ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
──その瞬間に起こった出来事を、どう受け止めよう。
濁流がごとく押し迫った巨大な怪物。
それを堰き止めるべく一斉に放たれたのは、二十五もの強き力の解放だった。
勢いを完全に殺し、慣性の法則すら封じ込め、あともう一歩のところだったという敵を容赦なく大地へ縫い止める。
迸ったのは轟音と衝撃。
炸裂したのは閃光と熱波。
流水でできた断頭台があった。
火炎で形作られた三叉槍があった。
破城槌にも等しい大剣や、肉眼では捉えきれない速さの攻撃も。
単一の魔法を極限まで重ね掛けした『究極の一』もあれば、複数の効果を併せ持たせることで『概念昇華』を行っている印具さえ。
……どれも今現在の僕では到底及ばず、追いつくにはそれこそ同じだけの歳月を重ねなければならない。
だが、年齢の違い。
ごく単純な時間の差という壁によって、後発である僕が、先発である彼らに追いつくことは永遠に有り得ない。
舞い散る砂塵はすなわち、積み重ねた時間の重みの分だけ濛々と視界に広がっていた。
僕もベアトリクスも、その瞬間、たしかにその事実を目撃していたのだ。ややもすれば、勝利の二文字が心の中に浮き上がるほどに。
──けれど。
「ハ」
「ハ、ハ」
「ハハハ!」
「ハッハハハ!」
「ギャハハハハハハハハハハハ!」
「食い損なった!」
「失敗した!」
「また
「ひもじいのに!」
「満たされぬのに!」
「こんなにも!」
「だが──許そう!」
「いいだろう!」
「俺は女子どもの生き血も……大・好・物だからな!」
海獣のカラダから沸き立つ狂気の合唱。
痩せさらばえるあまり、全身の至るところから血管の浮かび上がった皮膚を裂いて、口の群れが耳障りな音を奏で上げる。
そして、
「生娘か、まぁ悪くない」
最初、僕はそれがどういうコトかよく分からなかった。
視界は薄れゆく土煙に邪魔され、まだ完全にはクリアになっていなかったし、前には何人もの騎士団。大人と子どもの体格差から、眼前の状況を瞬時に把握するのは難しかった。
体勢を変え、位置を変え、そうして何とか視線の通る場所を見つける。
しかし、それでもなお、目に映った光景が不可解極まりなくて。
現実から乖離したオブジェ。
常軌を逸した、言わば新進気鋭の前衛芸術じみたアート作品だと言われた方が、まだ理解が単純だっただろう。
それが
「子鼠?」
横でベアトリクスが呟く。
そう。つまりは──
「あ、ッグぁァ、アガ……!?」
「──美味い。やはり処女の血は格別だ。そのうえ自分から飛び込んでくるなんて、君はなんて素晴らしいんだろう。俺は感謝に堪えない……」
折り重なった男と女。
溶け合うように、混ざり合うように吸収しながら、アバラの浮き出た痩躯の男が恍惚に浸る。
その双眸からは依然として血涙を流し続け、男は己が渇いたカラダを掻き毟るように両腕を交差させつつ、フェリシアを抱き竦めていた。
ミシミシ、ボキボキ。
怪物の万力に囚われた少女の細いカラダは、明らかに曲がってはいけない方向へ曲がっている。
……間違いなく、致命傷。それも背骨が折れるという、助かったとしてもまず障害は残るだろう損壊。
なのに、鯨飲濁流はまるでほんとうに感謝しているみたいに、フェリシアに向かって頻りにありがとうと口にしていた。
海獣の大顎。小さな家くらいは簡単に飲み込めそうな大きさの底なき奈落。真っ赤な舌ベロと、無数に蠢く乱杭歯の壁に囲まれて。
まるで童話の、巨大鮫に呑み込まれた木人形と大工のお爺さんみたくして、上半身だけ
フェリシアの瞳から光が消え、その肌から生気が消えるのには、恐らく三秒もかからなかっただろう。
出会って数日。
言葉を交わしたのも数え上げられるだけ。
しかし、つい先ほどまで隣に立っていた人間。こんな僕を、本心から気にかけてくれていた少女。
それが、こうも呆気なくこの世から立ち去るなんて。
「────」
全身を襲う衝撃から、僕は目を見開いて硬直せざるを得なかった。
それは刻印騎士たちも同じで、自分たちの最強が効かなかったコトより、仲間の一人が無惨に吸い殺されたコトへの動揺がよほど大きかった(少なくとも、フライフェイス・ベロニカは弟子の落命に言葉を失うほど愕然としていた)。
当然である。
僕は知らなかったが、フェリシアが契約していたのは元脳吸い──“
思考の極みとも評せる演算力を以って、時に未来予知にも等しい恩恵を契約者へと与える他に、未知の事象に対してもほぼ99パーセントの確率で正答を引き出せるという、反則級の魔性だ。
たとえ、鯨飲濁流がフェリシアの弟を殺した張本人。仇なのだとしても、力の差は火を見るよりも明らか。
魔法使いと使い魔が一蓮托生。その命を共有するモノである限り、互いが死を迎える可能性は極力避けようとするはず。
それがいったい、どうして自ら進んで契約者の暴走を煽るような真似を仕出かすのか。
まして、脳吸いはかつて自身の討伐間際に使い魔の申し出をしてまで延命を図った怪異である。
誰にも理解できない暴挙。
その瞬間、僕と騎士たちは程度の差はあれ、同質の混乱へと陥っていた────だが。
「さて」
ポキリ、と首の骨を鳴らし男が口を開く。
もはや真っ白になり血の一滴もなくなったであろう少女の骸からは両腕を離し、用は済んだと言わんばかりの淡白さを隠そうともせず。
「俺は悲しい。これほど清らかなる乙女の血を以ってして、なおも俺の飢餓は救われない。もっと寄越せと腹の虫が騒ぎ続ける。だから、
鯨飲濁流が勢い良く首を傾け、こちらを見た。
「麗しの子よ。馨しき子よ。此度もまた我が腹の底へ収まる時だ」
人ひとり死んだところで、
阿鼻叫喚の地獄絵図。
惨劇と悲劇入り乱れる
「安心しろ。俺の中に渦巻くたくさんの命は、新たな仲間にはきっと優しい。先ほどの少女も元気なものさ。皆ひとつに溶け合い混じり合えば、寂しくはないだろう?」
──だから、なあ。
「その血と肉と髄とを! 俺に味わわさせてくれよチェンジリングッ!!」
「……クソ」
死地はまだ、続いている。
「我は日喰む影。闇の帷。天蓋は今こそ深き水底がごとく染まるべし……」
──“
フェリシアを喰らい、海獣から呆気なく人型へと姿を戻した鯨飲濁流は、その狂的な言動とは裏腹にひどく冷静な思考回路でもってまず行動した。
「ッ、空が……!」
「なんだ、この現象は!?」
「天体操作? クソ、これだから百年以上生きてる化け物は──!」
日蝕。
それは文字通りの天変地異。
かつての世界でもこちらの世界でも、めったに起こりうる現象ではなく。
一般的な平均寿命が、たかだか六十年を超えないCOG世界では大の大人であっても普通に未知の事象足り得る。
まして、その文明レベルが中世を基本としているならば、学者や賢者でもない限り目の前の現実を理解出来るはずもない。
城塞都市リンデン・黒鉄門は、その瞬間、完全に恐慌状態へと陥った。
轟く怒号。
直前に目の当たりにした吸血鬼による暴虐だけでも十分に致命的だったのに。
そのうえ、
泣き叫ぶ声、もんどり打ちながら逃げ転ぶ群衆。
それらをチラリと横目にして、鯨飲濁流はニタリと嗤う。
「ハ、ハ、ハ。壁の外側ならまだしも、内側へ逃げてどうするのか。行き詰まりの袋小路へ自ら飛び込むのか? いや、俺は助かるが」
今夜は宴だな、と恍惚に震える長身痩躯。
血涙を垂らし、見るからに虚弱そうなカラダつきをしているが、油断はならない。
全身から滲み出る魔力は、ともすればベアトリクスすら超えていると見ていいだろう。
天体操作と天候操作は違う。
凍雲を作り吹雪を起こす程度なら、ベアトリクスもこれまで散々っぱらこなしてきた。
しかし、魔法による一時的な産物とはいえ、太陽と月とを動かす。
これは明らかに次元が異なる。
前世の知識があり、日蝕という現象がどういう理屈で成り立っているのかを漠然と理解している僕だが、それでも膨大な魔力がなければこれほどの効果は発揮できない。できるはずがない。
つまり──
「陽の光を嫌った。向こうからしたら単にそれだけのコトなのだろうが……なるほど」
そう。要はその程度。
……吸血鬼はCOGでも言わずと知れた怪物だ。
血を啜る鬼。人間を喰らう化け物。死なず朽ちず滅びない亡者の怨念。
かつての世界でも、三大怪物の一角として吸血鬼は広く有名だった。
そして、有名であるとはすなわち、それだけ多くの研究が為されてきたというコトでもある。
吸血鬼が持つ弱点は多い。
陽の光。流れる水。十字架。銀。白樺の杭。
ポピュラーなところだけでもこれだけある。
ならば、自分たちの苦手とするモノ。不得手とするモノに対して、当の吸血鬼が何の対策も練らないはずがない。
いや、吸血鬼に限らず、すべての生物は本能の下でそうしている。
自らにとって有利な環境を構築するコト。
吸血鬼の場合、それはやはり夜を展開するコトに他ならないだけ。
通常の吸血鬼と違い、鯨飲濁流の場合はあくまで『日蝕』という形で己が有利を作り上げているが、それは奴が持つ根源的な欲求。内側へ深く根差した願いが無意識の内で影響しているからだろう。
五百年の時の中でいったい何時どうやって理解に至ったのかは知らないが、どちらにせよ、とてつもない魔法だ。
──だが。
「あいにく、僕はもう彼女のものだから。オマエにくれてやるものなんて、血の一滴だってありはしないよ」
「ん? んん?」
「ベアトリクス!」
名を叫び、全幅の信頼とともに許可を与える。
刻印騎士団の事情もこの都市の都合も分かってはいるが、事ここに及び事態は四の五の言っていられる状況ではない。
なにより、フェリシアを目の前で殺された。それは、思っていたよりも、ずっと────
「許せない、と。そう感じているのよ、あの子」
「……魔女。お前はたしか、白嶺だったか?」
「〝元〟をつけなさい。この不調法者」
交わした言の葉は一瞬。
然れど、最強と最悪とでは元より有する力は歴然。
満たされぬ飢餓は苦しかろう。
汲めども注げども虚ろなる心持ちは、さぞや耐え難きに違いない。
辛かったのだろう。悔しかったのだろう。生前は巫山戯るなと憤りもしたか。
しかし。
己が一人の
たとえ二百年の埋まらぬ時の差があろうとも、想いの丈を比べ合うのも烏滸がましい。
母の愛は、何にも勝る……!
僕は確信とともに使い魔へ意思を伝える。
忠実な使い魔は、そして、紛うことなく
「“
「ゴフッ」
結果、男の胸を綺麗に
羚羊の異形は血涙の怪物へ死を叩き込み。
背から生えた手腕は五つ。
男の四肢を四の手が。
男の心臓を一の手が、この戦闘が始まって以後、最も完膚なき形で破壊した。
氷の華が、鯨飲濁流を中心に一斉に咲き誇る。
だが──
「な、るほど……哀れな女たちが、ついに己が、終着、点を見つけた、か……しかし、チェンジリングとは、狡いじゃないか? 俺にも分けろ!」
「!?」
砕かれた破片。
氷の華の花弁の一枚一枚を、まるで何事も無かったかのように意に介さず。
たった今、間違いなく死んだはずの鯨飲濁流が、一瞬にして再生を果たしていた。
僕は顔を歪め、悪態をつきそうになるのを必死に堪える。
一連の流れを観察していた騎士たちも、事態がより悪化したことを察してか厳しい顔つきを浮かべていた。
「……やっぱり、一度殺した程度じゃダメみたいね」
「当然。俺は吸血鬼だぞ? 銀や聖十字、白樺の杭ならまだしも、それ以外では死なん。我々の弱点はお前も知っているだろう、
「ええ。よく識っているわ」
吸血鬼は弱点が多いのに、なぜ淘汰されないのか。
これだけ多くの弱点が知られているにもかかわらず、なにゆえに人は吸血鬼を絶滅させるコトができないのか。
それは、逆を言えば、吸血鬼が
ベアトリクスの呪文ならばもしやと思ったが、やはりアンデッド。ノーライフキングには効果が薄かったらしい。
(……いや、この場合、すでに死んでいる相手を仮にとはいえ一度は殺せたコトを、十分喜ぶべきなんだろうな)
つまり、僕の見込み通りベアトリクスの
発生年数的に格上の相手を、不意打ちだったとはいえ難なく屠って見せたことからも、それは大いに明らかだ。
……ただ、今回は種族的な特性から相性が凄まじく悪い。
“
それが分かっただけでも、収穫はあったと見るべきなのだろうが……
(ベアトリクスの魔法で奴を氷漬けに?
その間に白樺の杭を用意してもらって、氷が砕かれるのと同時に一斉に撃ち込むとか……だけど、
目の前の敵がいつまでも人型を保ってくれている保証なんてどこにもない。
またぞろ巨大な姿に変身されたら、杭は心臓まで届くどころかマトモに刺さるかさえ怪しくなる。
かつてないスピードで巡る思考回路。
僕が次の一手を必死に考え続けていると、
「──仕切り直しが必要だな」
一言、鬼がそう零した。
「白嶺の魔女がいたところで俺の晩餐は難なく続けられるが。
食事の最中にいちいち邪魔が入ってくるのはさすがに勘弁願いたい。
今夜はご馳走を楽しみにしていたんだ。
血が上っていた頭も、殺されたおかげで少しは落ち着いたしな。
ゆえに、
弧を描く口元が、三日月よりも凶悪に吊り上がる。
直後、瘦せさらばえた男の皮膚が、ブクブクと泡立ちながら姿を変えた。
くすんだ金髪と、ブラウンの瞳の、少女へ。
「まさか、
…………………………………………。
…………………………………………。
…………………………………………。
「貴様アアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」
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