クロスライン   作:唐野葉子

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月と太陽に触れた日 中

 

 

 目的地である高層マンションまでは十分もかからなかった。時間を停止させたまま、屋上にひらりと降り立つ。フォックスの住居であるマンションの一室は下から上るよりも上から降りた方が早いのだ。

 いちおう時間を操る能力は伏せ札扱いという設定であって、つまり空を飛べるのは仲間にさえ秘密なので窓から直接お邪魔するという方法がとれないのは大変残念である。

 ふと重要なことに気づいて四次元ポケットから携帯を取り出し電源を入れる。コールは三回で繋がった。

「ねえフォックス、本名なんだっけ?」

『615』

 それだけ応えて一方的に切られる通話。打てば響く関係が心地よい。

 僕は迷うことなく615号室に向かうのであった。

 

 

 

「いらっしゃいおにーさん。紅茶は冷めてしまったけど入れなおす気はないから」

 そう言ってフォックスは歓迎の意を表してくれた。多少ご機嫌ななめだが、喜んでいることは伝わってくる。長い付き合いだもの。

 フォックス。なぜか同年代なのに僕のことを『おにーさん』と呼ぶ少女。その外見はアルビノめいた白い肌に赤い瞳、銀髪というエセ綾波レイである。つまりは他作品のキャラの外見(ステレオタイプ2)というわけだ。ついでにいつも包帯とか眼帯とかしちゃっているのでよくできたコスプレ感が強い。

 両親とうまくいっていないというのは昔聞いたことがある気がするが、それが虐待に発展するまでに至ってるのか単純にコスプレなのか僕の知ることではないし知る必要もないことである。

「でもよく来たわね。睡眠薬でも飲んでゆっくりしていくといい」

「この年齢で飲んだら食道焼け爛れるよ」

 無表情で放たれた軽妙な挨拶に僕も笑顔で返した。もっとうまい斬り返しを球磨川禊に憧れる身としてはできるようになりたいものだ。

 すすめられるままに椅子に座り、冷めた紅茶を一口。こんなところに住んでいるだけあってティーパックとは比べ物にならない芳醇な香りが冷めてなお腔内に広がり鼻をくすぐるのを感じる。入れ方もいいのだろうが。

 フォックスはお茶請けのクッキーを白い皿に並べて持ってきた。

「何も入れていないから安心して」

 手作りらしい。

「大丈夫。何か入っていても押し付けるだけだから」

 脂身を取り除いた皮だけのような、中に肉ではなく綿を詰めたようなそう、たとえるなら剥製のような空気。僕とフォックスの間にはそれがあった。個人的にはとても居心地が良い。会話のテンポも軽快だし気を張ることなく自分のままでいられる他人。ちなみにZOOの中ではコードネームの後ろをとって笑笑(クスクス)コンビと称されている。

 紅茶を飲み終わったタイミングを見計らって無言でお代わりを差し出フォックス。そうそう、もう少し飲みたかったんだよ。今度はタイミングを計って入れたのか爽やかな甘さを感じる適温だ。

「入れなおさないんじゃなかったっけ?」

「お代わりを入れないとはいっていないわ」

 なぜかフォックスは僕に献身的だ。まるで家族のように、母親が子供にそそぐ慈愛(アガペー)のように経緯不明の献身を僕に尽くす。なんでだろう。前に理由を聞いたことがあった気もするが忘れてしまった。

「あ、そういえばここに来るまでに月村すずかちゃんっていう僕と同い年くらいの女の子に会ったんだけどさ」

 何か知らない? と聞く前に空気がぴしりと音を立てて凍り付いて、失言したことを悟った。

 フォックスの表情は変わらない。が、それはこいつの表情筋がサボり魔なだけで感情はむしろ豊かだということを僕は知っている。

「女の子と二人っきりで最初の話題が別の女。ふざけてるわね」

 氷結地獄(コキュートス)から漏れ出したような絶対零度の声だった。

 さて、誰かの機嫌を損ねてしまったときに、人はどう動くべきだろうか。

 僕がとる方法は大きく分けて二つ。そのまま煽っていく方向か、言い訳から入るかだ。別にケンカしたいわけではないので今回は言い訳から入った。

「覚えているうちに言っておかないと忘れそうだったんだもん」

「……そう。なら、いいけど」

 フォックスの雰囲気がふわりと和らぐ。何が原因だったのかわからないが、危機は脱したようだ。こいつは少年漫画やラノベに出てくるヒロインのようにわかりやすく嫌がらせをしたり暴力をふるったりなど可愛らしい真似は一切しない。初太刀で仕留める。

 単純にカタログスペックだけ見ればこいつの転生特典は僕の不慮の事故(エンカウンター)を抜けず、白兵戦能力は皆無なので世界(ザ・ワールド)のある僕に負ける要素はない。でもそんなことはお構いなしに死にたくないから敵に回したくない相手だった。

 ちなみに普段から表情筋が仕事しなければ声も平坦なフォックスだけど、それゆえに感情を隠す練習を積んでおらず慣れたらわかりやすいやつである。と言ったらZOOの他のメンバーからは異論しか上がらなかった。なぜだ、人の顔色を見るのが苦手な僕がこんなにも理解できる数少ない例というのに。

「で、月村すずかがどうかしたのかしら?」

「うん、なんか一般人とは違う気がしたからさ。何か知らないって思って」

 フォックスは軽く目を伏せた。一般的にいうなら深々とため息をついて呆れを示しているところだ。

「いい加減、記憶を誰かに押し付けるのはやめた方がいいんじゃないかしら」

「そんなことをした覚え、ぜんぜん記憶にございませんね」

「教えたことを何度も聞かれるのは苦痛なの」

「興味のないことは覚えられないんだから仕方がないじゃないか。必要になるたびに聞くしかない」

「私はおにーさんの辞書じゃないわ」

「知ってるよ。人間と辞書を見間違えるほど人間の感性捨てちゃいないもの」

「いまはまだ、ね」

 いずれ僕が人間と辞書の区別もつかなくなるとでも言いたげな言い方だな。まあこのまま過負荷(マイナス)の浸食が進めばありえないと言い切れないのがつらいところだ。

 気負いなく交わされる言葉は軽快に鼓膜を揺らし、筋肉を適度にほぐしてくれる。お互いにリラックスできたところでフォックスは本題に入った。

「月村すずか本人は覚えていなくとも、海鳴で裏の世界にかかわるのなら月村の名前くらいは覚えておいた方がいいんじゃないかしら」

 どうせ覚えていないのでしょう、と赤い瞳が無言で問う。失礼な。聞くまでもないことじゃないか。

「月村は海鳴の裏社会における管理者よ」

「あれ? 元締めってそんな名前だっけ?」

 うろ覚えだけど、もっとなんか中学二年生が喜びそうな音の響きだったような。

 フォックスは静かに首を横に振った。

「元締めじゃなくて管理者。権威はあるけど権利はない、言ってみれば戦後、神から人になった尊い血筋の方々みたいな立ち位置にいるのが月村なの」

 なんだか小難しかったので半分以上聞き流してしまったけど、ざっとまとめれば先祖代々『夜の一族』という人外にして人以上の存在だった月村家は人々に深く敬われていたらしい。時代の流れとともにその影響力を裏へと移した月村家は、これといった非合法な活動はしていないものの今もなお闇に住まう者たちに確かな権威を持っているのだとか。

「ただ、今は当主が急死してその後継者争いでごたごたしているみたいだけどね」

「ふうん。暗殺?」

「そこで病死とか事故とか聞かないところがおにーさんらしいわね。物的証拠は出てないけど状況証拠的に半々ってとこかしら」

 説明口調になるとそれなりに饒舌になるフォックス。同じコミュ障として共感できる性質だ。趣味やお仕事だとそれなりにしゃべれるんだよね。前者はともかく、後者は必要に迫られてとも言う。

 苦手なことはしなくていいんだよ。できることだけやって、できないことはそれが得意な人間に任せればいいんだよ。それが社会ってもんなんだから。なんてそう知ったようなことを言う人がいる。

 ならば教えてほしい。生きていくうえでどうしても自分でこなさなければならないことが苦痛でならない人間は、どうやってそれを押し付ければいいのか。呼吸するのがつらい、食料を口に入れるのが苦痛、直立二足歩行に怖気が走る、人と目が合わせられない、会話のたびに口を動かしても舌がついてこない、隣に誰かがいるだけで吐き気がする、そのすべてを得意な人に押し付けてしまってもいいのですか。

 それで人間と言えるのですか。

 僕は人間でいることがとてもつらいのです。

「ふうん、大変なんだね、すずかちゃんは。まだ小学生だっていうのに」

 どうでもいいことを考えながら僕は嘆息する。小学校一年生で裏社会の象徴って荷が重すぎないかな。僕ならとっくの昔に誰かに押し付けている。だって過負荷(マイナス)だもんっ♪

 フォックスが呆れた目をした。みんなはこれがわからないと言うし、確かに眉ひとつ動かしていないけどこれは呆れた目だ。

「勘違いしているみたいだけど、今暫定的に当主となっているのは月村忍。月村すずかの姉よ」

「あ、そうなんだ。いくつ?」

「高町恭弥と同じ学年だから、高校一年の十六歳のはずよ」

「ふうん」

 やっぱり子供が担うのに荷が過ぎる重圧であることは変わりないと思う。そこらへん、ZOOの上層部やほかの転生者は干渉して何とかしてやろうとお人よしを発揮することは無かったんだろうか。

 にしても、高町恭弥、か。どこかで聞いた覚えのある名前なんだけど、どこだっけ?

「いま、どこかで聞いた名前だけど高町恭弥って誰だっけ、と思ったでしょう」

「なぜばれたし」

 そんなにわかりやすい表情をしていただろうか。

「もはやおにーさんが重要人物の名前を完全忘却することが当たり前みたいに思えてきたわ。覚える気が無いを通り越して、忘れる気満々でしょうもはや」

 もはや打つ手なしといわんばかりにフォックスが肩をすくめる。まあピクリと肩が痙攣しただけで素人目にはわからない動作なんだけども。

 ピン、ポーン。

 それは唐突だった。快適だった空気を真一文字に引裂いて不愉快な電子音が目の前を通り過ぎて行く。単純に存在そのものが苦手な電子音と来客を告げる象徴のコンボであるインターホンのチャイム来襲を受けて僕の心を激しいストレスが蝕むので、すかさず速やかに目の前のフォックスに押し付けた。

 当然のことながらものすごく嫌な顔をされた。その顔を見て僕も嫌な気分になる。負の連鎖。このきっかけを作った人物にはぜひとも責任をとってもらいたいものだが。

 まあ僕は前世ある精神年齢的には立派な大人なので理性的に負の感情を飲み込み(押し付け)、何食わぬ顔でフォックスに話しかけるのであった。

「来客? 何か用事が入っていたの?」

「ううん。誰も来ないはず」

 そこで言葉を区切り、本当に珍しいことに深々と聞こえる音量でフォックスはため息をつく。

「おにーさんと私って、合わせ鏡をひたすらのぞき込んでるみたいね」

 何が言いたいのかすぐにわかった。

 性格も違えば好みも違う。銀髪はまあ偶然の一致だけど、顔だちもクールビューティーと可愛らしい猫科小動物系とくっきり違う。似ていないといえばはっきり似ていない二人なのに、なぜかお互いの思考が透けて見えてしまうのだ。

 テレパシーのように察知するわけではない。まるで思考回路を共有しているかのように、相手が同じことを考えていることが自分もわかる。だからさっきから僕が玩んでいるふざけた思考はそっくりそのままといかなくとも大枠はあちらに筒抜けだろう。

 何が言いたいかというと、つまるところ僕が重荷を他人に背負わせながら一人前めいた良識人面していることに、二人分の重荷を背負わされたフォックスはそのことを自覚しながら呆れながらも受け入れて動き出そうとしているという、ただそれだけなんだけど。

 やっぱりフォックスは僕のことが好きらしい。好かれるようなことは一切した覚えがないと断言できるのに、不思議な話だ。それなんてエロゲ?

 ただ、好かれるのは好きだから、純粋に嬉しいけど。そんなことを素直に声に出すことができない、難儀な生物である男というものは。普段は粉微塵に砕け散ったプライドがこんな時ばかりゾンビめいて復活して邪魔をするんだから。

「はい――え?」

 視線の先でフォックスは淡々とインターホンで来客の対応をしていた。その表情がみるみる困惑に染まっていく。

「ええ、わかったわ。とりあえず入って」

 僕からすれば招かれざる客人だったのだが、フォックスは迎え入れることにしたらしい。ドアを開けにリビングを出ようとするフォックスに尋ねてみる。

「誰?」

「ヒポー」

「ああ、なら仕方がないね」

 みんなのアイドルヒポーさんならTPOをわきまえてなくても許される。否、ヒポーさんならいつ来ようともその時がベストタイミングなのだ。

 にしても珍しいな。ヒポーとフォックスは仲が良くない。というかヒポーが一方的にフォックスに対し思うところがあり、関係がぎくしゃくしているのだ。わざわざ休日をつぶしてまで遊びに来るほど仲がいいとは思えない。

 ということはお仕事関係か。それも電話では話せないような重要度の高いやつ。パシリに使われているヒポーさんマジアイドル。

 一人の時間を満喫すること約三十秒、フォックスに引き連れられて三次元には致命的に合わないピンクの髪が視界に映った。

「やあ、いらっしゃい。歓迎するよぉ」

「あ、どうも……」

 ヒポーの顔が引き攣った、気がする。

「えとえと、あのですね。さっきも言ったようにお仕事のお話です。まさかここにいるとは思いませんでしたけど、偶然ながら笑笑(クスクス)コンビに」

「僕らに?」

 またそれは珍しいこともあったもんだ。非戦闘でこそ真価を十全に発揮するフォックスと、単品で戦場に投入されて一対多数の無差別虐殺劇を演出することに長けている僕。性格的に性質的にコンビネーションが悪いわけじゃないけれど、この二人で組み合わせるくらいならフォックスは守りに長けたまっとうな戦闘員と組み合わせた方がよほど安定している。僕? 誰と組もうが過負荷(マイナス)にまっとうな結果を出せっていう奴が間違えているんだよ。

 なのにわざわざこの組み合わせで投入されるってことは、だ。

「要保護対象が戦場に存在し、かつリンクスでないと対応困難な敵勢力が存在する状況、というところかしら?」

 同じ結論に至ったフォックスがいち早く答えを口に出した。

 ヒポーが頷く。

「はい。どうやら近い将来、上はひと月以内に『月と太陽』が発生すると見ています」

 なんじゃそりゃあ、と思ったのはその場では僕だけだった。

「早すぎない?」

「ええ、少なくとも二年は早いです。転生者の介入が物語(運命)を加速させているのかもしれません」

「月村はどう考えても戦力不足ね」

「だからこその笑笑(クスクス)コンビです。まあ、あと二年あろうが高町恭弥が月村忍と親密な関係になったかどうかは疑問視されていますが。ご存知の通りリンクスがトラウマを植え付けてしまったので、裏の気配がすることに拒絶を示す傾向が観測されています」

 頭上で大声で内緒話がされている気がする。面白くない。

 まあこの八つ当たりはお仕事の相手にするかと、着々と頭の中でヒポーへの嫌がらせを考えながら紅茶を一口含むのであった。

 




おかしい。とらハ3の設定を流用していたはずなのに時間軸が合わない。
そもそも、恭弥って武者修行の影響で一年留年しているという裏設定があったはずだから……。
今は考えるのはやめておこう。
このSSを読んでリリカルなのはやとらハ3の二次創作を書きたくなった特異な人は、原作の出来事の時間軸をうのみにするのはやめた方がいいですヨ
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