ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
「お引越しをしましょう」
「お引越し?」
「そう。お引越し」
穏やかな昼下がりだった。
昼食を食べ終え、僕がいつものようにママ指導の下、魔法の勉強が始まるかと思っていると、ママが唐突にそんなことを言い出した。
「え……なんで?」
思いもよらぬ発言に意図が掴めず、ポカンと間抜け顔を晒す僕。
ママはそんな僕の頭を撫でながら、じっと窓の外を見つめていた。
「ここは長いこと平和だったけど、やっぱり時が経てば、いろいろと変わってくるものもある」
「え?」
「一言で言えば、治安が悪くなったの」
招かれざるお客さんって、本当に迷惑よね?
ママは「ハァ」と嘆息を漏らし呟く。
僕は目の前の女性から、よりにもよって
もしかして、ボケなのか?
僕は今ツッコミのセンスをめちゃくちゃ問われている?
夜になれば、物騒の代表みたいな姿かたちに変身する女性が、治安て。
思わずそんなあるワケない思考が脳裏を通過する。
「ふふ、なぁに? その顔。驚いちゃったかしら。
安心して。お引越しと言っても、これはすぐにの話じゃなくて、いろいろ準備をしてからになるわ」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で見上げていると、ママが微笑を零した。
……まぁ、冷静に考えてみれば当然だ。
中世ヨーロッパ風の時代をベースにしているCOGでは、住居を変える、というより旅をするのは、そう簡単なことではない。
道中における食料問題や、野盗にゴロツキ、人喰いの異形など。
普通に旅をしようとすれば、まず命が十あっても足りなくなってくるからだ。
ママほどの力を持つ存在なら、さすがに命の危険なんてものは早々起こらないだろう。
しかし、僕は違う。
今の僕は普通に貧弱なみすぼらしいガキである。
食べ物や身の安全が保障されていても、長旅に耐え得る体力が足りない。
怪我は魔法で癒せたとしても、病気になればマトモな医療機関など少ししか無いから、実にアッサリ死に果てる可能性大だ。
下手したら風邪で死ぬ。すぐ死ぬ。この世界に抗生物質なんて概念は、きっと生まれてすらいない。
なので、実は僕が今日まで生きているのは地味に幸運だと言えた。
恐らく、ママが言う準備とやらも僕の体力問題を指して言っているものと推測できる。
(なるほど。僕はてっきり、死ぬまでこの山で暮らすものだと思っていたけど……)
すでに原作の流れなど、僕の浅はかな目論見と同じで木っ端微塵に砕け散っている。
ママ視点では昨日の時点で刻印騎士団の襲来は感知済み。
僕を奪われる寸前まで行った(実際は全然そんなこと無かったワケだが)のだから、子どもとの静かな暮らしを求めて引越しを考えるのも、ある意味で順当な流れになるのかもしれない。
とはいえ。
(引越しするにしても、どこへ?)
COG世界の北端、常冬の山。
ママのことだから、この雪山と同じくらい人里離れた秘境を選ぶはずだろうが、しかし、そうなると僕の頭の中には三つくらいしか選択肢が浮かばない。
東の古き大樹海。
西の死せる亡国。
南の回遊大神殿。
いずれもCOG史に名を残す、最も
のこのこ縄張りに踏み入れば、それこそチェンジリングである僕を巡って凄絶な闘争が起きかねない。
大人しく根を下ろそうにも、先住者が決して許さないだろう。
それ以外の土地も土地で、人はそれなりにいるし。
常冬の山以上に安穏とした土地なんて、僕には無いように思えるが……
(ま、何処でもいいか)
もはやママが望むところ行くところ。
それすなわち僕の居るべき場所である。
籠の鳥は飼い主の思うままに、一生籠の中で鳴くだけ。
せいぜいより一層可愛がられるよう立派に鳴くのが、僕に許された唯一の道だ。ピヨピヨ。
──と、その時。
「ラズワルド?」
僕が心の中で小鳥の鳴き真似をしていると、突然、目の前が急にボヤけた。
視界が霞み、ピントがズレて安定しない。
それどころか、胸の奥から鈍痛が響き出し、手足のしびれさえ始まる。
「あ、あれ?」
「ラズワルド!」
気がつくと、僕は床に倒れていた。
ドサッと物音がし、ほぼ同時に肩と腕に痛みが走る。
……どうやら、ロクに受け身も取れず椅子から落ちたようだ。
「ラズワルド? ラズワルド!」
ママが駆け寄り僕の肩を抱く。
「う、そよ、違う。イヤ、こんな……違う。違う違う違う違うッ!」
「マ、マ……?」
「大丈夫。大丈夫よ、キミは病気じゃない。助かるの、助けるわ、ええ今度こそ……!」
カラダが急激にダルい。
息が苦しく、熱が出ているのが自分でも分かった。
(なん、だ……コレ)
状況が
あまりに不自然すぎる。
僕は意味が分からず、突然の苦痛に驚くより先に困惑した。
「あ、ぁあぁあ、薬草を。そう、薬草を……ああァ、今朝。今朝使って、取って来ないと……取って来ないと!」
「マ、マ……待って」
「愛しい子。大丈夫、大丈夫よ、ほんの少しだけ待ってて? すぐに、そうすぐに戻ってくるから──!」
ドアを開け、慌てて家の外へ出ていくママ。
僕は声をかけようとしたが、半ば恐慌状態に陥りかけたママはそのまま走って雪山の中へ消えていく。
「ゴホッ!」
咳が出た。
目眩と寒気、節々の痛み。
異常なほど風邪によく似た諸症状が連続して浮かび上がる。
茫洋とする意識。
そして。
「ラズワルド君!」
「フェリ、シア……?」
声とともに、
何も無い虚空。
そこに波紋のようなものが
「ごめんね、苦しいよねっ? すぐ解呪するからね……!」
「この子が白嶺の子か。なるほど、奴もチェンジリングの特性には抗えなかったんだね」
「師匠! それより早く解呪を!」
「分かってるよ。でも、まずは先に場所を変えよう。淡いの異界に長く留まりたくない」
「こくい、んきしだん……?」
「ん? そうだよ。君を助けに来たんだ」
僕が呟くと、紅髪の女性は歪んだ笑みでそう答えた。
§ § §
少し昔話をしようか。
その女性は、始めにそう言葉を切り出した。
「昔々、あるところに、子どもを流行病で失った母親がいました」
彼女は子どもをとても愛していて、子ども無しでの生活などとても考えられないくらい、最も子どもを大切にしていました。
「しかしある時、国全体で死に至る病が流行し、彼女は最愛の我が子を失ってしまいます」
それは白き死と呼ばれた古の奇病でした。
全身の血が怪我もしていないのにどんどん減っていき、肌がたちどころに白く変色していってしまうことからそう名付けられた、それはそれは恐ろしい病です。
三百年以上前、この病はとある小国を滅ぼします。
「ゆえに、子を失った彼女もまた同じようにその病に倒れました。
なにせ国全体を襲った恐るべき病です。子どもや老人などといった体力の少ない者から順に症状が出始め、どんなに精悍な若者であっても決して助かることはありませんでした。
……だから当然、彼女もまた我が子と同じ病に伏すことになったのです」
多くの死者が出ました。
多くの嘆きと多くの落涙。
そして、より多くの絶望がたくさん生まれ。
「彼女は死の間際に、狂い果てながら世界を呪いました」
愛する我が子を奪った病が憎い。
自分から唯一の宝物を盗んだ不条理が許せない。
なぜあの子が死ななければならなかったのか。
なぜ私はあの子を守れなかったのか。
悪魔め。悪魔悪魔悪魔……ッ!
「そうして、一人の悪霊がこの世に誕生しました。
悪霊は他の同じような怨念を纏った霊をどんどん吸収していき、やがて
彼女たちは皆、様々な理由で未練を残す霊でした。
本来なら、それらが集まって混ざり合うことなど有り得ません。
ですが、彼女たちは非常に珍しいことに、とても親和性が高かったのです。
それは、彼女たちそれぞれが、皆同じくたった一つの願いを以って共鳴していたからでした。
──すなわち、我が子の成長を今度こそ見守りたい、という親の願い。
「子どもを失った母親の霊の集合体は、その一念の下に一体の魔性へと変じていきました。
集まれば集まるだけ。増えれば増えるだけ、幾億という数の想念を深めていき」
やがて首を絶たれた女の死体と、その近くに転がっていた霊格ある羚羊の頭蓋骨を依代とすることで、最恐の魔女として新生します。
「白嶺の魔女。
今日ではそう恐れられている化け物は、そうしてこの世に顕れたのです」
魔女は最初、ひどく
発生直後のあちら側の存在というのは、得てしてそういうモノです。
しかし、魔女は凡百の化け物どもとは違い、あまりに絶大な力を秘めていました。
「当時の死傷者数は、記録に残されているだけでも五万を優に超えています」
それは厄災でした。
荒ぶる祟り神にも等しい天変地異。
ただ歩き回るだけで極寒の凍気を振り撒いて、私の子は何処にいると永遠探し続ける死神です。
そんなものはもう何処にもありはしないのに。
無いものを探しているために、決して救われないことがハッキリしていた存在でした。
「奇しくも、白き死と呼ばれたかつての奇病と同じ色の二つ名を与えられたのは、果たして如何なる因果だったのでしょう」
人の力では鎮めきれない化け物を目の当たりにした人間たちは、魔女に生贄を捧げることでその死を遠ざけようとしました。
「結果として、それは成功しました」
魔女は幼い子どもを見つけると嘘のようにその気性を落ち着かせ、その子の親として振る舞うようになったからです。
しかし。
「愛する我が子を化け物のもとへ送りたがる親はそういません。生贄の風習は、どの土地でも十年から三十年あたりで廃止されました」
その理由は、やはり子を思う愛が一番にあったことは間違いありませんが。
「人の命が軽い時代です。
疫病、戦争、差別に迫害。
子どもは最も死にやすい存在でした。
これは今も変わりません」
白嶺の魔女は子どもを慈しみ、愛し、守ろうとしますが。
この世に絶対などという二文字は有り得ません。
「子どもは死にます。その多くは、病によって。
だからなのでしょうか?」
白嶺の魔女は、生贄として捧げられた子どもたちが自らの腕の中で死に果てると、その子どもたちを
ブチブチ、ブチブチ、肉を噛みちぎり。
ブチュブチュ、ブチュブチュ、柔らかな内蔵を咀嚼し。
我が子をもう二度と失わないようにと、魔女は死した子どもを食す怪物だったのです。
「ある時、幸運にもたまたま通りがかった騎士団員が、それを目撃し逃げることに成功しました」
白嶺の魔女は子どもを食らう悪魔であると、噂を広めながら。
すると、人々は魔女へ生贄を捧げることがたちまち恐ろしくなって我に返ります。
それまでは殺されるワケじゃない、ただ代わりに育てるだけだから……と自分を納得させていた親たちも、我が子がその実食われていたと知れば、罪悪感から一気に魔女へと憎悪を募らせます。
「とはいえ、白嶺の魔女に立ち向かっても死ぬだけです」
人々は魔女の討伐を様々な組織に願いました。
傭兵団、軍隊、魔術結社、騎士団。
その多くは残念ながら返り討ちに会う事になってしまいましたが、しかし。
「白嶺の魔女の無意識に、人里を嫌なものだと思わせることには成功したのです」
常冬の山。
人も魔も寄り付かぬ極寒の地へ、いつしか流れ着いてしまうほどに。
「……その結果、こうして百年単位で刻印騎士団の捜索の目からも逃れて完全に見失うことになっちゃったのは、こちらとしても痛い失敗だったんだけどね」
タハハ、と。
そこで、女性は額に手を当て明らかに場違いな声で笑って見せた。
僕はゾッとしたまま、彼女の目を見ることしかできなかった。
火傷によって顔の半分を失った女の人。
紅いウェーブがかった髪を後ろでゆったりまとめ、声の調子や朗らかな雰囲気などから、ともすれば穏やかそうにもうかがえるのに。
(──目だけが)
異様に危険な色を湛えていた。
「けれど、百年間の失態も今日この時によって遂には拭われる。
ありがとう、ラズワルド君。ありがとう、白嶺の子!
君が奴に育てられ、こうして今もなおまだ生きていたからこそ、我々はとうとう奴に勝つための機会を手に入れることができた!
──さぁ、ご覧よ?」
君を長年苦しめ続けた
言われ、僕は首筋に突きつけられたナイフの冷たさを感じながら、そっと彼女を見た。
「ラズワルドッ!!」
雪に塗れ、手には小さな薬草を握っている。
黒色のドレスは走ったからか、所々が木々の枝に引っかかって裂けていた。
……嗚呼、神様。教えてください。
彼女が人喰いの化け物なのだとして、それがいったい何だと言うのか。
この胸の中に生じる暖かさは、錯覚か気の迷い?
だとしても、何だって構わない。
僕にはもう、彼女が一人の愛すべき女性のようにしか見えなかった。