ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です   作:所羅門ヒトリモン

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#25 青年と老人

 

 

 

 

 晴れ渡った空だった。

 影に蝕まれ、その光を(とざ)されていた太陽が輝きを取り戻す。

 暖かな陽射しと緩やかな風。

 遥か彼方の大空より降り注ぐ光の気配を受けて、地上の闇はその姿を追われ、人々の心にゆっくりとだが確実に希望が舞い戻っていく。

 

 赤鉄の壁を越えた先。

 

 運良くも生きながらえた人間たちの歓声が、風に乗ってかすかに聞こえてくる。

 

「ハ、ハハ、ハハハ……」

 

 ふと笑みが漏れた。

 本体はすでに氷となって砕け散り、バラバラになった残骸からはもはや己とはまったく異なる別のナニカが再生を果たした。

 

 瓦礫の丘。

 数多の命が泡のように散っていった大地の上。

 

 吸血鬼とも魔女とも言えない得体の知れない怪物が新たにこの世へと生まれ落ち、妖精の取り替え児(チェンジリング)の皮を被ったバケモノと抱擁を交わす。

 

 それはまるで、ほんとうに──まったく以って正気の沙汰ではなかった。

 

 己という存在がこの世に発生し、その衝動を何に止められるコトもなく延々と許され続けて幾星霜。

 悪逆も放蕩も幾度繰り返そうが己を止められるモノはなく。

 正気も狂気も、善も悪も、すべては虚飾に塗りたくられた欺瞞に過ぎないとこれまで内心ずっと思っていたが────今、ようやくハッキリと分かった。

 

 あんな風に人智を超越し、世界の理を乱す()()がいるのなら。

 

 認めよう。

 たしかにこの世は神の愛に満たされている。

 正気と狂気の境目は間違いなく存在し、善と悪の宿業はものみな誰もに定められているのだ。

 

 いまや()()()は、かつて鯨飲濁流と呼ばれた吸血鬼の成れの果ての成れの果て。

 

 残滓とすら呼ぶのも烏滸がましい単なる()()()にしか過ぎないが、その記憶と衝動を受け継いだ『端末』として大いに認めるしかない。

 

 己は悪だった。

 悪辣なる本能(ネガイ)のままに、ひたすらに悪業を積み重ねてきた。

 だからこそ、その結果としてこれまでの反動が大きく現れたのだろう。

 

 要はバランスだ。

 

 均衡を保つ天秤。

 帳尻を合わせる修正機構。

 因果応報と言えば分かりやすいか。

 

 ……何はともあれ、ようやく理解した。

 

 万象万事この世の仕組み。

 歯車はそのように回り続け、天上の主はひたすらに収穫の時を待つ美食家を気取っている。

 光も闇も最高点まで押し上げたなら、そこから一気に突き落とすコトを虎視眈々と狙っているのだろう。

 さながら臨終の時を見定める死神か、判決を言い渡す地獄の王か。

 

 この事実の前では、己などなんと小さい存在だったことやら。

 

 鯨飲濁流という悪の華。

 咲きに咲き誇った爛漫たる血染花。

 重ねた罪と、築きに築いた屍山血河への罰として、()()()()()()()()()()()()()()()が返ってくるとか普通どんなに頑張っても想像できるワケがないだろう。

 そりゃあ滅びるだろうし負けもする。

 

 ──だが。

 

「ハハ、ハッ、待っていろよ、小僧。どうやら俺の因果は、まだ完全に、断ち切られてはいないようだ……」

 

 ジュウジュウと肉の焦げる音がする。

 太陽の明かりを浴びて、吸血鬼としての肉体が掻き毟られるように悲鳴を上げている。

 皮膚は焼け爛れ、髪や血は末端から灰となりつつある。

 

 しかし、それでもまだ動く。

 

 本体を砕かれ、自分自身の魂さえも完全に殺された。

 それが奇しくも功を奏している。

 本来の吸血鬼ならば、魔力による抵抗もなく陽光の下に出れば瞬時に発火している。

 鯨飲濁流としての在り方を失い、魂の規格が並の吸血鬼にも届かなくなったために、種族としての弱点が薄れているのだろう。

 

 業腹だが、耐えるしかない。

 

 いまは何としてでもこの都市から離れ、力を取り戻すのが最優先。

 体力も魔力もカスのような有り様だが、それでも小動物を狩り殺す程度の力は余っている。

 夜を待ち、どこかの村から眠っている家畜を襲ったっていい。

 地道に根気よく諦めずに努力を重ねれば、鯨飲濁流の意志を継ぐモノとして、いずれ世界に混沌を巻き起こすコトも可能になる。

 

 然れば、その時こそ──今度はヤツらに()が回ってくるはずだ。

 

(……嗚呼、そうとも。なんで忘れていた)

 

 重い足を引き摺り、文字通り身を焼かれる痛みに呻きながら、かつての記憶が蘇る。

 

 奴隷の親のもとに生まれて、奴隷の子として生きた。

 貧しい土地の貧しい漁村で、来る日も来る日も続く化け物被害。

 領主様とその一族のため、魚を獲るため沖に出れば、水底から数多の海獣、妖魚、セイレーンに人魚が現れた。

 そのせいで奴隷は常に命懸けで、陸に帰る頃にはいつだって半分も無事には済まなかった。

 

 報酬も無ければ最低限の権利もない。

 

 領主様は奴隷を、替えの効く消耗品と呼んで、いつも働けと命令するばかり。

 動けなくなったモノは鞭を打たれ、それでも動かなければ漁で使う餌にされる。

 命は軽くてフワフワで、人間は金のあるなしで同種を見殺しにする。

 そうして己は……その生涯で一度として満足に腹を膨らますコトも無く。

 何度目かの飢饉の日に、気がついたら死んでいたのだ。

 それなのに……

 

 ──お腹が空いた。なにか食べたい。

 

 死んだ後でも喉はカラカラで。

 頭の中にはもう()()しか残ってなくて。

 涙と血が頬を伝って地面へ落ちても、もう止められなかった。

 思わずハッとし、振り返った時には村は空っぽ。

 人も犬も家畜も奴隷も何も無く。

 

 ──領主様の鞭は、二度と飛んでこない。

 

 食べてしまったから。

 喰らい尽くしてしまったから。

 くぅくぅと鳴るお腹が切なくて、つい……

 

 だから、きっと、何もかもあの時から始まった。

 

 反動と揺り戻し。

 その命がその生涯の中で自ずと為せる最後の究極へと辿り着いた時、神様はその成果に見合った分の報酬をきちんと与えてくれる。

 

 奴隷に鞭を打つのが大好きだった領主様が、最後にはみっともなく泣き叫びながらいとも容易く噛み砕かれてしまったように。

 

 運命は、歩んだ道のりによって決定されるのだ。

 

 つまり──

 

「まだ俺は滅びていない。俺の運命は、ここで終わりじゃない。ならば神は、俺に、この程度でくたばっては不足だと言っているのさ……」

 

 オマエの五百年はあの程度で終わっていい代物か?

 鯨飲濁流の歩んだ道のりには、いったいどれだけの悪逆があったと思っている。

 もっとだ。もっと相応しい末路がある。用意してやるから、それまで勝手に死ぬのは許さない──と。

 

 天上の意思が、まるでそう舌なめずりしているような気さえする。

 

 ──それはそれで、何とも背筋が凍る話ではあるが……

 

「俺の(わだち)には、一切の後悔が無い……」

 

 ゆえに、来るならば来るがいい。

 我が飢餓は喜んでその運命をも飲み干すだろう。

 

 次は────負けない。

 

 この地獄のような世界で、明日も嗤って過ごすために。

 何より、己はまだ、お腹いっぱいになったコトが一度も無いのだから……!

 

 鯨のように飲み、喰らいし魂を滾々と糧とし、やがて幾千万の濁りし流れのように、世界を平らげよう。

 

 飢餓と空腹と渇望は間違いなく意識を占有し並々ならぬ食欲そうだ食べたい飲みたい貪り喰らい呆れるほどの量のご馳走を舌の上で転がし唾とともに嚥下する至上の法悦を甘美なる味わいを()()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!!

 

 それが、我が旅の果て。

 

 苦界の海を進んだ先に当然与えられて然るべき、せめてもの報酬なのだから。

 

 ゆえに────

 

 

 

 

「ク、ソがぁ……! 死に損ないの老いぼれめッ!」

「──ハッ、そりゃお互い様だろうが化け物め」

 

 

 

 

 あともう少しで逃げられる。

 ほんの少し日陰に入って、それでカラダを休めれば、起死回生のための一歩を間違いなく踏み出せるというところで。

 

 

「悪ィが、テメェはここで死ぬんだよ」

「ふざ、けろ……断じて認められるか! そこを退けェッ!!」

 

 

 目の前に立つ巨漢。

 静かながら、たしかに覇気を纏う偉丈夫。

 全身から血を垂れ流し、すでに死に体も同然で、それでもなお立ち続ける一人の騎士。

 

 ……この都市に来てから、大勢の人間がその名を呼んでいた。

 本人自身も、致命傷を浴びるその度に怒鳴るように口にしていた。

 だから、知っている。

 

 

「──アムニブス・イラ・グラディウス!」

「薄汚ねぇ口で呼ぶんじゃねぇよ」

 

 

 人界の守護者、鋼の英雄。

 殺したと思っていた。

 森神(シルウァヌス)の枝の一撃を浴びせ、間違いなく五臓六腑を破壊したと。

 魔法使いとはいえども人間であれば先ず助からない衝撃波で、頭の天頂から足の爪先まで丁寧に満遍なく確実に()()()()()()はずだ。

 

 

(……だというのに、どうしてまだ生きている──!?)

 

 

 それどころか、

 

 

「っ、その、剣……!」

「ああ、コレか? さっき偶然拾ってな。剣としちゃ不細工な見た目になっちまったが、()()()()をまぶしてあんのよ」

 

 

 おかげでテメェを確実に殺せる──と、熱光する大剣を高々と構えてみせる。

 

 ……許されていい光景ではない。

 

 己は助かったのに、神の意思はまだここで死ぬなと言っているのに。

 たった一人の、それも生き物としては疾うに寿命を目前とした瀕死の老人に。

 

 ──殺される。

 

 こんな状態で銀に接触すれば、完全に灰となって消滅してしまう。

 

 

(嫌だ。嫌だ嫌だイヤだ嫌だイヤだ嫌だ嫌だ嫌だイヤイヤイヤ嫌イヤイヤイヤ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤだッ!!!!)

 

 

 五百年だぞ?

 それだけの永き時間をかけて歩いてきた旅の終着が、こんな無様で呆気なく終わりになってしまうというのか?

 だというなら、なぜ束の間の希望を与えた?

 なぜ、さっき終わりにしなかった!?

 

 

(こんなっ、いかにも惨めで、抵抗する余力も無くなってからっ、まるで家畜を屠殺するみたいに殺すなんて、そんなのあんまりじゃないか……!)

 

 

「あ、あぁあ、ああっ──!!」

 

 

 一歩。また一歩。

 ゆっくりと、だが確実に近づいてくる刻印騎士が、大剣を振りかぶる。

 

 人々の営みを愛し、その愚かしくも尊い在り様に他の何よりも価値を見出した男。

 

 善も悪も、すべてを引っくるめて人間を守りたいと誓い、人々がその人生で与えられるすべてには、当人自身が選択した行動の結果だけが返ってくると断言した。

 だからこそ、人ならざるモノがイタズラに人の運命に手を出すコトへ憤怒を抱く。

 

 陽だまりを穢した報いを受けろ。

 

 お前らが無闇に奪った数々の命とその未来、お前らを殺したところで天秤は釣り合わないのだと。

 

 

 

 ──嘲り嗤ったはずの『(ヤイバ)』が、太陽よりも苛烈に燃えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “誰かのための怒りの剣”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣閃は須臾(しゅゆ)と待たず、鬼の首を綺麗に切り落とす。

 

 人界の守護者は──此処にあり。

 

 







シーズン2──了
以って章タイトルが解放されました。
次回よりシーズン3開始です。




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