ったのは即物的な力、代償は未来の進路。けれど、勇人はそれでも良かった。どうせ、執務官補佐になってもならなくても、アリスを救えなければ意味が無いのだから。アリスの説明とシロノの示唆で、この世界がアニメ世界に酷似している世界であるとシロノよりも自覚していた勇人だからこそ、友人の力になろうとするであろうアリスを護る事を決意した。

 

(んで持って、今回は木の棒の代わりにデバイスで、犬は犬でも化物で。ははっ、違いがあれば立場が逆って事だな畜生め……)

 

 オフェンサーを八双という上段に構えた姿勢で居る勇人は恐怖と危機感で昂る鼓動を押さえ付けた。事の発端は塾に行ったなのはたちの代わりにジュエルシードを回収しようとして神社で探索を始めた事。アニメでこの場所でお姉さんの飼い犬がジュエルシードによって凶暴化する事を知っていたアリスはご都合主義な二次創作の如く、見つかったよわーい、という展開を希望していた。だが、現実は非情だった。ジュエルシードを咥えたのは野良犬で、しかもその犬は何処かで見た事のある黒い毛色をしていた。海鳴自然公園でアリスが襲われたあの野良犬だったのだ。

 片や子供すらも食い千切れそうな牙を見せ付ける化物で、片や制限時間のあるビーム兵器を持った子供が対峙する。しかも、勇人には腰を抜かしたアリスという枷が存在していた。

 

「指一本触れさせてやらねぇぞ。あの時みたいになッ!!」

 

 腰を落とした勇人に呼応する様に黒犬は前足に力を入れて駆け出す。開いた巨大な口が迫り来る恐怖の光景を目の当たりにする勇人は逃げるという選択肢と避けるという選択肢は無かった。いや、あるにはあるのだがアリスを犠牲にする事を意味するために選択する事ができない。構えを解いた勇人は左手に隠し持っていたディフェンサーを心の中で紡ぐ様に展開しながら突き出した。突如現れた蒼い壁に鼻頭をぶつける事になった黒犬は短い悲鳴を上げて蹈鞴を踏んだ。

 そして、ギラリと怒りによって紅く染まる鋭い双眸に睨まれて勇人は背筋を凍らせながら笑みを浮かべた。間違いなく自分が目の前の肉食の化物に狙われたと言うのにだ。勇人が出来るのはアリスを護るただそれだけの事だ。だが、小学三年生の小さな身なりでは厳しいに尽きる状況である。

 

「アリスッ!! 逃げれるか!?」

「ご、ごめん、腰が抜けて……」

「……分かった。高町を呼んでくれ。今ならまだ間に合う筈――ッ!!」

 

 なのはたちと別れて数分後であるため、もしかしたら気付いて戻って来てくれるかもしれない。だからこそ、勇人はアリスを死守する事が課題となる。ハッとした様子でアリスは精神通話を繋げてなのはとユーノへ助けを求める。その様子を黙ってみている黒犬では無い。動けないと理解したのか黒犬はアリスへ向けて駆け出す。

 

「させるかってんだッ!! てめぇの相手は俺だッ!」

 

 アリスの前に立ち塞がった勇人が両手で持ったオフェンサーで黒犬の前蹴りを受け止める。自身の体重よりも遥かに重い一撃を真っ直ぐ受け止めれば勇人の腕が悲鳴を上げるのは当たり前だった。鍛えていたといっても所詮は子供の腕、ビキッと嫌な感覚が右腕から感じて力が弱まった。押し倒される様に吹っ飛ばされた勇人は二転三転と神社の硬い石畳を跳ねる。

 

「勇人……ッ!?」

 

 そして、弱った獲物へ黒犬はニタァと笑うかの様に鋭い牙が並ぶ断頭台を開く。アリスはそれを震えて見ている事しかできなかった。怖い怖い怖いと恐怖によって心が押し潰されて身が縮む。だけど、このままでは目の前で勇人が死ぬ。それだけは嫌だとアリスはなけなしの勇気を振り絞り、立ち上がろうとするが意思とは裏腹に体に力が入らない。

 

「……や、嫌ぁ、嫌ぁ!! 止めて、止めてよぉおお!!!」

 

 その絶叫を嘲笑うかの様に黒犬は勇人へと距離を詰め、突如伸ばされた小さな腕に舌を思いっきり引っ張られて悲鳴を上げた。痛みに悶絶して離れた黒犬に血塗れの勇人はざまぁみろと笑みを浮かべる。痛みで体が満足に動かないが鼬の最後っ屁と言わんばかりにまだ動く右腕を動かしたのだった。黒犬は異物を飲み込んだ様子で咽ている。その様子に勇人はニィッと笑みを浮かべた。

 

「死んでぇ、たまるかってんだッ!! ぉおおッ!!」

 

 死に体に鞭を打って立ち上がった勇人は未だに折れない芯の強さがあった。その小さくも雄々しく見える背中にアリスは涙を溢す。絶体絶命のピンチでも笑って立ち上がるヒーロー。それが今の勇人には相応しい形容だろう。血が流れて朦朧とする視界の中で勇人は仕込んだそれを起動する言葉を紡ぐ。

 

「腹一杯食えよ――ディフェンサーッ!!」

 

 ボコォッと胃の内側から展開されたディフェンサーのシールドにより膨張した黒犬は痛みに悶絶して転げ回る。一メートルはあるシールドを押さえるために倒れたまま起き上がれなくなった黒犬に、勇人はゆっくりと近付いて展開したオフェンサーを叩き付けた。魔力ショックによって気絶した犬の口からジュエルシード、続いて黒犬の抵抗によって充填が切れたディフェンサーが吐き出され、荒い呼吸のまま野良犬の姿が戻って行く。地面に落ちたジュエルシードを拾おうとしてぐらりと勇人は前のめりに倒れる。しかし、それを横合いから受け止めた腕があった。

 

「遅れてすまない。だが、よく頑張った」

 

 隣を見やれば軽く息を荒くする白い執務服姿のシロノが居た。後は頼んだぜ師匠とシロノが目を丸くする内容を口にして勇人は気絶した。シロノはふっと苦笑して小規模な結界を張ってから治療魔法を行使する。適正の低い魔法でさえも備えあればと練習した成果により、暫くの行使により勇人の傷は癒えて塞がった。しかし、失った血液は戻らないため危険な状況と変わりない。応急処置を終えたシロノは俯くアリスへ声をかけた。

 

「取り合えず勇人君は無事だ。だが、少し危うい状況だから月村家に連れて行く。構わないね」

「……んでしょ。あんた、執務官なんでしょう!? 何で勇人がこんなになるまで来なかったのよ!!」

「……すまない」

「間違えたら、勇人が死んでたかもしれないのよッ!? …………わたしが言えた事じゃないわね。ごめんなさい。勇人を治療してくれてありがとうございます」

「いや、これは間に合わなかったぼくの落ち度だ。……中身がいくつであろうと今の君は九歳の女の子だ。もしもがあれば、ぼくを恨んでくれて構わない。すまなかった」

 

 シロノは血塗れの現場の後処理を行い、その間に立ち上がれる様になったアリスと一緒に月村邸へと急ぐ。月村邸に着いたシロノはノエルに手短に説明し、勇人を来賓室のベッドへと移す。増血剤の投与により大分顔色が良くなってベッドに眠る勇人の手を、アリスは祈る様に両掌で挟む様に握り締めた。二人きりの部屋で泣きそうな顔になるのを必死で堪えるアリスは無力さを呪う様に嘆く。何のために力を求めたのだと悔しさを覚えながら勇人の無事を祈るしか出来なかった。




没ネタあとがき

もし、今回の戦いが前後編だったら……。

すずか「お願い、死なないで勇人君! 今ここで倒れたら、アリスさんやシロノさんとの約束はどうなっちゃうの? デバイスの魔力はまだ残ってる。ここを耐えれば、暴走体に勝てるよ!」

                次回「勇人君死す」 

              リリカルマジカル、スタンバイ!

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