ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です   作:所羅門ヒトリモン

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ゆるふわ日常回(ちょっと長め)です。



シーズン3『神と人の天秤』
#26 無情な朝


 

 

 

 

 

 ──風がそよいでいる。

 

 麗らかな春の木漏れ日に紛れ、鼻腔をくすぐる微かな花の香り。

 青々とした草原には点々と彩りが散らばって、のどかな光景が地平線まで続いている。

 心地の良い平穏な空。

 息を深く吸い込めば、もうそれだけで心の中が退屈(シアワセ)でいっぱいになった。

 

 雲はなく、不安は見当たらない。

 

 世界はとても穏やかで、午睡に微睡(まどろ)む小動物が気持ち良さそうに体を丸めている。

 

 ──そこに、ふと声がした。

 

 笑い声。

 嬉しそうに、楽しそうに、キャッキャと弾む。

 まるで世界には何も恐れるものなど無いみたいに──否、正確には恐れるべきモノがあるとも知らず──心から朗らかに笑う大勢の子どもたち。

 

 親の愛によって庇護されるもの。

 ただ生まれてきてくれただけで感謝があり、叶うならばその存在を未来永劫守り通したい。

 

 ────けれど。

 

 突如として世界は砕かれた。

 穏やかで暖かで、この世の何より尊かった時間は無情にも終わりを告げた。

 大地は踏み荒らされ、色彩豊かだった花々は二度と咲かなくなった。

 風は冷たく、空は分厚い雲に覆われ、あたりには吹雪。

 

 愛しい子どもたちの笑い声は、もう聞こえない。

 

 かけがえのない微笑みも。

 あったはずの未来でさえ。

 何も高望みなどしていなかった。

 ただ普通に我が子の成長を見守れれば、それで良かった。

 他は何も望まない。

 難しい願いではないはずだ。

 

 

「──なのに、どうして……」

 

 

 うずたかく積み上げられた骸。

 死体の山は嶺となり、色を失った世界ではそれが唯一輪郭を帯びて。

 罪の山岳。

 凍える氷雪の牢獄からでは、たとえどれだけ手を伸ばそうとも、かつての木漏れ日は遠いまま。

 

 ゆえに……

 

 

「死ね」

 

 

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね──死ね。

 

 

 私/僕はそうして、狂気に身を委ねて殺戮を開始する。

 

 いつものように。

 

 

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると、ベッドの中に予期せぬ来客(フェリシア)がいた。

 

「……ラズワルド君……しゅきぃ……」

「いや温度差」

 

 夢と現実のあまりにもあんまりな空気の差に、ついツッコミを入れながら上体を起こす。

 毛布を剥がし、来客を起こさぬようそっと立ち上がり、向かうのは洗面台だ。

 

 頭の中と胸の奥には、夢の残響がまだ重くのしかかっている。

 

 しかし、寝起きに開幕いきなりぶち込まれた『年上のお姉さんのだらしない顔』によって、気分は幾分か楽になっていきそうだった。

 冷たい水を顔に浴びれば、きっとますます爽快になるコトだろう。

 

「おはよう、ラズワルド」

「おはよう、ベアトリクス」

 

 僕がトテトテ十歳の少年ボディを駆使して部屋の中を動くと、背後からヌッと使い魔が現れた。

 使い魔はこちらを見ると、当然のようにギュッ! と抱き上げにかかる。

 僕はされるがまま、あーれー、と宙に浮かんだ。

 

 我が愛すべき使い魔は、首から下が大人の女性。

 それも比較的やや長身の女優さんのような美女である。

 

 女性の嫋やかな細腕で十歳の子どもを持ち上げるのは、普通かなり難しいと思うが、そこはそれ。

 首から上が霊格ある羚羊の頭蓋骨。

 悪魔的な角まで生えている魔性のモノであるからして、僕のような痩せっぽちのクソガキは人ならざる膂力で簡単にちょちょいのちょいと持ち上げられてしまうのだった。

 

 首の後ろに豊かな母性を感じる。

 

 柔らかいよりも先に「今日も(ひや)いな」と客観的に思う僕は、果たしてこの屍人のような、ぬくもりの無い肌にもう慣れ切ったと、そう言ってしまってもいいものなのだろうか。

 それとも、自分と使い魔との境界が曖昧になり、魂が互いに混ざりつつあるから気にならなくなっただけか。

 

 どちらにせよ、今さら考えても詮が無い。

 

 ドナドナドーナと運ばれるままに運ばれた。

 

「はい。それじゃ、顔を洗いましょうか。ひとりでできる?」

「できるよ!」

「……えー」

 

 質問に有無を言わさず返答すると、ベアトリクスは不服げに唸った。

 恐ろしい。あやうく幼稚園児みたいに世話をされるところだ。

 抱き上げは許容できても、さすがにそこまでされるのは羞恥心が勝る。

 

 腕から下ろしてもらい(しぶしぶ)、自分で洗面台の前に立つ。

 

 木製の桶。

 中には小さな浄め石が沈められてあり、それが水を清める効果を持っているらしく、COG世界の中では珍しく衛生的に信頼のできる透明感だ。

 秘宝匠が多くいるリンデンならではの工夫と言ったところだろう。地味にありがたい。

 

 ……しかし、親指ほどの大きさにも満たないこんなちっぽけな石が、巷ではかなりの高級品と言うのだから、世界は相変わらず世知辛い。

 

(まぁ、それを言ったら()()()()()()()()()()っていうこの行為すらも、本来は富裕層にのみ許された贅沢扱いになるワケだし……)

 

 生活基盤の整わない中世ヨーロッパ風ファンタジーは色々と大変だ。

 とはいえ、せっかく持てなされているのだから遠慮なくVIP待遇を甘受しなくてはなるまい。

 リンデン側の意図が何にせよ、元文明人として久々の文明タイムに浸るのも悪くはないからだ。いや、むしろ良い!

 

 カッ!

 

 と目を見開き、僕はここぞと言わんばかりの勢いで豪快にバッシャバッシャと水を使ってやった。

 

「あらあら、こんなに零して……まだまだ練習が必要ね?」

「むご!?」

 

 爽快感に心の中で「コレコレェッ!」と思っていたら、ベアトリクスに有無を言わさず顔面を塞がれた。

 いつの間に用意していたのか、ほのかに暖かなタオルを使い丁寧に水を拭き取られる。

 ベアトリクスは鼻歌のようなものを口ずさみながら、やたらと嬉しそうだった。

 

 ……ま、まぁ……使い魔とのコミュニケーションは互いの精神のケアのためにも最低限は必要だから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなこんなで朝食の時間である。

 

 鯨飲濁流という未曾有の災害に襲われた城塞都市リンデン。

 その赤鉄という最後の壁の中、中央に位置するリンデン城からおよそ徒歩五分といったところに位置する高級旅館『憤怒の騎士亭』にて。

 僕とベアトリクス、それとフェリシアは、あれからおよそ三週間ばかり滞在している。

 そのため、ここ最近と来たらほんとうに何もかもが至れり尽くせりで、血色の悪かった肌もなんだか潤ってきた自覚があった。

 今朝の朝食もどんな名前の料理かは知らないが、緑もあり、肉もあり、果実もあり、栄養バランス的に大層素晴らしいコトこの上ない。

 それもこれも……

 

 

【白嶺の魔女と契約した妖精の取り替え児が、吸血鬼の王である鯨飲濁流を討伐した】

 

 

 すべてはこのあまりにもセンセーショナルが過ぎる大事件が、リンデンに生き残った人々の間で瞬く間へと知れ渡ってしまったからだった。

 今やリンデン上層部は元より、市井に生きる富裕層や組合の秘宝匠たち含め、老若男女一切の区別なく大勢が僕たちのコトを噂している。

 もちろん、そこには良い意味も悪い意味も含まれており──体感的にはどちらかといえば後者の割合が遥かに多そうではあるが──僕は一躍、超有名人物と化してしまった。

 顔と名前こそ知っているのは一部の限られた人たちだけだが、というのも……

 

 

「あの化け物をぶっ殺したのは俺じゃねぇ。この坊主だ」

 

 

 アムニブス・イラ・グラディウス。

 刻印騎士団の長にして、老体でありながら未だ衰えるコトを知らない鋼の男。

 獅子の(たてがみ)のような灰色の蓬髪と、獲物を狙う猛禽のごとき鷹の目。

 第一印象は正直どこかの暴力団組織のボスか、野生の熊とかとファイトを繰り広げるヤバめな人種。

 

 しかし、この世界のこの城塞都市では、高級旅館が思わずその生き様にあやかろうとしてしまうほど、どう考えたところでも人類の希望その代表格だ。

 

 厄災の象徴であるチェンジリングと比べてみれば分かるように、僕とはハチャメチャ対照的である。

 

 原作ではリンデンは滅ぼされて、刻印騎士団も崩壊し、団長もまた死んでしまったと囁かれるだけの人物だったため、詳しいところはそれほど知らない。

 

 だが。

 

(さすがに三週間も過ごせば、ね)

 

 人々の彼を見る目。

 老いも若きも、奴隷も富豪も、司教や市議でさえ。

 如何なる身分にかかわらず、アムニブス・イラ・グラディウスという老人は誰もに尊敬されていた。

 期待と信頼、感謝と憧憬……きっと、ああいうのを英雄視と呼ぶのだろう。

 

 事実、鯨飲濁流に立ち向かった彼の姿は僕の記憶にもある。

 純粋なる人の身のまま(グラディウス老は使い魔を持たない)己が身一つ、鋼一振りを頼りに憤怒を漲らせた戦いぶりは、最終的に届きこそしなかったが、間違いなくダメージは与えていた。

 

 もちろん、他の刻印騎士たちだってそれは変わらない。

 

 ……残念ながらあの戦いで、ほとんどの騎士が殺されてしまい、生き残ったのは補充や兵站を務める見習いが数人だそうだが、彼らの尽力はたとえ微々であっても悪鬼の命をたしかに削っていた。

 

 女中や女将さんに聞いたところによると、このところは教会の勢いに押され、グラディウス老を筆頭に刻印騎士団は立場も権力も弱くなっていたそうだ。

 

 リンデンに暮らす人々も、いたずらに化け物に挑んで死人を増やし続ける刻印騎士団より、目に見えて安心を与えてくれる秘宝匠を尊敬する者が多くなっていたとか。

 

 けれど、今回の事件を契機にし、人々は再び刻印騎士団の存在価値を思い出すコトになった。

 

 陰口を叩かれ、嘲りを受け、その責務と使命に泥を塗られる毎日だった刻印騎士たちが、人界の守護者足らんと最後まで命を賭したその姿に。

 自分たちが忘れて久しかった、人間としての尊厳に満ち溢れたその後ろ姿を見て、無上の感動を得たのだと。

 

 第三者に過ぎない僕は、それって凄まじい掌返しなんじゃ? とも思ったが、まぁ、熱くなってるところに水を注しても顰蹙を買うだけだ。

 

 何より、グラディウス老が暴露してしまったせいですっかり噂の渦中の人となってしまった僕とベアトリクスだが、そんな彼が街の人々含め上層部に対し、僕とベアトリクスを受け入れてくれるように動いてくれているのも無視できなかった。

 

 

「過程よりも結果を見やがれ。俺を含めこの赤鉄に暮らす人間は、皆すべてこの坊主に救われたのよ」

 

 

 チェンジリングだから何だと言うのか。

 白嶺の魔女を使い魔にしているから、いったいそれで?

 五百年級の化け物に真っ向から対峙し、その悪逆を根絶すべく誰よりも()()()()戦ったのは誰なのか、よぉく考えやがれ。

 

 ──十歳の子どもだ。子どもなんだ。

 

 本来であれば、俺たち大人が全身全霊を懸けて背中に庇うべき存在だ。

 それなのに、まさか石を投げようとは言うまいな?

 

 

「俺は信じてるぜ? テメェらはバカだが、クズじゃあねえことを」

 

 

 ──と、こんな感じで。

 

 厄災の象徴、旧白嶺の魔女、()()()()()と。

 ともすれば鯨飲濁流よりも大変な訪問者を目の当たりにし、喧喧囂囂右往左往しっちゃかめっちゃかてんやわんやだった上層部のお歴々たちだったのだが。

 

 グラディウス老の一言でアッサリと歓迎ムードへと移行した。

 

 無論、それがあくまで表面上だけのコトなのは当然火を見るよりも明らかではあったが。

 

 リンデン城城主、教会の司祭、司教、市議会の代表に秘宝匠組合組合長と。

 

 常日頃いかにも威厳のありそうないい歳した大人たちが、揃って顔を青くして脂汗を掻きながら握手を求めてきた時は、もはや気の毒すぎて逆にこちらが泣きそうになったほどである。

 

 とはいえ……

 

「三週間。そろそろ結論が出てもいい頃だよね」

「結論?」

「うん。彼らが僕らを、()()()()()()()()()()()の」

 

 雪兎の目玉をほじくり返しながら(いったい何処で狩って来たのか……)鸚鵡返しに首を傾げたベアトリクスに答える。

 フェリシアはまだ眠ったままだ。

 憤怒の騎士亭は高級旅館なだけあり、部屋はかなり広くベッドもたくさんあるにもかかわらず、彼女は復活して以来毎晩のように僕のベッドへ潜り込んで来る。

 

 曰く、()()()()()()

 

 

「……鯨飲濁流が“真理(ヴェリタス)”の呪文を唱えたあの時、僕はフェリシアとその使い魔の復活をなんとなく察した」

 

 

 吸血鬼が喰らった魂を己の裡に取り込み、命のストックにできる種族だったコト。

 鯨飲濁流が“変身(メタモルポセス)”の魔法を使うその根源に他者への成り代わり願望があり、それゆえに喰らったモノの能力を再現可能だったコト。

 しかし反面、魔法使いが個別に契約している使い魔の力までを()()()()できるワケでなく、あくまで喰らった時の主体──魔法使い側としてのみ魔法を行使可能だったコト。

 

 以上の三点。

 

 これらを踏まえ、僕は気づいた。

 未来予知にも等しい効果をもたらす“叡智(ソフィア)”の魔法を使えるヴェリタスが、何ゆえ黒鉄門でフェリシアを暴走させたのか。

 すべては、主従揃って完膚なき勝利を迎えるためだったのではないかと。

 

 吸血鬼の裡側であれば、たとえ食い殺されても魂は現世に残り続ける。

 器であるカラダは失われてしまうが、言ってみれば中身である精神と魂は無事のままだ。

 狂奔する魂の渦の中で、発狂さえ阻止できれば理性も保っていられる。

 後はただ、虎視眈々と吸血鬼の器を乗っ取れる機会を待ち続けるだけでいい。

 

 前提条件は他ならぬヴェリタスによってクリアされ、達成目標はまんまと掌の上で踊らされた僕とベアトリクスがクリアした。

 

 具体的にどういう理論があってそんなコトが可能になるのかはちっとも分からないが、現実はヴェリタスの思い描いた通りに進んだと言えるだろう。少なくとも、そう考えて何ら間違いはないはずだ。

 

 

「脱帽というか天晴れと言うべきか、まぁそれはどうでもいいんだよ。問題は、事後始末というか後の面倒を全部丸投げというか……」

「今の子鼠のこと?」

「うん」

 

 

 ベッドの上でニヘラニヘラしている少女を見ながら、ベアトリクスが今度は反対側に首を傾げる。

 僕は頷きながら、小さく溜め息を吐いた。

 

 

「吸血鬼と魔女のハーフアンドハーフ。この街の上層部は『夜族(ミディアン)』と呼称するコトに決めたらしいけど……」

 

 

 今のフェリシアはどう考えてもチェンジリングの色香に惑わされ切ってしまっている。

 人からそうでないモノへ変じてしまったのだから仕方がないのかもしれないが、明らかに本能を抑制できていない。

 証拠は先ほどの寝言もそうだったが、死ぬ前と死んだ後とで僕に対する言動が激烈にアッパラパー化してしまっているコトだ。

 

 

「マズイぞ……これは大問題だ……。常識的に考えて、女子高生(JK)が十歳の子どもに恋愛感情を持つのはどう考えてもおかしいだろ……」

「じぇえけえ?」

 

 

 フェリシアの正確な年齢を知っているワケではないが、十代半ばから後半なのは見れば分かる。

 つまりは──事案だ。倫理的に大変よろしくない。

 たとえこの世界が中世ヨーロッパを下敷きにしているとしても、良識ある大人は子どもを恋愛の対象内になど含めない。

 

 含めてしまう奴は、変態だ。

 

 だから、今のフェリシアは間違いなくチェンジリングの色香──便宜上そう例えている──に惑わされているとしか思えない。

 

 しかし。

 

 

「……よく、分からないけれど。私は、今の子鼠そんなにキライじゃないわ。前はちょこまかと鬱陶しかったけれど、今はなぜだか目障りにならなくなったの。むしろ親近感? を覚えるわ」

(──これだ)

 

 

 鯨飲濁流の吸血鬼としての因子を引き継ぎながら、フェリシアは同時にベアトリクスの因子をもそのカラダに内包している。

 弱点を突かなければ殺せない吸血鬼を問答無用で殺す母親たちの『手』だ。

 元がベアトリクスの一部だった以上、本体から一度僕を経由したとはいえ、その愛はどこまでも深く染み付いているコトに変わりない。

 

 ゆえに現状、フェリシアを僕の傍からムリやり引き離そうとすれば、彼女は裡側からベアトリクスの因子にまず高確率で憑り殺される。

 

 吸血鬼と魔女。

 

 拮抗し相克し合っている二つの因子がその絶妙なバランスを崩し、下手をすれば白嶺の魔女の二代目が誕生してしまう。

 しかも吸血鬼の飢餓衝動がいつ発現してもおかしくないから、世界は震撼するどころの騒ぎではなくなる可能性が極めて大だ。

 

 

 ……実の所、僕とベアトリクスだけなら、リンデンがここまで慎重になることも無かったと思っている。

 

 

 向こうからすればチェンジリングなんて、わざわざ貴重な物資と資材を投入し、すべての建材を秘宝匠が手掛けたという『高級旅館』に三週間も軟禁(招待)したりなどせず、さっさと人里離れた僻地にでも放逐したい厄介者でしかない。

 刻印騎士団の長にたとえどれだけ頭が上がらなくても、生き残った全員で声を大にし訴えれば、あの老人が最終的にどちらを優先するかは言うまでもないのだから。

 

 それが多数派の意見というもの。

 

 人の感情に蓋をするコトなどできはしない。

 

 ──だが。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 これは、思考を停止してただ厄介だからと軽々に見過ごすにはあまりにも……異例過ぎた。

 

 暴食と悪食の吸血鬼。

 常冬にて彷徨う魔女。

 終いには、深淵の叡智を司る三眼の怪異。

 

 ひとつでもあれば十分に世界を破滅させ得る欠片が三つ。

 

 種族としての分類は?

 危険性はどれだけある?

 そもそも人の手で推し量れる存在か?

 

 元は単なる新米刻印騎士だったフェリシアであるが、今ではもうこの世界で数段違いの存在感を放つようになってしまった。

 

 遠からず、人々の間で噂は広まっていくだろう。

 

 当の本人は今現在、他人のベッドで目も当てられないほどの緩みっぷりを晒しているが、そこのところ僕はとても気がかりで仕方がない。

 

 

「らじゅあるどくん……へへへ……ちゅー」

「──嗚呼、ほんとうに大問題だよ……」

 

 

 どうするのこれ?

 どうしたらいい?

 

 ぼく、じゅっさいだからぜんぜんわかんなぁい……!

 

 

 

 

 

 

「恥ずかしい寝言ね」

 

 

 

 

 

 ベアトリクスは今日も無慈悲だった。

 

 


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