ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です   作:所羅門ヒトリモン

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#39 薔薇の出迎え

 

 

 

 

 まず感じたのは、時間の変化だった。

 

 ぬらり、ぬらり。

 視界に映るすべてが、まるで遅延しているかのように行動を遅くする。

 泥濘(ぬかるみ)に足を取られたか。

 溶けた鉛にでもハマってしまったか。

 とにかく、自分以外のすべての動きが緩慢になっていると感じた。

 

 時間が何倍にも引き伸ばされている。

 

 そうして思うのは、何故だろう? という単純な疑問だ。

 現実的に考えて、実際に時間が歪みを発生させるようコトは起こり得るはずがない。

 だから、恐らくはこれは、自分の()()の話になるだろうと。

 そこまでは、シンプルに推測がつくのだが。

 

 走り、探し、また駆けて。

 

 自分が今行っている動作のすべてに、何故これほどの速度を感じられるのかが、やはり分からない。

 普通に足を動かし、普通に身体を躍動させて、これまた普通に全身に鞭を打っているだけだ。

 常と何も変わらないし、何も特別なコトをしているつもりもない。

 

 しかし、それでも体感的に自分以外の何もかもが遅いと感じてしまうならば。

 

 驚くことに、自分はいま、かつてない凄まじい集中力を発揮しているのだろう。

 これまでの人生を振り返り、そのいずれにおいても、経験したことのない無我夢中──いや。

 

(前にも一度、こんな風に世界が酷くノロマになったコトがあったような……)

 

 そんな気がする。

 しかし思い出せない。

 記憶は靄がかり、霧の中へと隠れたままだ。

 

(なぜ思い出せないのだろう?)

 

 だが、思い出せないというコトは必要がないというコトでもある。

 いつだったか、人間は不要な情報を忘却し、捨て去ってしまうことで頭の中の整理をしているのだと、どこかで聞いた。

 であれば、捨ててしまった。それすなわち無いのと同じ。

 つまり、自分にとっては今あるこの速度こそが、生まれて初めてのモノ。

 

 初体験だ。

 

 そう思えば、途端に思考がクリアになっていく。

 余分な理性や余計な正気は削ぎ落とされて、腹の底から溢れ出る一つの想い(ノロイ)だけが、全身をタップリと満たすのだから。

 心地がいいし、心地のいい音が聞こえる。嗚呼、ほんとうに、実に心地よいものばかりだ。

 

 ──罪を赦すな。悪を赦すな。

 ──罰を下せ。鉄槌を降り下ろせ。

 ──矢を番えろ。狙いを定めろ。

 ──匂いを嗅げ。必ず探し出せ。

 ──不条理を赦すな。無慈悲を赦すな。

 ──善行を為せ。正しきを求めろ。

 ──悪逆を逃すな。非道をのさばらせるな。

 ──信じた道に背を向けて、この身がたとえ畜生へと堕ちようと。

 ──罪業は報われぬ。雪げぬ汚辱が地上にはある。

 ──だから殺せ。殺して殺して殺し尽くせ。

 ──涙の雨を止めるため。神の愛を証すために。

 

 我が信仰は捻れ狂った。

 歯車の外れた自覚がある。

 世界の関節は欠けてしまった。

 

 だとしても、もう構わない。

 

 穏やかな日を夢見た。

 あの子たちが笑い、健やかに育ち、村のみんなに囲まれて朗らかに過ごしている……そんな夢を。

 アノスやネイトとは一緒に狩りをして、クゥナやミレイ、ヨルンには、教会の仕事を手伝ってもらう。

 昼は働き、夜は暖かな時間に身を包み。

 慣れない子育てだ。

 ユーリや村のみんなには、たくさん手を借りなければならないだろう。

 迷惑をかけるとは思う。もしかしたら、ドウエル村の神父はとんでもない厄介者だと笑われてしまうかもしれない。

 けれど、それでもいい。

 どうしようもなく穏やかで、どうしようもなく幸福な、そんな嘘のような幻想(ゆめ)を自分は望んでいたのだ。

 

 ──なのに。

 

 差別、偏見、迫害、恐怖、嫌悪、拒絶、絶望、死。

 

 現実はいつだってうんざりするコトばかり。

 人の世に、神の愛はちっとも降り注いではくれなかった。

 我が身は久遠の苦界に囚われた、愚かな道化者。

 

 だが、それでも──

 

「為すべきは為す。もはやこの身は伽藍の木偶人形にも等しい。虚ろな信仰に糸を繋がれた、神の玩具。それでも、玩具にだって意地はある」

 

 ゆえ、殺そう。

 始まりにして終わりの因縁よ。

 生きているな?

 そこにいるのだろう?

 近づいているのは分かっている。

 

「……人間。いや、貴様生成りか」

 

 ──ほら、見つかった。

 

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 

 

 空気が重い。

 息が詰まる。

 

 まず初めに思ったのは、魔力の濃さだった。

 

 一歩を越えた。

 たったそれだけのコトで、世界が瞬間、あまりにも激的に豹変する。

 大気中の魔力は思わず噎せ返るほど。

 視界に色づく緑は古色蒼然としながら生命力に漲り、五感のすべてがけたたましく警告を発していた。

 

 ──人の居て良い世界ではない。これより先は正真正銘の異界であるぞ。

 

 と同時に、チェンジリングとしての本能が、まるで故郷に帰り着いたかのような錯覚と幻視とを脳裏にもたらす。

 全身の毛穴という毛穴がガバリと開き、いつになく『眼』が熱を帯びた。耳朶を震わす『声』も大きくなる。

 壮麗大地。人跡未踏の涯ての森。桁違いの魔性の気配。

 一瞬の頭痛に目眩がしたが、深呼吸をしてどうにか身体の調子を落ち着ける。

 

 ……さて。

 

「ベアトリクス」

「なぁに?」

「比較的小さめの屍体を使って、ゼノギアさんを探してもらってもいいかな?」

「お易い御用よ、ご主人様」

「ありがとう」

 

 使い魔に礼を伝え、ホッと息をつく。

 

「ラズワルド君。わたしは?」

「……フェリシアさんは、とりあえず周辺の状況を調べてください。地形とか、()()()()とか、何でもいいのですぐに教えてもらえると助かります」

「わかったわ。任せて!」

 

 言うや否や、影に溶け、霧のように姿を消すポニーテール。

 リンデンも今は昔、あれからかなりの時間が経った。

 フェリシアもすっかり人外としての能力が身についている。

 吸血鬼としての種族特性が最近やけに目につくが、それも鯨飲濁流から奪い取ったモノだと考えれば心強い。

 テラ・メエリタでもある程度の戦力として数えられる。

 

 が、しかし……

 

(ベアトリクスとフェリシア。それに僕自身を数に入れたところで、こちらは三だ)

 

 テラ・メエリタにはその倍どころでは済まない数の脅威が棲まう。

 精霊の一体一体、獣神の一柱一柱、巨龍においては天災そのものだ。

 中でも、“緑化“の力を持つ精霊女王、壮麗大地の獣すべてを統べる“夜光”の黒鴉神、“大嵐”の巨龍は一際マズイ。

 それぞれがそれぞれともに、己の魔法ただひとつを以って、独自の異界法則を作り上げている。

 

 基本的に三体とも、通常は自分の棲息圏で大人しくしているが、妖精の取り替え児が来たとなれば、今にでも三つ巴の争いが始まっておかしくはない。

 

 そうなれば、ゼノギアを探し出すとか驟雨の獣への転生を食い止めるとか、そういった次元の話はハッキリ言って無理。まず不可能。

 一体ずつであれば、ベアトリクスの死霊術や“死”でいい勝負が出来ると思う。

 だが、精霊と獣と巨龍の入り乱れる大混戦では、魔性としての格がどれだけ高かろうと、何がどう転ぶかまったく分からない。

 

 だのに、そこに加えて今ゼノギアが無心で追っているだろう魔術師たちまで考慮しなければならないとすると、僕の脳ではもはや何が正解で何が安全なのかサッパリだ。

 

 第一に。

 

(たぶんだけど、今のゼノギアは半分怪異化しているはずだ)

 

 培養体の混血児。

 自身がかつて救えなかった五人の子どもたちと瓜二つ……というか、恐らくは丸っきりの同位体である死体を発見してしまったことで、ゼノギアは正気を失ったと考えられる。

 霊骸柩楼から姿を消した後、こちらが淡いの異界を使わなければ追いつけない速度で島の東端まで移動しているから、少なくとも人間をやめつつあるのは間違いがない。

 

 とはいえ、完全に怪異化していれば、これほどまでにハッキリとした道筋を辿り、壮麗大地までは着かなかったはずだ。

 

 目的意識がしっかりしすぎている。

 

 今でこそベアトリクスは()()()な振る舞いを見せているが、契約を結ぶ前までは、この美しい母親は夜な夜な自身の子どもを探し求めて雪山を彷徨っていた。

 鯨飲濁流とて変わらない。奴は飢えという苦しみから逃れたい一心で、ただ悪辣と暴食を繰り返していただけ。

 

 人から転じた魔に、論理的で理路整然とした行動はない。

 

 すべては衝動(想い)が核だからだ。

 

 けれど、今のゼノギアからは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という実に明確な目的意識の下で、人間的な思考理論が垣間見える。

 

(ここまで来る間に通った霊骸柩楼ないし結界)

 

 そのすべてに、同じような研究の記録や実験の痕跡が見受けられた。

 それすなわち、ゼノギアはいま、半怪異化した己の嗅覚を使って、血眼になりながらも魔術師(獲物)を探しているというコト。

 ここにはいない。ではあちらか。近いぞ。もうすぐだ。

 まるでそんな段階ごとの思考が透けて見えるように、ゼノギアの軌跡は整然としている。

 怪異:驟雨の獣としてのルールにも、まだ縛られてはいないだろう。行動が自由すぎる。

 

 その結果として、当初の目的地である壮麗大地まで到着してしまったのは……なんというか、ここまで来るともう笑うしかない話だが。

 

(……まぁ、つまるところ)

 

 今回の旅が始まる前、グラディウス老から聞かされた言は何一つとして裏の意味を含まないものだった。あの老人も、もっと言えばリンデンの政治家たちも、最初から真実しか語っていなかった。要はそういうコトなのだろう。

 

 ──近頃、異変があると王都より報せがあってな。なんでも魔術師どもが絡んでいるらしい。

 

 勝手に裏を読み、これは試験に違いないと、そう思い込んでいた我が身の浅はかさ。返す返すも嫌になる。

 驟雨の獣について思い出したことで、今ならすんなりとこの状況も理解可能だ。

 

 本来、城塞都市リンデンは鯨飲濁流によって死の都と化すはずだった。

 しかし、それと時を同じくして、壮麗大地では魔術師による異変が発生する。

 ゼノギアは()()()()調()()()()()()()、ひとり災厄地へと旅に出るのが原作での流れだったのだ。

 

 ──わたくし、故郷では両親がそれなりの地位の人間でして。幼い頃から何も不自由を感じたコトがありませんでした。

 

 そもそもの話。

 なんとなく勘違いしていたが、ゼノギアは自身を一度として()()()()()()()()などとは言っていない。

 加えて、リンデンから派遣された人間なのであれば、()()()()という物言いはやや不自然なものだ。

 同じ場所から出立しているのだから、普通、リンデンではと説明するのが自然だろう。

 

 そして、

 

(この島に生まれて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 そんな人間、王国ではリンデンを除けば王都の上流階級しかありえない。

 それも、下手をすれば王族に近しい身分。

 侯爵家や、もしくは限りなく頂点に近い地位……それこそ、()()などが身内にいる一族が考えられる。

 

 そして、王都からの使者は宰相だったと、グラディウス老はたしかそう語ってはいなかっただろうか?

 

(贖罪の機会を常に求めているゼノギアのことだ。伝説の吸血鬼に滅ぼされかけた対魔都市と聞いて、宰相の護衛がてらついて来たがったと考えれば、辻褄は合う)

 

 仮にそうでなくても、それに近しい思惑でリンデンまで足を運んだに違いない。

 

 ──そうして、そうしてだ。

 

 ゼノギアは僕の存在を知った。

 白嶺の魔女と新種の化け物。厄災の象徴であるチェンジリング。

 リンデンの政治家たちに無害認定を下せるだけの勇気はなく、宰相はこう考えた。ちょうどいいと。

 身内(ゼノギア)に生き甲斐を与えるためか、はたまた厄介払いのつもりだったかは知らないが、迷える神父が飛びつきそうな話とともに、僕らを引き合わせるのは実に簡単だっただろう。

 

 ──斯くして。

 

 世にも奇妙な旅の面子。

 珍道中極まるこれまでの冒険は半ば起こりべくして起こるに至ったというワケになる。

 

 しかし、旅はまだ佳境を迎え始めたばかり。

 

 壮麗大地の異変とは。

 混血児の培養体を作っている魔術師の目的は。

 災厄地に棲まう人外は。

 完全な怪異と化す前に、ゼノギアを人に戻す方法は。

 あと、ついでに僕の晶瑩結石を治すチャンスはあるのか。

 

 問題は山積みだ。調べることも多い。

 

 が、半怪異状態のゼノギアがここにいる以上、最優先で事に当たるべきは魔術師の捜索。それと狙いの調査。

 翻ってそれが、ゼノギアの発見にも繋がる。

 ドラゴンの鏃はもう頼りにできない。さすがに本物のドラゴンが近くにいる状況下では、気配を辿るのに無理があるからだ。ベアトリクスにも不可能はある。

 ゆえに、まずはテラ・メエリタに棲まう数多の人外たちの目をできる限り避けながら、どうにかこうにか周辺の情報を集めていきたいところなのだが……

 

「──まぁ、そんな簡単に行くはずがないよな」

「薔薇……?」

 

 僕が呟き、ベアトリクスが首を傾げた直後だった。

 

 

 

 

「クッ! なんなの、コイツ──!?」

 

 

 

 フェリシアが宙を舞い、礫のように吹き飛ばされながら戻って来た。

 刹那、周囲には胸焼けしそうなほどの濃密な()()()()が満ちる。

 それだけではない。

 木立の奥から近づいてくる大柄な人影。

 栗毛色の外套を羽織り、瀟洒な貴族服を身に付けた、()()()()()()()()が踊るように歩くたび、色とりどりの花々が地面に咲き乱れた。

 

 

 

 

「ン、ン〜! お初にお目にかかりますぞ我らが朝露の君! 吾輩は薔薇男爵! この地、麗しくも壮大なるテラ・メエリタの門番にして庭師を自認するモノ! 感謝を捧げましょう! 偉大なる女王は、貴殿を花婿にと望まれております! さもなくば流血を! 取り替え児の来訪は実に八百年ぶり! さぁ、返答や如何に!?」

 

 

 

 

 口数の多い精霊だった。

 

 

 

 

「──フ、フフ。ふざけたお花ね。アイスフラワーがお望みかしら」

 

 

 

 ……太古の森に、氷雪が渦巻き始める。

 

 

 

 

 


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