リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

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A’s43 「前世との決別、です?」

「えーと……つまり、ぼくは夜の一族の血が暴走して意識が飛んでた、と」

「ええ、そうみたいね。軽くノエルにチェックさせたけど筋肉の密度が段違いよ。ま、普段からすずかに対して壊れ物を扱う様な丁寧な扱いをしていたからか問題無いみたいだけどねぇ?」

「あはは……」

 

 寝室にて呆れ顔で惚気ご馳走様と言わんばかりの忍に皮肉られたシロノは、見事な腹筋に擦り付く形で正面から抱き締めているすずかの頭をさらりさらりと撫でていた。血の暴走によって夜の一族もどきから半夜の一族となったシロノの身体で著しく変わった点が一つあった。それは筋肉量である。いや、それでは語弊があるだろう。詳細的にはその密度が変わったのだ。細い糸を集めた筋肉からゴムチューブを圧縮して集めた筋肉と段違いな底上げがあったのだ。

 暴走したシロノは技量や技能に劣るが故に、士郎に対して一撃必殺を心掛けた様だった。そのため、完全に後の事を度外視してリミッターを外せばダンプカー以上の衝突力が瞬発的に発せられる筋肉が必要と考えたのだろう。士郎とて人間の身である。車の衝突に人が耐えられぬ様にいつかは文字通り粉砕できるだろう。だが、魔力という著しく体力と精神力を削る代物を垂れ流しにした結果、自爆めいたステータス低下が勝負の分かれ目であった。

 その様子を身振り手振りで伝える忍の笑ってない笑みにシロノはお手上げである。忍曰く、シロノが夜の一族特有の血分欲求が無いのは、自力で足りない分をオーバーさせて補っているとの事。なので、血液としては何ら人と変わり無いらしいが、造血の影響で多少血液量が多いだけで健康診断的にも問題無いそうだ。

 その事を聞いてほっと安堵したシロノにすずかが上目遣いで頭を撫でる事を催促する。惚れた弱みか、若干不機嫌そうな顔もまた可愛らしいからか、再びシロノの右手が働き始める。その様子に忍は苦笑交じりで事の顛末を語り終えたから、と部屋から出て行った。二人だけになった寝室でシロノはすずかの頭を撫で続ける。

 指の合間からさらりと抜けた時に、シャンプーの椿の匂いと混ざる様に香るすずかの甘い香りを嗅ぎ分けられる様になっている事に内心戦慄しつつ、ぼんやりとこれからの事を考えていた。原作知識という未来知識を失っているシロノは半年後に起きるであろう事件の存在を覚えていない。そのためか、ミッドに戻ったらレジアス司令に挨拶に行く事やゼスト師匠に稽古を付けて貰おう等という身の回り関係の事を考えていた。

 正直に言えばシロノは自身の事を強い分類に入っていると考えてはいない。未来のクロノが氷結ならば、今のシロノは凍結の魔導師。ゼストから習ったのは歩法等の基礎技能ばかりで、真髄に触れる技法を教わってはいない。言うなればシロノは一種の壁にぶち当たっていた。自身の方向性を見出せないのだ。シロノが恭也との鍛錬で見出した個人技法を陽炎気と名付けたのは良いが、それをどう運用するかが問題だった。浅く広くが出来るシロノであるが故に、道に通じる師匠が居ないためどれかに偏らせる事ができない。器用貧乏此処に極まると言った具合だった。

 シロノは徒手空拳は勿論の事、槍と太刀を扱えるベルカ騎士でありながら、凍結魔法を搦め手としたえぐいミッド魔導師でもある。純粋に極めるならば応用性が利くミッド型、目の前の敵を確実に倒せる事に特化したベルカ型も捨てがたい。それ故に今までシロノは魔導騎士と言う中途半端な立ち位置で立ち往生していたのだ。

 個人技能である陽炎気の特性は微かに揺れて軸を見え辛くし、一挙の動作を相手に瞬間まで誤認させられる隠蔽性にある。例えるならば、目の良い人間がじゃんけんで相手の出す仕草を挙動で見分けられるとしよう。シロノの陽炎気を使えば常にその仕草が幾多にもブレて実像を捉える事ができなくなり、次に出す種類の特定ができなくなる。

 これは武術の世界では間合いの分類に入る要素だ。何せ、相手が陽炎の如く揺れているのだ。踏み込む動作すらも陽炎の残像でその挙動を見逃してしまう。鍔競り合おうにも虚像を掴んでバッサリ斬られる可能性も有り得る。心眼と呼ばれる一種の先見の極みに達する者で無ければシロノに殴られた事すらも倒れた後に気付く事だろう。

 もっとも、士郎は標準装備で恭也はその域に手を伸ばしている化物スペックであるので模擬戦でシロノが勝利を得る確立は一割に満たないのであるが。それも、寧ろ陽炎気のせいで恭也の心眼が鍛え上げられているというシロノからすれば悪循環である。勝てる気がしない高町家の男性陣にシロノはお手上げ状態である。と、なれば、同じ土俵では武器の性質上速く届いた者が勝利を得るのは必然である。だが、シロノは速度を極める型の武人ではない。寧ろ、搦め手で余裕を奪い隙をえげつなく穿つ型の人間である。即ち技法も技能も遥かに長ける高町家の剣鬼二人に勝てる要素が全く無かったのだ。

 そうなればもう根本を切り替えて同じ土俵に立たせない事が必要となる。

 

(徒手空拳を極めるか……?)

 

 シロノのアドバンテージは半分程夜の一族化した化物スペックの肉体であり、鍛える余地の在り過ぎる代物であるため下手に武器を用いず肉体に特化した方が宜しい可能性がある。懐に入れば一瞬で顎を打ち抜き内臓を抉る程の一撃を間髪無くぶち込めるスペックを持っているのだ。折れるメンテナンスが必要で手元に無くてはならない得物を持つよりかは可能性の幅が広がる。そして、何よりも防御に特化する事ができる。陽炎気の真骨頂とも呼べる逸らす事に特化した個人技能。そして、戦闘維持力が半端無く高い肉体を活かす事が出来る。

 そうなるとテレフォンパンチ程度の技法では意味が無い。何か武術を学ぶ必要があった。何か良いものは無いかと思考に没して見れば、全く見向きもしなかったが故のツケがきた。そう、全く持って何も思い浮かばなかったのだ。ミッドでストライクアーツが大人気程度でしか思いつかず、実戦というよりもスポーツの意味合いが強い其れを学ぶ気にも成れなかった。

 

「……ねぇ、すずか」

「はい、なんですか?」

「攻防に長けた地球の武術ってあるかな?」

「武術ですか……。それなら恭也さんに聞いた方が良いんじゃないですか?」

「いや、そうなんだけどさ。それだと恭也さんたちに情報を与えちゃうから勝機を失うんだよね。それに、恋人に勧められたらやる気出るかなって」

「分かりました。シロノさんに合うような武術を探してみます!」

「うん、ありがとね。ぼくも探してみようとは思うんだけど地球じゃ時間がね……」

「……シロノさん」

「……分かってる。ぼくだってすずかと離れるのは嫌だ。でも、ぼくが救えたかも知れない人が居たらって思っちゃうんだ。正義の味方になるとまではいかないけどさ。それでも、ぼくは悲しむ人を減らしたいって思うんだ。ほら、すずかとの出会いが分かり易い例かな。もしもあの場に居なかったら、って考えただけでぼくは自分を殺したくなる」

「それは……」

「うん。今じゃ在り得ないけれど、あの時確かに可能性があった。言うなれば運命の分岐って奴かな。ぼくは出来るだけ幸せに過ごす道へ分岐させたいんだ。そうなれば、軽い争いはあっても人は死なないから。……あの空虚感を味わう事が無いだろうから」

「……え?」

 

 すずかは思わず声を上げてしまう。何故ならシロノのその口振りは実際に味わった事があるという吐露にしか聞こえなかったからだ。シロノは遠い瞳をして天井を見やる。あの時の事を、すずかに秘密にしていた事を話そうと思った。それならば再びあの時の頃を思い出さなくては話せない。嫌な沈黙だとすずかは思った。まるでシロノが遠い場所へ、手の届かない場所へと行ってしまう様な焦りを感じてしまった。

 だからだろう、シロノの言葉に息が詰まった。

 

「ぼくは――死んだ記憶があるんだ。前世の記憶という奴が存在するんだ」

 

 初め、すずかはその告白の意味を呑み込む事が出来なかった。どろりと泥が落ちて行く様な感覚が解き放たれた精神リンクからシロノから広がる。それは、シロノが意図的に隠していた精神リンクの扉を開け放ったからであった。指先が冷たくなる様な感覚がすずかの五感を襲い、幻覚であると脳は告げるが辿り着いた心はそれを否定する事が出来なかった。けれど、その感情の泥はすずかを侵す事は無かった。寧ろ、逃げないでと震える手で腕を掴んでいる様な不思議な感覚を感じていた。

 

「生前のぼくは齢八歳にして不治の病を持っていた。医学的にも科学的にも解決できない名前すらない死の病気を患っていたんだ。小学校の友人たちはそんなぼくでも仲良くしてくれた。中学でも保健室登校のぼくを支えてくれたし、病院に移されてからも交友は続いた」

 

 けどね、とシロノは自嘲する様に空虚な瞳で笑った。それは、どうしようもない理不尽を見てしまったかの様な諦めの目だった。

 

「緩やかに進んで行く死の病はぼくの体を蝕んでいった。指先が冷たくなって、足が動かなくなって、やがて内臓にも訪れて点滴生活になって、腕を動かす事ができなくなった瞬間にぼくは悟った。嗚呼、死ぬんだな、って。そりゃそうだ、心臓が止まれば人間は死ぬ。そう、呆気無く死ぬんだ。最期は孤独にぼくは治る見込みの無い病で死んだ。あの時は本当に絶望した。何で死ななきゃならかったんだって。どうせならさっさと殺してくれれば良かったのにさ。名医を見つけたって両親の喜ぶ顔を見て、期待を持った途端に呆気無く死んだんだ」

 

 ――どうせ、悲しむなら最初から期待するんじゃなかった。

 

「……その時の事をぼくは今も引き摺ってるんだ。何も、病死だけじゃない。人が死ぬ理由に困らないくらいに人は簡単に死んでしまう。だけど、死に方だって沢山ある。一生懸命に生きて、必死に足掻いて楽しんで、最期は枯れ木の様に死ぬ事が出来る。ぼくにはできなかった死に方が出来るんだ。……だからかな、幸せに包まれて死ねる環境が欲しいなって思ったんだ。だから、ぼくは他人の死に干渉する奴らが嫌いだ。誰かを苦しめて悲しませる奴らが大嫌いだ。そんな奴らに踏み躙られて良い人生じゃないんだ」

 

 すずかは幼くも聡い熟しの早い心でシロノの心を理解する。シロノが本当は英雄願望がある事を。何かを為して、自分に意味を見出したいという叫ぶ様な葛藤を隠して抑え込んでいるのを繋がった心を通じて知れた。ふと笑みが浮かんだ。嗚呼、この人はこんなにも美しくも儚い人なんだなと知れた事の嬉しさが、愛しさが溢れてくる。

 

「だから、ぼくは――管理局に革命を起こす。腐りきった膿を吐き出し、腐った地面を取り払って、あるべき姿へ戻す。誰かの幸せのために働ける場所を、誰かのためにと一生懸命になれる世界を作りたい。だから、ぼくはミッドに戻るよ。勿論、すずかに会いに来る時間を作る。いつしかきっと、本当の意味で君を迎えに来るから」

 

 ――こんなぼくだけどそれまで待っていてくれるかな。

 その一言ですずかの瞳から涙が溢れた。吸血鬼の家系として生まれて化物扱いをしていた自分を誰よりも深く愛して求めてくれた人が言ってくれた。九歳の精神でない早熟した自分の気持ちを汲んで答えを出してくれた事が心の其処から嬉しかった。シロノの両腕に抱かれた胸の中ですずかは震える声で言った。誰よりも繊細で傷付き易いのに自分から傷付きに行く愛しい人へ肯定の意思を。一生傍で添い遂げる意思を告げた。

 

「指輪はもう少し待ってね。確か、給料三ヶ月分が良いんだっけ」

「ふふ……、楽しみにしますね」

 

 誓いのキスと言わんばかりにシロノはすずかの唇に自身のそれを重ねた。蕩ける表情に火照って艶かしい色気が浮かんだのを察して、シロノは黙ってその首を差し出した。小さな口から伸びた犬歯がシロノの首筋に残る二つの傷跡に突き刺さる。ちゅくちゅくとその傷跡を小さな舌で舐めるのをシロノは可愛らしいと思う。蕩けきった瞳ですずかは四日振りにシロノの血を飲んだ。こくこくと小さな喉が震えるのを快楽を首筋から流されたシロノは感じ取って喜びを覚える。

 吸血鬼にとって異性との、恋人との吸血は永遠を誓う意味を込めたものだ。自身の一部が愛した相手の一部になる喜び、もう少し二人の歳が上であれば文字通り体を重ねて二重の悦びを噛み締めていただろう。ブラックアウトしそうになる微睡みに似た意識でシロノは思う。確かに生きている実感を感じている瞬間だと。誰よりもすずかと自身を繋いでいる瞬間である、と。四歳差という倫理的な壁が崩れ落ちて行くのを感じたシロノは小さな体を強く、けれど優しく抱き締める。腕の中に納まった確かな温もりと鼓動の心地良さに体が溶けて行く様な思いだった。首筋から唇を離したすずかは紅い瞳でシロノを情熱的な色気を持って見やる。肩に置いた手を滑らしてシロノの両掌に自身の小さな掌を重ねて絡め合う。混ざり合う様な感覚に陥った二人は二度、三度と唇を重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尚、聞き耳立てれば健全な遣り取りが聞こえる扉の前で立っていたノエルが、ファリンと共に優しく丁寧に見舞いに来たなのはたちを追い返したのは余談である。アリア曰くフェレット一匹通さない鉄壁具合だったらしい。


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