ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です   作:所羅門ヒトリモン

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#5 チク・タク

 

 

 

 そして、その日はやって来た。

 

 日が沈み、夜が更け、日が昇り。

 この十年、何ら変わらず続いてきた普通の時の流れ。

 目が覚めて、朝食を摂り、魔法を教わって。

 日が暮れる前には、いつものように夕飯を食べ終える。

 

 ……それは、ともすれば嵐の前の静けさを思わせるほど、ごく普通の一日だった。

 

「ラズワルド」

「なに?」

「ごめんなさい。私、ちょっと用事ができてしまったみたい」

「……」

「今日は特別な日で、お祝いだってまだ準備ができてなくて……。本当なら、朝には渡さなきゃいけなかったんだけど」

「うん」

「十歳の誕生日は特別なものだから、どうしても私、完璧なお祝いをしたいの。そのためには、ほら。家族だけの時間が必要でしょう?」

「うん。そうだね、ありがとう」

「──愛しい子。明日はきっと素晴らしい日にしてあげるから、どうか今日は許してね」

 

 額へとキスをして、ママはもう出かけた。約一時間前のことだ。

 時刻はすでに日没を迎え、夜の十九時前後だろうか。

 冷え冷えとした夜気を突き刺すように、雪と雹が風に乗っている。

 

 僕は暖炉の前で体を温めながら、じっと今夜の流れについて考えていた。

 

「……」

 

 砂熊の暖かい毛皮(ファー)コートを羽織り、下には例の刻印済みの服。

 すでに家を飛び出す準備は万端で、ママが徐に殺気立ちながら()()に出かけたことからも、山に侵入者が現れたのは明白だ。

 

 我が子への特別なお祝いよりも優先すべき用事。

 

 刻印騎士団が来たのは、まず間違いないと思っていいだろう。

 

 窓の外からは吹雪が見える。

 フェリシアはいつ現れてもおかしくない。

 

 緊張感が全身を行き渡る。

 五感が鋭敏になり、窓が揺れる些細な物音でさえ耳障りに感じた。

 

 今夜──僕はこの家から逃げる。

 

 だが、フェリシアが来てすぐに家を離れるつもりはない。

 ママは僕の気配──正確にはチェンジリングの気配でもあるが──に敏感だ。

 そして、常冬の山はもう何年もママの支配下に置かれて久しい。

 勝手知ったる家の中で、もしも異変があれば何となくで状況を察するし、他ならぬ僕のことであればママは一も二もなく駆けつけるだろう。

 

 だから、フェリシアとの最初の対面では、僕はあくまで話をするだけに留めるつもりだった。

 

 まずはこちらの状況を教え、逃げたいという意志をあちら側に伝える。

 できれば刻印騎士団には保護をしてもらい、白嶺の魔女とは戦わずに退いて欲しいこともだ。

 

 しかし、十歳の子どもの意見を、化け物退治を生業とする刻印騎士団がすんなりと聞き入れてくれるものかどうか。

 

 正直、これはかなり難しいと思われる。

 仮に、フェリシアがその持ち前の正義感から僕の保護を優先すべきと声を上げてくれたとしよう。

 人を守るため、人に仇なす存在と命懸けで戦うのが刻印騎士団だ。

 恐らく、一定の賛同者は得られるに違いない。

 

 だが。

 

(刻印騎士団の中には、復讐者がいる)

 

 人と化け物とのパワーバランスが非常に偏っているこのCOG世界で、魔法使いとはいえ一応は人間が、自ら志願して化け物退治を生業としているのだ。

 

 当然、その動機は推して知るべしものとなり、大半が何らかの悲劇を経験している。

 

 親を殺された。

 妻と子どもを生きたまま食われた。

 友を奪われ、村を焼かれた。

 恋人を慰みものにされた。

 

 どれもこれも悲惨なもので、そうした過去を越えて復讐を誓った人たちは……強い。

 純粋な能力としてもそうだが、意志力が半端じゃないのだ。

 

 加え、白嶺の魔女はCOG世界であまりにも有名すぎる。

 

 現状、この世界で白嶺の魔女を討伐するため動いているのは刻印騎士団だけで、彼らはこう考えるはずだ。

 自分たちがやらなければ、被害は増え続けるのだと。

 ゆえにこそ、敵を目の前にして行動を起こさないのは、彼らの矜恃をいたく傷つけるものと考えられる。

 

 つまり。

 

 僕を保護するという点については同意を得られても、戦わないという選択肢を取ってくれるかどうかは、正味まったくの望み薄である。

 

 原作ではラズワルドの知らない間に全員が殺されてしまうため、あるいは偶然にも今回の作戦に復讐者が動員されていない可能性も無きにしも非ずだが。

 

 斯く言うフェリシアもたしか、弟を吸血鬼に殺されるだかしていたはずだ。

 心情的に化け物憎しの気持ちが無いとは決して言い切れない。

 

 そこで、僕は考えた。

 

 自分でもどうかと思える『計画』を。

 

「……戦いたいなら、戦えばいい」

 

 改めて言うまでもないが、この世界に甘さはない。

 人の命は麩菓子より軽く、その血は浮雲よりも簡単に流される。

 僕がまだ無事なのは、ママの手元で大切に仕舞われていたからだ。

 この山の外へ出れば、たちまち命の危機に見舞われるだろう。

 

 僕は臆病者だ。

 危ないことは嫌いだし、怖いものはなるたけ見たくない。

 ひどいことをされるのも、ひどいことをするのも最悪な気分になる。

 

 だけど、そうしなければ助からないというのなら。

 

 僕は恐らく、そうする。

 そうすることができる人間なんだと、自分を決めつける。

 

 ──刻印騎士団には二分化してもらい、僕を助ける班とママと戦う班とに別れてもらおう。

 

 戦闘が始まればどちらが死ぬかは目に見えているが。

 そうしてもらうことで、少なくとも僕が家から離れても平気な時間を作ることはできる。

 

 ……もちろん、これは人間として最悪の考え方だ。

 

 本来なら僕だって、誰かの犠牲の上で生きる人生なんて真っ平御免だとそう思ったはず。

 救える命があるのなら救うべきだし、失わずに済む命なら失わない方がいいに決まっている。

 

 しかし──それは平時ならの話。

 

 いつだったか。

 ふと、この世界に生まれ変わってからあることに気づいた。

 

 誰かの不幸を知って心を痛める。

 そうした経験を、僕はもうずっと前にしていた。

 テレビでニュースを見て、凶悪犯罪や悲惨な事故を聞いて眉を顰めたり、不快な気分になったり。

 でも、

 

 ──ああいうのって、次の日になったら割かしどうでもいいコトとして、アッサリ忘れていなかったっけ?

 

 現に僕は歴史的な事故や事件でもない限り、ひとつとしてそういうニュースを思い出すことができない。

 たぶん、他の大勢の人にとってもこれは同じコトだと思う。

 

 だったら、今夜この日の内に多少の縁が生まれた程度の相手、同じようにいつかは忘れられるはずだ。

 

 人間の脳はそういう風にできている。できていると僕は信じる。

 

 そして──僕は人間だった。悲しいことに。残酷なまでに弱い。

 

「強く、なりたい……」

 

 だが、その願いを叶えるには檻から出るのがまず絶対に必要不可欠だ。

 子どもであることを強いられる場所では、力は手に入らない。

 巣立ちの時など、果たして認めてもらえるのか?

 

 今のままでは、群青の空はあまりにも遠すぎる……。

 

 ──だが。

 

「…………」

 

 僕は同時に、理解もしていた。

 この計画が抱える致命的な陥穽(かんせい)

 希望的観測を、あまりにアテにしすぎていることを。

 最終的には、この命を賭けざるを得ない場面が必ず来るだろうことを。

 

 そして、僕の頭の中には、その状況に陥った際、事態をどうにかできる方法が一つも思い浮かんでいないのだった。

 

 できるのは、それこそ──みっともなく助けを乞うことくらいだろう。

 

 ホント、情けなくて泣けてくる。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 完全にはぐれた。マントなんて着てこなければ良かった。

 

 強烈な吹雪によって飛ばされて、自分がいま山のどこにいるのかも分からない。

 仲間との合流を目指そうにも、吹雪は依然として勢いを増していて視界真っ白。

 せめて吹雪が止むまで、どこか身を休める場所を見つけなければ地味に凍死しかねない。

 

 以上、三点。

 自らのピンチを客観的に見てとった時、フェリシアは自分が何気にマズイ状況にいることをどう解決したものか、非常に悩んでいた。

 

 すべては砂梟の羽毛で編まれた温かなマント。

 今現在フェリシアが羽織っているコレが決定的に悪い。

 

 フワフワでモコモコで、嘘のように軽く。

 

 寒冷地に行くなら砂シリーズは外せない。

 砂梟のマント。今回の作戦になんて最適な衣装なのかしら、とズバリ選んできたのだが。

 

「フッ、わたしとしたことが……“(アーラ)”の印を刻んでたのをスッカリ忘れてたわ」

 

 突風に煽られ「転ぶ!?」と思った瞬間、つい魔力を流してしまったのが運のツキ。

 もともと印を刻んでいたのも忘れていたようなマントである。

 当然、発揮される効果も中途半端なもので。

 フェリシアはまるでオモチャの凧みたくして、クルクルと飛ばされてしまった。

 

 突っ込んだ先が比較的柔らかな雪の積もった丘だったから良かったものの、下手をすれば頭を打って死んでいたかもしれない。

 

「やだ。そう考えると、わたし幸運?」

 

 もちろんンなわけないのだが、とりあえずフェリシアはそう思うことで現実をポジティブに捉え直した。

 昔からフェリシアちゃんはヘコタレない良い子だねと言われ育ってきたのが、ひそかな自慢である。

 

 ……もっとも、そう言って育ててくれた師匠は今現在この雪山のどこかでものすごく怒っているだろうが。

 

「“(イグニス)”」

 

 ひとまず、初歩中の初歩にして基礎中の基礎であるイグニスの魔法を唱える。

 応急処置ではあるが、濡れた服や髪はこれで乾いた状態を保持し、後は雪風をしのげる壁と屋根を見つけさえすればいい。

 

 魔法は便利だが、魔力には限りがある。

 

 敵地にいる状況下で、下手な消耗は避けておくのが最善だろう。

 それもあの『白嶺』の棲み家ともなれば、迂闊な真似は一生の後悔を招き寄せかねない。

 

 フェリシアは杖を出すと、虚空をコツコツと小突いた。

 

「なんだい? ワタシのフェリシア」

 

 すると、虚空からしわがれた老婆のような声が辺りに響いた。

 

「ヴェリタス。壁と屋根のある場所を教えて」

「……北北東、歩いて十分のところだねぇ」

「そこは洞窟?」

「いいやぁ? 家のようだよ」

「家?」

「ふぇふぇふぇ、おっかないねぇ。フェリシアや、ここはどこだい? 魔女の匂いがぷんぷんするよ」

「黙りなさい。聞かれたことだけに答えて」

「ふぇっふぇふぇっ! 行って見てみれば分かるともさ。そこに家がある。壁と屋根はきちんとある」

「危険はある?」

「……ない。今はまだ」

「そう。それじゃあ、また後で」

「淡白な娘だねぇ」

 

 それはアンタだからよッ、とは口の中だけで漏らし、フェリシアは再度虚空を小突く。

 しわがれた老婆の声はそれで聞こえなくなり、辺りには風と雪の吹き付ける音だけが取り戻された。

 

 やはり使い魔のことは好きになれない。

 

 調伏して名前を与え、以来自分の手足としてこき使っているが、言葉を交わすその度に心がささくれ立つ。

 魔法使いなら使い魔との契約はしておいて損は無いと理解はしていても、感情がどうしても拒否してしまう。

 

 ヴェリタス。

 

 名の意味は真理。

 かつては東のとある学院で『脳吸い』と呼ばれた、元は人だったという怪異である。

 智慧と知識の蒐集に囚われた化け物であり、幾百人もの学者の脳を啜ってその頭脳を取り込むことで、一種の神にまで近づいた存在だ。

 

 だが、その本質は神なんて生易しいものではない。

 仮に神の如き全知に近しくとも、決して神ではなかった。

 

 フェリシアは今でも覚えている。

 

 脳吸いが問いを投げ、答えられなかった学者がその脳をキレイに吸われていく様を。

 生理的嫌悪感は到底拭いきれない。

 

 そんな化け物を自分が調伏し、且つ使い魔契約まで結んだというのも、未だに信じられないくらいだ。

 

 魔法使いは杖を使うことで契約を結んだ使い魔の力を引き出すことができる。

 

 それは今のように直接使い魔の力を借りる場合と、自身の肉体に使い魔を憑依させてカラダの一部を変形させたりする場合に分けられるが。

 前者はまだしも後者は『魂の癒着』が極端に進み、深度がより濃くなっていってしまう。

 

 魔法使いとしては、深度が濃くなることであちら側へとより近づき、使える魔力も増すから良いことではある。

 

 だが人として。

 

 人として考えれば、自分が化け物どもと同じ領域まで深入りしてしまうリスクを、どうしたって忌避せざるを得ない。

 ましてその過去に化け物による被害を受けた人間なら、使い魔の存在は非常に複雑だ。

 

 よく毒をもって毒を制す、という言葉があるが。

 

 毒なんて、基本的に使わないで済むならそれに越したことはない。

 猛毒であればあるだけ、その取り扱いには注意がいるし、やはり毒である以上は知らず知らずの内に自身を病ませていく。

 

 師匠から杖を贈られた時、フェリシアはそれは大層喜んだ。

 

 魔法使いにとって杖は大切なもの。

 先達から後進へと贈られる祝福の証であり、杖を持つことは、その人物が魔法使いであることを端的に示す言わば象徴のようなものでもある。

 

 歳若い魔法使いは先達から杖を贈られ、そうして初めて世間に我は魔法使いであると名乗ることを許されるのだ。

 

 これは一種の通過儀礼であり、伝統でもある。

 

 加え、杖というのは基本、先達が()()()で用意してくれるもので、それぞれに合った世界に一つだけの特別な品でもある。

 

 師匠が自分のためを思って精魂込めて作ってくれた。

 

 そう思えば、フェリシアの胸の内に喜びが駆け巡るのは当然だった。

 

 ──だが。

 

『魔法使いの杖は、()()()()へ近づくための鍵。錠に差し込み、門を開け、幾重にも重なる扉をひとつひとつ潜り続けるための道具だよ。

 フェリシア。あなたはその杖を使って、己が最も欲するところまで導いてくれる使い魔を、その魂に結び止めないといけない』

 

 それは古の契約なのだと。

 かつて魔法使いという存在が無かった時代、大いなるモノが力を望んだ人間へ課した絶対のルール。

 

 “こちらの力を欲するならば、こちら側に足を踏み入れよ”

 

 要は対価を払えということだ。

 無償で手に入る力なんて無い。

 あったとしても、それは見えなくされているだけで、いつか必ず取り立ての時が訪れる。

 

 悪魔を想像してもらえば分かりやすいだろうか。

 いわゆる、魂と引き換えにどんな願いも叶えてやろう、というやつ。

 

 魔法使いは人ならざるモノとその魂を結び合わせ、ある種の一心同体という関係を構築する。

 そして、此方と彼方の魂とで癒着を深めることで、魔法との親和性をより高めるのだ。

 

 杖はその媒介。

 

 使い魔は調伏して従わせる場合もあれば、向こうから好意を寄せて来る場合もある。

 

 フェリシアの場合は、刻印騎士団の仕事として脳吸いを退治した際に、向こうから命乞いをしてきたので使い魔契約を結んだ。

 脳吸いの能力はこの上なく強力なもので、大抵の疑問に答えを出すことが可能だったからだ。

 

 だが、いくら強力な使い魔だとしても、フェリシアに脳吸い──ヴェリタスを心から信頼する選択肢はない。

 

 使い魔は魔法使いと魂を結んでいるので、魔法使いが死ねば使い魔も死ぬ。その逆も然り。

 だから、率先して裏切るようなマネはもちろんしないだろう。

 

 しかし、その思考回路や嗜好、性格については到底相容れない。

 

 人間ではないのだ。

 

 ゆえにこそ、フェリシアは極力ヴェリタスを外には出さないようにしている。

 こちらとあちらの狭間にある『淡いの異界』に待機させ、杖を使って用がある時のみ呼び出すというように。

 

 “魂は許しても、心は許すな”

 

 魔法使いの古くからある格言だった。

 

 と──そこで。

 

「……あった」

 

 フェリシアは吹雪く視界に影を見つけた。

 降り積もった雪ではない。

 木造と思しき、たしかな建造物がそこにある。

 

 だが。

 

「家は家でも、あばら家じゃない」

 

 フェリシアはヴェリタスの言葉を思い出しながら、ピクリと片眉を跳ねあげる。

 壁はある。屋根もある。

 しかし、どう見ても吹き曝しだ。

 

「……」

 

 フェリシアは周囲を警戒しながら、ゆっくり近づいた。

 

「偽りね」

 

 そして杖を向ける。

 

「“叡智(ソフィア)”」

 

 瞬間、ヴェリタスの呪文があばら家の真の姿をフェリシアの視界に映した。

 

 平凡な石造りの家だった。

 

 フェリシアはそっと屈み窓に忍び寄ると、恐る恐る中の様子を窺った。

 そして戸惑う。

 

 

 

「────え?」

 

 

 

 死んだはずの弟が、そこにいた。

 

 

 

 

 

 






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