ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
始めに感じたのは、気温の変化だった。
しんしんと降り注ぐ雪。
樹氷の森の、開けた空間。
周囲を氷でできた柱に囲まれながら、フェリシアたちは白嶺の魔女を待ち構えていた。
救出すべき人の子。
保護すべき幼き子。
魔性によってその心を砕かれた、哀れな少年を助けるため。
そして何より、数百年間に渡り人界を恐怖に震わせ続けた大悪を滅するため。
西側、二十五人。
今回の作戦隊長を務めるフェリシアの師匠、ベロニカを中心とした刻印騎士団の残存戦力を以って。
フェリシアたちは固唾を呑みながら作戦を開始していた。
文献に残る白嶺の魔女の記録。
その習性や生態、交戦時における行動。
また、騎士団に伝わるその発生経緯について。
人が持てる最大の武器、情報を基に。
敵の弱味を最大限突かんと。
そうしなければ、我々人間に勝つ可能性は万に一つも無いがため。
白嶺の魔女が現在、
この師匠発案の、およそ人道に反する非道も非道な作戦を、何が何でも成功させなければならない。
その場にいる刻印騎士団は、皆それぞれが凄絶な覚悟と決意を胸にしていた。
──しかし。
フェリシアは思い返す。
作戦を始める前、師匠が団員に語った言葉の数々を。
「本作戦を成功させるには、まず白嶺の子をこちらで保護する必要がある。
だけど、白嶺は子どもとベッタリだ。昨夜の件もある。引き離すには、相応の案を練らなければならない────そこで」
“
「幸いにも、簡単な体調不良を起こす呪いの使い手がわたしたちにはいた。ラズワルド君とやらには申し訳ないが、彼には白嶺を騙すために、ちょっとばかし我慢してもらおう」
その発生原因が三百年以上前に起きた謎の奇病だと云われる白嶺の魔女のこと、必ずや我が子を癒さんと何らかの行動を始めるに違いない。
「淡いの異界を通れば距離の概念は無視できる。
正確な座標はフェリシアの記憶の中。
白嶺が動いた後の回収は実にスムーズに運べるはずだ」
注意すべきは、魔法をかける際に気づかれないかの一点。
「しかし、これは恐らく問題ない。
白嶺の魔女は魔法に長け、奴が棲まう家には呪い避けなども当然張ってあるだろう。現にフェリシアは虚像を確認している──だが」
たとえば同じ座標──
これは、自らの力に自信を持つ存在であればあるだけ、想定外となるに違いない。
なにせ、自らの支配領域その最たる空間からの攻撃だ。
どれだけ守りを固めていても、否、固めているからこそ内側は安全だと油断しきっている。
白嶺は人から転じた魔である。
だからこそ、油断は絶対にある。
「そして、首尾よく白嶺の子をこちら側で保護したら、今いるこの空き地まで全速力で移動。
淡いの異界の空気は人間には少し毒だからね。パッと回収してパッと戻るんだ。
子どもにかけた呪いは、そうだな。七割ほど解くのがいいだろう。
わたしたちにその子を殺す意思は全く無いけど、白嶺が来た時、多少グッタリとしていた方が……リアリティは増す」
子どもには敢えてこちら側の意図は話さない。
話せば、顔色から危機感が消えるかもしれないから。
後は簡単。
泡を食ってやって来た白嶺に、子どもを殺されたくなければ動くな、と告げる。
「そしたら、袋叩きだ」
子への執着に縛られた魔女は、それで難なく無抵抗となり果てる。
騎士団はそれぞれが持てる最大の攻撃手段で、棒立ちになった白嶺の魔女を、死ぬまで殺し続ければいい。
「もちろん、白嶺が暴走する可能性は無いとは言いきれない──でも」
子どもを失ったことで化け物にまでなった母親の霊が、自分のせいで最愛の子どもが失われかねない、となったら。
「果たして、白嶺は我を失うことを良しとするだろうか?
荒ぶる嘆きのままに、わたしたちを鏖殺する選択を取るものだろうか?」
答えは──否。ゆえに確殺。
……師匠はそう自信を持って断言した。
フェリシア以外の団員たちも、確信したように頷いた。
けれど。
(……いいの? それで)
白嶺の魔女を殺す。
それはいい。
人界を脅かし続ける魔女は、生かしておけば今後も何百年と悲劇を生み続ける。
だから、化け物を殺すコトには賛成だ。
(だけど、ラズワルド君は? あの子は、あの子の心は……)
逃げ出したいと願い、けれど白嶺をママと呼んだ。
あの幼い男の子にとって、白嶺は間違いなく
それが長年の生活から育まれた歪んだ情かどうかは、分からない。
──けれど。
子どもの前で母親を殺そうとする。
……それは、人として、ほんとうに踏み外していい道なのだろうか?
フェリシアには迷いがあった。
他の団員たちは悩む素振りも見せない。
これが、もしもフェリシアが刻印騎士として若輩者で、未熟者だからゆえの葛藤だというのなら。
フェリシアには否定できない。
魔法使いとして生き続けた年数も、重ねてきた経験も、何もかも先輩たちには遠く及ばないからだ。
憎しみはある。
化け物どもへの尽きぬ憎悪。
決して消えぬ火種は、フェリシアの胸にもちゃんと燃えている。
いずれ慣れると誰かが言った。
こうでもしなきゃ無理なのだから仕方ない。
言い訳のようにそうやって誤魔化し続けていれば、いつしかそれが普通になるのだと。
覚悟を研ぎ澄ませ。
譲れぬ信念を貫くために。
人はそうして強くなれると。
──ほんとうに……それでいいのだろうか?
「動かないでもらおうか、白嶺。見ての通り、オマエの子どもの命はわたしたちが握っている。この子を危険に晒したくなければ、大人しくしていろ」
「………………」
緊迫する状況で、周囲の気温はずっと下がり続けている。
§ § §
現実は思い通りにならない。
それを、たった一日かそこらでこんなにも思い知ることになるなんて、僕ははじめちっとも思っていなかった。
半壊した刻印騎士団。
フェリシアたち生き残りは、もう諦めて当然の被害を出している。
東か西か、アレがどちらのグループだったのかは知らないけれど、片方が全滅したことに変わりはない。
そんな大打撃を受けて、その上ママを相手に戦いを挑もうだなんて、とてもじゃないが戦力不足だ。
だから、今回は無理だと諦めて、不承不承ながらとっくに山を降り始めていると思っていたのに。
フェリシアには辛い思いをさせちゃったな、と罪悪感だって少なからずあった。
けれど、現実という奴は、とことん僕ごとき浅慮者の想定を上回ってくるらしい。
(──そっか、人質)
気がつけば攫われ、首筋には刃物。
刻印騎士団の執念深さ。
人が持つ憎悪のエネルギー。
差し詰め僕は、この期に及んで未だに理解が追いついていない愚か者といったところだろうか。
原作を知っている程度のことで、すべてを分かった気になっている。
人は──いいや世界は、たかが一個人の両手に収まりきるものではない。
……それを、つい昨夜これでもかというほど思い知ったはずなのに。
つくづく自分が嫌になる。
(頭が痛い)
昏倒する直前の記憶を振り返れば、何らかの魔法によって僕は体調を崩されている。
今現在、倒れた時ほどの苦痛はないが、それでも本調子とは程遠い。
人質役がうっかり逃げ出さないようにか。
それとも、ただ単に現実感を追及した結果か。
どちらにせよ、この状況を作り出した人間はとても合理的だと言わざるを得ない。
合理的で、且つ己の敵のことを熟知しているのだろう。
確実に殺すための手段を選んでいることが、首筋に突きつけられたナイフを通じてヒシヒシ伝わってくる。
(フェリシアは……)
いる。
目線だけで周囲を探ると、五メートルくらい離れた左側で目隠しをしながら立っていた。
唇は引き結ばれている。
視力はもう無いはずだが、この場に動員されているということは、恐らく何らかの対応が可能だったのだろう。
考えられるとすれば、使い魔だろうか。
……何にせよ、こんなところでさえ僕の思い違いは浮き彫りになってくる。まったく、本当にうんざりだ。
(背後には男……線は細い)
しかし、こちらは十歳の子どもで相手は大の大人。
見知らぬモブでも、逆立ちしたって勝てはしない。
筋肉量でも魔法の腕でも差は歴然だ。
生殺与奪の権を握られていることからも、馬鹿なマネは止した方が得策に見える。
その他もそうだ。
数えられるだけでも二十人。
姿を隠している者がいると仮定して、多くても三十人弱はいてもおかしくないだろう。
火傷顔の女性然り、誰も彼も張り詰めた糸のような顔をしている。
──そして。
「……わ、タシ、を、コロスのが望み?」
「そうだよ」
「その子に、手を出サ、ないと、誓う?」
「誓おうともさ。オマエが大人しくしていればね」
「……ワかった」
ママは、僕のちょうど真向かいで、今にも決壊しそうだった。
女性らしい高い声は震え、さざめく怒りが常冬の山へ響く。
然れど、僕をじっと見つめるその金色だけは……暖かい。
──そう。今この瞬間、僕は目の当たりにしているのだ。
あのママが、窮地に追いやられている。
信じられないことに、無抵抗のまま殺されるのを受け入れようとしている。
……嗚呼、本当にバカげた話だよ。
彼女は僕なんかを救うために、自らの願いを諦める気でいる。
我が子の成長を見届けたいと、たったそれだけの願いを胸に狂い果てたのに。
死んだ子どもを、泣きながら何度も抱き締め食らったクセに。
ふざけた話だ。
こんなもの、頭がどうにかなってしまう。
助けてくれ。
誰でもいいからあの
でなけりゃ僕は、もう心底
(──ああ、クソ)
こんなにも悲しいのに、こんなにも認め難いと思っているのに。
僕は弱い。
弱いから、
(
──“
「な──!?」
「!?」
「刻印!?」
直後、驚く声があちこちから漏れる。
それを横目に、僕は不思議なほどスローな世界を見ていた。
満足に動かないカラダでも、魔力だけは自由にできる。
昨夜からずっと
やはり印は素晴らしい。
呪文を呟かず、魔力を通すだけで魔法を使える。
無詠唱はいつだって男の子のロマンだ。
「なんだ!?」
紅髪の女性が異変に気づき振り向く。
しかし、遅い。
今この場にいる人間は、フェリシアを除いて視力を失っていない──ならば。
「っ、クソ……!」
「目くらましだと!?」
「チィっ、舐めるな──!」
僕を中心に周囲一帯、三十人程度を目安にその視界を奪うコト。
これには、単純ながら大きな効果が期待できる。
たとえ即座に解呪されるにしろ、一瞬の隙は生み出せるのだ。
そして。
「なっ、このガキ……!!?」
これまた、昨夜から
すると。
視界を奪われ、予想外の激痛が身体を襲えば、人間誰しも多少怯みはする。
「! マズイ!」
首筋とナイフの間に、隙間ができた。
拘束を抜け出す。
足はもつれたが、根性で前へ押し出した。
走り、走り、そして…………!
「ラズ──」
「撃テェッ!!」
──僕は八つ裂きになった。
当然の結果だった。
「────ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッッ────!!!!!!!!」