ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
あらすじに表紙を載せました。
今回の旅はもうダメかもしれない。
天使との予期せぬ遭遇から三夜経ち、明くる日の昼食後。
澄み渡った空の下、ポカポカと暖かな陽射しに肌を撫でられ、「生きてるって素晴らしい!」と感じていると、ゼノギアが突然ひとりでブツブツと虚空に向かって話し始めた。
密かに耳を傍立ててみると、どうやら幾つかの単語について何らかの意見を繰り返し呟いているらしい。
死、救済。
罪、天使。
愛、神罰。
まさに、宗教家の面目躍如といったフレーズの数々。
だが問題は、ゼノギアが誰に向かって話しているのでもなく、ひとりで淡々と虚空に向かって言葉を放っている事実だ。
正直、かなりヤバいと僕は感じている。
最低限の身だしなみにすら頓着しなくなり、今現在のゼノギアは長い金髪をボサボサにして、髭も伸びるに任せたままだ。
アレからまだ三日しか経っていないため、意識しなければそれほど見苦しいというワケでもないが、あと一週間もすればさすがに無視できない。
不潔だし、陰気だからだ。
頼りなさそうではあっても、大人として尊敬できる人物。
そんな僕の中のゼノギア像が、このままでは汚らしい浮浪者か精神異常者へと真っ逆さまに転落していってしまう。なんとかしなければならない。
……とはいえ。
すでに帝国領は抜けていて、人の世界からは帰ろうと思っても二日三日では帰れないところまで来てしまっている。
淡いの異界を予定よりも多く使った大幅ショートカット。
位置情報的には、テラ・メエリタまでようやく半分の距離を超えたというところだ。
視界に入る景色も次第にますます壮大になって来ており、茂みから出てくる怪物もゴブリンやトロールなどから、グリフォン、ヒッポグリフなど中〜大型クラスが頻度を増しつつある。
大樹海に近づいている意識もあってか、
つまり、道中の危険性がますます跳ね上がっている。
ぶっちゃけ、ゼノギアの心身をケアするには何処か落ち着ける旅館などで本格的に身を休める必要があると思うのだが、ハッキリ言ってそんなものはこの先無い。
文明のぶの字も見当たらない原始の未開拓領域。
前人未踏というか、踏み込めば死、踏み込まざるも死というか、とにもかくにも全般的に難易度が高めだ。
リンデンから贈られた浄め石などの高級品のおかげで、一般的な旅と比べれば遥かにマシな生活レベル(特に風呂)を保持できているはずだが、やはり疲労は蓄積される。
テラ・メエリタに辿り着く前に、一度、どこかで休息を挟めればいいが……
(思ってたより、ダメージが大きい)
三日前の
それによる命の危機と、村の『消滅』が与えた衝撃。
救えなかった、という事実と。
救わなかった、という現実。
前者は村や百人隊に対しての後悔で、後者は他ならぬ天使に向けての動揺だと思われるが、アレからゼノギアの様子が明らかに不穏だった。
(まぁ……無理もないんだろうけど)
教会の人間と言っても、リンデンにいた司教や司祭のように業突く張りな輩もいれば、真摯に教義を受け止め人として常に正しくあろうと心掛けている者もいる。
そういった集団の中でも、明らかに敬虔と呼ばれる側の人種であるゼノギアだ。
大神殿に眠る聖遺物の話は当然耳にしていただろうし、神が人を──正確にはその文明と文化だが──守るため拵えたと伝わる灑掃機構には、下手をすれば神に向けるのと同等の想いがあったに違いない。
出くわした時の茫然自失。
あの顔と、ともすれば涙を流しかねない様子には、
だが、蓋を開けてみれば現実は知っての通り、嘘のような殺戮劇が起こっただけ。
フェリシアが咄嗟に僕とゼノギアを淡いの異界へと放り込まなければ、今ごろ塵と残らず今回の旅は終わっていた。
憑依融合も結局間に合いそうにはなかったし、ベアトリクスは僕が淡いの異界に入ったその瞬間に、気がつけば背中から僕を抱き締めていた。
神雷がかすり、左腕が焦げてしまったコトでフェリシアには
あらかじめ灑掃機構が壊れていると知っていて、天使がただの殺戮人形であると知識があった僕にとって、三日前の遭遇は、悪質な交通事故とかひどい嵐に見舞われたとか、過ぎ去ってみればとにかくそんな認識でしかないが(封印が解かれているのは一先ず置いておく)。
ゼノギアという神父にとっては、ややもすると、自身の信仰が揺るぎかねない衝撃的な出来事だったのだろう。
あるいは。
(自分の元に、ついに相応しい断罪者が現れたと)
そう思った可能性はある。
なにしろ、ゼノギアは自らを咎人と自認し、贖いと自罰のためには苦行も辞さない苛烈な生き方をしている人間だ。
天使の降臨を目の当たりにしたとき、きっと様々な想いが胸を交錯したに違いない。
ひとつは、これで村は救われる。
御伽噺や伝説に残る人類の庇護者が現れたのだから、当然の思考だ。
もうひとつは、これは自分に与えられた
推測にはなるが、ゼノギアほどの信徒であれば苦行を一種の洗礼・禊と考えていてもおかしくはない。というか、十中八九そのはずだ。
ゆえに、自死衝動や破滅願望の顕れとも取れる苦行の果てに、神による救済……慈悲や赦しを、求めているのではないだろうか。
この島の聖遺物は正真正銘の神威だ。
天罰という機能を有しているコトからも、いかにも象徴的で。
天使からの断罪を以って、
もしかすると、これで救われる。そう心が浮き足だってしまった可能性だって十分にある。
……それが、いざ我を取り戻してみると。
(村は焦土に。天使はいなくなっていた)
人を救うはずの神の使いが、魔性もろとも人を灼き払ったのだ。
そのうえ罪人である自分を罰することもなく、後にはただ非情な現実だけを残して。
(──うん。僕だったら立ち直れないな)
だからこそ、今のゼノギアはマズイ。
精神的なダメージによって、このままではどう転んでしまうか。
闇堕ち、という単語が思わず脳裏を過ぎってしまう。
しかし……せめてリンデンに戻るまでは、廃人化も狂人化も避けたい。
さて、どうしたものか──
僕が考え、ひそかに首を傾けていたときだった。
「あ、あそこ……」
「……む」
フェリシアとベアトリクスが、同時にあるものに気がついた。
──
結論から言えば、二人が見つけたのはそう呼ばれる一種のパワースポットだった。
霊骸柩。霊骸柩窟。
地域によっていろいろ呼称の違いはあるが、基本的にどれも
カルメンタリス島には、ごく稀に死してなお朽ち果てるコトなく、永久にそのまま肉体の一部を地上に遺す怪物がいる。
ドラゴンの鱗などは、その中でも最高級の遺留物だ。
他にも、
運良く手に入れられたら億万長者になれる。
魔術師であれば、超一級の呪具を作るための材料に使うのもいいだろう。
しかし、それらの大半は人間の手にはどれも扱いづらく、ほとんどの場合で原始的な呪いが残ったままであるため、実際に道具として使用可能にするまでにはたくさんのハードルを越えなければならない。
それと同じで、霊骸柩楼には元となった怪物の強大な魔力や霊威がしぶとく残り続けており、他の人外・異形・怪異は近づかず、そのために人間にとっては一種の安全地帯として利用するコトが可能だ。
特に、地龍や獣神。
最初から怪物として発生してくるのではなく、あくまで動物が転生して
地龍は
獣神は自然霊に近くなったモノ。
どちらも霊格は高く、島の一部と化した際には周囲を擬似的な結界領域に変化させる共通点がある。
……僕はこれまで、どちらも凍死体という形でしか見たコトがなかったのだが、どうやら今ここに、霊骸柩としての姿とも挨拶を交わすコトになったらしい。
目の前にあるのは、見たところ沢鹿から成った獣神のようで、巨大な鹿角が塚のように並びたち、中央の清泉を綺麗に囲んでいた。
そして、清泉の上には、苔むした鹿の頭蓋骨が上向きで天を見上げ、眼窩からは
清澄な空気と、非常に厳かな霊気が辺りに満ちている。
……これならば、チェンジリングである僕が少しばかり滞在しても、三〜四日は平気だろう。
ちなみに、霊骸柩楼という呼び名は、柩が厳かなものであり、且つ死者の眠る場所である点から、
ともあれ──
「いい場所ですね。そろそろ疲れが溜まって来たところですし、ちょっとだけ、ここで休憩していきましょうか」
ゼノギアの精神状態が悪化している今、霊骸柩楼の発見はまさに渡りに船である。
まずは身体を少しでも休め、美しい自然に心を癒してもらおう。
旅のリーダーは一応、僕というコトになっているので、リーダー権限でよし! と決定する。
すると、
「わたし、沐浴してくるね。ラズワルド君は覗いてもいいよ?」
フェリシアは泉に向かい、
「いい角だわ」
ベアトリクスは同じ有角種としてか、周囲に生えている巨大な角の検分をし始めた。
「…………」
そして、ゼノギアは押し黙ったままゆっくりと日陰に入り、ジッと地べたに座り込む。
(……まぁ、絶望して死のうとしないだけ、まだ希望があると考えとくかな)
冷たいと思われるかもしれないが、ここで下手に慰めようとは思わない。
実態はどうあれ、僕は所詮、この世界ではまだ十歳の子どもだ。
厄災の象徴だの何だのいろいろ言われているが、ゼノギアからすれば「子どもに何が分かる」と思われかねない。
だからといって、原作知識を開示して現在の灑掃機構が壊れているコトを教えるのも悪手だろう。
そんなコトを何故知っているのかと疑念を持たれかねないし、心優しいゼノギアは僕がゼノギアを慰めようと思って敢えて嘘をついていると勘違いするかもしれない。
どちらにせよ、信じてはもらえない。
なので、今日のところは一先ず様子を見ようと思った。
僕自身もいささか、疲れているしね……
tips:地龍、獣神
獣から転じた魔。
死霊や吸血鬼など人から転じた魔がいるように、カルメンタリス島では動物も魔へと転じる場合がある。
地龍の場合は、その動物が生きながらに業を重ね、荒ぶる獣としての霊格を上げてドラゴンの特性を帯びるようになったモノを指す。
獣神の場合は、その動物が死して自然に還ったあと、自然霊としての霊格を上げて環境神の特性を帯びたモノを指す。
前者は純粋な力による脅威性を秘め、後者はどちらかといえば怪異的。
厄介なのはどちらも同じだが、土地の従属化や眷族を増やしたりできるのは獣神の権能になる。