ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
────光が爆ぜる。
足を、ふくらはぎを、太ももを。
胴を、腹を、背中を、胸を。
何かに覆いかぶさられるコトなど、この数百年微塵も想定してこなかった巨躯が、わずか、ほんとうにわずかな間、ちょっと目を離した隙に。
見るもおぞましき屍ども。
魔女の檻へ囚われた幾多の魂。
蝿や蛾。
さながら屍肉を嬉々として貪る悪虫どものように、ケタケタ耳障りな音を発して爆光がカラダを這い回っていく。
────灼ける。
アンデッドとしての器が。
吸血鬼として作り上げて来た
細胞の一つ一つ。
遥か奈落に沈み込んだ魂まで達し、ジワジワと焦がすように灰にされていくのが文字通りに肌で分かる。
(皮膚を抉り、肉を弾け飛ばし、骨をも炭化させようとする銀……!)
いったいどれだけの量を掻き集めてきたのか。
一個一個、一回一回であれば大して気にするほどのモノではなかったが……吸血鬼はこれに弱い。
触れれば問答無用で肉体を灼かれ、浄化の炎がひとりでに燃え立つ。
そのせいで、長時間、銀に接触していた吸血鬼は必ず火達磨となって身を芯から灼かれる痛みを知るのだ。
理屈は詳しくは知らない。
ただ、その昔食い潰した寒村で聞いた話では、銀は自然に採るのが難しく、人々の間で出回っている銀はその多くが
そういった銀は人の手が介在して出来ているから、自ずと神の力が宿るらしい。
教典に曰く──『人よ、その創造力を以って悪鬼を撃滅せしめるが良い』……とかなんとか。
思い出すのは久方ぶりで、こうして全身を灼かれなければ、思考の片隅にも過ぎらなかったに違いない遠き記憶。
おかげで、この数百年忘れに忘れていた死の恐怖が、頭の中をチラついた。
飢餓衝動に一瞬の間隙が生み出されるほどに、恐怖が背筋を這い上がった。
いま、聖なる銀の侵食を受け、自分のカラダはアツイ。
燃えている。
比喩ではなく現実として全身が。
落雷を受けた立ち木がやがて火柱となるように。
無数の枝が、根が、見る見るうちに炭化し、端の方からボロボロと崩れ落ちていく感覚。
手指が切断され、四肢がもがれるかのごとき耐え難さ。
……弱点には常日頃から細心の注意を払っていたというのに、この失態。
チェンジリングの香気にいささかアテられすぎていたか。
抑え切れない食殺欲求に本能が知らず知らず酔っ払っていたか。
どちらであろうと認めるしかない。
なぜなら、こうして死を身近に感じている今でさえ──
「俺は、オマエを、喰いたくてたまらないのだからなァッ!!」
森神への変身を解除する。
それに伴い、木のカラダに食い刺さっていた銀から離脱。
ヒトガタにカラダを戻し、“
真空状態──火は消える。
しかし、墜落は免れない。
損耗もいつになく甚大だ。
裡に渦巻く魂どもが六割ほど灼き消されたのを感じる。
魔力も三割を切った。
ハハハ、ウソだろう?
「フゥゥゥ……」
そんなコトを思っている内に地面へ激突し、ザクロのように飛び散る。
そして黒煙をあげ、ジュウジュウと音を立てながら再生を始める己の肉体。
修復に体力と魔力が削られていく。
一秒、二秒。
(まさか、俺がここまで傷を負わされるとは……)
再覚醒。
だが、こんな状態では都市上空から枝を使って人間どもを嬲り喰らう予定は中止にせざるを得ない。
まだ最後の赤い壁を残していたのに。
たった一人残ったコトを知って、あの青き目が、悲嘆と憎悪に染まるところを思う存分堪能したかったのに。
現実はうまく行かないものだ。
再び晩餐を開始するには、もうしばらく我慢しなければならないなんて。
「酷い子どもだ。それで胸は痛まないのか? 慈悲の心は? 相手を思い遣る気持ちは? 母親はどんな教育をしているのやら……」
瓦礫の中から立ち上がり、敢えて聞こえるように言葉を漏らす。
変身を止め地上へ落ちた姿は、空中からでも十分に確認できたはずだ。
今回のメインディッシュ。
あれだけ殺意の籠った一撃を与えておいて、トドメを刺さずに終えられるほど能天気な性格ではないだろう。
であれば──
「クソが。アレで死なないのかよ」
──ホォラ、やっぱり近くにいた。
「ハ、ハハ、ハ……。
俺を可哀想だとは思わないのか? 我らが愛しい子よ。
酷いじゃないか。俺はこんなにも飢え死にしそうなんだぞ?
ただ腹を空かせているだけの相手に対して、爆弾投げつけてくるとか……それでも人間か? 躾がなってないぞ!」
「…………あ?」
「それとも、オマエの母親はやっぱりそのへん教えてくれなかったか?
なにせ──白嶺はイカれたガキ狂いだものなぁ!
「“
「ギャハハハハハハハハ──ッ!!」
伸びてきた『手』を回避し、高らかに哄笑する。
「もうソレは喰らい飽きた! 他には無いのか馬鹿の一つ覚えか!? 最恐には程遠いぞ!」
「っ!」
嘲り、侮辱し、心を穢す。
毒のように浴びせる言の葉には、必ず怒りと憎しみの眼差しが返ってくる。
最高の食材を最高の状態で味わうために。
狂わされた予定はここで帳尻を合わせよう。
赤壁の有象無象は明日の朝食に変更だ。
妖精の取り替え児は今この場で────喰い殺す!
「我が大魔法は破られた。
しかし、空を見ろ! 未だ太陽は我が舌の上!
暗き水底がごときこの都市で! オマエたちに堰き止められるか!?」
この“
「果たしてその矮躯でどこまで抗えるものか……愉しませろよ坊や? あいにく、この姿じゃママの膂力も紙みたいなものだろうがなァ……!!」
深紅の視界に小さな影を捉えて。
(オマエたちに金色の瞳は似合わない)
いざ、魂の法悦を。
この
──聖餐、開始。
§ § §
────火花が爆ぜる。
頭の中を、脳の奥を、神経の端を。
腹の底から熱が膨らみ、全身を行き交う微細な電流信号が弾けるように温度を上げる。
眼球がアツイ。
目蓋は意味を失った。
骨肉は震え、視界は赤を通り越して今や白。
沸騰する精神。煮え滾る肉体。あまりの急変に何もかもが閃光を伴いホワイトアウトする。
────染まる。
感情が、意識が、魂が。
耳朶を震わした聞くに耐えない雑言。
心の底から虫唾が走る侮辱と嘲笑に、
まるで、必要な機能だけを残して、それ以外の無駄な部分は設計書からも取り消し線を引いてしまったように。
何を言われた?
否、何を貶められた?
脳裏に氾濫する疑問符。
次いで、理解へと至る感嘆。
(────そうか。
お前、そんなに僕に殺されたかったのか)
超えてはいけない一線というものがこの世にはある。
触れてはいけない禁忌。暗黙の内に蓋をされるモノ。
龍の逆鱗は何ゆえアンタッチャブルとされるのか。
知らぬほど愚かでもなかろうに、敢えて踏み抜くその軽慮浅謀──嗚呼……ほんとうに。
「救えなすぎて吐き気がする」
彼女が抱えた愛と狂気。
子へと向ける願いの尊さ。
悲しみと絶望の何を知っているのか。
たかだか飢え死にした程度の身の上で、
「──殺す。殺す殺す殺す殺す、殺すッ!!」
「ヒィヒャハハハハハハ──!」
害虫の姿を視界に捉える。
長身痩躯のヒトガタならまだしも、これで見失うことはまず有り得ない。
瓦礫の丘。
血と死臭が漂う
目の前の怪物が散々っぱら暴れてくれたおかげで、見晴らしはすこぶる良い。
宙を泳ぐバケモノ魚を、逃がしはしない。
──駆ける。
人ならざるモノの膂力を以って、人間では届かない魔力を使い。
背中から生やした幾本もの『手』は無論のコト、腕や足、爪も強靭なモノへと変形。
突進してくる吸血鬼のカラダを、躱しざまに八つ裂く。
「ギャハハ! アッハハハハ!」
痛がる素振りも無ければ怯みもしない。
それどころか、喜悦に吊り上がった口角をこれ見よがしに見せつける。
大口開けた大食漢。蠢く乱杭歯の隙間から、涎がボタボタ零れ落ちた。
「イイ、イイぞッ! 熟してきたな食べ頃だな先程までとはまるで違う! その目、まさに極上だッ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
響き渡る邪悪の
リンデンを恐怖に震わす吸血鬼の狂瀾。
痩せさらばえた餓鬼の両目から血涙が滂沱と迸る。
この殺し合いが始まり、追い詰められているのはたしかに向こう側のはずだが、その存在力は依然として薄らぐコトがない。
未だかつてない銀の爆撃を受け、大魔法使用による疲労、その他ジリジリと浴びせられた刻印騎士たちの攻撃。
鯨飲濁流は間違いなく消耗している。
蓄え続けた命の貯蔵も、かなりの量を減らしたはずだ。
このまま肉弾戦を続け、“死”を連続で叩き込めば、もしかせずとも殺し切れるかもしれない。
──だが。
(コイツはまだ動ける)
五百年間片時も休むことなく変わらずにそのカラダを突き動かし続けた衝動は、伊達ではない。
屍体爆弾によって大幅に削るコトが出来たのは事実だが、元が規格外なら削ったところでそれも高が知れている。
弱点である銀をふんだんに利用し、不意を打っての奇襲でさえも、鯨飲濁流相手では殺害まで至れない。
つまり、ここまでやってようやく僕らはコイツを
だから、目の前の害虫が依然として脅威であるのに微塵も変わりはないし、気など抜こうものなら容易く噛み殺される。
そして現状、見るからに敵は余力を残したまま。
趣味嗜好に興じられる程度には本気じゃない。
まったく……呆れるほどにふざけた戦力差だ。
ゆえに。
(このままだと負ける)
敗因は特筆すべきものでもなく、単なる地力の差だ。
たとえ魔力の総量でこちらが上回っていたとしても、吸血鬼の膂力は元々魔女より上だ。
その上、海獣に変身されたとあってはマトモにぶつかり合うのも難しい。
突進や体当たり、尾ヒレの一撃ひとつでも喰らえば、僕のカラダは呆気なく粉砕される。
敵の攻撃は一つたりとて受けるワケにはいかず、さりとて逃げるという選択肢は有り得ない。
死霊術を使っての総攻撃をしても、銀のないただの骸などそれこそ骨のように薙ぎ払われる。
かといって、そこらの瓦礫の中から銀や杭を掘り起こしていられる暇もない。
僕は戦士でもなければ騎士でもないのだ。
こうしている今もそうだが、命を懸けた殺し合いの最中に、眼前の敵以外のコトなど考えてどうこうしてられる余裕なんか、ハッキリ言って無い。
(……チッ)
そして──
「──頃合か。よく頑張ったな坊や。俺はオマエに会えて嬉しい。だからこそ、無駄にはしないと誓おう。
血も肉も骨も髄も、喰らったすべてを糧として俺は明日もオマエのいない世界を生きていく。嗚呼……これぞ助け合いというものだ」
幾度目かの交錯を経て、鯨飲濁流が
「有象無象の魔法使いなら気にも留めないが、他ならぬチェンジリング。
オマエたちを喰う時には、最大限の敬意を払わなければならない。
混ざり合った状態で喰うなど、ハハ、オマエたちへの冒涜だ」
よって。
「──“
叡智の三眼の前にあらゆる欺瞞は許されず。
いま此処に虚飾を剥ぎ取り真の姿を暴き立てよう。
夜に愛された黒檀の髪、彼岸を見通す青き双眸こそ、我らを惹き付けて止まない禁断の果実なのだから……!
「な──ラズワルドッ!」
「遅いッ!!」
憑依を解除され、僕のカラダから強制的に引き剥がされたベアトリクスが瞬時に叫ぶ。
鯨飲濁流は呵呵と勝ち誇り、ガバリと口を開いた。
─────腕が────噛み、千切られ───