ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
「……忌々しい」
目的地に着いて、最初の一言だった。
──城塞都市リンデン外縁・黒鉄門。
巨大な外壁。
城塞都市の名が指し示す通り、リンデンには城塞として堅固な守りが施されているが。
その内の一つ、都市にある三層の防壁の内、最も外側に建てられた黒き鋼鉄の壁。
古の時代、巨人やドラゴンなどの襲撃すら見込んで、時の賢者や秘法匠が共同で築き上げたと云われるそれには、破魔の力が宿った鉱石が多分に含まれていると云う。
人間である僕には何も感じられないが、魔性の中でもトップクラスであるベアトリクスには不快なものがあるようで、リンデンに到着するなり最初に発したのがそれであった。
「鬱陶しい。五月蝿い。煩わしい。
失せろ失せろとバカの一つ覚えのように囀って、石ころの分際で何なのかしら」
ベアトリクスはなおもブツブツと呟く。
まるで壁が──正確には材料となった鉱石だが──ベアトリクスに向かって口を利いているかのような言い方だが、実際、この世界の鉱石の中には意思を持つモノがあったはずだ。
秘法匠。
教会が信仰する神の教え──『教義』を遵守することで、秘儀や秘法と呼ばれる神秘の力を授かった
彼らのこしらえる物品・工芸品には、文字通りの意味で奇跡が宿る。
中には人工精霊──分かりやすく言えばAIみたいなモノも宿るコトがあると言うし、極まった一点物ならば、天使の『御業』にすら匹敵する力を秘めるとも。
魔法使いが印を刻んで自分だけのオンリーワンなアイテムを作成できるのとはまた異なり。
魔術師が貴重な鉱物や植物、獣から取れる骨や星辰の運行などをもとに、魔術のための道具を用意するのとも違う。
言うなれば、それはまったくの別体系。
魔法使いや魔術師、人外が、魔力というエネルギーを使って様々な超常現象を起こすのに対し。
秘法匠は、己が
正体も源泉もまるでよく分からない謎のエネルギーを以って、超常現象を起こせる品を作り上げる。
そのため、秘法匠が扱う鉄鋼などには、その製造過程あるいは鍛造過程において、造り手の理念が深く染み込み、完成を迎える頃には少なくない聖性を帯びると云う。
原作知識というメタ的な視点から説明すると……
(ま、要は霊験あらたかってやつだよね)
人と人ならざるモノのパワーバランスが大きくかけ離れているCOG世界。
人間は明らかに弱者であるし、たとえどんなに武力や魔力に優れていても、決して食物連鎖の底辺から少し上あたりを越えられない。
数少ない例外を除いて、基本的に大多数の人間がその命を儚く散らせるコトになる。
しかし、本当に人間がそれだけの強さしか持ち得ていないのなら。
ハッキリ言って、この世界の人々はとうの昔に滅び去っていなければおかしい。
逆に、こんな世界でどうやったら生き延びていけるのかと、神様を呪って自死するまである。
だから、一寸先は闇でも。
その闇を切り払う光の剣が、人類にはあった。
要はそういうコト。
……考えてみれば、当たり前の話ではある。
魔法使いは少ない。
魔力は元来あちら側に由来するモノ。
資質を持って生まれてくるのは、ごく限られた人間だけ。
後天的に才能を与えられるチェンジリングは、魔法使いとして成長するその前に、大半が死ぬか行方不明になる。
そんな有り様で、騎士団──刻印騎士団以外の組織も含めて──が、人々の生活そのすべてを到底カバーしきれるはずがないのだ。
彼らが人間世界の盾として尊敬を集め、また頼りにされているのは、彼らが間違いなく選ばれた人種であり、自ら修羅の道に踏み込む勇者だからである。
実態はどうあれ、無知な民衆や力無き弱者からすれば、騎士団の存在は輝かしい。象徴的でもある。
たとえ焼け石に水。
糠に釘の、あるかないかさえ不確かな些細な抵抗でも。
化け物を相手に真っ向から立ち向かう姿勢は、人類全体からすれば、たしかに賞賛されて然るべきものなのだから。
(──とはいえ)
人間は多い。
騎士団の手は何処へ行ったって足りやしない。
間に合わないコトも、力及ばないコトは、日常茶飯事そのものだ。
仮に田舎と大都市で、同時期に同じ怪異による被害が発生したとしよう。
人口が多いのはどちらかなど、わざわざ言うまでもない。
助ける力を持つのは一つの騎士団。
どちらかを見捨てれば、どちらかが確実に滅ぶ。
その場合、騎士団はやはり大都市へと駆けつけるコトになるだろう。
助けられる命がより多く、助けたことでその後得られる人類全体への影響を思えば、そうせざるを得ないからだ。
だが、大を救う代わりに小を切り捨てる。
これは、結局マイナスであるコトに変わりがない。
そんな対抗手段しか取り得ないのならば、人類は徐々に徐々に、しかし確実に目減りして行ってしまう。
──では。
それでは、この世界の人間が如何にして絶滅を免れ、何百年も生きながらえていられるのか。
答えは、この世界の『神』へと結びつく。
「万物の創造主たる神はかつて、己の似姿を
しかし、人は神とは違いあまりにも繊細であり、すぐに壊れてしまった。
神はこんなものが己の似姿であるはずがないと大いに嘆き悲しみ、人を無くしてしまおうとする。
ところが、人はある日、神が見たことのないモノを創っていた」
それを見て驚いた神は、人が何かを創り出す力。
すなわち自らの創造主としての因子を色濃く受け継いでいるコトに気がつき、人々を深く愛するようになった。
「? 教会のお伽話? どうしたの急に」
「いえ、ただ……何となく思い出したんです」
突然の語りに、目を丸くして驚くフェリシアへ苦笑を浮かべながら、僕は目の前の巨大な鋼鉄を見上げる。
この世界の神は、たしかに人を愛している。
それは眼前に聳え立つ漆黒の壁を見れば、微塵も疑いようがない。
けれど。
(人類文明を愛するがために、
原作知識持ちの立場として言わせてもらえば、邪神としか言いようがない。
こいつは絶対に性根がひん曲がっている。
戦士や武人ではなく職人に奇跡を与えている時点で、お察しの部分は大きいが。
まあ、仮にも神の加護なので要らないとも言えない。
おかげで横に立つベアトリクスは、とうとう黙りこくって不機嫌オーラ全開だが。
しかし、リンデンに入るのは二人の後々のため。
多少不快であっても、我慢は必要だ。
僕は軽く、握る手に力を込めて意思を伝えた。
すると、
「……もぅ。分かったわ」
ベアトリクスは諦めたように吐息を漏らし、霞むように淡いの異界へ消えた。
使い魔として、ご主人様の顔をまたも立ててくれたのだろう。
後で何かしらの要求をされるかもしれないが、余程のコトでもない限り、受け入れる準備は整えておかなければ。
──さて。
「黒鉄門、開門ッ!」
衛兵が叫ぶ。
つまりは、これより先はいよいよ死地。
いつ何時、吸血鬼が襲い来るとも知れぬ魔境──いや。
(あるいはすでに、潜んでいるのかも)
どちらにしろ伏魔殿。
僕はスっと息を吸い込み、そして笑った。もちろん、顔じゃなくて膝でという意味だけども。
まぁ、何はともあれ、人類最高の対魔の都。必要以上に怯えてたってどうしようもない。
僕は溜め息とともに、のそりと足を踏み出した。
§ § §
──
この世に生まれ落ちて幾星霜。
最初に感じたのは喉の渇き。
腹の鳴る音で目が覚めて、痛みと錯覚するほどの空腹感に頭が常時おかしくなる。
飢えて飢えて。
どういうワケかは知らないが、己はどうも圧倒的なまでの飢餓に襲われているのだと。
それはまだこの世に発生してから二秒と経たぬ間に。
意識が覚醒し、目蓋を開くというほんの僅かな時の内で理解していた。
とにもかくにも、喉を潤したい。
この口の中を溢れる命でいっぱいにし、ゴクリゴクリと満ち満ちるまで呆れるほどの飽食をせねば。
己はそのために生まれ、そうするためだけに死んでいる。
経緯も記憶も理由も何もかも分からないが、とにかくそれだけはたしかであり、たしかなものがそれしか無いのならば必然、拠るべきところも決まっている。
──しかし、なにを?
己はなにをこんなにも求め、文字通りに渇望しているのか。
腹は空いている。
喉は渇いている。
飢餓と空腹と渇望は間違いなく意識を占有し並々ならぬ食欲そうだ食べたい飲みたい貪り喰らい呆れるほどの量のご馳走を舌の上で転がし唾とともに嚥下する至上の法悦を甘美なる味わいをいったいいったい
欠けた肉体。
不足する精神。
忘れ去られた正気の淵で、それは考えた。
考えて考えて。
「……分からない。答えを、ひとつに、絞れない。
俺は、何もかもを、欲している」
そう。
それこそ、口にできるモノなら何でも食べたかった。
血も肉も骨も髄も。
足りていない己には何もかもが不十分。
命さえ、無いのだから。
補うのは当たり前。
生きるためには飲食は必要不可欠。
だから。
それは最初、多くの
鳥や豚、魚などは言うに及ばず。
大型の獣やあやしのモノさえ、目についた物なら何でも試した。
……けれど、中にはなかなかうまく腹の中に収まってくれない意地悪な獲物もいて、そういうご馳走には仕方がないから様々な工夫をするようにもなった。
たとえば。
獲物がもし、流れる水や銀、破魔の力で防御を固めているのなら。
水路は魔法で埋め立ててやればそれで済むし、銀や杭は、当たりさえしなければ実害はない。
日光も、そのまま浴びればかなり危険ではあるが、魔法によって夜を展開すれば魔力ある限り問題はない。
弱点は多いが、それゆえに対抗策は自然と導き出される。
注意すべきなのは、獲物が魔力を持っている場合。
もしくは、全身から鼻が曲がるほどの霊薬臭を漂わせている場合だ。
前者は年若ければまだ安心だが、ある程度の年嵩だと十中八九が混ざり物であり、予期せぬ反撃を食らわされる可能性がある。
後者は、単純に食材として不適格。
魔術師だか何だか知らないが、年がら年中、奇妙な研究やら実験やらをしていて自分のカラダすら改造しているコトがザラにある。
一度、自らの血を水銀にしている獲物と出くわしてから、こういう手合いには細心の注意をするようになった。
とはいえ、己の食欲には限りが無い。
不味かろうと毒だろうと、満ち足りぬ以上はすべてを口にし腹の底へ納めなければ。
目についた物は片っ端から食い納め、飲み啜り、吐くまで咀嚼する。
それが唯一のやりたいコトであるし、したいコトなのだ。
そして実際、今日に至るまで己が食べられなかったモノなど一つも無い。
すべてを食らった。
すべてを呑み込んだ。
大食らいと謗られようと、足りぬのだから仕方がない。もっと寄越せと怒鳴って嘲笑って。
で、あるならば。
巨大で分厚くて、飛び越えるのも壊すのも難しそうな壁の奥。
こんな、ご大層にも特大の器を用意し、みっしりとパンパンに詰まった食材まであるのに。
──何故、己が指を咥えて我慢なんかしなければならない?
いや、そもそも我慢できると思う方がどうかしているだろう……!
食べたい。
食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい──!!
ゆえに、そう。
自らを『魔』とすら呼べない極小の細切れ状態にして、正々堂々、門を潜ればいい。
細菌サイズから再びカラダを作り直すのは骨が折れるが、中に入り込んでしまえば後はこちらのもの。
舌舐めずりが止まらない。
歯茎から涎が溢れ出る。
それは、己が本能そのままに城塞都市リンデンへ侵入した。
そして。
「? 教会のお伽話? どうしたの急に」
「いえ、ただ……何となく思い出したんです」
カラダの再構成がちょうど終わったその瞬間、狙ったようにピッタリなタイミングでいきなり
愛しくも豊潤なる、至福の味の姿を視界に留めて、
「ケ」
──脳が、
「ケ、ケケ──」
──パチンと、
「ケケケケケケケケ…………“
弾け爆ぜた。
其は陸に有りて空を回遊するモノ。
鯨が如き
濁流が如き勢いで押し寄せ迫る災禍の渦。
吸血鬼という種の枠組みを超えて尚、己を吸血鬼と嘯く真性餓鬼。
すなわちは、鯨飲濁流。
元は飢饉で餓死した人間。
今、それが、ラズワルドのもとへ巨大な海獣の姿となって襲いかかった。