リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り)   作:不落閣下

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9 「剣と槍、です?」

 尻尾を揺らしてクールに去ったアリアを見送ったシロノは時間を確認して昼近い事に気付く。屋敷に戻れば美味しそうな匂いが厨房から流れて来ていて、空腹に気付いた腹が段々と唸る気がした。ダイニングに足を進めるとファリンが人数分のナプキン等をセッティングしていた。振り返った際にシロノに気付いたファリンはにこっと笑顔を浮かべて厨房へと歩いていく。何か遣る事は無いか、と尋ね損ねたシロノは少々バツが悪い表情でいつもの席に座る。そして、ふと気付く。

 

(あれ、ぼくって趣味って何かあったっけ)

 

 魔法構築をしていても良いがS2Uが無いと効率が激減するし、自己鍛錬をしようにも食事前に遣る事じゃない。言わば暇潰しの何かしらの趣味が無いとシロノは気付いてしまったのだ。手持ち無沙汰のシロノはどうしたもんかと思案し、これから遣る事をピックアップした。

 先ずは、此れから高町家の道場での高町恭也との模擬戦、次に、すずかの魔法資質の開花、最後に、他の転生者(イレギュラー)の確認をしなくちゃならないだろう。

 正直に言えば、陸の執務官であるシロノが手を出す必要性は無い。しかし、それなりに何かしておかないとお役所仕事は宜しくない。そうなると、執務官らしい仕事をするべきだ。そうなると、転生者は格好のカモだ。管理局法を知らぬ魔導師を管理外世界での戦闘行為でしょっ引き、然るべき時のために局員入りさせてしまうのがシロノにとって一番楽な行動だ。だが、楽と裏腹に九歳の少年か少女を手駒にするみたいで何か嫌だとも思う。なのはがstsで語られた様に高ランク魔導師として使い潰される日々を考えれば、入れてやらない方が正解なのかも知れないと思ってしまう。例えば、執務官補佐として自分の手が届く場所へ置いておく、なんてやっぱり手駒だとシロノは苦笑する。

 シロノは三パターンの可能性を考えていた。

 一つ目は、転生者はシロノしか居なかったから何も変わらない。

 二つ目は、高町家に近い立場での転生者による参戦による原作の助長。

 三つ目は、悪意ある転生者による何もかものぶち壊し。

 最悪なパターンが三つ目だとは言わずがなであるし、シロノは持っていないがレアスキルによるなのはとフェイトへの接触により原作が乖離する事も最悪な分類だ。何故なら、先を見通す知識こそが転生者の最大の武器だ。これがあるから先回りが出きるし、餌の付いた罠を踏まずとも良いのだ。と、言っても流石にアニメの知識だ。全て網羅する事は不可能だし、何より過信は現実を舐め過ぎているとしか思えない。シロノという転生者はどちらかと言えば傍観に徹したかったのだ。護れる範囲の人を護ろうと堅実な決意をしているから分かるだろうが、シロノにヒーロー願望は無い。あったとしてもそれは他人の理想の押し付けでしかないだろう。

 シロノ・ハーヴェイは陸の執務官だ。勿論レジアスのマスコミ避けという火消し行為がブラフであり、海派の人間によるシロノ暗殺の阻止が濃厚だとシロノ自身が分かっている。感情が錆付き始めたシロノは段々と仕事を危うい事件の捜査へ傾ける傾向があった。今思えば殉死してしまいたかったのだと気付いたシロノは自己嫌悪している。空虚な病人である頃に戻りかけていたのだと、温かい生活のおかげで自己判断し見直す事ができた。

 あの頃のシロノは自分を餌に海派の膿を一本釣りしてやろうかという気概で居たため、明らかに自分を省みない行動にレジアスを悩ませた。陸唯一の執務官であるシロノを消される訳にはいかないからだ。アースラを経由して地球へ降り立たせなかったのも海派の妨害を避けるためであった。

 海派といえども管理外世界でシロノ暗殺は難しいと判断し踵を返すだろう、というのがレジアスの策であり、孤立無援の冷徹執務官と称される時もあるシロノに追手を仕掛ける者は予想通り居なかった。もっとも、地球という環境が良かったのもある。この時期はグレアムによる闇の書を持つ八神はやての隠匿のために色々と海側を動かしていたために、シロノの行方が分からなかったのだ。

 度重なる偶然と必然によりシロノ暗殺派は苦虫を噛む事となった次第である。今のシロノならば海派の膿に喧嘩を売るような案件を進める事も無いだろうし、無茶が過ぎたなとレジアスの好意に甘んじて反省もしていた。もっとも、すずかという起爆装置を内臓したというのが現実であるが。

 S2Uを手元で遊ばせながら戻ってきた白衣姿の忍と配膳に来たノエルとファリンが現れた事で、束の間の思考を閉じてシロノは瞑っていた瞳を開く。

 

「本日は忍お嬢様のご希望のフレンチトーストです」

「桃子さんに習っているファリンのお手製だから期待してるわよ」

「はい♪」

 

 配膳されたのは外側がかりっと焼かれた艶のあるフレンチトーストだった。月村の財力は材料にも拘りを持つ、と幾度の食事で分かっていたためにシロノは味に期待していた。食事の挨拶をしてから外側のフォークとナイフを手に取ったシロノは高級レストランでも通用するテーブルマナーでフレンチトーストを一口分切り取った。当てた時の感覚とは裏腹に中身はふわっと柔らかくフォークを通す感覚にシロノは純粋に驚く。自身で作ったフレンチトーストでは全く届かないであろう料理技術だと素人ながら分かるくらいに完璧だったのだ。皿をぐるりと飾るハニーソースに少し付けて口へ入れるとじゅわっと肉汁の如く高価なバターの甘みが卵の甘さと相まって舌を喜ばせた。かりっとした外部とふわっとした内部による食感のダブルパンチにシロノはとても美味しそうに食べ進めて行く。その年相応な顔にくすりと笑った忍がフォークを止める。

 

「あら、もしかしてシロノ君は甘い物好きかしら?」

「ええ、そうですね。元々この海鳴市に来たのは翠屋という喫茶店のシュークリームが目的でしたから」

「あ! 私のこのフレンチトーストは翠屋の店主である桃子さん直伝の一品なんです」

「へぇ、そうだったんですか……。これなら期待できますね。ファリンさんの腕が良いから尚更に楽しみです」

「えへへ、ありがとうございます♪」

 

 そう、シロノもすっかり忘れていたが海鳴市に旅行に来たのは翠屋のシュークリームのためだ。軽度の甘党であるシロノはよくミッドのチョコポットを買ったりして糖分補給をしていたりする。陸のお姉さん方はそんなギャップのあるシロノを微笑ましく見られていたりするのだった。一時期それが理由で小さなチョコポット店が儲かり始め、クラナガンのアミューズ地区に二号店を出す程の盛況をシロノが生み出していたのは余談である。ファリンお手製フレンチトーストに舌鼓を打ったシロノは忍とノエルに連れられ、ベンツに乗り込んだ。相変わらずの快適さに流石高級車と思ってしまう辺りシロノは高給取りでありながら庶民である。もっとも、車を運転する年齢では無いというのもあるかもしれないが。

 隣に誰も居ないから前回の脳内マップに付け加える様に位置と風景を覚えているシロノは先程通り過ぎた通り、翠屋というテラスのついた喫茶店があった事に数秒経ってから気付いて後ろ髪を引かれる思いだった。しかし、ノエルが運転するベンツは止まる事は無く数分後には目的地に着いた。

 

「……マジか」

 

 庭に池のある道場の付いたかなり豪華な和風の家。武家屋敷と呼んでも違和感が無いくらいの立派な家に、シロノは戦闘民族高町家の大黒柱である士郎の凄さを垣間見る。要人の護衛だった経緯のあるボディガードの年収はかなりの額だったと察するには十分過ぎた。忍は然も当然とばかりに唖然としているシロノを背に玄関へと向かって行く。ノエルに一礼されながら慌ててついて行ったシロノは、武人特有の領域に足を踏み入れたのを実感した。空気が違うのだ。首筋がチリチリッとするような威圧感に若干シロノの足が竦む。

 

(ぜ、ゼストさんレベルの気当たり……ッ!? 恭也さんよりも技量が高い実力者が居る、つまりその人が……)

 

 シロノの表情が少し変わる。その雰囲気に気当たりを受けていない忍が小首を傾げたが、何かに納得した様に苦笑した。そして、忍がインターフォンを押す前に良すぎるタイミングで戸が開いて黒いシャツに動きやすそうなズボンの恭也が現れる。恭也は忍の顔を見る時はいつもの寡黙な表情をしていたが、何かに耐える様にポーカーフェイスなシロノを見てふっと微笑を浮かべる。

 

「父さんの気当たりを受けて膝を屈さないとは……、あの時には交えれなかったが中々の実力を持っているようだな」

「あ、あはは……。これくらいは師匠に叩き込まれましたからね」

「……ふっ、そうか。忍、シロノ、上がると良い」

「あらら、やっぱり試されてたのね」

「月村家とは切れぬ仲だしな。父さんも期待してるんだろうさ」

 

 ふっと消えた気当たりにシロノはすぐに安堵せずに少しずつ落ち着かせる。完全に気を抜くべきじゃない魔窟であると身を持って警戒してしまうシロノに恭也は楽しそうに苦笑した。そう、戦闘民族高町家のバトルジャンキーである恭也が、だ。これから恭也と一戦交えるシロノからすれば悪い冗談にしか見えなかった。

 恭也はシロノと忍を右手の庭から誘導し、直接道場へと招いた。木の床が一面広がり、視界の端に正座で座る男性が居た。そこに居るのに関わらず、圧倒される実力差の圧力にシロノは頬を引き攣らせる。殺傷設定の魔法を使っても初見で潰せなかったら首が飛ぶレベルとシミュレーションできる圧倒的強者であると分かってしまう。不意打ちでも勝てないかもしれない、と思ってしまう程の実力差にシロノは顔色に出ない様に気張るしか無かった。

 

「君が例の……。シロノ君だったね。僕は高町士郎。恭也の父だ」

「は、始めまして、シロノ・ハーヴェイと申します。外での気当たりは士郎さんです、よね?」

「ほぉ、特定までできるか。中々将来有望じゃないか、まぁ……、まだ青い様だけど」

「恐縮です」

「ははは、そこまで緊張しなくて良いよ。今日の相手は恭也だしね」

「ああ、楽しみで仕方が無い。父さん、美由希は?」

「美由希はシャワーを浴びているよ。汗は拭ってあるから心行くまでやるといい」

「勿論だ。……さて、シロノ。得物は何だ?」

「……そうですね、本来は長柄の直剣ですが槍でお願いします」

「槍使いか、久方振りだな……」

 

 道場の隅にあった木箱に入っていた一メートル程の木槍をシロノに手渡した恭也は一振りの木刀を握る。お互いに三メートル程離れて道場の中央へ立った二人を、士郎と忍は端に座って観戦する。

 ふぅぅと息を吐いて脱力してから恭也は脇構えと呼ばれる五行の構えの一つを取る。半身の体に木刀が隠れるので、対峙するシロノからすれば右から上下横どこから放たれるのかが分からない。シロノはふっと息を短く切る様に戦いのスイッチを入れる。同じく半身に構え、左手を先へ、右手を柄側へ握る。右腕が脱力しておらず、弓を引く様に絞られている事から恭也はシロノの得意分野を突きと判断した。

 士郎の開始の合図から、数秒の沈黙が道場を包む。お互いに隙を探り合い、膠着状態で互いの挙動を睨み合う。先に動いたのはシロノだった。左足を強く踏み込み、絞られた右腕が解き放たれた矢の如く木槍を撃つ。三メートルの距離が一瞬で半分詰まり、その速度と技能に恭也は内心で感嘆した。だが、当たってやる程甘くは無い、と右腕を伸ばして迫る木槍を払い、即座に返しの一撃を懐へ入った恭也は放つ。腕が伸び切った状態であるシロノは右腕を曲げて手首で石突を跳ね上げて巻き上げる様に木刀を下から打ち上げた。両手で放つ一撃を片手で受け止めれる筈も無いと恭也は判断したが、シロノの様子を見た士郎はふっと笑みを浮かべた。石突側の柄へ当たった瞬間にシロノは右足を踏み込ませ、逆に恭也の懐へ入る様にしてその一撃を左回転しながら流す。流された恭也はそれに驚いたが、面白いとバックステップで距離を取ったシロノに笑みを浮かべる。

 シロノがゼストから直伝された槍術の攻撃の技法ではなく、回避の技能だった。技法とは技であり、技能とは技術を指す。ゼストに弟子入りした時の年齢は十歳と幼く、成長していない体で打ち合う事は愚行だと判断した結果、ゼストとの模擬戦という実戦の中でシロノは文字通り回避技能を叩き込まれた。年齢的に腕のリーチの短いシロノが攻めに入るためには数打の一撃よりも、一撃必殺の渾身の突きであるとゼストはシロノに回避と突きしか教えなかった。聡いシロノはその意味を正確に読み取っていた。

 当たらぬ回避を極め、一撃で仕留める突きを極めれば、シロノはリーチの中で相手よりも上位に居れる。腕の強い相手の攻撃を受け止める必要は無い。身に当たらぬ様に避ける。そして、避け続けて渾身の突きを持って敵を制する。剛を柔で制す。その日本人らしい考えでシロノは技能を実戦で使える程に練磨して昇華させた。年下であるシロノの意外な実力に恭也のボルテージが上がって行く。

 

「行くぞ」

 

 ギアを一段階上げた恭也の足捌きはシロノの瞳に映らない。距離を詰めて放たれる高速の斬撃をシロノはやや苦い顔で回避し打ち払う。防戦一方となったシロノは恭也の高い技量に舌を巻く。時折回避の上から手が痺れる強い一撃が入り、握力が磨り減って行くのを感じる。浮かんだのは焦りだった。得物を必要とする武術において握力は大切な力だ。特に戦闘継続力には必要な握力が削られて行くのは大変拙い。だが、魔法で身体能力を上げていない素の握力では恭也の強靭な握力を超える事はできなかった。

 

「ぐっ!?」

「はぁああッ!!」

 

 怒涛の連撃に避けれなくなったシロノは胸前で受け止める様に横にした木槍に伝わる感覚に顔を歪める。上空の鷹が地上の針鼠に爪を刺す如く、回避の防御が破られて恭也の追撃の突きにより木槍が圧し折れた。木刀の先端が胸へ叩き込まれるよりも先に足を滑らせる様に真後ろへ倒れたシロノの眼前を鋭い突きが風を切る。ピタリ、と突きから派生した下方への薙ぎが首元で止まる。しん、と道場に沈黙が生まれた。

 

「降参です……」

「ああ、俺の勝ちだな」

 

 シロノの負けだった。ゼストの教えである回避戦法も強靭な筋肉の修羅である御神の剣士には通用するものではなかった。しかし、ギアを上げた恭也を数秒であれども生き延びたシロノの実力は高いものだった。魔法を使っていなかったから、とシロノは喚く馬鹿では無い。全力を持ってして負けたと悔しがった。遥かに強い相手であれ、せめて一撃は入れたかったとシロノは弱さを実感する。

 武術家としてのシロノは弱いのだ、と。息を吐いて握り締めていた二つの木槍を手放す事は無く、奥歯を噛み締めて敗北を受け入れた。膝を立てて体を起こしたシロノに恭也は手を差し出す。敗者であるシロノに拒む理由も無く、硬い皮膚の手を掴んで引っ張り上げられた。その手の感触で、伸ばす手の先が遠い事を察してしまうシロノは小さく息を吐く。

 

「自分の未熟さを再確認しました。ぼくの完敗です」

「いや、そこまで卑下する程ではない。良い戦いだったぞ」

「……ありがとうございます」

 

(足りなかったのは錬度と手数の少なさだ。魔法で手数を増やしていたのが仇になった。まだまだだな、ぼくも。何が陸の最年少執務官だ。自惚れもここまでだと滑稽でしかない)

 

 離れた右手をキツク握り締めたシロノの悔しそうな様子に恭也は向上心の可能性を見た。剣を交えて分かったがシロノは時折手をぴくりと動かして何かをやろうとしていた。忍から本来は魔法を使う魔導師であると聞かされていた恭也は、シロノの本来の戦い方をしていない事に気付いていた。本気の殺し合いのギアでは無かったとは言え、シロノの回避技能は素晴らしいものだった。しかし、その戦闘スタイルだと言うのに持久力が恭也よりも足りなかった。と、なるとそれを補うために魔法を戦闘に使用していたと考えれば納得がいくものだった。忍も流石に本気で悔しそうなシロノに声をかけて茶化す事も出来ず、力が届かず悩む若者の様子に士郎は良き向上心だと褒めていた。ぽりぽりと頬をかく恭也の気まずい雰囲気が道場に伝わったのか、黙り込み思考に没頭するシロノに視線が集まる。

 

「ありゃ、もう終わっちゃった!?」

「美由希、お前という奴は……」

「あ、あれぇ……。私なんかタイミング外した?」

 

 黄色いリボンで三つ編みに栗毛の髪を束ねて眼鏡をかけている美由希は恭也を筆頭に呆れられた視線で迎えられ、辛気臭い空気をぶち壊して現れたのだった。美由希の登場により思考から戻ってきたシロノは残念ながらと折れた木槍をぶら下げて見せた。あわわと謝る美由紀に苦笑して手を横へ振るシロノの様子を見て、原因である恭也は少し安堵していたのを恋人の忍は見逃さない。恭也は不器用ながら優しい性格をしているので、打ち負かした相手とは言え落ち込む年下の少年にかける言葉が無かったのだろうと推察して、見事に当てていた。

 

「シロノ君。君の槍は回避を主体にしているようだね。しかし、体力と集中力が足りていない。……君がこれからも槍を振るうならばこの道場に来ると良い。鍛錬の相手に不足は無いからね」

「……はい。未熟者ですが、よろしくお願いします」

「よし、それじゃあ早速訓練だな」

 

 士郎の良い笑顔にシロノは反論の余地も無く、数分後に道場から上がったシロノの断末魔めいた悲鳴を聞いて、友人との遊びから帰ってきた九歳の女の子が猫の様に鳴いて驚いたそうだが、それは余談である。数時間後、厳しい訓練にぐったりとしたシロノを送迎に来たノエルが回収し、忍がその様子に青春だと笑ったそうだった。それを、夕飯の時にすずかから聞いたシロノは頭を抱えたと言う。


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