リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

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A’s42 「紅い瞳、です?」

 恭也は目の前の光景に戦慄していた。

 高町式鍛錬合宿の真骨頂は自分という存在を追い込み活路を見出す事にある。それは壁を感じた武人にとっては最悪にして最高の環境だ。ゼストによるサバイバル技術を叩き込まれたシロノは三日間の士郎と恭也と美由希による極限戦闘訓練の中、生きるという最重要課題を達成するために幾つものの策を使い果たした状態だった。士郎と恭也の古傷を魔法で治癒した結果、完治とまでは行かなかったが全盛期の半分程の力を取り戻した士郎と若い故に九割程まで戻った恭也に攻め立てられる恐怖と戦いながら三日間を過ごした。

 そして、極限戦闘訓練終了期日である四日目の曇り空の下でそれは起きた。

 士郎はシロノの肉体が以前よりも跳ね上がっている事を身を持って感じていたし、それは恭也もまた同じ事だ。だが、ここで問題視するべきは二人の間で絶対的な差があるシロノという少年に対する情報の差異だろう。吸血鬼もどきと化している事を恭也は相談を受けていたが故に知っていた筈だった。だが、恭也とて夜の一族と戦った経緯はあれど、皆その血筋としては薄い者ばかりであったのが災いに転じた。予測する事は出来たが、現実に起こるであろうという確証も無かったが故に記憶に埋没していたのだ。

 シロノは夜の一族の中でも特異的に先祖返りしているすずかの血を得た唯一の人物である事を。

 

「――いい、良い……。凄くイイ気分だ……」

 

 極限状況下で武人が死地に活路を見出す事は、その武人に一定以上のポテンシャルと才能が無くてはならない。才能により後押しされた努力によって培った技術や技能が死地によって研ぎ澄まされ、極限に近付いて行く程にその後押しは加速する。そして、師匠に対し弟子が会心の出来を開花するのはもはやお約束の出来事だ。実際、恭也は士郎の実戦の中で得るものを得て、死戦という墓場で命の遣り取りをして今の化物染みた実力を開花させている。そして、今回はシロノがその相伴に預かる予定だったのだ。

 そう、だったのだ。

 思い出してみて欲しい。夜の一族が何を必要とするか。それは、血だ。異性の血ならば尚更に良いだろう。だが、その本質は血に含まれる鉄分であって、必ずしも血で無くて良いのだ。鉄分を多く含む薬であれ、レバー等の自ら血を作り出す食べ物でも代理は効く。夜にすずかに血を飲まれる回数が毎夜となったシロノは数週間までは増血剤を飲み込んで生活をしていた。だが、生存本能による体質の変化で血を大量に作れる細胞と進化している。そんなシロノが血を作るための栄養を欠かした場合、いや、補っていた鉄分を消費した場合、夜の一族としての本能はどうなるだろうか。

 

「――くはっ、クハハッ!! イイね……、何もかもを喰らいたい気分だ……ッ!!」

 

 絶句する恭也と唖然としている士郎と美由希の前にソレは居た。血を欲しがる血管の様に脈動する真紅な髪が群青色と混ざって赤黒い紫色と変貌し、鋭い八重歯が伸びて狂気に染まる笑みを浮かべ、空を彷彿させる蒼い瞳は赤い月を填め込んだかの様に紅く染まり、黒く染まった群青色の魔力が墨汁の如く雰囲気を黒く塗り潰した――今も尚笑い続けるシロノ・ハーヴェイがそこに立っていた。

 禍々しい雰囲気に背筋が粟立ち、絶対零度の如く狂気が辺り一面を汚染するかの如く塗り潰して行く。触れた木々がストレスであっと言う間に枯れて行く。正しく死地を作り出す目の前の暴走したシロノの狂気に呑まれまいと三人は意識を強く保った。

 如何言う事だ、と真っ先に士郎の目線が向いた先は恭也が居た。尖る八重歯や紅い瞳という外見的特徴から吸血鬼を彷彿させ、月村家の事情を知る士郎はすぐさまシロノが夜の一族に連なる者であると看破したからである。目線を向けられた恭也は仏頂面を更に硬くして目線を逸らした。

 

「……シロノはすずかちゃんの血を少量だけ身に宿していると聞いた事がある」

「つまり、今回の件はその血の暴走だと?」

「……恐らく、いや、そうだと思う。シロノは魔道師としての一面があるから鎮圧するにはかなり厄介な相手だ。父さん、美由希は下がらせた方が良い」

「恭ちゃん!?」

「成る程、美由希は唯一の異性だからな。狙うとすれば美由希か……」

「うっ、わ、分かったよ……。一応忍さんに伝えてくるね」

「ああ、任せた」

 

 未だに高笑いを続けているシロノから美由希は気配を殺してログハウスを目指して森を走る。その行動により漸くシロノは、士郎と恭也の存在が居た事を思い出した様にピタリと嗤いを止める。漫画であれば擬音で埋め尽くされそうな気配を持ってしてシロノは眼前の二人を見やる。そして、ニィッと笑みを浮かべて腰を落として地を蹴った。

 その爆発的な速度に反応できたのは士郎だけだった。恭也は視線に収めるだけで限界だった。腰元の小太刀を二つ抜刀した士郎は交差して、猛禽類の如く尖った爪を手刀にしたシロノの突きを逸らす。突きという動作は何も槍だけに通じるものではない。徒手空拳であれば手刀が、武器を持てばその全てが、突きを為せる要因となる。そして、シロノの突きはゼストが認める程の才能の余地を持っていた。それが技能と技術によって足場を固めて、暴走して半吸血鬼化したシロノの肉体を持ってすればその一突きで臓物を撒き散らす凶刃と昇華するだろう。その手刀突きを刹那の神業を為して逸らした士郎の技量はシロノには無い。だが、代わりに吸血鬼が恐れられた最大の理由たる暴力の力が存在する。歴戦練磨の士郎の額に薄っすらと冷や汗を流させる程にその手刀突きは恐ろしい威力を秘めていた。

 

「――クハハハハッ!!」

「ぐっ!?」

 

 暴走したシロノが纏う魔力は陽炎の様な衣となり、次の手を肉眼で見る事を封じた。勘によって交差した小太刀を外した士郎の前に濃厚な拳圧が静止した。小太刀を下げていなければ拳に粉砕された刃によって士郎の顔は大怪我を負っていただろう。シロノが自分を殺しに来ていると警戒度を引き上げ、士郎は気絶させる方針を鎮圧に切り替える。一重に痛みを感じるか否かの差異であるが、四肢を切り落とす事も視野に入れられるため戦略が増える。

 対峙した士郎とシロノの戦いを恭也は見ているだけしか出来なかった。完全に人としてのリミッターが外れている今のシロノは神速を無意識に発動している様な暴力の塊である。御神流継承者ではあるが士郎から師範代以上認められていない恭也では実力不足極まりない。むしろ、士郎のお荷物になる可能性の方が高いくらいだ。

 

「――殺ぁあアッ!!」

 

 撒き散らされる殺気に紛れ、シロノは手刀から五指を開いて鉤爪の如く振るう。しなやかにしなった蛇の様な一振りに士郎は小太刀を一閃しそれを弾く。無手でありながら両掌という二刀を持つシロノと小太刀を二つ構える士郎との激戦の幕が開かれた。暴風の如く暴虐を振るうシロノは冷静の雰囲気でないため技のキレが大雑把極まりない。触れるだけで感じる一撃必殺の暴力の恐ろしさが士郎を襲うが、確りと受け流す技量を持つが故にその顔に恐怖の色は見えない。

 むしろ、手強い相手との戦いに胸が躍っている様な笑みを浮かべる程だ。戦闘民族高町家の家長であるが故にその本質は極まっているらしい。むしろ、そんな父を持つ恭也がバトルジャンキーなのは然も当然の帰結だろう。何せ、完成形が師匠で目の前に居るのだから最高の環境と言っても過言では無いのだ。一振り一閃が死を脳裏に浮かべる一撃であり嵐の中の如く激戦が繰り広げられるのを見て足ではなく口元を笑わせる恭也だ。彼にとって何も問題は無かった。

 大降りであるが故に体力を消費し、陽炎を纏う事で魔力もまた消費し、膨大な消費を続けるシロノが段々と士郎に押される形となり、首への峰撃ちによりがくんと意識を手放した。もしも、シロノがゼストに完璧に指導されていたら士郎とてどうなっていたか分からない程に苦しい勝利であった。

 極限状態での疲れが気絶により出たのか心なしかシロノはかなりぐったりしていた。造血する事ができるシロノであってもその血を作り出す栄養源が無ければ意味が無い。先程の暴走によって更に消費してしまったが故に完全に轟沈したのである。それを何となく察した士郎は小太刀を納めて嘆息した。今回の件は監督役である自分の責任だろう、と士郎はこれからの事を考えながら、美由希によって連れて来られた忍と合流を果たしたのだった。

 数十分後、士郎に担がれログハウスの二階の一室で髪色が変わらぬまま気絶しているシロノにすずかは涙をぽろぽろ流しながら甲斐甲斐しくお世話をしていた。原因は初めて吸血した際に取り込んでしまった夜の一族の中でも濃い血にあるとすずかは項垂れながらも一生懸命口元に食事を運んだ。寝ていても栄養を欲しているのか数人前の食料を食べたシロノの雰囲気が柔らかくなり始め、数時間後には穏やかな表情で群青色の髪を取り戻していた。

 

「……シロノさん」

 

 その事に心から安堵したすずかはベッドに入り込んでシロノを強く抱き締める。自分のせいで化物の仲間入りを果たしてしまったシロノに対し罪悪感を感じながらも、失いたくない思いが勝ってしまい寂しさを埋めたくなったのだ。そして、そんなすずかの気持ちが精神リンクから伝わったのか壊れ物を扱うかの様にシロノはすずかを抱き締める。そんな無意識の優しさにすずかは泣きたくなった。

 惚れ直すという経験を九歳にして感じた聡明なすずかはもうシロノが愛しくて堪らない。すずかは心からシロノが好きだと抱き締める力を強め、その温もりに全身を溺れさせた。もし、すずかの年齢がシロノと同年代くらいであったら若気の至りという間違いが起こっていたに違いない。胸板に頬を摺り寄せて無意識に求愛行動に出たすずかはいつしか眠りについていた。

 それから数分後に、すずかの寝顔が視界一杯に広がったシロノはいつのまにログハウスに戻って来ていて驚いた。記憶を遡るが三日目を迎えてからどうも曖昧だったシロノは考えるのを止める。大方鍛錬中に気絶でもしたのだろう、そう深く考えるのを放棄してシロノはすずかの抱き締めなおして寝直したのだった。


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