ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
長めです。
レグナム・セプテントリオ。
カルメンタリス島の北部を国領とする、王侯貴族たちによる封建国家。
階級制度があり、身分社会。
そこで生きる人々は、主に狩猟と牧畜、それと内地による細々とした農耕によって、生活基盤を支えられている。
王も貴族も騎士も民も。
身分や境遇によって生活の質にこそ差はあれど、同じ人間である以上は、基本的な生活形態そのものに変わりはない。
しかし、王国に限らず他のどの国々でも同じだが、ここカルメンタリス島では島の中心から離れれば離れるだけ、田舎となればなっていくだけ、人々の暮らしは当然厳しく過酷になっていく。
「十一年ほど前、わたくしはドウエルという村に住んでいました。
最北端である常冬の山とまではいきませんが、人間が住むにはかなりの不便を強いられる
周囲を小高いながらも切り立った崖が乱立する
秋と冬は寒さと雪崩の恐怖に苦しめられ、春や夏は次の冬を越すための準備で日が暮れる。
山間といっても、ほとんど岩と石でできた灰色の山。
木々は少なく、痩せた土地ゆえに獲物はさらに少なくて、必然、村人たちの間では常日頃から剣呑な小競り合いが絶えなかった。
誰々がルールを破って他人の狩場で狩りをした──ふざけやがって。
うちの家畜を誰々が盗もうとしているの見た──ゆるせない。
あそこの家は、娘を使って半年に一度の行商人をたらしこもうと企てているらしい──抜け駆けだ。
──と。
いったい、いつからそうなってしまったのかは分からない。
ただ、ドウエルという村は人間が暮らすには明らかに不適切な環境下に置かれていて、そこでの生活は誰しもに厳しい忍耐を強いた。
心が荒み、他者への思い遣りや気遣いが無くなってしまうのも、仕方がない。
ほんとうはみんな、自分が本来の自分じゃないと分かっていた。すべては環境のせいだ。
しかし、村人たちはそれでも、よその土地へ行こうとはしない。
「なぜなら、天然の要塞だったのです」
初めに移り住んだ人間が、如何にしてあの場所に辿り着いたのかは知らない。
だが、ドウエルという村は奇跡的にも、
「
パッと見た印象は、蛆虫人間。
黒くうねうねしたカラダを持ち、目と鼻と耳は無く、顔全体がほとんど口になっているような、非常に悍ましい外見の小人のコトだ。
ドウエル村を囲む山々には、奴らの群れが大量に存在していた。
「珍しいことに、黒小人は怪物でありながら人間を襲いません。こちらから何かをしなければ、仮に触れられるほど近くに寄ったとしても、特に何もせず不干渉を貫きます」
ただし。
「その代わり、奴らは他の怪物たちを好んで襲うモノでした」
人間は殺そうとも食べようともしないが、それ以外なら喜んで襲う。
獲物が大きければ大きいほど、我先にと諸手を上げて。
自分たち以外の他の存在を発見すると、まるで戦争のように、容赦なく群れ全体で突撃して命を奪う。
そして、殺した後の死体は、自分たちが住む山の地面へと埋め、決まってある魔法を使った。
「“
すると、死体が埋められた地面の中から、泡のように夥しい数の卵がボコボコと現れ、三呼吸もしない内に中から黒小人の幼生がワラワラ現れた。
「奴らは、他種族の死体を使って繁殖するバケモノだったのです」
それも、死体の体積によって増やせる卵の量が変わるため、時に地龍にすら襲いかかるほど種の保存本能に囚われた悪夢の化身。
うねうねと
悍ましい外見も然ることながら、生態自体も生理的嫌悪の対象だった。
同じヒトガタだというのが、アレほど忌まわしく思えた過去はない。
「人間を襲わないのは、恐らく、視覚機能のない奴らからすれば、ちょっと大きいだけの同族だと誤解していたからなのでしょう。
奴らがどのように外界を捉えているのかは知りませんが、実際、人間とはかけ離れた存在に対しては、吐き気を催すほど貪欲でしたから」
ゆえに、ドウエルの村は安全だった。
たとえ周囲に空恐ろしくなるほどのバケモノが蠢いているのだと知っていても、そのバケモノが他のバケモノから自分たちを守ってくれるならば、移住の選択肢を真っ先に捨ててしまうほどに。
寒さや飢えという、
「
人間としての誇りなど、疾うに失って久しい村だった。
住む人々も、かつてどこかで辛い経験や苦しい過去をした者たちばかり。
心に傷を負い、
「住人の大半がそんな村ですから、小競り合いと言っても、実際のところ半分以上は傷の舐め合いみたいなモノだったのでしょう」
所謂、ストレスのコントロールだ。
どうしようもない不満を似た境遇の人間同士でぶつけ合うコトで、ストレスの発散を行っていた。
俺もお前も私も僕も、ハハ、ツラいんだよな、分かるよその気持ち。
要はそういうコトだ。
「……しかしまぁ、若き日のわたくしはそういった事実には気が付けず、愚かにもこう思っていましたよ」
なんて哀れな村なのか。
教会から派遣された者として、神の教えを信じる一信徒として、自分がこの村の者たちの心を癒して差し上げなければ……!
「信じる心は救われる。神はわたくしどもを愛しているのだから」
そう、無垢に純粋に愚かしく、本気で使命感に囚われていた。
神の愛を、教会の教えを授ければ、きっと村人たちも諍いを止め、こんなところからは立ち去るに違いないと。
「二十一歳。思い返すに汗顔の至りです」
若輩でありながら一つの教会を任され、僻地とはいえ神の素晴らしさを説く任につけた。
若き日の自分は、客観的に見て情熱が空回りしていた馬鹿者だったと今ならば十分に分かる。
「わたくし、故郷では両親がそれなりの地位の人間でして。幼い頃から何も不自由を感じたコトがありませんでした」
順風満帆。
自分が正しいと思って実践したコトは、だいたいどれも正しいのだと周囲から言われて育った。
だから、正しい自分が正しい行いをすれば、世の中はきっと少しずつでも救われるに違いない。
教会の門を叩き、神職を志したのもすべてはそれが、善かれと思ったため。
「……ですが、生まれてから大人になるまでずっと両親の威光によって大切に包まれていた若造は、当然のように」
両親の威光の届かぬ土地で、現実を知る。
「わたくしが教義を説かんとしても、誰一人として耳を傾けてくれない。
それどころか、みんなで村を出ようと言えば、恐怖に泣き叫ぶ者や形相を変えて激怒する者までおりまして……ええ、着任早々すっかり嫌われてしまったコトを今でも覚えています」
ドウエル村の人々を真に理解しようとするでもなく、自分の
「わたくしは唾を吐かれ、石を投げられ、棍棒で叩きのめされ、挙句の果てに寄って集ってリンチに処されました」
大勢の意思がひとつになった時の凄まじさ。
集団を敵に回した時の恐ろしさと、不健全な関係でも絆の力で団結する人々の強さに──我ながら初めて心が折れそうになった。
──わたくし、もしや要らない子ですか……!?
と同時に、
──おのれ……暴力とは何事かッ!
とも。
あやうく魂が奈落に堕ちかけ心の中に鬼が生まれるところだったが──それはさておき。
「まぁ、人生観が変わるには良い経験でした」
親の七光に包まれていた自分が如何に世間知らずであったのか。
正しきを為さんとする想い自体は正しくとも、その行いを傲慢にも押し付けようとするのは大きな過ちである。
今一度、誰かに教えを授けようとするその前に、自分が神の教えを見つめ直すところからやり直さなければと。
まずは手始めに、隣人たちへ愛を示す。
「神は人を愛している。ゆえに、人はその愛に報いるためにも、同じように人として他者を愛さなければならない。さすれば神は、より深く人々を愛してくださるようになる」
教会が広める教義の基本中の基本。
だから、
「ドウエル村の人々のため、わたくしは何が彼らの助けになるかと考えました。考えて考えて、そして」
気がつけば、弓を握っていた。
「結局のところ、食べ物に困っているから心にゆとりが無くなるのです。お腹いっぱいになってしまえば、人なんて、早々怒ったり出来ないですからね」
もちろん、それまでの人生で自分から武器を持ったコトなど一度もない。
それどころか、狩猟なんてまったくの未経験だった。
弓を取ったものの、まず矢を真っ直ぐに飛ばすコトさえ出来ない始末で。
「ユーリという中年の男性がいましてね。最初、彼の狩場で弓を持ってウロウロしていたら、気絶するまで殴られたのですが」
こちらが狩りの基本さえ知らないど素人だと分かると、二度と邪魔すんじゃねえぞと脅され、それでも諦めずに何ヶ月も侵入を続けていると、しぶしぶ弓の扱いを教えてもらえるようになった。
最終的には「アンタは
「……このクロスボウは、その時から持ち続けている物です」
ユーリとの日々は大抵がキツい暴力の嵐だったが、しかし、そのおかげでドウエルでの狩猟が如何に難しいかを身に染みて理解することはできた。
村人たちの苦労と現実を、わずかではあるものの、共に分かち合い共有することができるようになったのだ。
他者への理解と共感は、
「わたくしはそうして、およそ六年間、ユーリや他の村人たちと共に狩りをする毎日を送りました」
神父としての仕事も忘れ、気がつけば村の男衆たちと揃って狩りに出かけては、今日もダメだった明日は期待できる昨日よりイイぞ! と。
「……楽しい毎日でした。誰かと力を合わせてその結果に共に一喜一憂するのは、わたくしにとっては初めてのコトで。彼らにとっては、きっと忘れていたいつかを思い出すキッカケだったのだと思います」
その内、自分一人でも狩りに出れるようになって、ユーリや他の村人たちにお裾分けできるようにもなって。
村人全員の視線から、敵対と排除の意思が無くなって、友好と親愛を感じ取れるようになった日のことは、恐らく一生忘れない。
そんなある日。
「村に、ある子どもたちがやって来たのです。
その子どもたちは、『カ厶ビヨンの仔ら』でした」
俗に、狼憑きや悪魔憑きとも呼ばれる
淫魔と夢魔の
そのような意味を込められ呼ばれる、哀れな子どもたちだ。
母親か父親か。あるいは祖父か祖母か。
とにもかくにも、その血筋のどこかで人間ではないナニカの血が混ざって生まれ、成長とともに人外としての特徴を肉体に表す半魔。
その恐ろしい成長過程から、大抵は嫌悪と迫害の対象となって幼い内に捨てられてしまう。
純粋な人間であれば有り得ない姿かたち。
成長し力をつければ、いずれ
母親は悲惨だ。
バケモノに犯され、バケモノの子を孕み、バケモノの子を産む。
絶望は計り知れず、しかし、我が子であるコトには変わりないその事実に苦しめられ、やがては発狂。
父親とて、それは変わらない。
……カ厶ビヨンの仔らとは、悲劇の象徴だ。
そして同時に、かつて人ならざるモノによって心を引き裂かれた人間にとっては、本物と違い
「子どもたちは五人いました。男の子が二人、女の子が三人。どうやら、それぞれがそれぞれともに違う土地から、流れ着くようにして集まったようで」
人間が住む村や町からは追放され、けれど、外にいればいつか無惨に死んでしまう。
「まだ幼かったのに、あの子たちは驚くほど必死でしたよ。わたくしを見るなり、全員で頭を下げて村に入れて欲しいと訴えて来たのですから」
満足に言葉も喋れず、差し出せる物も何も無い。
だが、もう『外』を歩き続けるのはイヤなのだと。
死にたくない。お腹が空いた。助けて欲しい。お願いします。許してください。
「……わたくしは、子どもたちを密かに教会へと連れて帰りました」
ドウエルの村に建てられた神の家。
もう六年以上も住み慣れた自分の住処へと。
他の村人たちに見つかれば、どうなるかなどあまりに分かり切っていた。
「見捨てられるワケがなかった。追い出せるはずがなかった」
只人とは異なるとはいえ、目の前にいたのはまだ子どもだ。
小さく、華奢で、痩せ細った、傷だらけの幼子。
助けなければ。守らなければ。ここで目を背けてしまえば、自分はもう二度と神父ではいられなくなる。
「神は、人を、愛している」
ならば、たとえ混血であろうと、半分は寵愛を受ける権利を宿しているはずだ。
子どもたちを見れば、すでに十分、辛い経験をしているのがハッキリと分かった。
なのに、これからさらに石を投げ、襤褸を着せたままにし、呪詛を浴びせかける?
そんなコトをしてしまえば、それはあの子たちから残り半分の愛を剥奪するにも等しい。
人間の領分を著しく超えた、悪しき行いだ。
「わたくしは、風呂を沸かし、料理を作り、余っていた法衣を売って、子ども用の下着やシャツとズボンを買いました。バカですよね……独り者の自分が、村で五人分もの子ども服を買えば、当然怪しまれるのに」
もともと噂が広がるのが早かった村だ。
教会の神父が五人の子どもを隠し育てていることは、一週間もせずに村中に知れ渡った。
「けれど、最初の内はうまくいっていたのです。わたくしはユーリや他の村人たちに、子どもたちは怪我をしていて酷い病気にも罹っている。だから、しばらくはあまり近づかないようにして欲しいと、嘘をつきました」
それにより、一旦は時間を稼ぐことに成功し、子どもたちの世話と面倒を見るコトが可能になった。
病気が
「辛いものがありましたよ。せっかく仲良くなれたみんなを騙しているのです。特にユーリは、無愛想な人でしたが誰よりわたくしを心配してくれて。なのに、当のわたくしと来たら……」
嘘をつき、隠し事をして、信頼を裏切っている。
「それでも、わたくしは自分の信じるままに、あの子たちを教会に住まわせ続けた」
アノス、クゥナ、ネイト、ミレイ、ヨルン。
たしかに同じ人間とは言えなかった。
獣の耳や牙に爪、左右で異なる虹彩に、鱗や棘の生えた肌、牛や鹿のような角もあれば、作り物のような人外美など。
恐ろしさが無かったと言えば、それもまた嘘になる。
しかし──
「あの子たちは何も悪くはなかった。ただ生まれてきただけの命に、いったいどうして罪がありましょうや?」
人間だって、生きるために動物を狩って殺している。
時には殺人などの悪事も働き、救いようのない罪人が大勢いるのだ。
生きたいとだけ願う魂の、どこが醜く穢れている?
「──三ヶ月。わたくしのドウエル村への背信は、およそ三ヶ月に渡り続けられました」
秘密の子育て。
しかし、普通の子どもを育てるのときっと、何ら変わらない大変な毎日だった。
おかげで、五人の子どもたちは日を経るごとに元気になって、最初に会った頃とは比べ物にならないほど顔色も良くなった。言葉だって、多少は交わせるようになったのだ。
唯一、教会の外へ出ることだけは、それだけはどうしても許してあげられなかったが、代わりに注げるだけの愛を注いでいた。
子どもたちも、自分に好意を持ってくれていたと思う。
「ですが、ええ……」
取り返しのつかない失敗があった。
一年、二年、いいや何十年経とうとも、決して忘れ去るコトのできない深き悔恨。
我が身を千の呪詛で苛み、万の磔刑に処そうとも、なお足りぬ。
傲慢なる偽善者。信仰を盾にし、自らの思考を停めていた愚か者。
この身が善かれと思った先に待つモノが、いったいどんな結末かなど……お前は疾うに学んでいたはずなのに。
「──贖罪の機会に、二度目はありませんでした」
悲劇の象徴、カムビヨンの仔、人ならざるモノの血を引いた混血児────
「多くの人間は魔力を持ちません。魔法使いとしての才能はチェンジリングを除き天賦のもの。ひとつの村に十年に一度、一人生まれるかどうか」
しかし、
「片親が魔性のモノであれば、その子どもは半分人間でも、必ず魔力を持って生まれて来ます」
そして、
「ドウエル村の周囲には、バケモノしか襲わないバケモノがたくさんいたのです」
殺した死体に残った残留魔力を苗床にして、自分たちを効率よく殖やそうとしていただけだった。
「体力を取り戻し、わたくしが与えた食事で生命力をも取り戻したあの子たちは、カラダから魔力が湧き出るようになっていました」
嗅ぎつけられるのは時間の問題で、雪崩のように押し寄せる黒き大群を見た時、村の住人たちは果たして何を思ったのだろうか。
周囲は峻険な山々によって塞がれ、逃げ場など何処にも無い。
天然の要塞は、天然の牢獄へと様変わりした。
「今でも聞こえてきます。奴らの奏でるキィキィという耳障りな金切り音が」
四方八方から村へと押し迫る蛆虫の洪水。
家は潰され、家畜は轢き殺され、人間は踏み潰されて圧死した。
ユーリたちとは二度と一緒に狩りができなくなった。
「わたくしは、せめて子どもたちだけでも助けようと、クロスボウを持って外へ出ました。今にして思うと、無意識のうちに死のうと思ったのかもしれません」
……けれど。
「ふ、ふふふ。そんなわたくしを見て、あの子らは悟ったのでしょうね。もう助からない。これで終わりなんだと」
無謀にも矢を番えて戦おうとした男に向かって、
──
そう言って、自分たちの喉を掻き切った。
最後に幸せだったと、笑顔で泣きながら。
「……苗床とする魔力が消えたのと同時に、黒子人の大群は嘘のように山へと帰っていきました。わたくしは、誰もいなくなったかつての村で、ひとり生き残った」
それから二ヶ月ほど、自分が何をどうして生き延びていたのか覚えていない。
ただ、自分が殺してしまった大好きだった人たちと、救おうとして救えなかった子どもらの墓が村の中央にあったから、たぶん、無心で、そういうことをしていたのだろう。
「奴らを殺し尽くすのには、だいたい四年の月日がかかりました」
一匹一匹。丁寧に丹念に、取り零しなど無いよう確実に絶対に、繁殖などさせない、根絶し絶滅し、存在の一欠片たりとて一切合切残してやるものか。気持ち悪いんだよ死んでくれ。
「クロスボウの矢を大量に用意するのに一年。ユーリがくれたこの弓で、奴らの頭を撃ち抜き続けるのに三年」
だからまぁ、自分はもはや神父としては罪と穢れに染まりきっている。
「
わたくしは、この世で恐らく、誰よりもどうしようもないゴミのような人間なのです」
今回の旅にも、最厄地に向かうと知って自ら志願しました。
ゼノギアはそう語った。