リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り) 作:不落閣下
「シロノさんはわたしの旦那様ですから!」
「シロノは私の愛弟子よ!」
どうしてこうなったと板挟みの喧騒を聞きながらシロノは思う。夕飯を終えて帰る事なくアリアがシロノの膝の上で座っていた時にそれは起こった。夜空を見上げながら食休みをしていたシロノはふとアリアに話しかけてしまい、その遣り取りを珈琲と紅茶を抱えたすずかに見られたのだった。修羅場が勃発し渾身の一撃「泥棒猫!」が炸裂したのだった。それに蹈鞴を踏んだアリアは人間形態となりアドバンテージとも言える胸を強調して反撃の「お子様ねぇ」をぶっ放した。それからは描写するのもアレな女同士の戦争が始まってしまい、シロノはどうとする事もできずに板挟みにされるのであった。
そして、肩で息をし始めた二人は何故か自慢合戦という第二次戦争を勃発。耳が痛いってもんじゃないくらいに羞恥心と本人すら知られざる秘密という弾丸が行き来し、シロノが小破から大破した。齎したのはシロノであるがこれは酷いと見物に回っていた忍が鶴の一声「夜分に近所迷惑だから寝室でヤりなさい」により一時休戦。忍のニヤニヤした表情に見送られ、ずるずると二人に連れてかれたシロノは寝室のベッドの上で両腕に抱き締められながら牽制しつつ甘えるという乙女技の板挟みを受けているのだった。
何と言うか威厳とか尊敬とかが吹っ飛んで可愛過ぎるアリアと正妻の座は死守すると言った可愛い嫉妬顔のすずかに両側を抱き締められていたシロノは色々と役得過ぎて無言だった。そう、よくある修羅場は主人公の少年を置いてけぼりにする言わば片思いの対岸戦であるが、シロノはぶっちゃけ二人ともが一定の好意を持つ人物であるが故に川の字戦なのだ。だが、シロノは嬉しい気分や幸せな気分では無く羞恥心で死にたかった。
「シロノさんは抱き締める癖があっていつもわたしを抱いて寝てくれるんです」
「ふん、シロノは頭を撫でられるのが好きで終わる時に名残惜しそうに後ろ髪を引いてくれるわ」
「髪を梳くのが上手で天に昇る気分になります」
「はっ、甘いわね。それは私のこの長髪で培われた技術よ」
「くっ、それならシロノさんは焼いた甲殻類が苦手です!」
「ふっ、私の焼いたアップルパイがシロノの好物よ」
「ぐぬぬ……ッ!」
「ふふふ……ッ!」
というすずかの彼女というアドバンテージを崩す様なアリアのリードによってシロノの大事な何かが色々と暴露されているのだ。言わば、二人の流れ弾を全身にシロノは受けている状態である。死体に鞭を打つというレベルじゃない。そんなチャチなもんじゃ断じて無い恐ろしい片鱗をシロノは受けていた。オーバーキルも真っ青な大蹂躙絨毯爆撃である。
「……暁よ春の眠りを憶えよ」
シロノがこっそりと紡いだのは睡眠誘導魔法。よくアジトへの潜入で後ろから眠らせるために使っていた魔法であり、手馴れて口頭呪文により発動できるようになった魔法の一つだった。言葉のキャットファイトを講じている二人の声が遠くなり、シャッターが落ちる様にシロノの意識は瞼と共に落ちた。
「――シロノもそう思うでしょう!? ……あら?」
「寝ちゃってますね……」
心なしかぐったりしている様子があるが乙女の自慢合戦で興奮気味の二人は些細な変化を見逃した様だった。破裂寸前の風船の空気が抜けた様な脱力感に二人は襲われる。本人の目の前で何を言ってたんだと冷静になった頭が先ほどまでの自分を嘲笑う。溜息が重なりバツの悪い顔で二人は見合う。
「……止めましょ。不毛よこれ」
「……そうですね。年上なのに失礼な事を言ってごめんなさい」
「いいわよ。私も少しアレだったし、ごめんなさいね」
結局、二人の関係は彼女と元彼女の様な立ち位置であったのもあって争いの矛を収めた。不毛も不毛。女二人でいがみ合うよりも腕の中にあるシロノの腕を抱き締める方がよっぽど意味がある。すりすりと頬擦りしつつ匂いに安心する乙女二人の姿がベッドの上にあった。先ほどの喧騒は嘘の様に静かになった寝室にぽつりとアリアの声が響く。
「……実は使い魔が恋をするって事は無いのよ。素体は結局獣だし、私の場合は猫ね。主人に絶対の忠誠を誓うのは基本だけど、親子みたいな関係だとそれもまた薄れてきてね……。……私、シロノに飼われたいのよ。自分の物だと縛って欲しいって思ってるの。だからかしらね、貴方に嫉妬みたいな事したの。居場所を取られた様に感じたのよ……。シロノの膝は私の場所だーってね」
「そうなんですか……」
「うん。言うなればシロノの傍に居られればそれだけで満足できるのよ。欲張り言えば膝は死守したいけど……。まぁ、貴方という彼女も居るみたいだし……、それに、シロノの凍った心を溶かしたのは私じゃなくて貴方だもの。近付くなって言うならそれなりに気を使うわよ」
「べ、別にそこまでアリアさんの事を嫌ってる訳じゃなくてですね……。その、私よりも私の知らないシロノさんの事を知ってたアリアさんに嫉妬してたって言うか……」
「ふふふ。随分とまぁ、おませなお嬢さんね。それに……、シロノは実は意外とモテるのよ。でも、士官教導センターでは鉄壁の城塞だなんて渾名が付くくらいに恋愛に興味が無かったの。……聞いた話ではクロノ、ああ、ロッテの弟子の子でシロノの同僚の男の子と同時トップでモテてたみたいね。白黒コンビって言われるくらいに二人の仲が良くて遠巻きしか見れなかったそうだけど」
「へぇ?」
「それで、執務官に一発合格して地上本部で揉まれてる頃にクロノの師匠として出合ったわ。クロノの前では隠してたみたいだけど冷徹の執務官としての片鱗を垣間見た邂逅だったわね。それからはご機嫌取りとクロノの友人だからって面倒見てたけど……、いつしか私が喋ってシロノが聞くっていう時間が好ましく思って、ふと思ったのよ。シロノが弟子だったらな、って。今思えばあの頃から惹かれてたのかもしれないわね。此処じゃ見せた事無いみたいだけどシロノは実は感情が薄いのよ。いや、表情に出ないっていう意味でね。けど、此処では若干無理してるみたいね」
「……え?」
「多分、それくらい貴方の事が気に入ってるのよ。クロノと喋る時も殆ど作り笑いだし、本当の笑みを見た事は私でも少ないわ。此処にたまーに見に来た時、シロノが表情筋を解してる時もあったわよ」
「そっか……。もう、シロノさんったら……♪」
「はいはい、惚気ご馳走様。だから、別に貴方の立ち位置を奪うつもりは無いの。むしろ、シロノの
「こ、子供!?」
「あら? ……少しお子様には刺激が強かったかしら。あらあら、顔真っ赤にしちゃって可愛いわね」
「む、むぅ……。わ、わたしだって成長したらアリアさんくらいには……」
「ふふっ、保護者として影から見守るのも良いかもしれないわね。たまに寝取るけど」
「寝取る?」
「……言葉の綾よ。取り合えず共同戦線を張りましょうか?」
「ん?」と言葉の意味が気になったすずかだったが、アリアの次の言葉に興味が向いたのか尋ねる事は無かった。アリアは失言を隠せた事に内心ニヤリと笑みを浮かべたが、そんな事を表に出す程アリアは無く微笑を浮かべてポーカーフェイスに努めた。
「先ず、シロノは後二ヶ月の休暇を残しているわ。けど、今回の事であちら、ミッドに戻る可能性があるわ。そうすると残りの休暇がミッドで過ごす可能性も出てくるの」
「そ、それは……」
「……ふふっ、だからこそ私が居るのよ。私がシロノの補佐になってミッドで近寄る雌を弾いてあげるわ。それに、四歳下の女の子が彼女って事をシロノは後数年は隠しておきたいようだし、その間私が繋ぎに入るわ」
「……と、言うと?」
「ミッドの誰よりもシロノを構ってた私が恋人の繋ぎをするって事よ。彼女、の様に見える相棒ってね」
「成る程……。でも、それで良いんですか?」
「……言ったでしょ。飼い主とペットの間に恋愛感情は無いのよ。私たち使い魔は、添い遂げ護りて支える者と呼ばれてるくらいなんだから」
その少し陰る笑顔にすずかは少し複雑な気持ちだった。誰かを愛する事を知っているすずかとしては、使い魔であろうとするアリアの気持ちが良く分からなかった。好きな人の前で態々一歩下がるだなんて事をすずかは考えられやしないのだ。そんな寂しさと悲しさを混ぜた様な表情の心配顔のすずかにアリアは心情察して苦笑する。
(……ま、そもそも飼い主はお父様だから飼い主と使い魔の関係でシロノを見ていないんだけどね。使い魔を妻にするのは風評的に当たり風が強いし。陸の次世代の
――それにシロノは実は優柔不断だから何方らかを選ぶだなんて事できやしないだろうし。
二年半もシロノを見てきたアリアだからこそ、シロノという少年を良く分かっていた。それに、初恋の人と言うぐらいに好感度があるアリアがすずかの対抗馬だ。二人でシロノを揉みくちゃにしていた時の様子を思い出せば満更でも無い表情だったのが良い証拠だろう。
シロノ・ハーヴェイという少年はすずかを取るためにアリアを振れる程冷酷じゃないのだ。というよりも身内に対して余す過ぎる節があるからだろう。すずかと婚約者の関係になってからシロノはジュエルシード事件よりもすずかを優先していた辺りからして分かり易い兆候だった。すずかがシロノを求めているからシロノもすずかを求め返した結果が、今まで優先していた陸の執務官としての夢よりもすずかへと傾く事態の要因である。
今のシロノは夢とすずかを両立する考えをしており、約一ヶ月という期間がオンオフの切り替えに要する時間だったと言えよう。士官教導センター時代の時に止めた設計図引きを再開したのもその兆候だった。精神は体に引かれる。その言葉の様に引かれていたシロノの精神が元の位置へと戻ったと言って過言ではない。
「さ、夜のお喋りはもうお終いよ。明日は旅行でしょ、寝ときなさいな」
「……あ」
「おやすみなさい、すずかちゃん」
「おやすみなさい、アリアさん」
すずかの声は躊躇いの色が少し篭っていたが、アリアの内心を覗けないすずかは少しもやっとした気分で瞳を閉じる事にした。これ以上言っても関係は変わらないのだから、意味が無い。むしろ、正妻の立ち位置を譲る気の無いすずかが言う事では無いと年齢にしては聡いすずかは口を閉じたのだった。そんなすずかを見てアリアは思う。聡く優しい子だなと。
(案外シロノに必要だったのは頼れる存在じゃなくて――護る存在だったのかもね)
そんな事を思いながらアリアは肩を落とす様に小さく溜息を吐いて瞳を閉じた。膨よかな胸に抱き締めたシロノの左腕を鬱血しない程度に抱き込んで、肩に寄り添う様に頭を枕に置いて香るシロノの匂いに安心しながら眠りに付くのだった。