リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

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無印36 「我が名はヒドゥン、です?」

「何ていうか……嫉ましい気分になるわね」

「そ、そうかしら? なら、わたくしが……」

「ぐっ、リア充末永く爆発しちまえぇ……」

「きゅきゅぅ(仲良しだななのはたち……)」

 

 縁側デートを終えて返って来たシロノとすずかを迎えて一同が向かったのは夕飯の場である竹の間だった。予想通り月村家とバニングス家による貸切状態であったらしく、宴会ができそうな空間がシロノたちの小宴会場と化していた。

 各自適当に自由に座った結果、士郎、桃子、プレシア、リニス、アルフ、美由紀、恭也、忍の順で右側に座り、その反対側に、すずか、シロノ(+アリア)、アリシア、フェイト、なのは、アリサ、アリス、勇人(+ユーノ)が座った。和気藹々と絶品な料理に舌鼓を打ち始めたシロノたちであったが、段々と時間が経過するに当たって酒というリーサルウェポンが投入され、場がカオスに成り始める。

 桃子と士郎の新婚めいた遣り取りに中てられたすずかがシロノに「あーん♪」を決行し、それを真似てアリシアが「あーんして♪」というプレシアが卒倒しかねない言葉を発する。それを見たフェイトが何気なく「あ、あーん?」をして大歓喜のなのはが無意識に百合百合し始め、そんな友人たちを見て遠い表情をするアリサにアリスが苦笑し、独り身である勇人が血の涙を流しかねない程に絶望し、ユーノは何処か置き去りにされた様な寂しさを感じていた。因みに鮫島は近場のガソリンスタンドへと車を走らせ、給油するというさり気無い経済的気遣いをしていた。

 酒が入った事により悪乗りし始めた大人組が身内以外居ないこの場で羽目を外さない訳が無く、士郎が何気なくシロノに日本酒の入ったグラスを手渡してしまう。

 

「シロノ君、お水足りてるかい?」

「あ、じゃあ頂きます」

 

 そう言って受け取った日本酒を水で割った物を飲んだシロノは、数秒後にくらっと眩暈の様な感覚を覚えて「ん?」とグラスを見やる。何処か少し熱っぽい気分になり、流石に可笑しいと感じたシロノはその水の匂いを嗅ぐ。何処かで嗅いだ事のあるアルコール臭にシロノは固まった。ギギギと正面を見やればグッとサムズアップする若過ぎる夫婦の片割れ。くいっと飲む動作を付け加えるあたり本格的に酔いが回っているらしい。こうなりゃ自棄だ、とグラスを煽ると士郎はうんうんと頷く。その様子を横目で見ていた恭也が溜息を吐き、すまなそうな表情でシロノを見やる。ぼーっとした表情で虚空を見やるシロノの姿に士郎は少し酔いが冷めて苦笑し始める。

 ぼんやりとしたシロノの異変に何となく嫌な予感がしたアリアが膝から離れる。すると、その数秒後に隣に居た筈のすずかが膝に座っていた。ひょいっぽふっと滑らかな無駄無き動きでシロノが乗せたのだ。いきなり視点がズれた事にきょとんとしたすずかは後ろからあすなろ抱きされて「ぁっ」と嬌声を漏らす。

 

「安心する……」

 

 その囁く様な声で漸く抱き締められている事を把握したすずかは、お酒が入ってやけに積極的なシロノの行動に頬を染める。シロノはスキンシップに対しては何処か一線を引いていた。すずかから甘えれば応じるがシロノから甘える事は少ない。それは年齢が上である事と未だにすずかが九歳の少女である事に理性が働いていたからだった。そして、その線がお酒という霞によって足を踏み進めて越え、すずか甘やかすマシーンと化したシロノは行動を始めたのである。

 抱き癖のある子供の様にシロノはすずかを腕の中で大切に抱き締め、顔を真っ赤にして俯くすずかにぼそぼそと睦言を囁く。その官能的な雰囲気にイけない気分になったアリシアがプレシアを見てからこてんとシロノの膝に頭を乗せた。すると、さらりさらりとシロノにその柔らかな金髪を撫でられてアリシアはお腹一杯だったのとはしゃぎ疲れて寝てしまう。眠る際に近くに居たアリアが抱き枕として犠牲になったのは愛嬌である。

 そんな一瞬で築き上げられたシロノの桃色空間に、士郎と桃子は負けてられないと言わんばかりに悪酔いに背中を押されて仲睦まじくイチャつきし始める。プレシアはその様子に少し懐かしそうにしていたが、リニスとひそひそとアリシアとフェイトの成長に関して喋り始める。その隣では「飲んで♪」「呑んで♪」と美由希と忍に酌をされて酔い潰されそうになっている恭也の姿があった。

 

(ぐっ……、なまじ成長しているからか悪乗りが凶悪だ……ッ!!)

「ほらほら、恭也。まだまだ沢山あるわよ」

「そうそう、恭ちゃん。たっぷりあるからね」

 

 そして、そんな兄と友人をぼーっとした様子で見てしまうなのはと雰囲気に中てられたフェイトが熱い視線を向けていた。「わぁ、わぁ……」と茹で蛸の様に頬を真っ赤にして、何処となく恥ずかしさを覚えている二人の姿は愛でたく成る程に可愛らしい。そして、そんな初心な友人をアリサとアリスが何処か遠い瞳で見やる。

 

「すずかはともかく、なのはとフェイトがイけない関係になりそうで怖いわね……」

「あら、アリサはいつの間にそんな知識を?」

「べ、別にそんな漫画読んでないわよ」

「薄かったかしら?」

「そう言えば薄っぺらい本だったわね。内容はアレだったけど……はっ!?」

「ふふふ……、語るに落ちたわねアリサ。わたくしの秘蔵品を見ちゃうだなんて……。おませさん♪」

「な、なぁっ!? あ、アンタこそ何てもんを仕入れてるのよ!?」

「薄い本は書いたわ!」

「著者アンタか!?」

 

 無駄に前世スキルを活用していたアリスにアリサが「がおー!」と吼える。頬が赤いので照れ隠し四割、羞恥心の発露が六割と言った具合だろう。そんなアリサを見てアリスが頬を染めるものだから悪循環の始まりである。

 

(……騒がしいなぁ)

 

 酒に呑まれたシロノはぼんやりと思考を始める。腕の中に閉じ込める様に抱き締めるすずかの温もりの柔らかさとさらりとしたシャンプーの香りに混じるすずかの匂いが思考を奪って行く。どろりとした不透明な沼に落ちて行く様な感覚で心地良さに堕ちて行く。幸せと呼べる世界に立っていると実感できる大切な人の温もりが愛しくて仕方が無い。

 ――どうせ、悲しむなら最初から何も――。

 不意に思い出した言葉でシロノは正気に戻る。あの時の事を思い出したのは何時振りだろうか。そういえば、こんな風に思考に没していた時だったなと思い出す。シロノの始まりにして、○○○○の終わりの瞬間が重なる。重なってしまった。

 

(何故だ?)

 

 今、シロノは確りと胸を張って幸せと言える。嗚呼、それは世界中に叫ぶ事ができるくらいに確かな思いがある。けれど、何故、それがあの終わりと重なってしまうのか。それが、シロノには分からない。いや、分かりたくないのかもしれない。

 なぜなら、それは○○○○という十七歳の少年が病死した瞬間の辞世の言葉なのだから。

 まさか、という思いが浮かび上がる。もしかして、という絶望に似た希望が浮かんでしまう。

 

(もしかしてぼくは死にたかったのか?)

 

 友人も居た。家族も居た。居場所はあったし、娯楽もあった。何が足りないと言うのか。

 胸を締め付ける様な感覚が酷くなって行く。まるで、二日酔いの頭痛の鈍い感覚の様に。どろりどろりと何かが垂れ流れて行く気がしてしまう。何か、大切な何かを溢してしまっているかの様に思えて仕方が無い。冷静に成り始めたシロノの思考に筋書きが回復し、理性が挙兵を果たした。

 

「――ッ!?」

 

 そして、漸く気付いた。自分の周りが白い靄に覆われているのを。そして、それを誰も気付かずに和気藹々と過ごしているその事実に。思い出すのがもう少し遅れていればレジストは不完全に終わり、何か大切なものを奪われていたに違いなかった。

 

(えっと、確か……あれ?)

 

 この旅館で、夜に、とまで浮かび上がった記憶の記録が思い出せない。何かがあった、という結果だけを残して過程を奪われた様な酷い違和感があった。頭を抑えたシロノにすずかがきょとんと見やるが、矢張り白い靄はすずかには見えていない様で気にした様子が無かった。

 その反応を踏まえてシロノは思考を続ける。つまり、相手のターゲットはあくまで自分であると。この場に自分が居た場合に起こる被害は全員に及ぶ。シロノの思考を逆手に取ったかのような燻り出しに歯噛みするのを堪える。膝に乗せていたすずかにトイレに向かうと言い訳をして下ろしてシロノは廊下へ出た。

 

「レイデン・イリカル・クロルフル……来たれ、契約の杖よ」

 

 手元にS2Uを召喚し振るうと同時に展開する。そして、白い執務官服に一瞬にして切り替わったシロノは、続けて隠蔽魔法を起動しその存在を希薄にした。庭園の縁側からストライク・ブーストによってカタパルトから射出される如く暗闇の帳が落ちた空へと跳び立つ。

 そして、眼下の光景を見て悔しさを覚えた。旅館全体に白い靄が浮かんでおり、それは飛び出したシロノに向かって迫ってくる。二度、三度と直線飛行してから、足場となる魔法陣を浮かべ森林地帯上空で停止したシロノは更なる魔法陣を展開して周囲三キロメートルを切り取る様に結界を張った。白い靄はその結界によって完全に旅館から切り離され、それを遠目で見ていた実行犯はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「……其処に居るな」

 

 返答を待たずしてストライクキャノンを問答無用で森林地帯の一角へとぶち込む。蒼い軌跡を描いて放たれた魔力砲撃が空中で凝固した白い靄の盾によって塞がれる。そして、まるで魔力を喰らうかの様に威力を落とす光景を見てシロノは即座に懐へ手を伸ばした。

 

《ふむ、余興ぐらいには成長していたか》

 

 白い靄の盾が霧散する様に晴れた。その場には黒いローブによって頭から隠した魔導師が、黒い布でその存在を隠したデバイスを隠し持って立ち尽くしていた。シロノは敵を視認した瞬間、執務官モードへと思考が切り替わる。絶対零度の視線に貫かれた魔導師は少し驚いた様に肩を揺らしたが、くくくと漏れる忍び笑いが沈黙した空気に震えてシロノまで届く。

 

「休暇中ではあるが、自分は管理局地上本部所属執務官シロノ・ハーヴェイ。渡航証の提示を勧告する。勧告に従わない場合は問答無用で落とす」

《……甘ちゃん揃いの管理局員とは思えぬ言葉だな。良かろう、我が名はヒドゥン。全てを凍て付かせる時の災害……。そして、時の超越者だ。今宵の得物は貴様だ。悲しき記憶を奪わせて貰う》

「……公務執行妨害とみなし、勧告に従わなかった貴方を拘束します」

《ふっ、やれるものならやってみるがいい》

「SBM……ッ!」

 

 懐に入れてあったSBMを起動し、両腕に展開したシロノは一対の魔法陣を浮かべる。すると、執務官服に蒼い紋様の様に線が迸り、とある強化に特化したバリアジャケットへと変貌させる。一対の内一つの魔法陣が消え、残りの一つはシロノの背中へと張り付く様に固定された。

 その様子を見てヒドゥンはシロノの出方を探るよりも前に遠距離魔法の術式を組み上げる。睨み合う様に空中に留まった二人は互いにデバイスを向けて射出するための呪文を唱えた。

 

「ストライク・スティンガーッ!!」

《ブレイク・ショットッ!!》

 

 交差する蒼と蒼が沈黙した夜に響く。威力は貫通性に長けたストライク・スティンガーよりも破壊性に長けたブレイク・ショットが競り勝った。砕け散る魔力弾を見るよりも早くシロノは行動し、ブーストして高速直線飛行へと移った。円環状のストライク・ブーストを腰に固定する事で、擬似的な常時スラスターとして運用するシロノは言うなれば戦闘機の様だった。速さに重きを置いた魔導師スタイルにヒドゥンは何の動きも無く、放たれたスティンガーをショットで破壊し続けるのだった。

 十分間にも及ぶ二人の激闘は結界によって封じられた森林が伐採地と化す程の荒れを齎した。

 一進一退の攻防によりシロノは最後の魔法を放つ一歩手前まで魔力を削られている。だが、対するヒドゥンは隠れたローブで顔色は見えないが疲れを見せているようには見えなかった。その圧倒的な実力さ、いや、魔力量という理不尽かつ非情な現実がシロノを襲っている。十分程の死闘であるが、稼げる時間は稼ぎ切ったとシロノは切れる息を整えてS2Uを一部待機状態にリリースした。得物を手放したシロノにヒドゥンは諦めや敗走に特化したのかと興が冷めて動きを止めてしまう。

 

《ふむ、漸く圧倒的な差がある事を把握した様だな。では、疾く落ちるといい》

「……貴方は魔法を甘く見過ぎている。絶対の覇者なんてこの世には居ない。虚無と絶対が存在しない様に、その驕りは貴方の首を噛むぞ……ッ!!」

《何を言うかと思えば辞世の句か。……くだらぬ、疾うに飽きたわ。落ちるが――》

「――全てを凍て付かせると言ったな。自分だけの十八番と思うなッ!!」

《なっ!?》

 

 シロノが戦闘開始時に背中へと貼り付けた魔法陣は一体何をしていたのだろうか。一度たりとも魔力弾を撃つ砲台とならず、息を潜める様に隠され続けていたその意味はなんだろうか。それは、シロノが自身のバリアジャケットに施した紋様が答えを出していた。最硬となり防御を固めた訳でも、最薄となり速さを切り詰めた訳でも無い。

 そもそも、この結界を張ったのはシロノだ。そして、ヒドゥンを逃がさぬための結界とも言っていない。ヒドゥンがこの結界を壊さなかった事、そして、戦いに興じを見せてすっかりその存在を忘れていた魔法陣を見逃していた事を後悔させる。その様な気迫を持ってシロノは全身全霊の一撃を放つ。

 

「絶対零度の監獄に抱かれろ――コキュートス」

 

 一瞬にして結界内に変化が現れる。それはまるで冷蔵庫に入れてあったペットボトルの中身を一瞬で凍らせる過冷却現象と似ていた。十分もの間“二重”に張られた結界の隙間で下がり続けていた-273.15 ℃以下まで冷え込んだ空気が解き放たれ、一瞬でその全てを凍り付かせたのだ。一面を白銀色に染めた身の奥までも凍らせる様な絶対零度の風により、凍結空間と化した結界内でヒドゥンは口元を押さえて驚愕の様子を見せた。咄嗟に口を閉じていなければ体内に一瞬にして絶対零度の風が入り込み、中からヒドゥンを凍らせたに違いなかった。

 そう、シロノのとっておきにして冷徹の異名を轟かせた二重結界による隠蔽された凍結魔法コキュートスは結界内に存在する悉くを凍結させる極悪な魔法であり、本来なら転移魔法で小規模に展開された二重結界内へ放り込み犯罪者を凍結処理する拘束魔法である。瞬間凍結された犯罪者は如何なる怪我をしていてもコールドスリープの要領で逮捕され投獄されるまでの間に死亡する事が無い。安全にして逃げ場が一切存在しない拘束魔法であるが故に、シロノは幾つ物の事件を即座に解決する事ができた。何故なら、相手ごと潜伏施設を凍らせてしまえば一瞬で終わるからだ。

 もし、この場に結界魔法に長けたユーノが居たならば徐々に縮小する結界の違和感に気付いたかもしれない。十分の間数ミリという移動速度を持ってして追い詰めたシロノの会心の一撃にヒドゥンは慢心していた自分を叱責する。

 

《チィッ!! アポカリプス・ブレイカーッ!!》

 

 ヒドゥンはこの場に居る事を即座に後悔し、虎の子である赤色の宝石を手元に召喚して辺り一面に潜んでいた白い靄を集め、急激に増加した魔力を持ってして結界破壊レベルの砲撃魔法を上空へと解き放った。その蒼い閃光は太陽光を集めたソーラーレイの如く威力を持ってして一瞬で結界を粉砕し、余波で傍に居たシロノを吹き飛ばした。その桁違いの威力の砲撃にシロノは驚愕よりも恐怖が勝ち、即座にプロテクションシールドを多重展開したのに関わらず、その強固な防壁を余波で粉砕され吹き飛ばされたのだ。

 流れ星の気持ちが一瞬だけ分かった気がするシロノは今も尚空中を切り裂く自身の状態に絶句しつつ、余波の衝撃によって折れた肋骨と咄嗟に前に出した右腕の痛みに耐えながら、ボロボロなSBMと入れ替える様にS2Uを展開し直し、緩衝材の様に幾つも張った魔法陣を砕きながら勢いを殺し切った。酷く痛む内部の傷に若干悶絶しつつヒドゥンを探そうと辺りを見回して再び絶句した。

 

「……お、沖合いまで吹っ飛ばされたのかッ!? っぅ……」

 

 辺り一面夜の海一色であり、内陸部に存在する蜜草湯から海鳴市側の沖まで吹き飛ばされた事に驚愕を禁じえない。余波でこの結果だ。直撃したら例え非殺傷設定であっても廃人になるのではないかという威力に背筋が凍る思いだった。シロノは結界が解かれた事で送られてくるすずかとアリアからの精神通話のログを見て少し顔を青褪めるが、生きている実感がこれでもかと感じる痛みとヒドゥンに気付かれぬ様に推し進めた精密な思考の疲れによって泣きたくなった。

 次元震を起こす一歩手前の魔力が解き放たれた事により時空航行艦アースラの到着が速まり、ジュエルシード事件はシロノの証言により名を変えて、ヒドゥン事件と呼ばれる事となったのであった。


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