クロスライン   作:唐野葉子

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三人称です


星を見つけた日 余

 

 白。

 その空間を高町なのははおびえた表情でそう表現した。

 実際に訪れてみて、リンクスはなるほどと思う。

 集中医療室のベッドの上にごろんと横たえられた士郎の体は、人間の形をしているがゆえに逆にどこかグロテスクに人間離れして見えた。薬品の匂い、定期的に刻まれる電子音のシグナル。カーゼで目と口を覆い、テープで口につながる管を固定され、点滴のチューブが何本も繋がれた人形のような士郎の体。

 漂白されたかのように現実感のない清潔な世界。

 幼い子供に死のメタファーを感じさせるには十分すぎるシロモノだ。

 さて、とリンクスはパーカーのポケットの中に手を入れる。時間は有限。時間停止と注意の押し付けで簡単に侵入できたとはいえ、それがいつまでも続くと盲信するのは素人の発想だ。

 取り出されたのは明らかにポケットのサイズに合わない250mmペットボトルサイズのガラス瓶。分厚いブルーの重厚なデザインのそれが合計十一本、ベッドの横にある机の上にごろごろと並べられる。

 ポーション。それがその瓶の中身の正体だった。

 べつに頭にハイとかエクスとかよく効きそうな冠は被っていない、単なる無印ポーション。だがレベルアップ製ではないこの世界では、平均的な成人男性なら三本もあれば十分HPを全快する一品である。

 ちなみにお値段はなんと驚きの十一本で一千万円。ばら売りだと一本百万円。ネトゲのガチャみたいなお買い得セットだが、安く手に入るのはいいことなのでリンクスに文句はない。

 ゲームの世界で回復するのに必要なのは消費すること。現実世界に具現化した今、その消費方法の自由度はかなり広がっている。一般的な薬とは違って一本単位でまるまる消費しなければまったく薬効が出ないのが難点と言えば難点だが、飲んでよし、塗ってよし、極端な話対象の体のどこかにぶっかければそれでよしという万能加減はそれを補って有り余る。

 リンクスはおもむろに瓶のふたを開けると、機械的な呼吸音を漏らすその頭にぶっかけた。

 ポーションによって回復されるHPという概念も曲者だ。当たり前のことだが、神視点から見れば二次創作とはいえリンクスからしてみれば明らかな現実となったこの世界にHPなどというものは存在しない。なのでHPの解説欄についていたフレーバーテキストがそのまま回復対象となる。

 すなわち、精神的、肉体的な戦いを続けるのに必要な要素。外部的要因によって減らされた状態を万全な状態(満タン)を基準に設定された割代だけ状態を引き戻す。ポーションはそんな無茶苦茶な効果を持つ霊薬へと進化を遂げていた。骨折も打ち身も出血も部位損傷さえゲーム時に存在しなかった怪我はHPの減少として一括で処理される。逆に言えばゲーム時に存在していた状態以上は治すことができないのだが、それはそれで毒消し目薬万能薬が存在するので欠点にはなりえない。

 もちろんその価格は天井知らずであり、リンクスが購入した時の値段はあくまでもお友達価格の同じ組織所属による友好パック適応時のものだったりする。

「……高町家の人間は化け物だな」

 すでに注ぎ込んだポーションが五本目に突入したリンクスは天を仰いだ。まだ傷が完治する兆しも意識が戻る予兆も見られない。よくもまあこれで生きていたものだと、自分が傷を押し付けた当人だということは忘却の彼方に投げ捨てて感嘆する。

「この強さって遺伝するものなのかな。肉体的精神的問わず逆境を打破する主人公の遺伝子、というより最強の遺伝子? 地上最強の生物みたいだなぁ」

 六本、七本、次々と投入されていくポーション。一本当たりの金額を考えれば信じられないことだが、半ば作業と化したリンクスは思考を脇道に逸らしながら淡々と瓶の中身を振りかけてゆく。

「でももしこの異常なまでの強さが遺伝子に起因するものだとすれば、高町士郎と高町桃子の遺伝子を採取して、ついでになのはちゃんやなのは兄やなのは姉からサンプルして調べれば何か見つかるんじゃなかろうか。実は戦闘民族の血を脈々と受け継いでいてもなんら驚かない自信があるよ」

 いうならば彼は完全に油断していた。だから士郎が突然跳ね起きて完全に関節を極めた時もまるで反応できなかった。まあ油断していなくとも反応できた可能性は皆無だろうが。

「なんで君がここにいるのかな?」

 意識を取り戻しながら一切の反応を見せず、肉体が十分に回復したタイミングを見計らって獲物を捕らえるそのあり方は裏の世界でも熟練の域(トップクラス)に達していることを物語る。静かな声に込められた巨大な一枚板が迫ってくるような圧倒的なプレッシャーはしかし、二歳児の表情筋をピクリとも動かすことができなかった。

「あんたの末の娘さんが身売りしたんだよ。お父さんを助けてくださいってね」

「っ、まさか貴様、なのはを……!」

 士郎の万力のような力が細い体に込められ、ダメージを押し付けられた病院のベッドが真っ二つにへし折れる。

「家族には手を出すな! 僕に用があるなら僕に何かすればいいだろう。なのはは、あの子はまだ二歳なんだぞ?」

「僕もぴっちぴちの二歳(ヒトケタ)だよ。っていうかさー、家族だっていうなら仲間外れにするのはひどいと思うんだよねー。幸福は倍に、不幸は半分に分かち合うのが家族ってもんでしょう」

 そんなんじゃいつか、なのはちゃんも命にかかわるような重大な案件を家族に隠れて取り扱うようになっちゃうよ~? と忠告を続ける前に激高した士郎が無意識的にだろうが殺しにかかったのでリンクスは時間を止めた。

 いまだ過負荷(マイナス)として未熟である彼は不慮の事故(エンカウンター)で関節技のダメージを押し付けることはできても拘束そのものを押し付けることはできない。だから世界(ザ・ワールド)でゆっくり丁寧に一本ずつ体に絡みついた腕をほどいた。

 高町なのはに依頼されたのは士郎の傷を完治させるところまで。だから完治した今は半殺しにしようが契約不履行ではないというのがリンクスの持論だったが、なんとなく気が乗らなかったので傷一本つけないように丁重に作業する。

 そして机の上に置いたポーションがさっきの騒ぎで二本割れているのを見てため息をついた。結局、士郎につぎ込んだポーションは合計八本。今割れたのが二本で、無事残ったのは一本しかない。

「契約で消費した分はこっち持ちだけど……士郎が割った分は高町家に請求してもいいよね」

 ――時間停止から三十分後、というのも変な表現だが。リンクス以外の人間の時間は一秒たりとも経過していないのだから。

 動き始めた士郎はリンクスが蒸発したことを認識し、即座に動き出そうとするが時間停止中に部屋に設置されていた看護師と医者に見つかり大騒ぎに発展する。

 こうして意識不明の重体から一転、今にも外に飛び出さんばかりの勢いの士郎の様子は『喫茶店の戦闘民族』という都市伝説として代々語り継がれていくのだがそれはまた別の話。

 

 

 高町恭也が小学六年生のとき、父の士郎が重傷を負って入院した。裏の世界から足を洗い、喫茶店経営に専念する。夫婦で相談し育てた夢を、多少無理をして借金しながら動かし始めた矢先のことだった。

 周囲には交通事故としたが、その実態はヘルプで入った裏の仕事で自爆テロに巻き込まれたもの。士郎が桃子と再婚するまで父と共に裏世界で武者修行をしていた少年は、一般的な十二歳の少年とは比べものにならないほど成熟した心と身体に誓った。

 父親が回復するまで、自分が高町家を守るのだと。父は意識不明の重体。母は言葉を濁していたが、そのまま意識が戻らない可能性も低くはないと悟った。そうなれば残されるのはまだ若い母と幼い二人の妹。男手は恭弥一人しかいない。

 しかし、だからといって――ここまでの化け物と対立する覚悟なんてしてできていなかった。

 関節が白く浮き上がるほど力を込めて握ってもまだ震えが止まらない手を隠し、せめてもの意地で恭也はテーブルの向こうに座った存在をにらみつける。本当は視界に入れることさえおぞましかったが、隣で真っ青になって震えている母親は一般人だ。いちおうは御神流の剣士である妹は失神してしまい戦力に数えることができない。彼が守るしかないのだ。

 なまじ力と意思を持つが故に折れることの許されない悲劇がそこにあった。

「まあ、というわけでなのはちゃんは僕が預かっています。返してほしければこちらの出す三つの要求を呑むこと、いいね?」

「ふざっ――」

 ふざけるな!

 そう激高しかけた恭弥はズイッと近づけられた腐ったリンゴのような瞳に沈黙を強制される。

 気持ち悪い。こんな存在が何の制限もなくこの世界で呼吸を許されているという事実がどれほど冒涜的なことなのか、肌を刺すような悪寒を持って強制的に理解させられる。

 昼を過ぎても帰宅しない末の妹を探し、店を閉めて近所の人に聞き込みをして、いっこうにつかめない手掛かりに警察に相談するべきかと家族三人で話し合っていた時に玄関から正々堂々訪ねてきた異形の化け物。

 何らかの事件に巻き込まれたのではないかと平和ボケしたことをさも心配げに話し合っていた少し前の自分たちが懐かしい。その程度だったらどれほどマシだろうか。そんな普段では考えられないような狂ったことを恭也は思う。

 インターホンを鳴らすというまるで日常の延長のような行動で高町家に侵入してきたそれは、外見だけ見るなら無害そうな小さな子供の姿をしていた。

 天使の輪が宿った艶やかな銀髪は二つくくりの三つ編みにされ、肩の前へとゆるやかに流している。輝かしい瞳は右目は赤と青、左目は青と黄、それぞれ陰陽太極図の図柄で配色されたオッドアイ。なのはと同い年くらいであろう小さくぷにぷにした頭と体のバランスの悪い体は猫耳パーカーと半ズボンというまるで人間のような衣服に包まれており、パーツだけまとめて挙げれば文句なしの『美少女』ぶりだ。

 しかしそれらがまとまって一つの存在を築き上げたとき、吐き気を催すような負が迸る。リンクスと名乗ったその存在は自分がなのはを誘拐したと現れるや否や宣言し、さらに証拠としてなのはの髪留めとツーショットで撮影した携帯の写真を恭也らに見せた。

 写真の中のなのはがきょとんと不思議そうな表情をしていることが不思議でしょうがない。どうしてこの存在の隣に立ちながらそんな無防備な顔ができるのか。人間としての感性が最大限に警鐘を鳴らすこの『少女』の隣に、どうして立てるのか。

「なに? 何か文句がおありですか。大切な可愛い妹の苦しみを理解してあげられなかった立派なおにいさん?」

 石鹸水に墨を限界まで溶かし込んだように澄み切った黒いオーラが瀑布のように吹きつけ恭也を翻弄する。

「ぐ、あ……」

「いえ、普通は誰もあなたを責めますまい。あなたはよくやりましたよ、実際。うん、褒めこそそれ貶める者はまともな人間にはいないでしょう。僕はまともじゃないので言いますが」

「う、ああ」

「あなた方はなのはちゃんにさみしい思いをさせていることを気にかけていたようですが、それ以上になのはちゃんは自分が役に立てないことを気に病んでいたのです。だから僕みたいなのに付け込まれる隙ができるんですよ。猛省するべきです」

 逃げたい、逃げ出したい。言葉が通じる当いう事実がこれほどおぞましく感じたのは初めてだ。父と鍛え上げた技術の数々が錆びたナイフほどの価値も持たない何かに思えた。剣を振ればきっと目の前の何かは斬れるだろう。積み上げた経験がそう告げる。でも、それだけだ。もはや目の前の何かは強いとか弱いとか、そういう問題じゃないところまで終わってしまっている。

 

 こんなものが放し飼いにされているというのが裏社会なのだというのなら、自分は裏社会では生きていけない。

 

 このとき、少年の心に取り返しのつかない折り目がついた。

 意識が遠くなりかけたそのとき、そっと肩に触れた大きく暖かい手が少年の体に体温の存在を思い出させる。震えは消えることはなかったが、確実に小さくなった。

「確かに、私たちにはあの子に対して反省するべきことがあるでしょう。しかし、それは後できっちり話し合いますからまずはそちらの条件を言っていただけませんか?」

 高町桃子は一般人である前に母親だった。顔面は透けるように白いまま、首筋に汗を流しながら凛とした表情で息子と娘を背中にかばいリンクスと対峙する。

「んー? なのはちゃんはまるで怯まなかったのに、その家族は効果抜群みたいなだぁ。もしかして高町家が特別なのは、高町なのはを特別にするための措置みたいなものなのかな?」

 当のリンクスは話を半分以上聞いておらず、恭也には理解不能なことをぶつぶつ呟いていた。愛情も無関心も等価値なのだと態度で示す、人間の負の側面を集約した権化のような存在に恭也は吐き気をこらえる。

「ああ、失礼。こっちから提示する条件はさっきも言ったように三つ。えーと……」

 リンクスは懐からメモを取り出して文面だけを追っていることが丸わかりの棒読みで内容を告げた。見せられた写真がリンクスとなのはを第三者が撮影したツーショットだったことからも推察できたが、彼の誘拐は彼個人の行動ではないらしい。

「その一、これを機に完全に高町家の御神流剣士は裏社会から手を引くこと。個人で鍛錬を積むのは許可するけど、使用は許可しない。その二、身代金として二百万円払うこと。ただし生活が苦しそうな現状を鑑みてあるとき払いの催促なしでOK。でも利子はつくのでご注意。金銭関係の詳細は別途書類を用意いたしましたのでこちらをご覧ください」

 どこからともなくA4サイズのパンフレットを取出し、ひらりと机の上に置く。

「その三、二度とこのようなことがないように注意し、高町なのはの動向に気を付けること。特に小学校三年生に入ってからの一年間は不審な行動をとらないか細微にわたって観察を続けること。以上」

 交渉相手に情報を渡さないように苦心している桃子だったが、やはり困惑は隠しきれなかった。身代金はわかりやすい。営利目的というのは目の前の幼い『少女』の皮をかぶった何かが引き起こしたという点に目をつむれば一般的な動機だ。ただ、残りの二つが意味不明すぎる。

 だが、考えても仕方がない。迷う余地はないのだ。桃子が条件を飲むと、リンクスはパンフレットの表紙にさらさらと番号を書いた。

「じゃあこれ口座の番号ね。もう二度と僕みたいなのに会いたくないでしょ?」

 自分が気持ち悪いという自覚はあるらしい。

 桃子は迷ったが、結局は訪ねることにした。

「あなたはいったい何が目的なの?」

 リンクスは切り取ったような笑みを浮かべた。

「僕は特に。ただ、みんなは人間としてあるべき姿にこの世界を戻す(壊す)ことを目標としているみたい」

 これほど似合わないちぐはぐで継ぎ接ぎだらけな言葉もそうない。

 その後、まるで門限を過ぎてしまったかのようなごく普通のおびえ方をしたなのはが無事帰還し、直後に士郎が奇跡的回復を果たしたという電話も入って高町家はひとまず安然を迎える。

 

 リンクスの起こした行動ははっきりと世界に爪痕を残すのはこの七年後のこと。

 




一応これで『星を見つけた日』は一区切りです。
最後のほうがすごく適当になったけどま、いいか、そういうものだしで投稿しました。
機会があれば推敲したいですね。今は書いて投稿することに重点を置いていますけど。
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