【リブート前】ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です   作:所羅門ヒトリモン

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#51 殺意軋轢

 

 

 

 ──端的に言えば、それはマグマのようなものだった。

 

 パッと見は赤黒い泥。爛熟した砂糖の塊。

 沸々と煮え滾り、ドロドロトロトロと溢れ出しては触れるものを皆呑み込んでいく。

 底なしの沼。

 手を掴み、足を掴み、命も心も決して離さぬと微笑む水魔のように貪欲な悪食の化身。

 甘い香りと、開花した見目麗しい容貌は、さながら哀れな餌を誘き寄せるための罠か何かか。

 純朴な村娘とは思えない。

 しかして可憐な童女がごとき微笑みで、フェリシアは物の二秒とかからず幽界狼を()()してしまった。

 

 “瀞み融け蕩う夜の娘(ウェレークンディア・ラミュアリリス)

 

 魔法としての汎用性は明らかに低い。

 呪文自体も複雑な概念が複数絡み合っているし、恐らくフェリシア自身の心の在り様……心象そのものをダイレクトに具現化したモノ。

 

 原理としては、ベアトリクスの“(モルス)”や僕の“夜這う瑠璃星(ラピス・ラーズリ)”と同じだ。

 

 自分自身の人生。自らが歩んだ想いの軌跡。他の誰でもない己でなければ決して至れない心境。

 そういったものを、複数の呪文(概念)を組み合わせるコトで一つの魔法として昇華させている。

 僕の場合は刻印だったが、なるほど。そりゃぁそうだろうとも。

 

 たかだか人間ごときに実現可能なことが、それ以上のバケモノにできないはずがない。

 

 人から転じた魔の強さは、願いの強さだ。

 人間としての意識を取り払い、無意識の内に抑え込んでいた魔性としての(さが)を刺激してやれば、存在としての階梯(かいてい)は当然変わる。

 まして、未だ羽化も果たしていない蛹にも等しい不完全な状態だったなら、覚醒は必至。

 

 継ぎ接ぎだの剪嵌細工模様だの、そんな風に揶揄される時代は今ここに終わりを告げた。

 

 フェリシアの場合、人間をやめたのはヴェリタスの策謀が切っ掛けであり、ベアトリクスや鯨飲濁流のように自ら転変したワケではない。

 だからこそ、その器と宿している力とに比べて、これまでどこかあまりパッとしない戦歴が続いてしまったのだろう。

 

 ──だが。

 

「ゾクゾクするよ、まったく」

 

 繰り返す。フェリシアはすでに人間ではない。

 悲しいが、人としてのフェリシアはあの日、黒鉄門で死んでいる。

 ここにいるのは夜族(ミディアン)。新たな闇の落胤。

 人間ではないモノが、かつて人間だった時のようにいつまでも人間として振る舞い続けても、そこには空しさだけが詰まっていくばかりだ。

 なら、失われた過去に縋るのはもうやめよう。

 今ある現在と未来とを大切にしていくため、その本心と向き合おう。

 大丈夫。虚飾を剥ぎ取ればどんな人間の心もおぞましいほどに醜悪だ。

 己が願いに素直でとても真摯な分だけ、もしかするとバケモノの方がよっぽど美しいかもしれない。

 

 ……というか

 

「──よく、恋は焦がれるモノと言われますが……ここまで来ると何と表現すればよいのでしょうな?」

 

 恋心のために万象を蕩かす甘蜜。

 さながら破滅を振り撒く麻薬のようだと男爵が云う。

 だが関係ない。

 異性がこれほどまでに自分を想ってくれているというのに、この地上の、いったいどこに胸を弾ませない男がいようか。

 

「ハッピーバースデー、フェリシア」

 

 僕は笑顔で祝福した。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 翠緑の狼が死んだ。

 少年と少女は手に手を取って、森の奥へと駆けて行く。

 ……その光景を、ゼノギアは胸が掻き毟られるかのような想いで見送っていた。

 

「なぜ」

 

 口を突く言葉は実質拒絶の意味を含んでいる。

 たったいま自分が目撃してしまったモノがとても受け入れられない。

 襲来した獣神は間違いなく小国をも滅ぼし得る脅威だった。

 淡いの異界の異形木乃伊、幽界狼。

 どちらも危険で、前者に至っては未だ記憶に新しい。

 だから、魔法使いは言うに及ばず、同じバケモノ同士だからと言っても、到底与しやすい存在ではなかったはずだ。

 なにせ、一瞬でも接触してしまえばそこで終わり。人間であれば異形化は避けられず、バケモノとて相手が幽界狼の獣神となればいったいどうなっていたコトやら計り知れない。

 

 ……それを、あの少年と少女は分かっていなかったのだろうか?

 

「いいや、違う。ふたりとも分かっていました。分かっていながら、戦った」

 

 だからこそ、認め難い。

 やめてくれと胸の奥が激しく軋む。

 自分はもう嫌なのだ。

 生きていても人生は辛いだけ。

 苦しみの連鎖は終わらず、贖罪のための自罰に意味はなく、この身に真の赦しが与えられるコトは永遠(とわ)になし。

 

 神を信じた。

 

 だが、神はその愛を己にのみはいつまでも示してくれない。

 咎人に救いは無いのだと。一度でも罪を犯せば、もうお前の運命はそこで終わっているのだと。

 実際に天啓があったワケではないが、しかし、これまでの軌跡を、我が求道の轍を振り返ってみれば、仮に神のお言葉など無くとも十分に真実は理解できる。

 

 すなわち、()()()()()()()()()()()()()()がゼノギアに与えられた天上の罰だったのだ。

 

 多くの命を失わせた。

 生きていれば有り得たはずの無数の幸せ。

 それらをすべて、他の誰でもないこの自分こそが台無しにしてしまった。

 ならば、そも救われようなどとは随分と虫のいい話ではないか?

 

 ──失った命の数の分。いいや、それ以上の命を自らの手で助け出すコトで、その幸せを守れたなら。

 その先に、神はきっと赦しを与えてくれるのではないか。

 

 ……そう、浅ましくも期待していた。誰かに指摘されれば、否定などできるはずもない。

 

 結局のところ、ゼノギアは徹頭徹尾自分のためだけに生きていたのだ。

 聖職者など、神父など笑わせる。

 醜い。醜い。醜い。

 薄汚い性根には吐き気がする。

 我ながら、ケダモノよりもなおケダモノらしい心の在り方に、嫌悪の衝動が止まらない。

 

 ゆえにこそ──

 

「わたくしは、もう終わりでよかった」

 

 ドウエル村で過ごした日々。

 人生の中で唯一、自分の力だけで手にしたたしかな充実。

 五人の子どもたちを保護したコトに後悔は無い。

 けれど、現実は無情で、いつだってこんなはずじゃなかったことばかりで。

 

 魔術師へと向けた殺意は、その実、単なる八つ当たりだ。

 

 お前のようなモノがいるから、世界はこんな風になってしまうんだ。

 返せ。返せ、返せ、返してくれ!

 ユーリたちはどうして死ななければならなかったのか。

 生きていてはいけない命などこの世にはないはずだ。

 あの子たちはどうして、どうして……!

 

 だが、ゼノギアの殺意はいとも容易く一蹴された。

 より深き絶望、より深き狂気、より深き想いの丈によって。

 あの魔術師はすべてを轢殺するだろう。

 自らの望みを叶えるまで、あの灰の瞳は決して止まらない。

 

 勝負はすでに着いている。

 

 そして結果は、ゼノギアの負けという形で終わった。

 つまり、最後の最後。ほんとうに死の淵まで追い込まれてさえ、ゼノギアの想いが報われることは無かったというワケだ。

 

 もはや何も為せる気がしない。為す気力もない。

 

 ……それなのに。

 

 

 

 ──諦めて、いいのか。村の人たちに、そのクロスボウに、五人の子どもたちに。

 

 

 

「わたくしに、まだ続けろと?」

 

 立ち上がれずとも這ってでも進め。

 ユーリや子どもたちのために()()続けろと。

 自身が救われるためではなく、彼らのために足掻け。

 死んでしまった者たちの想いを、悼んであげられるのは生者だけなのだからと。

 

「生きていてくれて、ありがとう……ですか」

 

 それは呪いだ。呪いの言葉だ。感謝の言葉とはすなわち、ゼノギアにとって己が人生を縛りつけるどんな戒めよりも固い祝福(呪詛)でしかない。

 

 ……それが、誰よりも分かっていながら──然れど。

 

「……ああ、イヤだ。どうして、どうして、わたくしはまた、立ち上がろうとしているのでしょう……」

 

 足はふらつき、視界の高さが膝を越えたあたりで、涙がもう出そうになった。

 辛い。辛い辛い辛い。やめよう。やめてしまおう。

 心はそう張り叫んでいる。死にたい。

 

 ──けれど、

 

「──あら、行くのですか?」

「……はい」

 

 ふわり、と舞い降りた絶世の美女。

 蒼き翅の精霊、その問い掛けに、迷いながらもたしかに首肯する。

 

「困りましたね。ラズワルド様には貴方を死なせないよう言付かっているのですが」

「……お許しください。わたくしにはまだ、やるコトがあるのです」

 

 そう。やらなければならないコトではない。やるべきコトでも違う。

 これは、ただやりたいからやるだけのコトだ。

 ゼノギアは歯を食いしばりながら女王の顔を見た。

 ラズワルドらにとって自身が死なれては困る命なのは十分理解している。

 しかし、十歳の子どもが死地へと駆け込んで行くのを見過ごし、大人であるゼノギアが黙って膝を抱えているワケにはいかない。

 なんとすれば、精霊たちをも相手にする覚悟で視線をぶつける。

 すると、

 

「そうですか。なら、せめてこれを」

 

 女王は特に意に介した様子もなく、瞳から涙を零すと、それを宙へと浮かせた。

 三滴ばかりの小さな雫が、ゼノギアの前でふよふよと漂う。

 

 気がつけば、すぐ近くに薔薇の異形が立っていた。

 

「男爵」

「ははっ! では、これをこうして……」

 

 白手袋が涙を優しく包み込んだ。

 瞬間、白手袋の中からパァっ、と三つの水晶白詰草(クリスタル・クローバー)が芽吹く。葉の数はどれも四。四葉のクローバー。

 

 そして、ゼノギアよりもいささか見上げるほどに大柄な精霊は、流れるような動作でそれらをこちらへと差し出した。

 

「これは……?」

「いざとなれば、これらを口に入れて噛み砕くとよろしいかと」

「本来なら、人間にはおよそ過ぎたる物として下賜など絶対にしないのですが……まぁ、ラズワルド様のためですからね」

 

 ラズワルド、フェリシア、ゼノギア。

 ひとりにつき一つずつ、万が一の時のために使うがいいと女王は告げる。

 

「イリクス、イリクサ、イリクシル。貴方たち人間が私ども精霊の涙を用いて調合する……たしか、万能の霊薬でしたか?」

「まぁ、所詮は()()()! 猿真似に過ぎませんがな!」

「あまり謙遜が過ぎると嫌味になりますよ、男爵」

「────馬鹿な」

 

 ゼノギアは理解し、戦慄した。

 精霊の涙──通称、生命の水(アクア・ヴィテ)は、人間の世界では大昔から知られている。

 親が子どもを寝かしつけるための御伽噺。

 カルメンタリス島にはいくつか有名なものがあるが、その内のひとつに『大錬金術師イリスの病魔退治』というのがあるからだ。

 

 地方によっていろいろパターンが異なる場合もあるようだが、話の大筋は基本的に「大錬金術師イリスが疫病の魔物を打ち倒し、多くの人命を救う」もの。

 

 万能の霊薬イリクシルは、その御伽噺に登場する伝説のアイテムそのもので──そして、実際に教国で現存が確認されてもいる準アーティファクト指定の特別呪具だ。

 

 曰く、大錬金術師イリスがある精霊と契約を結び、その命と対価に涙を譲り受け調合したモノ。

 

 一説には()()()()()()()()()と囁かれてすらいる。

 

 教会や秘宝匠の権威が行き渡っている昨今、どの国も表立っては公言できないでいるが、国家公認の錬金術師が皆、それぞれの国の指令でイリクシルを作ることを命題とされているのは大変な周知の事実である。

 

(……だというのに!)

 

 ましてや精霊女王の涙から作られたイリクシルともなれば、その効果は人知を超えたモノに違いない。

 水晶体に加工されているのは薔薇男爵の趣味か。

 ともあれ目の前で女王が涙を流したところをたしかに見てしまっている。

 ゼノギアは愕然と自身の震えを抑え切れそうになかった。

 

 ……そんな、人間(こちら)の動揺を知ってか知らずか、精霊たちは超然と会話をし続ける。

 

「ああ、ラズワルド様。できることなら、私もついて行って差し上げたかった」

「今からでもお側に侍られてはどうです?」

「……意地悪を言いますね。私は女王、精霊女王。これでも弁えているつもりです」

「庭城や民たちのことなら、吾輩に任していただいても構いませんが?」

「……ふふっ。それ以上は不粋ですよ男爵。それに、もしもほんとうに彼の大嵐がついに目覚めるやもしれぬなら……私なくして、いったいどうやって此処を守れるでしょうか」

「──失礼を。では、戦支度の時ですな」

「ええ。存分に楽しみましょう」

 

 精霊たちの王国に、静かな、しかしたしかな狂騒が広がっていく……

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 ──そして。

 

「……どうやら、貴様の『牙』は失態を演じたらしいな」

「────黙れ」

「……フン。だが、そもそも“壮麗大地(テラ・メエリタ)”に生きたまま辿り着いているという時点で……尋常の取り替え児でないのはあまりにも明白だった」

 

 深く、深く、息を吸って吐いて。

 この期に及んでまだ新たな難儀が降って湧いてくるのかと、魔術師(リュディガー)は重い腰を上げた。

 

 量産培養体(ホムンクルス=ネイト)の報告で、あの生成りの若造がすでに洞窟から消えてしまっていたことは把握している。

 このタイミングだ。恐らくは旅の仲間か何かだったのだろう。

 

 ……まったく、人生というヤツはつくづく思い通りにならない。

 

「まぁ、いい」

 

 凄まじい速度で近づいてくる二つの魔力。

 どちらも異様で、なかなかに深大。まっすぐに脇目も振らず、こちらへと向かってくる。人間の速度では明らかにない。

 

(────来るか)

 

 最後の障害が。

 許すまじき人生そのものが。

 

 来る。来る、来る、来る来る来る来る来る来る──!

 

 刹那

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「死ね」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 交錯と同時、互いが互いの譲れぬ意思を激突させた。

 

 金の瞳が灰の瞳を捉える。

 灰の瞳は金の底の青を睨んだ。

 

 両者の胸に重く伸し掛るのはひとつの想い。

 

 ──すなわち。

 

 

「「お前が敵か。ならば殺す」」

 

 

 人ならざるモノの楽園で、ふたりの人間はそうしてついに、己が真の敵と出会ったのだった。

 

 殺意の車輪は廻り、そして軋んでいく。

 

 

 

 

 

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