ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です   作:所羅門ヒトリモン

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#61 矢の向かう先

 

 

 

 

 光が満ちた。

 それと同時に、たしかな痛みと覚醒の鼓動が聴こえる。

 

 ──痛い。

 

 鱗の上で弾ける紺碧。

 炎と衝撃が舞い踊るようにステップを繰り広げ、幾枚かが無理やり剥がされる。

 剥がれ落ちた鱗の下、露になった素肌は驚くほど柔らかく、敏感になった痛覚が芯まで貫くように刺激を与えて来た。

 

 ──アツい。

 

 固いヴェールで覆っていたのに。

 分厚いドレスで着飾っていたのに。

 

 ──嗚呼。

 

 勇者は、英雄は、益荒男たちは、いつだって()()だ。

 雄々しく、猛々しく、乙女の秘密を暴き立てんがために必死になって。

 高嶺の花を手折るのは俺だ。いいや、俺だ! と競うように生命(イノチ)を振り絞る。

 

 弱いくせに。脆いくせに。

 吹けば飛ぶような、芥子粒みたいな存在のくせに。

 こちらが軽くひと撫でしたら、もうそれだけで簡単に砕け散ってしまう繊細な生き物のくせに。

 

 膝を折って地面に倒れ、身を投げ出してしまった方が絶対に楽だと分かっていながら、それでもなお抗い続ける。

 

 ──その奮闘を、その不屈を、その雄姿を。

 

 魅せられたら、もう止められない。

 いじらし過ぎてすべてが溢れ出る。

 さぁ、ともに血を流そう。

 肉を裂き合い臓物掻っ捌き、何もかもを忘れてしまう熱狂の渦潮へ。

 人間の価値は、()()()()()にこそ煌めくのだから!

 

 痛い。嬉しい。熱い。かっこいい。苦しい。素敵だわ。嫌なの。いいえ。もっと。やめて。やめないで。そう、もっともっと……!

 

 ゆえに──

 

 

 

 

 “禍津神・大嵐の巨龍(ルイナ・ペルグランデ・テンペスタス)

 

 

 

 

 膚を撫でる黎明の星々を()()させ、巨龍は興奮も露に本性を爆発させた。

 

 

 

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 

 

 

 蠢く暗雲が繭のように女のカタチを包み込み、雲の中で轟く稲光が、まるで胎動する神のようだった。

 

 苦鳴と喜悦。

 

 焼け爛れた膚を愛おしむように抱き締めて、大嵐はついに『殺害権』の行使に踏み切り始めたらしい。

 黒き風が逆巻くように螺旋を描き、風の通った場所、雷の軌跡、雨氷の一雫からすら、見る見るうちに“壮麗大地(テラ・メエリタ)”が塵へと変わっていく。

 

 ──禍津神・大嵐の巨龍

 

「有する滅びの運命は……()()

 

 風の持つ緩やかな力は、時に百年、千年、万年と永い年月をかけて岩石を(くしけず)り、いつかはすべてを土へと還す。

 また、たとえ一滴ずつの弱々しい連続でも、水に打たれ続けた石には窪みが生まれ、やがて穴を穿つコトもあるだろう。

 

 嵐とは、通常一過性のモノ。

 

 渦中にいるときは大変だが、短期間持ち堪えれば必ずや晴れ渡った空が待っている。

 

 しかし、大嵐は違う。

 

 大嵐は過ぎ去らない。

 留まり、膨らみ、拡がり続け、本来は極小に過ぎなかったはずの力を爆発的に濃縮・加速・増大させてしまう。

 

 ……嵐と聞けば、人は誰しも落雷や雹を思い浮かべるだろう。

 だが、それらは大嵐の本質からしてみれば、単なる副作用に近い。

 

 何ゆえに終末なのか。

 何ゆえに滅びと謳われるのか。

 

 それは、大嵐の触れたモノ皆すべて、()()()()()()()()()()だ。

 

 島の自殺細胞、女神の切れ端。

 頽廃を告げる風雨を纏った、巨いなる禍津神。

 龍とは、古来より自然災害の象徴でもあった。

 氾濫する河川、家屋を破壊する竜巻、火を噴く姿は火山のソレ。

 

 まさに──暴威だ。人の力ではどうにもできない天地災。

 

 ゆえにこそ、僕の星は届かなかった。

 頽廃の力が乗っていない通常の龍咆(ブレス)を押し返すコトはできても、大嵐が一度本気になり、本性を晒して、巨龍としての姿を顕せば、そこにはもう敵う道理などどこにも存在していない。

 

 まして、()()()()()なんて離れ業。

 

 刻印がその性質上、重ねがけを前提としたモノである以上、ひとつの印に込めるべき祈りはなるべくシンプルなモノが適切とされている。

 

 “(イグニス)”と“(ノクティス)

 

 二つの呪文を併せ、概念昇華を行い、『夜を這う瑠璃の火球』と魔法を成立させたのでさえ僕にとっては奇跡みたいなものだった。

 

 なにせ、成功例はまだ、()()()()()()()()()()しかない。

 スプリガンとの戦いだってぶっつけ本番だった。今もそう。

 

 カース・オブ・ゴッデスでは普通、ひとつの印具に複数の意味は持たせない。異なる効果を発現させたい場合は、別の印具を用意しておくのが安全とされるからだ。

 

 なのに、僕というヤツは刻印のスペシャリストでもないくせに、同じ印具で同じ印で、二つの魔法を使えるようにしてしまった。

 

 ともすれば、これまで必死に込めてきた祈りを無駄にしかねなかった愚行である。

 

 最悪の場合、“夜這う瑠璃星(ラピス・ラーズリ)”の威力は激減するコトになっていただろうし、“黎明穹・星河一天(アウローラ・ラピスラズリ)”も中途半端なショットガンもどきになっていたかもしれない。

 

 今回はたまたま成功したから良かったが、それだって、燃料となるベアトリクスの魔力がたっぷりあったからだし、二つの呪文の間での親和性・関連性が高かったからだ。

 僕自身の貧弱な魔力だけじゃ使えないし、正直、何の関連性もないまったく異なる呪文を使ってもう一度同じコトをやれと言われても、できるワケがない。

 

 加えて──

 

「……クソ、無理をしたツケかよ……!」

 

 たった一度の刻印励起で、僕のカラダは石のようになっていた。

 比喩ではない。

 文字通り、杖を握っていた右腕が、群青色の無機物に侵食されている。

 

 刻印の逆流現象。

 

 強すぎる想いや願いを受けた印具が、その影響を深く受け過ぎた際に起こる現象であり、所有者の意思とは裏腹に独りでに魔法の効果を発動したり、あるいは心象の一部を小時間具現化させてしまうコト。

 今、僕の身に起こっているのは後者なので、時間をおけば元に戻るはずだが、戦いの最中に片手が使えないの痛い。痛すぎる。

 

 何より──刻印の逆流は印具のオーバーヒートだ。

 

 この状態で使い続ければ間違いなく杖が決壊する。

 ベアトリクスから貰った大切なプレゼントを壊したくない。

 

 ──だが、だが……っ!

 

 

 

 

LOUUuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu(ルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ)──ッッ、LA()LA()LA()…… LAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa(ラァァァァァァァァァァァァァァァァァ)────ッ!!!!

 

 

 

 滅びの歌が始まった。

 鼓膜を破りかねない高音域。

 大気が波打ち、大地が捲り上がる。

 

 そら──見るがいい。

 

 島の最強種にして破壊の神は、今こそ此処に真の姿でお出ましになった。

 

 黒々とした体躯に鈍色の鱗。

 白雷、蒼雷、絶滅の光輝を纏わせて、頭蓋より伸びた二本の巨角はまさに王者の(しるし)

 真紅に濡れた眼光は、流血に悦ぶ暴君の眼差しだ。

 天を覆う天に等しき翼。

 地上のあらゆる獣より強靭な四肢。

 そして、彼のモノの逆立つ(たてがみ)、逆巻く竜巻を目にして、かつて誰かが言った。

 

 

 

「──そう。『逆天(さかてん)』だと」

 

 

 

 天に逆らうという意味ではない。

 単純な外見的特徴を捉えての意味は少しあるだろう。

 だが、本質は恐らくそこじゃない。

 女神カルメンタはあらゆるモノを創造し、秩序も混沌も問わずとにかく()()()()()()を司っている。

 しかし、女神から生じ、女神の因子を最も色濃く継いでおきながら、ドラゴン……取り分け大嵐は、それとは正反対の力を強く司った。

 

 ゆえに──逆天。

 

 (カミ)とは真逆の(カミ)

 創造に御座(みざ)するモノでなく、破壊に御座するモノ。

 女神の自殺細胞。

 

 ……僕はもう、刻印を使えない。

 

 残っている選択肢は、ベアトリクスの力に頼った単純な戦法しかない。

 体力は残りわずかで、魔力もジリ貧だ。

 無理を通したせいでベアトリクスの魔力すら心もとない。

 使うとしたら全身全霊を費やした“(モルス)”の一択だけだが……

 

(雷はまだしも、雨や雹、風を、すべて避けながら、()()()()()()()()()()なんて──)

 

 できやしない。

 不可能。

 頽廃の乗った雨水一滴でも浴びさえすれば、こちらはそこで終わりだ。一瞬で風化してしまう。

 まして風ともなれば、目視で躱すのも容易じゃない。

 大嵐の頽廃は、落ち着いて目を凝らせば、辛うじて黒いと感じられる程度の可視性しかないのだ。

 距離を取って生命を守るので精一杯。

 

 ──もちろん、ベアトリクスは最恐だ。

 

 敵が死を知らないなら、決して避けられない死を与えられる。

 その恐ろしさは、本来なら弱点を突かなければ殺せないはずの吸血鬼すら再殺可能なほど。

 ならば、アンデッドではないドラゴンとて、()()()()()必ず殺害できるはずなのだ。しかし──

 

「問題は、どうやって届かせるか」

 

 手で触れるという絶対条件。

 そこに加えて、ドラゴン相手には魔法を()()ため鎧となる鱗を貫かなければならない。

 

 つまりだ。

 

 仮に運良く大嵐へ近づけたとしても、鱗を剥がすための一撃と“(モルス)”をくれてやる一撃。この最低二手が必要になる。

 

 ありえないだろう。そんな余裕は。

 

 第一、忘れてはならないが敵はドラゴンだ。それも普通より遥かにデカい。

 純粋な身体能力ひとつでアッサリ国を滅ぼせる。

 僕なんか、それこそ蟻みたいにペシャンコだろう。

 鉤爪のひとつ、歯牙のひとつ、腕の一振り、尾の鞭打ち、羽ばたきひとつ、体当たりひとつ。

 ほら、なんてスケール差だ。大きさが違うという事実は自然界ではそのまま生死へと直結してしまう。

 

 だから僕は、ヴェリタスの演算に賭けた。

 

(……けれど)

 

 答えは未だ訪れず、巨龍は健在。

 これぞまさに、絶体絶命の窮地というヤツだ。

 敵はようやく調子を上げて来た段階だが、こちらはすでに虫の息。

 逃げ惑うだけでも血を流しすぎている。

 

(──どうする? どうすれば、この窮地を乗り越えられる……ッ!)

 

 ぐ、と奥歯を食い縛り敵を見上げる。

 巨龍の眼差しは、遥か遠く。

 だが、その意識と執心は、依然としてこちらを捉えたまま。

 そして、僕が地上でこうして愚かにも固まっている間にも、大嵐の動きに淀みは無かった。

 

 二本の巨角から魔力の波動、打ち震え。

 風に攫われる木々と岩々が、まるで弧を描くように宙を廻り塵化する。

 

 ──そう。

 つまりは、今度こそ正真正銘本物の龍轟咆(ドラゴン・ウォー・クライ)

 

 真の力を解放した破滅の絶叫が、僕なんかのためだけに放たれる。

 放たれたが最後、“壮麗大地(テラ・メエリタ)”は半分以上『無』へと帰すだろう。

 フェリシアも、ヴェリタスも、ゼノギアも、ベアトリクスも、子どもたちも。

 皆が風化し何も残らない。

 

 ……僕には、打つ手がひとつも無かった。

 

 漆黒が、天より迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────しかし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 思わず目蓋を閉じ、顔を背けてしまった僕の元へ、予想していた衝撃は少しも訪れなかった。

 死に対する認識とは、あまりにも掛け離れた無痛と無風。

 ともすれば、肩透かしとすら感じられる裏切りに、僕は自分がすでに風化してしまったのではないかと焦りを覚えた。

 

 だが、

 

「ふ──そうして慌てる様子を見ると、あなたはやっぱり人間ですね」

「ゼノ、ギア……?」

「おっと、わたくしの背後からは出ないように。一歩でも動くと危ないですからね」

「────」

 

 ははっ、と。

 ゼノギアは柔和に、どこか安心したように声を続けた。

 その顔は見えない。

 背中しか、僕には見せていない。

 けれど……

 

「──やはり、驚かせてしまいましたね。すみません。あなたには叱られたばかりだったのに……わたくしは所詮、()()()()()()しか思いつけなかった」

 

 人間、咄嗟の時に出てくるのは慣れた行動ばかりで……

 でも、勘違いしないでくださいよ?

 

「わたくしは諦めたワケではありません。

 アノス、クゥナ、ネイト、ミレイ、ヨルン。

 そしてラズワルド君。あなたを含めた皆に胸を張るために、最良ではなくとも最善の道を選んだつもりです」

 

 たとえそれが、見るも惨たらしい選択だったとしても。

 

「──永き時を重ねた大魔(だいま)は、望むと望まざるに限らず自ずと『周囲』を支配していきます」

 

 精霊女王の庭城が童話の森と化していたように。

 黒鴉神の顕現が冥府の夜を空へと映し出したように。

 大嵐が今現在、“壮麗大地”の全土を己が魔力で根こそぎ塗り潰しているように。

 永き時を重ねた大魔は、領域を支配する。

 

「しかし、大魔ではなくとも──」

 

 発生年数がたかだか二桁にも満たない極小の魔でも。

 人外・異形・怪異において、明確な分類などは無意味極まるが、強いて言うならパターンによる分類は可能で。

 そういう意味であれば、発生と同時に、ある特定のルールを自身にも周囲にも強制する化け物の名を、我々は知っている。

 

 ──夜になれば我が子を探し、一晩中闇の中を彷徨うモノ。

 ──人に問いを投げかけ、答えられなければその脳を吸うモノ。

 

「すなわちは、『怪異』と呼ばれるモノたち。

 ……まぁ、これはあくまで、単純に()()()()()()()()()()()()といっただけの分類の仕方ではありますが」

 

 しかし、忘れてはならない。

 特定の行動パターンがあるというコトは、そのパターンの内側に取り込まれたが最後、脱出も逃走も生半な意志では通らないのだ。

 

 何故なら、それは、もはやルールにも等しい一種の異界領域。

 

 春と冬。昼と夜。此岸と彼岸。

 こちら側とあちら側とで境界を異にする以上、線を跨いだら戻れないのは当たり前。

 

 ゆえにこそ──

 

「わたくしは雨が好きです。雨はいつだって、()(懊悩)を僅かながら洗い流してくれる」

 

 小雨も霧雨も驟雨も雷雨も、雨であれば何でも好きだ。

 冷たい水に打たれ、身体が芯から冷やされていくのを実感すると、自分の罪が少しだけ雪がれるような錯覚を覚えるから。

 

「……ええ。ですから」

 

 わたくしの、当てどの無い散歩道。

 

「ただ寂寥(しずか)に、雨が降るだけ。

 ……たったそれだけの、貧相な支配力(ルール)ですが、一時(いっとき)ばかりお付き合いいただきましょう。()()()()()()()()()()()()()()

 

 言った瞬間、嵐が止まった。

 同時にゼノギアの中で何かが減って、代わりに何かが足されていく感覚がするが、仕方がない。

 後戻りはもうできないのだし、左腕もくれてしまった。

 代償を捧げているのだから、せいぜいほんの少しのワガママくらいは通って貰わないと困ってしまう。

 

 ──だから、うん。

 

「我が罪業、我が贖罪、我が苦罰」

 

 すべての道のりは、今、此処に庇う幼子のために。

 この子を守らなければ明日はない。

 

 不自然に歪曲して醜悪に膨らんだ左腕。

 獣の悲業に蝕まれた弩弓(クロスボウ)を構え、ゼノギアは『矢』を番える。

 

 鏃の鼓動はすでに臨界を迎え、死してなおこの世に遺骸を残した龍の呪いは溢れんばかりだった。

 

 ……この一矢を撃てば、ゼノギアは間違いなく呪われる。

 

 生命の水(アクア・ヴィテ)によって魂を呼び戻されたドラゴンは、しかし己が鱗一枚からでは、さすがに霊体の一部を構築するのが限界だった。

 自らを不完全なカタチで舞い戻らせた不遜な人間へ、怒りを滲ませている。

 もしかしたら、撃った瞬間に憑り殺されるかもしれない。

 

(だけど、それが今さら何だと言うのでしょう──)

 

 呪われていないと感じる人生なんて、ゼノギアからすれば泡のようなもの。

 人間は誰かを傷つけ、恨まれ、呪われながら、それでも幸せを探して生きていく希望の生き物だ。

 それはドウエル村の皆に誓って断言できる。

 

 ──ならば。

 

「……ああ、ユーリ……見ていてくれますか?」

 

 我が渾身。

 我が激奏。

 我が総算たるこの一射は、あなたがいたからこそ。

 雨の続いた長き日々。

 今この場で明けの星光に行く先を示せるのは、かつてあなたが教え、あなたがくれた、この弓があったから。

 

 

 

 “獣は哭く、驟雨の終わりに(プルウィア・レペンティーナ)

 

 

 

 

「──────────────ッ!!」

 

 

 

 

 声にならぬ叫びとともに、(つる)は鳴らされた。

 嵐という概念を封じられ、引いては己の行動そのものをも封じられた大嵐にとって、それは避けるコトの叶わない致命的な一瞬。

 地上より疾走する非業の嚆矢。

 霊格高まる同胞の呪詛。

 身動きの取れない刹那の牢獄の中、大嵐の巨龍は目を見開きその瞬間たしかに戦慄した。

 

 思いがけぬ反撃に驚いたのではない。

 無論、予想外の事態に動揺したワケでも。

 一時ばかりとはいえ領域の支配権を奪われたのも、逆鱗を狙うたしかな一撃が迫って来たコトすら戦慄には値しない。

 

 何故なら、気が遠くなるほどの大昔には、それくらいやってみせて当然の勇者が幾人もいたからだ。

 

 ドラゴンの生涯において、弱点を狙った攻撃などあまりにも当然すぎて既知の範疇を超えていない。

 同胞の骸を使った武具も、優れた戦士なら当たり前に所持していた。

 逆鱗を突くという普通すぎる作戦も、呆れるほどに見飽きていて面白みがない。

 

 だから、たとえ食らったとしても、一撃ならば耐えられると経験から分かり切っているのだ。

 

 ──では、獣の王にして終末の化身、頽廃司る大嵐の巨龍は、如何にしてその身を震撼させたのか?

 

 答えは、そう──

 

 

 

 

 “(モルス)

 

 

 

 

 大気を穿く鏃の後ろ、這うように一歩遅れて併走を開始した悍ましき氷の手。

 白い腕をまるで翼のように広げた死神が、金色の眼で殺意を集中させていた。

 

 ──殺される。

 

 生まれてより壊すばかりで死を知らぬ女神の眷属は、その飛翔に本能から忌避を感じた。

 これは近づかせてはいけない。傍に寄ってはいけない。

 

 ()()触れられたが最後、徹頭徹尾殺される──!!

 

 一個の魂ではない。

 百年単位などとは以っての他。

 この取り替え児に憑いているのは、およそ数えるのも馬鹿らしいほどの怨霊の群れ。

 島のあらゆるモノへの殺害権を有しているがため、龍の眼は真実を捉えた。

 

 集いし()()()()()()()()()()

 

 それが、少なくとも三百年。

 ……いったいどれだけの狂気を凝縮させれば、こんなバケモノが生まれてくるというのか!

 これまで気づかなかったのは、魔女の隠蔽が巧みであったコト。

 取り替え児の気配を隠れ蓑に、ほとんどの時間、自分は表に出てこなかった。

 

 気がつけるはずがない。

 

 だって、人間の魔法使いが大嵐(じぶん)に立ち向かうなら、それはあまりにも当たり前の戦法なのだから……!

 

 

 

 

 

 

 ────ゆえに。

 

 

 

 

 

 勝負は領域の奪い合い。

 大嵐の巨龍と木っ端怪異による、歴然たる結末へと辿り着いたのだった。

 

 

 








tips:常冬の山

カルメンタリス島の最北端に位置する極寒の地。
雪と氷に覆われた、人も魔も寄り付かない最果ての山嶺。

東の古き大樹海
西の死せる亡国
南の回遊大神殿

COG世界にある最厄地は以上の三つだが、
東西南と来て北が数えられていないのは、
島の北方が人魔共通の住みづらさを備えているからでもあるが、
常冬の山が主を迎えて『三百年』という、歴史としては比較的若い地獄だったからでもある。

他の最厄地は最低でも千年の歴史を誇り、だからこそ永遠の禁足地とも呼ばれるようになった。

しかし、それは常冬の山──ひいてはその主が、存在としての格で劣っているコトを決して意味しない。
COG世界のバケモノは、基本的にその発生年数によって格を定められるが、それはあくまで対象が『一個の魂』の場合に限る。

……一にして群なる個体においては、累加的な計算が必要になるだろう。


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