【リブート前】ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です   作:所羅門ヒトリモン

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#74 培養混血児

 

 

 

 カース・オブ・ゴッデスには、シリーズ最悪の敵と呼ばれる吸血鬼がいる。

 

 鯨飲濁流。

 

 五百年前、カルメンタリス島のとある漁村から発生した伝説の吸血鬼。

 人から転じた魔、その最たる代表とも言えるアンデッドでありながら、並み居る怪物たちをも貪り喰らい、ついには吸血鬼という種の実質的頂点にまで到達した生粋の悪魔。

 彼の魔性は、その渇望と狂気的な言動から、数多の復讐者を世に生み出した。

 

 すべては、自らに向けられた純黒の悪意を、盛大に味わうがため。

 

 そのためなら、他者の尊厳を陵辱し、どれほどの絶望を巻き散らそうとも構わない。

 むしろ、そうすることでしか自らの魂を慰められない哀しき宿業。

 捻れに捻れ、歪みに歪んだ救えない性質は、およそ人から転じた魔性の共通項といえども、鯨飲濁流ほど『悪』に傾いたモノもいない。

 

 ならば──

 

 鯨飲濁流という悪の華、咲きに咲き誇った爛漫たる血染花。

 鯨が如き大顎(アギト)を持ち、万物を呑み込み喰らう大食漢。

 濁流が如き勢いで押し寄せ迫る災禍の渦。

 肥大化した霊格はもはや吸血鬼という種の枠組みを超え、それでもなお、己を吸血鬼と(うそぶ)く真性餓鬼。

 

 五百年の(わだち)は、彼のモノへ光を与えた。

 

 無論、闇の光。

 相反する概念であり、本来は馴染みもしない属性と思われるが、しかし存在する。

 

 殺人鬼が、ときにカルト的な人気を博するように。

 恐怖政治を敷く独裁者が、ときに強力な指導者として熱烈な支持を受けるように。

 

 常道から外れた闇の力は、邪道ゆえに悪のカリスマを作り上げる。

 そして、どのような光も、光であるコトには変わりない。

 鯨飲濁流を、闇の公子と呼ばせるに至った背景とは何なのか。

 悪しきモノ。おぞましきモノ。

 奈落の底でうずくまる、目を背けたくなるような暗闇にて、なおも生じる悪心の鮮烈──それは、醜きモノ、蠢くモノ、灯火(ともしび)に群がる誘蛾より、なおもタチの悪い蛞蝓(ナメクジ)がごとき下種たちを惹き付ける。

 

(城塞都市リンデン──人類最高の退魔都市)

 

 原作において、滅びる運命(さだめ)にあったこの街……鯨飲濁流によって踏み躙られ、鋼の英雄さえも命を落とすはずだったこの大都市。

 崩れ去った三つの聖壁の上、悪辣なる悪鬼を旗頭にし、絶望を諸手(もろて)に歓喜の哄笑をあげて呼応し出すのは、同じく、闇の世界の住人だった。

 追い詰められる人類は、ゆえにこそ、古の灑掃機構の封印を解き、カルメンタリス島はやがて天魔乱れる地獄の坩堝と化していく。

 

 しかし、運命はすでにその未来を棄却した。

 

 鯨飲濁流は死に絶え、憤怒の剣は未だ人界の守護を担い、城塞都市リンデンはたしかに壊滅的な被害を受けたものの、いま、形はどうあれ、復興の途上にあるのは間違いない。

 

 ──けれど。

 

(鯨飲濁流が過去に撒いてきた火種……悪心の残響……闇の光の影響力は、それで失われたワケじゃない)

 

 理想の少女像(マイ・フェア・レディ)──灑掃機構の三番は、そもそもなぜ目覚めているのか。

 神の聖遺物が撃滅するべき魔の胎動が、すでに始まっているからではないのか?

 

 あいにく、現時点では、何もたしかなコトは言えないものの、

 

(少なくとも、()()()はリンデンで何かを企んでいて)

 

 チェンジリングを見つけたのに、一向に手出ししてこない。

 そんなの、いかに大嵐の首飾りがあるからと言って、一晩以上なんの音沙汰(リアクション)もないのは、ハッキリ言わせてもらうと相当に不気味すぎる。

 マトモなバケモノなら──こんな言い方は凄まじく変だが──疾うに痺れを切らしていなければおかしい。

 

 ならば、積み上げられた事実。そこから導き出される一つの推論として……

 

(その正体は、おそらく)

 

 

 

 § § §

 

 

 

「──()()()()、と。宗主様はたしか、そうおっしゃっていましたね」

 

 

 昼の行商路に、少女の声だった。

 

 ……緩くウェーブのかかった長めのダークブロンドに、黒と金の虹彩異色症(ヘテロクロミア)

 

 年齢はおそらく十四歳ごろだろうか。

 

 上は白いブラウスに、下は濃紺のロングスカートを身につけ、羽織物として厚手のケープを合わせている。

 出で立ちとしては、中流階級のなかでも上のほうの出身か、あるいは、下級貴族の令嬢とも言える格好だ。

 

 少女は、自分の周りを囲むように歩く四人の供回りへ向けて、確認するように声を発していた。

 

 それに、四人の中でも一際高身長の少年──そう、少年と形容するにはあまりに上背があり逞しいが、よく見れば、顔にたしかな幼さが覗く──が朴訥(ぼくとつ)に答える。

 

 

「……正確には、伝説の吸血鬼を信奉している大魔の一団だ」

 

「太母様は、ありえないと断言されていましたけれど」

 

「ああ。宗主様も、九割の確率で与太だとおっしゃっていた。──もっとも、与太だと指していたのは()()の部分で、大魔の一団が存在すること自体は、正直、()()()と見ている様子でもあったがな」

 

「最悪の吸血鬼によって、過去、何らかの影響を与えられた……かもしれない大魔、というご懸念でしたね」

 

「だからこそ、こうして俺たちを『御子』のもとへ派遣すると決定されたのだろう」

 

 

 大柄な少年は()()()と身を震わせると、どこか恨めしげに空を見遣り、唸るように喉を鳴らした。

 どうやら、あまり寒いのは得意ではないらしい。

 

(……雪豹の血が強いはずなのに)

 

 釣られて一緒に、今にも降ってきそうな空模様を見上げながら、ダークブロンドの少女は「へんなの」と胸中で呟いた。

 

 目の前の少年は、アノス・C(ケントゥム)

 

 宗主リュディガーによって造り出された、少女と同じ魔術と錬金術による忌み子だ。

 培養混血児、ホムンクルス=カムビヨン。その鋳型(いがた)『アノス』の百番目(C)

 カムビヨンの仔らとして身体に顕れている特徴は、雪豹のような一部体毛(背中)と爪に牙。

 おそらくは獣神の先祖返りと目されていて、しかし、自然霊としての特性はあまり受け継がれなかったのか、どの個体も純粋な獣としての血が色濃く、アノスシリーズは六百体のうちで最も動物的身体能力に優れている共通項がある。とはいえ──

 

(……この百番目(ケントゥム)は、ほかのアノスシリーズが最低限持っている雪豹としての擬態能力よりも、とりわけ身体能力に特化しているようです)

 

 見た目から分かる、およそ少年にあるまじき筋肉量からも察せられる通り、相当な膂力とバネを秘めている。

 これだけ大柄な体躯ならば、筋肉が常に生産している熱も相当なものだろう。

 寒がりっぽいのは、もしかすると脂肪が少ないせいなのかもしれない。

 

 少女──ネイト・(ノウェム)は「ほぅ」と両手に息を吐いた。

 

 東の帝国領や“壮麗大地(テラ・メエリタ)”に比べれば、たしかに北の王国領は肌寒い。

 アノス・C に限らずとも、これだけの寒さであれば、堪えているモノがいても当然だ。

 特に……自分たちのなかではクゥナ・(デケム) ……小柄な体躯をしている彼女もまた、体質的に誰よりこの寒さに辟易しているはずだった。

 

 

「クゥナ。あなたは──どう思いますか? 宗主様のご懸念通り、ほんとうに大魔の一団がいると、あなたは考えますか?」

 

「愚問です」

 

 

 尋ねると、短い即答があった。

 クゥナ・Ⅹ は眠たげに目蓋を擦りつつも、ハッキリとした口調で首肯を返す。

 そこには、自らの創造主であるリュディガーはもちろん、太母や御子、クゥナたちがお仕えする『神々』へと向けられた絶対的信頼──たしかなる忠誠心が滲んでいた。

 

 

「まず──前提として、宗主様方は『神』です。神の深遠なるお考えについて、わたくしども被造物は、ただひたすらに低頭して従うのみ。

 仮に、宗主様のご懸念が杞憂であったとしても、それがいったい何の問題になりますか」

 

「何の問題にもなりません。懸念が杞憂で終わるのなら、それはそれで良いことだと思われます」

 

「そう、その通り。分かっているではありませんか。

 たしかに、伝説の吸血鬼を信奉する──ないし、何らかの影響を与えられた大魔の一団が存在するというのは、常識的にも精神的にも受け止め難い話です。

 ──願わくば杞憂であって欲しい。心配のしすぎであって欲しい。

 ……そう望んでしまうのは、ホムンクルスであるわたくしどもとて、仕方のない弱さ。

 しかし、わたくしどもには『真なる神』がついています!」

 

 

 クゥナ・Ⅹ は喋っている内に段々と語調を強め、ついにはキラキラと大いにその目を輝かせ始めた。

 言いたいことは、もはやそれだけで察せられる。

 

 ただの人の身で幽界狼の獣神を相手取り、冥府の王とすら肩を並べた宗主リュディガー。

 そのリュディガーを打ち破り、さらにはあの大嵐の巨龍すら撃滅してのけた妖精の取り替え児。

 

 切れ端とはいえ、このカルメンタリス島で最も女神に近しいとされたドラゴンを殺してのけたならば、彼の少年はきっと神をも殺し得る。

 

 ゆえの──真なる神。

 

 

「偉大なる宗主様。その宗主様を打ち負かし、さらにはあの大嵐の巨龍すら撃滅せしめた『御子』……」

 

「彼の尊き御方がわたくしどもを庇護なされている限り、たとえ大魔の一団が在ろうとも、何の不安もありません。

 だからこそ、ネイト・(ノウェム) ……あなたの質問は、まさに愚問というに他ないでしょう」

 

 

 クゥナ・(デケム) は「ふぅ」と嘆息しつつ、最後には肩を竦めた。

 どうも、言いたいことを言いたいだけ言って、満足したらしい。

 両腕全体を覆うように生えた非常に硬質で突起のある鱗──甲鱗(かぶとうろこ)を擦り合わせ、クシュン! とクシャミまでする。

 

 クゥナシリーズは、古代南方に棲息したと云う半龍の血が濃い。

 

 そのため、肌の一部が成長するにつれて、龍の鱗のごとき形質へと変化してしまう。

 だが、本物のドラゴンに比べれば、その鱗の硬度は比べ物にするのも烏滸がましく、元は単なる獣である地龍にさえ劣ってしまうそうだ。

 半龍と分析されたのはそのためで、古来、カルメンタリス島に半龍の記録が残っているのは、南方のみであるから、必然──北の寒さにはめっぽう弱いらしい。

 

 ネイトはアノスに背負わせていたカバンの中から毛布を一枚取り出し、クゥナへと手渡した。

 

(もちろん……わたしもクゥナ・Ⅹ の意見には賛成です)

 

 本来なら、ネイト・Ⅸ 自身も、このクゥナと同様、何の心配もせずに、ただ創造主から与えられた使命に注力している。

 “壮麗大地(テラ・メエリタ)”で目の当たりにした神話は、それほどまでに畏怖と崇敬を誘うものだった。

 宗主、太母、御子。いずれも心より信仰を捧げる対象である。

 

 だが──

 

(わたしは、ほかの同胞(なかま)たちとは違う……)

 

 ネイト・Ⅸ にはひとりだけ、誰にも打ち明けられない悩みがあった。

 胸の奥に深く仕舞われた想いの(しこり)

 それは、とても深い罪悪感に紐づく不安と恐怖だ。

 あれから、きっと誰も、気にも留めていないだろう。

 総勢六百体のホムンクルス=カムビヨン。

 その内の、さらに見分けのつかない百二十のネイトの中から、誰がこの Ⅸ に気を払うというのか。

 

 兄妹たちの中では、ネイトシリーズはただでさえ特徴が薄い。

 

 左右で瞳の色が違うなど、傍目から見れば、もうほとんど人間も同然だ。

 黄金瞳は()()だと宗主は語るが、これでは御子や太母に、きちんと個体として認識されているかも怪しいし、自分自身でさえ、時たま自分を見間違える(同じ鏡に複数で映り込むと、自分を特定するのに多少の時間が生じてしまう)。

 

 だから、これもきっと、杞憂の類だろうと頭では分かっているのだ。

 

 けれど──

 

(わたしが、あの日……御子の前に出て行った『ネイト』であることは……永遠に変わりません)

 

 宗主リュディガーと御子の戦いの場において、その最後の決着を導く切っ掛けとなったのは、果たして何だったのか。

 

 天高く立ち上る紅蓮の火柱と、空より降り落ちる屍の壁。

 迎え撃つ宝石の雲霞は黒衣の外套に届かず、地面へ降り立つ御子は、殺意も露に必殺の魔法を唱えていた。

 順当に行けば、勝利を掴むはずだったのは御子の方。

 然れど、思わぬ介入によって、御子は魔術師に敗れた。

 

 ──そう。

 

(あの日、あの時、あの決着を汚したのは)

 

 だからこそ、ネイト・Ⅸ は悩んでいる。

 自分以外の培養混血児は抱かぬ不安。

 あの神話に圧倒され、“壮麗大地”の状況が比較的落ち着いた後、御子はネイトたちに生贄以外にも道があると示した。

 

 

「──悲劇だから、禁忌だから、そうやって諦めて下を向くばかりの暮らしは止めにしよう。君たちが自由に生きられる場所は、僕が創る」

 

 

 あれは、まさしく──『神託』に他ならなかった。

 

 道が開かれ、蒙が啓かれる感覚。

 ネイト・Ⅸ は、偽りの魂が熱く震えたのを、今でも覚えている。

 

 ゆえにこそ、胸に残る罪の重さがツラい。

 

 あの時は状況や立場的に、そうするのが最善の判断だった。

 今はもう状況も立場も違う。

 培養混血児は、宗主リュディガーが導く教団員は、皆が御子の庇護下へと受け入れられた。ならば、心配は必要ない?

 

 ──否、そうではないだろう。

 

 御子の前に立ち塞がり、愚かにも逆らったという事実は消え去らない。

 もしかすると、御子はネイト・Ⅸ を許していないかもしれないではないか。

 

 神が自分に怒りを抱いている可能性。

 

 それを考えると、クゥナ・Ⅹ が口にしたような安堵感は到底得られない。

 今日こうして、名誉にも御子の側仕えとして選出され、城塞都市リンデンへ向かっているのも、本当は自分ではなく別のネイトが負うべきだったと思う。

 無論、創造主たるリュディガーの意向に被造物たるネイトたちが逆らうはずはないし、太母よりじきじきに外見を誤魔化す幻術(身内以外には普通の人間に見えるらしい)まで施された以上は、与えられた役割はしかとこなしてみせるが……

 

(……というか、むしろそうすることでしか、あの日犯したわたしの罪が償われることはないと思いますし……御子の役に立つためならば、命すら捨てるのが当たり前……ただ、『子ども』であるわたしが自分の身を犠牲にするのは……決して許されはしないでしょう……そうなると、これもまた結局、心構えだけの話になってしまいます……)

 

 つまり、現状どうあっても、ネイト・Ⅸ の心が晴れることはなかった。

 

 伝説の吸血鬼、鯨飲濁流。

 その悪しき光に追従するという大魔の一団。

 

 仮に、そんな存在がもしも本当にいるならば、その大魔どもはきっと、御子を決して許してはいないだろう。

 王を殺された臣下が仇討ちをするのは至極当然。

 チェンジリングだから許されるというのは楽観論だ。

 もとより、妖精の取り替え児は多くの場合、悲壮な運命を迎える。

 

 それに、そもそも、当の鯨飲濁流自体が、チェンジリングである御子へ牙を剥いた過去があるというのだから、その信奉者である大魔たちも、多かれ少なかれ、似たような性質をしているのは大いに考えられることだ。

 

 で、あれば──

 

(今回のお役目の中で、わたしにできる最善の罪滅ぼしとは、果たして何でしょうか……)

 

 宗主リュディガーは、出立の前、ネイトたちが望むまま、御子の手となり足となるなり、好きなように尽くして来ればいいと話した。

 この場にいるアノス・C やクゥナ・Ⅹ 、ミレイ・XXXX(クァドラギンター) に ヨルン・ⅩⅦ (セプテンデキム)は、大喜びでその役を引き受けたし、ネイト・Ⅸ もそれは変わらない。

 皆、肉体年齢としてはおおよそ二歳ほど彼の御子よりも歳上だが、あの少年に心から忠誠を尽くすことに強い生き甲斐を覚えている。

 

 真なる神と出会い、その庇護下へ置かれている埒外の幸福。

 

 古の英雄伝説にも劣らない、いや、それどころか遥か上を行く新神話。

 取り替え児の身に生まれながら、人ならざるモノを受け入れ、束ね、導き、さらには安息までを与える星の輝き。

 鯨飲濁流がその悪心によって闇の光を獲得したならば、御子はこれまで、何人(なんぴと)も歩んだことのない未踏の領域へと──

 

(わたしたち(うと)まれ、(いと)われ、総じて忌み嫌われるモノ。それに寄り添う、温かな場所の守り手として──)

 

 群青の空。

 夜明け前の瑠璃色。

 

 自覚の有無は分からないが、果たして、その生き方に……いったいどれだけの()()があったことだろうか。

 

 少なくとも、御子が思っている以上に、培養混血児たちは感動している。

 

 初めから目的のためだけに与えられた仮初の命。

 女の(はら)からでなく、培養槽を以って偽造された魂の虚無感。

 生贄として終わるはずだった道具としての在り方から、一個の愛すべき生命として、はじめて存在を認められた驚きと希望。

 冥府の底から、それでも生きろと有無を言わさず引き上げられた衝撃たるや。

 

 群青の魔法使い、ラズワルド。

 

 彼こそ、ネイトたちにとっての生きる意味。

 

 ──ゆえに。

 

 

「……いずれにしても、決して粗相のないようお仕えしなければなりませんね」

 

 

 ネイトはむんっ、と気を取り直して呟いた。

 隣でアノスが静かに頷く。

 それに、ネイトは軽く微笑みを浮かべながら、心の中の悩みを隠すように前を向いた。

 

 ……なんにせよ、御子の側仕えという栄えあるお役目を背負(しょ)ったいま、自分にできるのは誠心誠意このお役目に集中すること。

 ご主人様の足を引っ張らぬよう、召使いとして最大限に頑張らなければ。

 

(だから、そう……)

 

 失態はひとつたりとて許されない。

 もしも、自分のせいで御子が迷惑や不利益を被ることにでもなったりしたら、おそらく、ネイトは耐えられなくなって泣いてしまうだろう。

 

 そんな恥ずかしい様相を、敬愛する御子の前に晒すのは、もっと耐えられない。

 

 ただでさえ、ネイト・Ⅸには他の仲間たちにはない負い目があるのだ。

 身の回りの世話を買って出るのは当然、着替えや食事、風呂の準備だけでなく、必要なら魔術の知識も提供する。

 培養混血児──というより教団員は皆、リュディガーから厚い手ほどきを受けている。

 混血児として魔力もそこそこに持ち合わせているから、魔法と魔術、両方ともに見識があるのが、ネイトたちの強みだ。

 

 たとえば、

 

 

「──ミレイ。風が冷たくなってきました。()()()を頼んでも構いませんか?」

 

「ん」

 

 

 わずか一音という短い返事。

 しかし、ⅩⅩⅩⅩ (クァドラギンター)……四十番目のミレイである彼女は、この中で最も魔法に長けている。

 

 なぜか。

 

 それは、ミレイシリーズが身に宿す豊穣獣サテュロスの血が原因だ。

 

 豊穣獣サテュロス。

 半人半獣の姿で知られ、ヤギのような下半身と、頭部から生えた異様なまでの巨角で知られる異形である。

 暖かい山間部か綺麗な水辺によく現れ、一説には、縄張りにさまよいこんだ人間を骨まで食らうと云われている。

 また、非常に気性が激しいことでも有名で、(つがい)であっても喧嘩に発展すれば、惨たらしく相手を殺してしまうのだとか。

 

 残虐で危険。

 

 だが、カルメンタリス島では一部地域で、サテュロス信仰なるものも存在している。

 それはサテュロスの『霊脈渡り』と呼ばれる異名にも通じていて、彼らの特徴──地面に足をつけ続けている限り、島の霊脈から少しづつ頭部の角へ魔力が補充(自分の魔力に変換)される──というモノに原因がある。

 

 地中に走る霊脈は宝石とも関係が深いため、魔術師ならサテュロスへの憧れは禁じ得ないというワケだ。

 

 噂によると、魔力を蓄え過ぎたサテュロスが歩いた場所には、非常に豊富な魔力を吸った草花や石があったりするらしい。豊穣獣とは、そういう意味での名付けでもある。

 

 というワケで、ミレイ・ⅩⅩⅩⅩ ……無口なる彼女。

 

 サテュロスの血を色濃く発現させ、こうして歩いている今も、地中からチビチビと魔力を蓄え続けているだろう目の前の少女は、今回の選出メンバーの中では、最も魔力量に優れている。

 残念ながら混血児の宿命で、血の大元となる本物のサテュロスに比べれば、ゴミに等しい魔力補充量だそうだが(リュディガー談)、それでも、常人に比べれば遥かに類稀な体質である。

 

 厄介なのは、自身の角があまりにも大きすぎて、眠る際に仰向けになれないコトだろうか。

 

 時おり、同じミレイ同士でゴリゴリと先端を削り合っている場面も目撃している。

 その様子を、物陰から御子がひそかにジッと観察しているのも、ホムンクルス=カムビヨンの間では有名だ。

 ミレイシリーズは御子のお気に入りらしい。

 

(……くっ、やはり角ですか)

 

 太母ベアトリクス。

 夜妃フェリシア。

 どちらも有角であり、御子の寵愛を授かる女性は角の生えている率が高い。

 唯一、精霊女王ディーナだけは有角ではないが、彼女は御子じきじきに『ディーナ(名前)』を与えられている。つまり特例と解釈するのが自然だ。

 ネイトシリーズは片目が金色なだけなので、どうあっても勝てない。

 

(……いえ、勝てないとかそういう問題ではないでしょう。不敬な)

 

 ネイト・Ⅸ はぶんぶんと首を振って反省した。

 御子への敬愛が長じるあまり、つい不遜な考えを起こしそうになってしまったが、弁えなければいけない。

 自分は所詮、ただの召使いでしかないのだ。

 御子の寵愛を授かるなど、そんなのは不埒な妄想が過ぎるというものだった。

 

 ともあれ──

 

 

「“風の帳(ヴェントゥス・ヴェルム)”……ん。これで、いい?」

 

「はい。ありがとう、ミレイ」

 

「うん」

 

 

 ミレイが呟いた呪文によって、北風はネイトたちを避けるように迂回し始めた。

 簡単にやっているが、二つの呪文を組み合わせている時点で、やはり一歩レベルが違う。

 綺麗な光沢のある月毛の長髪と合わさって、神秘的な雰囲気も羨ましかった。

 

 ……一方で、

 

 

「ヨルン・ⅩⅦ (セプテンデキム)……宗主様から預かった貴重品を身につけ、嬉しそうに空へ翳すのは構いませんが、決して失くしたり無駄遣いしたりしないようお願いします」

 

「分かっているよ、ネイト・Ⅸ 」

 

「ならいいのですが……」

 

 

 言葉尻に苦いものを滲ませ、ネイトはたったいま軽快に声を発した少年を見つめる。

 そこにいるのは、まるで人形かと見紛うほどの美貌を持った、線の細い白皙だ。

 

 パッと見はネイト同様、それほど人間と変わらない。

 

 しかし、ヨルンシリーズの関節は内部が球体状になっていたり、腕や頭といった部位が着脱可能……驚くべき可動性を誇っており、見た目はものすごく美しいが、どこかで薄気味悪さが離れない……何とも不気味な弟だった。

 

 生ける人形(リビング・ドール)──その昔、あまりの美しい出来栄えから魂が宿ったと云われる人形の怪異が存在し、ヨルンはおそらく、その()を引き当ててしまったのだと宗主リュディガーは語っていたが。

 

(雪豹の獣神、甲鱗の半龍、巨角の豊穣獣はまだ分かりますが、人形の血とは、果たしてどのようにすれば引くコトができるのでしょうか)

 

 ネイトには不思議で他ならない。

 というか、あまり理解もしたくない。

 ヨルンシリーズはネイトシリーズからすれば弟というコトになるのだが、無機的な美貌とクルクルと回る関節が不気味すぎて、正直、かなり苦手な部類に入る。

 半分人形なのだから仕方ないのかもしれないが、表情もあまり変わることがないし、何を考えているのかも分かりにくい。

 

 ──が、そんなヨルンたちには共通して、魔術への高い素養が確認されている。

 

 魔術とは、一種のペテン。

 

 象徴となる呪的材料、

 目的に寄り添う疑似因果律、

 術式を動かす無色の魔力(エネルギー)

 

 大雑把に言えば、魔術とはこれらの三要素によって働く暗示のようなものだ。

 

 だが、魔術とは極論、()()()()である。

 

 本当はありえないコトを、あたかもそこに在るかのように見せる人間の技術(わざ)

 ゆえに、魔術師は魔術を成功させるため、まずは自分自身を深く(あざむ)く必要がある。

 誰かを騙そうとするなら、まずは自分から──なんて言葉もあるように。

 無色の魔力を反応させるためには、それだけの説得力が求められるからだ。

 

 ヨルンは、人形である。

 

 人形は、古来より祭祀や呪的用途に使われる背景がある。

 

 神殿に飾られる神の像、呪いや災いを引き受けてくれる身代わりとしてのお守り、農耕成就を祈願するための案山子や、偶像崇拝。

 幼い子どもに与えられる玩具としての人形も、子どもの安全と成長を願って、厄除けや守り神としての側面があったりする。

 

 ──つまり、ヨルンは生きながらの『魔術式』だった。

 

 ヨルンが手を掲げ、指を指し、足踏みを重ね、声を発する。

 たったそれだけのコトで、半ば自動的にどんな魔術が成立してもおかしくない。

 

 自己暗示が要らないのだ。

 

 人形という呪的記号が強力すぎるため、世界の方が勝手に意図を汲み取って、魔術を成立させてしまう。

 ヨルンはそういう意味で、天性の魔術的素養を備え持っている。

 その才能は宗主リュディガーも認めるほどで、人形という分野においては、いずれ島のトップに立つだろうとさえ評価もされているほどだ。

 

(ただ、現状、惜しむらくは……)

 

 ヨルンの片手に三つある小さな宝石付きのリング。

 魔術師としてどんなに優れた才能があったとしても、所詮、魔術であるからには、どこまで行っても無色の魔力が無ければお話にならない。

 宗主リュディガーから最低限という形で分け与えられてはいるが、金欠という悲しい現実が、ヨルンの才能を大きく阻害していた。

 

 そして、ならば代わりに魔法を──と思っても、ヨルンシリーズは全員、極小の魔力しか持たない。

 

 “(イグニス)”の呪文で簡単にロウソクへ火を点けようとしたら、もう、それだけでスッカラカンになってしまうのである。

 

 いざと言うときの切り札として期待もあるが、魔力切れになれば、おそらく一番の役立たずに早変わりするだろう。

 

(……まぁ、それはわたしも、いえ、この場にいる皆が言えたコトではありませんが)

 

 これから、ネイト・Ⅸ たちは城塞都市リンデンへ赴き、御子の側仕えをする。

 そうなれば、御子からの命令によって、いろいろと仕事をこなすコトもあるだろう。

 けれど、

 

(神である御子様からすれば、わたしたちの力など、ほんとうに微々たるお助けにしかならないでしょうし、逆に、ほとんどの場合でご迷惑をおかけしてしまうかもしれません)

 

 まさに、考えれば考えるだけ、凄まじく恐ろしい事実である。

 “壮麗大地(テラ・メエリタ)”を離れてからも、御子はひとりで幾度も修行を重ねている。

 杖への刻印、身体に巣食う魔女因子のコントロールはもとより、時折り自作のクロスボウを片手にしては、武器の習熟にまで励んでいる様子があった。

 ネイトたちの助けなど無くとも、今頃はもしかすると、大魔たちを見つけとっくに打ち倒しているかもしれない。

 

 仕えるモノの立場からすれば、何とも偉大すぎる御方である。

 

 

 

 

 

 






ラズワルド「えっ」

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