ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
──では、此度もまた僕が犯した失敗について話をするとしよう。
いい加減、少しは学習しろよと自分で自分に嫌気がさしてくるが、人間、同じ類の過ちを何度経験しようと、そう簡単に完璧へは至れないらしい。
ゆえに、此度もまたどうしようもなく腹の煮える話になってしまうのだが、どうか見捨てず、そのまま今しばらく耳を傾けたままで居てもらいたい。
なぜなら、紳士淑女の皆々様、これから僕は己と罪と向き合います。
人間なら誰しもが抱えていて、それでいて日頃からつい目を背けがちになってしまう有り触れた罪。
名を──怠慢。
あるいは、怠惰とも呼ばれる大いなる罪にして悪のひとつ。
これは、自分の行いとその責任の在処を、人間はどこまで追及するべきなのかという話にもなる問題であり。
しかして、少なくとも今現在の僕にとっては、何より厳しく取り締まるべき
──結論から言おう。
「あー、もう! どこに行ったの、あの神父!」
「迷惑な男……見つけたらどうしてくれようかしら」
「……クソ」
ゼノギアがいなくなった。
時は少しばかり巻き戻り──事態が発覚したのは五日前の夜遅く。深夜も零時過ぎの頃。
鳥獣も草木も、そろそろ眠りに着き始めるのではという静謐な夜だった。
僕はたまたま、何となく夢見が悪くて、パチリ、と目を覚ましてしまった。
霊骸柩楼で迎える二回目の夜。
あたりは実に静寂で、寝込みを襲おうとする存在もしばらくは結界の中に入って来られない。
少なくない安全が確保された、まるで夢のような聖域である。
しかし、朝から日中にかけて続いた
そのせいか、やはり普段通りにはあっさりと眠れない憂鬱な夜でもあった。
水でも飲んで気分を落ち着けよう。
そう思い、僕は浄め石を片手に泉の方へと静かに歩いた。
ベアトリクスもフェリシアも眠っている。
起こさないよう慎重に、そっと空になっていた水筒を取り出して、あまり水音を立てないよう注意を払った。
その時だ。
(
ゼノギアは?
僕は金髪の優男が、霊骸柩楼の何処を見渡してもいなくなっているコトに気がついた。
ひょっとして、木陰や鹿角の影に隠れているのでは? とも考えたが、やはりいない。
“火”を唱えて明かりを灯し、周囲を丹念に探しても、見慣れた法衣姿の男が消えている。
頭骨塔の裏側──今朝方立てた
否、それだけではない。
ゼノギアの分の旅荷。
最低限の食料、ドラゴンの鏃、クロスボウ。
他、何もかもが掻き消えている。
──つまりは。
「嘘でしょ」
人里から離れた僻地。
まだ半分ほどの距離があるとはいえ、“
人外・異形・怪異、数多の魔性が
それすなわち、僕にとっては試験の失敗。
今回の旅の主目的を達成できなくなるという、ゲームオーバーにも等しかった。
死なれては困る護衛対象の死。
確定ではないにしろ、たったひとりでは生き抜けるはずもない。
勝手に飛び出したのはゼノギアで、本来なら僕の方に落ち度などまったく無いはずだが、後悔は先に立たず。
「抜かった……こんなコトになるなら、縄ででも縛っておくべきだった……!」
頭を抱え、うずくまる。
そうしながら思ったのは、自らの失態だ。
そんな風に考えてしまっていた数時間前の自分を、激しく呪う。
動揺を察知し、ムクリと起き上がってきたベアトリクスとフェリシアに、ゼノギアの捜索を急遽お願いするも、結果は後の祭り。
ゼノギアはすでに姿を隠し、何処かへと行ってしまった後だった。
まるで最初からそこになどいなかったように、
僕はハッとした。
……思い違いと思い込み。誤解と偏見と勘違い。
あるいは、見て見ぬフリとも言い換えられる無意識下での怠慢が招いた過失。
防げない事態ではなかった。予期できぬ展開でもなかった。
元より、
これはただ、こちらに油断があったというだけ。
何の魔力も持たない人間が、まさかこんな場所で自分から旅のパーティを抜けようとするはずもないだろうと、心のどこかで慢心があった。
温和で、どこか頼りなく、厄災の象徴を前にしても何の偏見も持たず普通に接してくれる優しい人。
知らず知らず、自分にとって心地のいいところばかり見ていたというのもあるだろう。
だが何より。
ゼノギアという人間をまったく理解しきれていなかった。これはただそれだけの証左!
片鱗は覗かれていた。
ヒントは事前にごまんとバラ撒かれていた。
──そも。
「
魔力も持たず、魔術も使えず、手にあるのはクロスボウと狩猟の才のみ。
一介の神父と評するにはやや語弊があるが、それでもゼノギアという男は常人の枠を出ない人間だ。
多少戦える力があったとしても、一般人と言ってしまっていい。
バケモノに抗うには、到底力及ばない脆弱な存在だ。
本人の穏やかな気性や善良な心根からも、それは十分に見て取れる。
しかし。
一方で、ゼノギアにはたしかな事実があった。
命を奪う類まれな技術。
それによる、ありえないはずの鏖殺劇。
常人であれば、とてもじゃないが成し得ない苦行の追求。
加えて、昼夜兼行、ゼノギアは日常のいつ如何なる時でも己を罰し、罪を贖うコトに貪欲だった。
その結果、日頃の柔和な雰囲気とは裏腹に、ゼノギアにはあまりにも対照的で、且つ苛烈な両極端な二面性が宿ることにもなっていた。
自身の命すら
ともすれば、聖者と呼んでいい。
けれど。
(そんな生き方は、普通の人間には無理だ)
歴史に刻まれる聖人や聖女というのは、何ゆえにその肩書きを得るに至るものなのか。
常人には不可能な献身と善行によって、
でも、ゼノギアはまだ死んでいない。
あの優男は、自らを聖人と決して認めないだろうし、そう周囲から認められるにはあまりに血なまぐさすぎ、死に慣れ親しんでいる。
──では、
僕はそれを、大昔から知っていた。
思い出すのにこんなに時間がかかってしまったが、ああ……今ならちゃんと答えを言える。彼は、そう──
「──
生きながらに業を重ね、その魂を奈落へと堕としたモノ。
然れど、人間としての精神を己が矜恃と自我によって譲らず、未だ真の魔性には羽化していない揺籃の蛹。
……分からないはずだ。気づけるはずがない。
言い訳はいくらでもできる。
なにせ、僕が知っているのは魔性としての姿と名前だけだ。
未だ堕ちざる人間の時分など、僕の知識には存在しなかったのだから。
──『驟雨の獣』
それが、僕が知る
……その昔、とある村で孤児を拾った神父がいた。
心優しい神父は孤児たちを愛し、孤児たちもまた神父を愛していた。
しかし、不幸な事故により孤児たちは死んでしまい、神父は嘆き悲しむ。
その悲しみは深く、あまりにも辛かったので、神父は世を儚み自殺を試みるほどだった。
けれど、死んだように成り果てても神父の悲しみは癒えず。
神父は亡霊となり、いつまでも地上を彷徨うことに。
そんなある日。
神父はふと、ある魔術師たちを見つける。
魔術師たちは悪人で、子どもを実験の材料にしていた。
悲しみは怒りに変わり、亡霊は怨霊へ。
魔術師たちを殺すため、犯行が露見しにくい雨の降る日に猟場へ引き摺りこんでは、ひとりひとり確実に仕留めた。
丁寧に丹念に、取り零しなど無いよう確実に絶対に。
すると、なんということか。
神父は気がつくと、己が見たこともない獣の姿と化しているコトに気がついた。
雨に打たれ、獲物の断末魔に喜悦を浮かべる猟犬へと。
ゆえに──驟雨の獣。
突然の雨に見舞われた人間。
その罪と悪の匂いを嗅ぎつけ、雲の晴れぬ間に狩猟を終える。
ケダモノの姿は、自らも咎に塗れているがゆえ。
雨中でしか現れぬのは、天の慈悲を希うがゆえの衝動だと。
そう、まことしやかに囁かれる哀しき怪異。
COGでは、すでに討伐された過去の怪異として、モノローグで紹介されるだけの存在だ。
どのシーズンで登場したかも覚えていない。言ってしまえば、フレーバーテキストみたいなもの。
──けれども。
ゼノギアはいったいなぜ、黒小人の大群を殺し尽くすコトができた?
四年間。数が多いから時間がかかったのだという理屈は分かるにしても、それだけの時間、人間がバケモノから気取られずに一方的に殺戮を行える道理など存在しない。
ただの神父。ただの人間には絶対に不可能だ。
だが、もしもゼノギアが『生成り』だったとしたら?
人から魔へと転ずるための条件は、ドウエル村が滅び去ったその瞬間に、すべて整っていたはずだ。
おびただしい量の死があり、それに伴う悲劇と落涙は狂気を呼んで、ゼノギアの精神は生きながらにほとんど魔性のソレへと変わっていたに違いない。
魂は書き変わり、魔は忍び寄る。黒小人を鏖殺したのがその証拠だ。
ただ、ゼノギアは普通ではなかった。
人として何が正しいのか。
善性の意味を知り、優しさの何たるかを弁え、幸福とは何かを分かっていた。
教会の教えを、神の愛を、一番に信じていたからだ。
だからこそ、ゼノギアは
未だ人間であり続けていられるのは、その尋常ではない人間としての自覚と、弛まぬ信仰心がためだろう。
一度書き変わってしまった
まさに、信じられない偉業だ。
恐らく、あのアムニブス・イラ・グラディウスでも不可能に違いない一種の到達点。
正真正銘、奇跡と言っていい。
この世界で、およそゼノギアほど純粋に人として尊敬できる男はいないだろう。僕はそう思う。
「──でも」
一度書き変わったというコトは、肉体と精神には、魔性としての記録がたしかに刻み込まれてしまったというコト。
たとえ数秒、数瞬の出来事だったとしても、決して無かったコトにはできない。
中身がイチゴのジャムだったのに、ブルーベリーのジャムを間違えて入れてしまったら?
頑張って取り除いても、ブルーベリーは完全には瓶の中から消えてくれない。
ゼノギアには、その存在のどこかで人間ではない部分が確実に残され続けた。
黒小人を皆殺しにできたのは、恐らくそれゆえ。
人間離れした執念も、超人的な行いも、それが魔性のモノだったと考えれば素直に頷ける。
人も魔も気づけるワケはない。
人間からすれば、やはりただの人間に見えるし、人ならざるモノからしても、やはり人間だ。
だがしかし。
(五人の子どもたちはホムンクルスだった)
カムビヨンの仔らというだけでも世界からは迫害と忌避の対象になる。
もちろん、ホムンクルスとて同じだ。人間の手によって作られた非人間は、人道と倫理の観点において禁忌とされている。
──なのに、それが同時だ。
そんなモノ、知ればたとえゼノギアでなくとも怒り狂うに足る。
ましてや、かつて拾った五人の子どもたちが、もしかすると件の魔術師の研究から逃げてきた実験体だった可能性も出てきたのだ。
あのあと、ゼノギアの狂乱と怒号は凄まじい荒れようを見せた。
このところ不安定だった精神状態。
救えるはずの村を救えず、神の聖遺物が人間を殺し、信仰の正しさとは何か、己に与えられる罰と赦しは、いったいいつになったら?
人間としての矜恃など揺らいてしまうほどに、彼は極限まで追い詰められていたに違いない。
僕はそれを、必死になだめて落ち着かせたつもりだった。
培養槽を確認させたのも、隠すよりかは良いと判断したため。
ゼノギア自身も、日が沈む頃には何とか落ち着いて、今日は休むと眠ったはず。
──すみません。取り乱しました。今日はもう休みます。
だが、やはり……
「見誤ったんだろうね、僕は」
大人として尊敬に値する立派な人間。
この男ならば、大丈夫なはずだ。きっと持ち直す。
そんな風に色眼鏡をかけて、いつしかゼノギアを見てしまっていた。
霊骸柩楼で休息を取り続ければ、どうにかなると。
自身も割といっぱいいっぱいだったというのは、言い訳に過ぎない。
ゼノギアがその内面に秘めた苛烈な激情も、魔へと転ずるほどの狂気も何もかも、僕はあらかじめ十分に分かり切っていたはずなのだ……
「今日で五日目。淡いの異界を何度も潜って、潜り抜けて」
ドラゴンの鏃に残された呪い。
ゼノギアの痕跡を可能な限り辿りに辿り、ついに行き着いた先が、やはりと言うべきかまさかと言うべきか、此処だった。
だから、認めよう。前提条件は今このとき、脆くも崩れ去った。試験など、お笑い草だ。
甘い認識は手痛い代償によって贖われる。
愚かしさのツケは罰として我が身へ返り、生きるコトに怠慢であるのは許されない。
いざや仰げ──神の創りし魔の森を。
千古万古の深山幽谷。
美しくも悍ましく、百花繚乱と花咲き
獣が神と成り、巨龍が揺蕩う東の最厄地。
「──“
ゼノギアは今、此処にいる。
シーズン3における敵の姿がうっすら見えてきましたね