リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

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A’s38 「零れ落ちた記憶、です?」

 ヒドゥンとの戦いで負った怪我は肋骨二本に皹、右腕を骨折した挙句三十キロは離れた場所からの帰還にシロノは流石に疲労困憊であった。そのため、虎の子であるバッテリーシステムに組み込まなかった試作品以前の試作魔力バッテリーによりポーションの様な一時的な回復を行い、空を突っ切ってショートカットして松の間に戻ったのだ。が、その光景を見て溜息を吐いた。

 あの後、結局恭也を酔い潰した忍と美由希がリニスとプレシアを陥落、その後アルフが大量な食事と少量のお酒の入った水でダウン、匂いで酔ったなのはがフェイトを抱き締めて幸せな眠りにつき、勇人は逃げ出そうとした所をアリスによって撃墜、そしてそのアリスを間違えてお酒を飲んだアリサが轟沈させ、ユーノは勇人の下敷きとなり尊い犠牲となった。因みにすずかはシロノが口にしていたコップに水を足して少量のお酒で舟を漕いだ。アリアは既に前にアリシアに抱き締められてそのまま就寝している。因みに士郎と桃子はそんな様子を仕方が無いなというほろ酔い顔でぼーっと見やっていた。

 結果、頑張って帰って来たシロノの目の前には酔いつぶれた面々が居てシロノの大激闘は無かった事にする事ができた。何処か腑に落ちない気分ではあるが、シロノは諦めて解毒魔法を行使して正気に戻った士郎と桃子に助力を乞い、大人組と子供組の部屋へ担ぎ上げて放り込んだ。

 

「……はぁ、酷い目に遭った。結局あいつは何がしたかったん……だ?」

 

 引かれていた布団へすずかたちを寝かせ終えたシロノは、満身創痍を内側に隠した体を労う様に窓側の椅子へ座った。どっと来た疲れを気だるげに流しながらヒドゥンとの一件の愚痴を吐いていた時にふと目に入ってしまった。すずかたちが起きぬ様にと配慮して暗かった部屋を照らす月光によってキラリと輝く青い宝石たちを。

 その数五つ。疲労による幻覚じゃないかと疑ったシロノはふぅと深呼吸して心を穏やかにさせてから、もう一度瞳を開いてその光景を見直す。対面する椅子の上で輝く五つのジュエルシードがあった。それも置いていった人物を愉快犯と思えるくらいに横一列に並んで数え易い置き方がされていた。

 手に取って見れば本当に宝石の様に透き通る青色をしていて、つい月光に翳してしまったくらいに美しいジュエルシードがそこにあった。シロノは痛み出した頭を片手で抑えながら、手に取ったジュエルシードたちを机に置いてからS2Uを取り出した。起動したS2Uから一つプットアウトして比較してみれば、まるで中身を洗浄されたかの様に置かれてあったジュエルシードは綺麗な色をしていた。

 

(まるで放置された池の濁りを取り除いたみたいに綺麗な色だな。……んん?)

 

 シロノは自分の表現に少し引っかかりを覚えた。何処かで似た様な事を聞いた覚えは無かったか、と。そして数分の沈黙を持ってシロノは思い出す事ができた。それは、テスタロッサ家に行った時に聞いた内容にあった。イデアシードによってジュエルシードを本来の形へ戻す事ができる、というヒドゥンの甘言を、だ。そしてその関連性を考えようとしてシロノはふと疑問に思う。

 

(イデアシードって…………何だ?)

 

 そう、自分で然も当然の様に使っていた一つの用語が分からなかった。思い出そうにも全く引っかかりを覚えず引っ張り出す事ができなかったのだ。顎元に指を置いて暫く考えるシロノだったが、これまでの任務や書類にそんな名前を見た覚えも無く、また、情報を収集していた際にふと覚えていた覚えも無い単語に首を傾げた。まるで、するっと抜け落ちてしまったかの様に覚えていなかった。

 取り合えず、シロノはイデアシードはジュエルシードを洗浄できるロストロギアであるとだけ脳内ファイリングして、五つのジュエルシードをS2Uに収納した。これにより、見つける事の出来なかったジュエルシードは六つとなった。

 

「んー、棚から牡丹餅感が強いけれど、もしやヒドゥンはこのためだけにぼくを誘き寄せたのか? 確かに航行証が無さそうな様子だったし、違法魔導師が捜査協力するってのも少々アレか。いや、けど……。まぁ、公務執行妨害だけにしといてやるか。骨も明日明後日には治ってるだろうし……」

 

 夜の一族としての血はシロノの体を生存に特化する様に更新を続けていた。具体的には、とても死に難くなったと言えた。何せ、全治何週間の骨折が治癒魔法で皹へと戻しただけでもう殆ど痛みが無いのだから、その回復力は異常であると言って過言では無い。戦いによって失った血液も既に殆ど戻って来ているし、強いて言えば空腹感がある程度でシロノはほぼ健康体であった。

 そのため、ヒドゥンとの戦いによって負った傷を記載する事はシロノの異常性を記す事と何ら変わりない。それならば、ジュエルシードを此方へ寄越した事で少し大目に見てもいいかなとシロノは思えた。何せ、シロノの異常性がバレたなら芋蔓式にすずかたち夜の一族の事が引っこ抜かれかねない。ならば、多少の事実を捻じ曲げる事もまた必要になる。それに、幸いにして自分の傷だけだ。問題になる様な点は見当たらない。任務の際のみ記録を取る様にしているため此度の戦闘は記録に残っていない。

 加えて、ヒドゥンの何かと思われる魔力反応はNeed to knowな結果が出たのだから尚更に危うい情報なのだ。むしろ、この戦闘を無かった事にしても問題無いかもしれないとシロノは今後の保身を考える。流石に陸の執務官と言えども、秘密書類を見たなだから死ね、と殺されては堪らない。決して探る様な素振りを見せずに演技し尽して監視を撒くしか無い。九歳で未亡人とか何の冗談だ、とシロノはすずかを想う。

 

「やれやれ……、でもまぁ休暇を取り潰す様な事態には成っていないだけマシかな。残りの六つは海鳴市以外の場所を探すしか無いか。あー、そう言えば海の中とかありそうだな。さっきまで沖合いまで居たけど海鳴市に近かったし」

 

 海鳴市を中心にコンパスで地図に円を書いて行けば面する海も範囲に入っているだろう。何故思いつかなかったのだろう、とシロノは自分の発想の無さに首を振る。けれど、本当は既にその案は存在していたのだ。そう、シロノの記憶から抜け落ちていただけで、確かに存在していたのだ。なのに、シロノはそれを忘れていた。思い出すためのきっかけも記憶も無いのならば、失った一つ二つ三つはあろう戸棚の引っかかりがそもそも存在し無い事に気付けない。

 シロノ・ハーヴェイは原作と呼ばれる未来の知識を一切合財抜き取られていた。

 それは前世の記憶という曖昧模糊な場所から抜き取られたというのもあって思い出すためのきっかけが存在しなかった。何故なら、その知識はシロノの頭の中だけにしか無かった情報なのだから。『魔法少女リリカルなのは』のDVDがある訳でも『リリカルおもちゃ箱』のディスクを持っていた訳でも無い。それはまるで昨日の夕飯を忘れてしまった時の様にどうでも良い記憶として処理がされていた。何せ、間違えれば妄想でしかない情報なのだから。

 

「まぁ、取り合えずクロノがそろそろ来るだろうし発案ぐらいは考えておこうかな。というか、今日はもう疲れたな……。何で休暇なのに休めてないんだか……」

 

 ジュエルシード事件、いや、本来ならPT事件と称された事件の全貌すらも消え失せていたシロノにとっては休暇先での厄介な事件としか認識が無かった。仕事し過ぎだろと愚痴ったシロノはS2Uを仕舞い込んでそのまま背もたれに倒れこんだ。折れている幻痛がする右腕をぶらりと下ろして、左手で顔を覆う様に目元を月光から隠した。段々とコールタールの様にどろりとした疲れがシロノの瞼を落として行く。ずるりと落ちた左腕がぶらりと椅子の横で揺れた。

 沈黙に満ちた部屋で寝息の音だけが虚しく響く。死んだ様に眠ったそのシルエットを窓越しに木の上で見ていた黒い魔導師は踵を返して枝を蹴った。しなる様に歪んだ枝の発条を利用して静かな空へと飛んだ拍子に、ローブのフードが捲くれて背中へと落ちた。現れたのは白い長髪。ばさりと広がった髪の間からはすらっとした整った顔が覗いた。瞳の色は血の様に紅く染め上げられた宝石の如く美しい。

 

《その記憶だけは残してはいけない……。漸く、漸く悲願成就の土台が出来上がった……ッ!!》

 

 月夜に響く機械音声は先ほどまでシロノと戦っていた時に響いていたそれと同じ。その名はヒドゥン。時の超越者と名乗り、全ての時を凍て付かせる者と自称した黒いローブで姿を隠した魔導師だった。シロノが就寝した様子を見届けたヒドゥンは失せたフードを引っ張り上げて再び顔を隠す。

 

《やっとだ。もう何十年も悔やんで嘆いた。――――絶対に失って堪るものか……ッ!!》

 

 ヒドゥンはデバイスを包んだ黒い布を振るって魔法陣を構築する。それは三角と円形を混ぜ込んだ様なペンタゴンの形をしていた。悲願成就のためにヒドゥンは魔法陣に現れた鏡の様なゲートに身を任せてその場から消え失せた。莫大な魔力による次元震一歩手前レベルの揺れによりその形跡は見つける事ができず、一晩の夢の如くその存在を隠して消え失せる。

 まるで、ヒドゥンという人物がこの世に居なかったかの様に空虚に溶けた。


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