【リブート前】ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です   作:所羅門ヒトリモン

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重めです。


#78 人か獣か

 

 

 

 男の目から光が消え、(うろ)のような底闇が眼窩から這い出した。

 それは次第に、聖職者であった男の肉や血をしゃぶりつくように吸い始め、やがて全身を貪欲に覆っていく。

 

 

「おぉ、おぉ……美しき(かな)、美しき(かな)……!」

 

 

 鉄鎖流動──隻腕の人狼はその様に感嘆の息を零した。

 

 “悪心よ、萌芽せよ(ゲルミナティオ・ノズィーアン)

 

 人狼が使ったのは、人狼が有する二つの魔法の内、地味な方の一つ。

 過去、鯨飲濁流という悪鬼との邂逅によって、人狼が未だ人狼でなく、人であった時分に獲得した呪文だ。

 その意味は、まさに読んで文字通りが如く──

 

 

「王よ! 王よ! 見てくれているか!? 喜んでくれているか!?

 アナタが愛した()()はッ、アナタが遺した()()()はッ、いま此処に俺の手でッ、ついに覚醒を始めたぞ!

 ……『人間たちは、闇に堕ちている時こそ素晴らしい』……嗚呼、嗚呼っ、もちろん覚えているさ!

 怒りや憎しみや恨み辛みに猛り震え、たとえ百億の夜を越えて呪い果たさんとも……決して飽き足りぬという刹那に渦巻く混沌の激情ッ! 

 ……アナタはそこに、この地上で何よりの『純粋』が在るのを識っていた!

 だからこそ! 俺はアナタに魅せられたッ! 俺の心は今なお強く! アナタに焦がれているッ!

 歓喜だ! 絶叫だ! 堪らねェ! ギヒッ、ギひゃっ! ギィヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ──!!」

 

 

 鉄鎖流動は涙を流しながら狂ったように笑う。

 笑いながら、悪意の喜悦に身悶えしている。

 

 ──『悪心萌芽』とは、鉄鎖流動がこの世界へ向けて抱く始まりの衝動。()()にして()()のカタチ。鯨飲濁流という悪魔に触れて悟った、一種の死生観。

 

 およそ、この地上で悪なるモノほど純粋で美しいコトは存在しない。

 (よこしま)なるモノには余分が無いし、白きモノ、身綺麗なモノ、そういった絶えず嘘くささを振りまく虚飾の塊とは違って、どこまでも完成された唯一性がある。

 汚される不安はなく、何ら偽られれる懸念もない。

 剥き出しの感情、ありのままの想念。

 

 ゆえにこそ、この世のすべて悪意に染まれ。

 

 どんな聖者も、どんな賢哲も、たとえどれだけ体面を取り繕っていたところで、決して捨て得ない汚濁がある。

 倫理、良識、分別などといった洒落臭(しゃらくさ)い言葉は、所詮、人間が自らの醜さと弱さを覆い隠すために作り出した、ちっぽけな欺瞞に過ぎない。

 

 鉄鎖流動は、それを誰より知っている。知っているから、鯨飲濁流を王と奉じた。否、今なお奉じている。

 

 ……八十年前、鉄鎖流動には別の名前があった。

 

 何ていうコトはない。ありふれた名前で、親が子につける名前といったら? なんて話題になれば、恐らく一番最初に挙がってくるくらいには凡庸な名前だ。

 

 一番(プリムス)二番(セクンドゥス)三番(テルティウス)

 

 昔から、どの地域でも生まれた順番によって名前を決める風習は存在するものだったが、要はその一番目の名前が鉄鎖流動に与えられた最初の贈り物だった。

 

 当時としては、珍しい話でもない。

 

 子を多く持てる限られた『家』のみに閉じた話にはなってしまうが、そもそも子どもの名に()を贈るのが当たり前の時点で、特権的で裕福な家門なのは知れている。

 

 その中で、鉄鎖流動が生まれたのは()()()()()とされた家だ。

 

 今は潰え、すでに国も滅び去っているが、かつては国の中で宗教的権威の最高峰に位置した聖なる血統。

 古代より連綿と受け継がれた『聖剣』の守護を担い、国に悪しき魔物の危機あれば、聖剣に命を捧げることで国難を祓う一族。

 言うなれば、護国の柱とも呼ぶべき家系であり、また──同時に、体のいい人柱にされている家でもあった。

 

 聖剣とは、秘宝匠が鍛えた刀剣類の中でも、とりわけ最高級の祝福によって()()の力を宿したモノである。

 刃をかざし、切っ先を向け、剣気を放つだけですら魔を打ちのめす稀代の業物。

 

 だが、それだけならば『聖剣』とは呼ばれない。

 

 城塞都市リンデンの赤鉄門を例に取れば分かりやすいが、破魔の力だけでは打ち倒せない大いなる魔が、この世には存在するからだ。

 ゆえに、聖剣の()を贈られるには……天使の『御業』にすら匹敵する()()()()()()である必要がある。

 

 ……しかし、強すぎる祝福、強すぎる神威。

 

 神の権能を文字通り再演する天使の御業に匹敵するなど、それはもはや、常人の手では御し得ない神の武器と言っていい。

 

 柄を握れば腕が骨まで焼け焦げ、一度(ひとたび)振るえば、総身があまりの光熱に蒸発する。

 

 そのため、鉄鎖流動の生家では一族は例外なく生涯を信仰の道に捧げ、少しでも聖剣を振るうに相応しい()()を得るべく、幼少より厳しい修行が課せられた。

 

 ──汝、正しく在れ。

 ──汝、雑念を捨てよ。

 

 無論、人間は弱い。

 

 裡に秘めた欲望や(へき)、人には言えない危うい(さが)、禁断へと惹かれる不意の衝動など、そういった弱心は誰の心にも潜む。

 でなければ、人が魔へ転ずるコトなど、そも起こり得ないのだから。

 

 ……それを分かっていた一族の始祖は、自分の末裔たちに何より厳しい掟を遺した。

 

 “──我らが聖剣を振るえなければ、このさき何百、何千、何万という無辜の民に未来はあるまい。

 我が末裔よ、聖剣の守護者よ、私心を殺し、大義に仕えよ。

 滅私奉公のもとにこそ、我らの存在理由は与えられる……”

 

 もちろん、そんな掟が永遠に守られ続けるはずもなかった。

 事件が起こったのは鉄鎖流動が産まれる前。

 つまりは、鉄鎖流動の母となる女が、生家より脱走を図ったコトに端を発する。

 

 ──女はただ、自由が欲しかった。

 

 閉ざされた山奥での暮らし。

 下界に降りれば世俗に汚れると固く外出を禁じられ、娯楽に触れれば魂が愉楽の淀みを生むとひたすらに修行だけの日々。

 清廉であれ。高潔であれ。貞淑であれ。

 

 そしていずれ、我らが使命を託すための子どもを産め。

 

 ……だが、いったいどうして、人が人の自由意志を阻むコトなどできようか?

 

 空を見上げれば鳥がいる。

 地に耳をそばたてれば、獣が駆け回る気持ちのいい律動(リズム)が聞こえてくるし、風に舞う花の種は、吹かれるままに何処へなりとも根を巡らせるもの。

 

 たとえ、山深い峻険(しゅんけん)な緑の牢獄に閉じ込められようとも。

 

 世界はただ、()()()()()()で、女に不自由を感じさせるに十分だった。

 

 けれど当然、脱走は至難を極める。

 

 滅私奉公を是とする一族。

 有事の際に聖剣に身を捧げ、だからこそ、国の中である種の特権的地位を得ていた聖なる『家門』において、身内からの脱走者など、そんな落伍者が生じるコトは、すなわち社会への裏切りも同然。

 

 弱き心、悪しき心。

 

 人間ならば誰しもが持ち得るほんの些細な心の瑕疵(かし)を……しかし、聖剣の守護者だけは絶対に許さない。

 女はおよそ三年に渡って逃げ続け、追っ手は武器を手に女を追った。恥晒しを世に放つくらいなら、いっそ殺してしまうのが自分たちの正しさを証明する手段だと言わんばかりに厳しく。

 

 それは、凄絶な逃走劇だった。

 

 死を装い、いくつもの幸運に恵まれなければ、女は待望の自由をついぞ手にするコトは無かっただろう。

 

 しかし、手に入れた。

 

 故国から遠く離れた異国の地。

 誰も自分を知らず、誰も自由を阻まない。

 

 女は初めての自由に胸躍らせ……苦労することもあったが、やがて……恋を知った。

 

 初めての情熱。

 初めての逢瀬。

 そして、初めての甘い肉欲。

 

 かつては固く禁じられていた数多の戒律を破りながら、女はそこで、人として真に大切なものを手にしたと心から確信していた。

 惚れた男の逞しいカラダに抱かれ、これから先は、いついつまでも優しい時間が延々こうして続くのだと、まるで疑っていなかった。

 

 

 ────まさに、愚の骨頂という他にない!

 

 

 甘やかな幻想。

 砂糖菓子のように他愛ない夢物語。

 それらは所詮、世間というモノをまるで知らぬ箱入り娘が思い描いた、都合のいい未来への展望。

 現実は甘くなく、世界は常に冷酷だ。

 

 ──ある日、女が子を宿しているコトが分かると、男がいなくなった。

 

 愛しているよと、大好きだよと、あんなにも睦言を交わしあった仲なのに。

 男にとって、女は行きずりに手に入れた何処の国の人間かも分からない身元不詳の女。

 たまたま知り合い、たまたま男の好みにハマってたから、ちょっとした遊び心で近づいただけ。

 

 なにしろ、女は簡単だった。

 

 優しげな言葉をかけ、ちょっと親切に接すれば、それだけでカラダを許してしまう。

 そんなアバズレ、男からしてみれば一時の気まぐれで恋人ごっこに興じていただけに過ぎない。

 遠い異国でたった独りの心細さ?

 くだらない。そんなモノは知らないし、心底どうでもいい。

 男にとって女はあくまで()

 結婚し世帯を持つ気などサラサラ無く、面倒になったら捨てると端から決めていた。

 

 ──そこに。

 

 女の慟哭(どうこく)が呼び水となったか、満月の夜、畳み掛けるように()が忍び寄った。

 

 人狼である。

 

 涙を流し、荒野の中、さながら死告乙女(バンシー)も斯くやといった様相で、ひどく泣き腫らしながら男を探し歩く女のもと。

 人狼はゲラゲラと、ゲヒャゲヒャと下卑た笑いを漏らし、本能のままに近づいていった。

 

 今宵は満月。

 ひと月の内、最も人狼の血が騒ぐ宵闇の晩。

 

 殺した人間の(かわごろも)を被り、未だ生暖かく()()()血も滴る粗末な変身だったが、昂る獣欲は抑えられない。

 

 人狼は背後から力任せに女を組み伏せると、その場で有無を言わさず乱暴へと至った。

 

 普段ならば、多少の抵抗がある。

 しかし、それすらも()()の愉しみのひとつだと、溢れ出る暴力への誘いに、人狼はむしろ激しい抵抗を望んですらいた。

 

 ……だが。

 

(────?)

 

 人狼の薄汚れた期待とは裏腹に、女は抵抗をしなかった。

 それどころか、まるで喜ぶかのような顔で、人狼を抱き締め受け入れる。

 

 

 ──ああ、やっぱり戻ってきてくれた! 嬉しい。嬉しい。嬉しい! わたし、あなたが大好きだもの。あなたも、わたしが大好きなのよね? だって、あんなにも愛を誓ったんですもの。いいよ、だいじょうぶ。がんばって気持ちよくなれるようにするから、だから、だから、ずっと一緒にいよ? わたしをひとりに、しないで、おねがいします……

 

 

 そう。女は疾うに正気では無かった。

 

 たしかに、人狼は男に変身していた。

 女を襲う前、たまたま町の外で逃げるように荒野を行く人間を見つけ、その生皮を剥ぎ、化けるために裘として被ってはいたが、その変身はお粗末なもの。

 目も爪も牙も毛皮も、ほとんどがはみ出したりしていて人狼としての正体を隠しきれていなかったし、人狼自身も、ハッキリそれを自覚していた。

 傍目から見れば、今の自分は相当に醜い姿を晒しているのだろうと。

 

 なのに、女は恐怖に叫ぶでも悲痛に呻くでもなく、歓喜とともに人狼を抱擁した。

 人狼にとって、それは初めての体験であり、不可思議だった。

 

 ……が、ともあれ、人狼にとって女はあくまでも女。

 

 醜い獣欲、ケダモノの本性からしてみれば、なに。特段問題があるワケでもなし。

 まぁ、たまにはこんなコトもあるかと。

 人狼はフンと鼻を鳴らし、夜明けまで女を堪能し尽くした。

 

 ────そして。

 

 無辺の荒野でひとり残された女の(はら)には、どういうワケか人狼に変生した赤子ではなく、あくまでも人間……しかし人狼の血を色濃く継ぐ()()()が宿っていたのだった。

 

 歪な愛と、醜い獣欲。

 

 それこそが、後の鉄鎖流動を生んだ始まりにして悪因。

 

 以後、女は虚空に向かって、いもしない夫へ愛を囁きながら、誰しもに疎まれ行く宛を無くしていく。

 頭のおかしくなった身重の女。

 人狼の子を喜んで孕む異国人。

 助けの手を差し伸べる者は現れず、追放はやがて迫害になり、女はどこへ行っても爪弾きにされるようになった。

 

 けれど、そんな女にもひとつだけ、希望と言っていいかは分からないが、最後の選択肢が存在した。

 

 故国。

 すなわちは、家へと帰るコト。

 

 すべては愛する夫との子どもを安全な暮らしに置くため。

 女は過去、あれほど苦労して逃げ出したはずの生家へと、舞い戻る道を選択した。無論、無意識での行動だった。

 

 狂気の内に潜む、ほんの一雫の理性。

 

 あるいは、それはもしかすると、子を守らんとする母としての自覚が、そうさせたのかもしれない。

 とにかく、女は実家へと帰り、たとえ自由を失ってでも我が子の安全を選択したのだ。

 

 ……しかし、そうなればどうなるかなど、あまりに自明の理。

 

 女は一族の当主によって処刑を申し渡された。

 掟を破り戒律を乱した大罪人として、見せしめの意味を込めてその骸は三月にわたって野へ晒される。

 その条件を呑むならば、ああ、すでに外界で罰を受けたようなもの。罪なき子どもの命だけは救ってやろうと哀れみの下に取引を交わし。

 臨月を終え、赤子を産んでから、その温かな体温を両腕に抱きしめるコトさえ許されず──即座に絞死。女の物語はそこで終わった。

 

 だが、

 

 

 ──ぬぅ……! よもや混ざり胤であったか!

 

 

 残された人間たち。

 ここで言えば、女の父であった当主と、息子である鉄鎖流動。

 関係性としては、祖父と孫に当たる両者を中心に、悲劇の車輪は尚も回転をし続けた。

 

 カムビヨンの仔ら。

 

 俗に狼憑き。あるいは混血児と呼ばれる悲劇の象徴。

 彼らは大抵、産まれた時は人間の赤子とさして変わらず、()()()()()()()()人外の特徴を発現させる。

 だからこそ、女の死後から時を置いて悲劇は加算された。

 

 聖剣守護の家系に魔物の血が入り込んだなど、国に知れればとんだ醜聞。ただでさえ、身内から脱走者を出してしまった汚点があるのだ。これ以上一族の信用に疵がつくのは絶対に避けなけらばならない。

 だがしかし、罪人とはいえ仮にも娘であった者との、死を代価とした約束を無碍(むげ)にもできず。

 

 当主の進退はここに(きわ)まり、以って──壮絶な決定が下される。

 

 ()()である。

 

 祖父は孫を、屋敷の地下深くに秘された独房へと閉じ込め、数多の鉄枷と数多の鉄鎖によってその身動きを一切封じた。

 

 殺しはしない。しかし、生かしもしない。

 

 それは苦渋の決断であり、双方ともに歯を食い縛らずに済む日は二度と送れない、苦しみに満ちた地獄(せいかつ)の始まり。

 祖父は孫に罪悪感を覚えぬ日は無く、孫は祖父に「なんで」「どうして」と幼さゆえの憤り、涙、悪感情を募らせた。

 その様に、祖父はますます心の中に(しこり)を増していく……

 

 その果てに。

 

 幼き鉄鎖流動、人間名プリムスは、自らを閉じ込め不当に(いまし)める老人から、様々なコトを聞かされた。

 

 

 ──お前の母親は、大罪人だった。

 ──悪しき魔物の血を引くお前もまた、大罪人だ。

 ──我らは聖剣によって守られ、聖剣もまた我らを守っている。

 ──子に罪はないと思った。

 ──しかし、お前はただ、存在しているだけで我らにとっての()なのだよ。

 ──泣くな。喚くな。黙ってくれ。静かにしろ!

 ──外に出すワケにはいかぬ。いかぬのだ……

 ──許せ、許せプリムス。いっそ殺してやるのが慈悲なのかもしれぬ。

 ──だができん! 儂にはできん!

 ──████との約束がある。████の首を締め、その骨を折った感触が未だ忘れられぬ!

 ──ああ、あぁ……なぜ、産まれてきた……なぜ、こんなにもお前は醜い……

 

 

 鉄鎖流動は、すべて覚えている。

 なにしろ、人間だった頃の大まかな記憶は、ほとんどがそれしかないのだ。

 

 暗く湿った無機質な檻の中、自分を縛る鉄の鎖と鉄の枷。

 ジャラジャラジャラジャラ、ジャラジャラジャラジャラ、ジャラジャラジャラジャラ、ジャラジャラジャラジャラ。

 時折り訪れる黴鼠(かびねずみ)の饐えた臭いと、自分が垂れ流した汚物の悪臭。

 そして、毎日毎日、意味もなく妄言を吐き散らかす、狂った老人によって聞かされた自分自身への罵倒。

 

 お前は罪人だ。

 お前は悪いヤツだ。

 お前は醜い。

 お前は許されない。

 

 要約すれば、すべてが呪いだった。

 

 そして、そんな生活が十六年もの間続いていけば、世界への認識など確定する。

 

 

 ──この老人は、ボクを悪だと、生まれてきたコト自体が罪なんだと。何度も何度も、繰り返し言うけれど、いったい……ボクが何をしたって言うんだろう?

 

 何もしていない。何をするだけの自由もない。

 

 ──じゃあ、やっぱり、自由を欲しただけの母が悪かったのかな?

 

 あるいは父が。

 でも、魔が魔として、ただそのように在っただけなのに、それがそんなにも悪いコトなのだろうか。

 

 ──違う。違う違う。違う違う違う違う違う違う違う違う! ボクも両親も、何も誰も悪くなんてない!

 

 悪いのは、()()()()の方だ。

 ヒトを勝手に悪だと決めつけて、自分勝手な理屈で許されないだとか醜いだとかを断定する気持ちの悪さ。

 

 一族を守るため、聖剣の守護を担うため、人のため、社会のため、国のため。

 

 そんなふうにお題目を掲げれば、お前たちはきっと、何をしたっていいと思ってる。

 何でだよ……ふざけるな! 気持ち悪いんだよゴミクズどもッ!

 正しさを謳うな! 清らかさを謳うな! ボクをこんな目に遭わせておいて、何を澄まし顔で高潔ぶっていやがるんだ穢らわしい!

 嘘つきども! 偽善者! 人の皮を被ったドブの塊め!

 

 聖剣の守護者が聞いて呆れる……

 まさか、ほんとうに、気がついていないのか?

 

 お前たちが聖剣に触れて焼け死ぬのは、お前たちの根底にある、その傲慢さが何よりも醜悪だからじゃないか!

 神は見抜いている! お前たちは綺麗でも何でもない! 少なくとも、ボクなんかよりよっぽどな醜くて汚れてる!

 

 

 もはや肉親の情など掻き消えるほどに、鉄鎖流動の中で祖父……引いては世界への憎しみは累積していった。

 

 ──敵に対する憎しみ。

 

 ただそれのみが、微かな自我の唯一の拠り所でもあったからだ。

 

 十六年。

 

 劣悪な環境で、鉄鎖流動が曲がりなりにも生命活動を維持し続けてこられたのは、父である人狼の魔力があったからだろうか。

 それとも、顔を合わせば呪いを吐くしかなかったとはいえ、毎日変わらず、たったひとりで世話を続けた祖父のおかげか。

 

 答えは分からない。

 

 なぜなら、鉄鎖流動(プリムス)を取り巻いていた世界のカタチは、ある日唐突に、華々しく砕け散ってしまったからだ。

 

 

 

「──足りん。まるで、足りん……俺を止めたければ、聖剣のひとつやふたつ……満足に振るってみせろッ!

 まさか、できないのか!? 本当にできないのか!? ああ、ああッ、嘘だろぅ?! なんて()()なんだお前たちッ! 滑稽すぎて憐れみが抑えきれん!」

 

 

 ハ、

 ハハ、

 ハハハ!

 ハッハハハ!

 ギャハハハハハハハハハハハ!

 

 まるで山彦のように多数の口から哄笑をブチ上げて、その怪物は鉄鎖流動の生家を蹂躙していた。

 

 燃え上がる火の手。

 空を舞う血飛沫。

 

 穢らわしい汚濁が、華のように赤く咲いてくるくると回っていく。

 

 濁流は家も人も差別なく、飲み込み喰らい宙を舞い、堅い地下の檻にいた、鉄鎖流動を繋ぐ厳重な縛めすらも()()()()噛みちぎって行って……

 

 ──嗚呼、そうとも。素直に、告白しよう。

 

 鉄鎖流動はあの時、生まれて初めて、世界を()()()と思った。

 

 世に斯くも自らを飾らずありのままの姿で生きるモノあるならば、自分もまた、彼と同じ世界で生きていたい。

 

 正義、道徳、善心などは欺瞞の巣窟。

 闇ならば闇、悪ならば悪。

 何もかも、そういう純粋で美しい世界になればいい。

 

 

 ゆえにこそ──“悪心よ、萌芽せよ”

 

 

 この魔法の前で、人はあらゆる悪性を包み隠せない。

 いかなる聖者、いかなる賢哲、たとえどれほどの善人であったとしても、心の奥底に潜む小さく仄暗い衝動は瞬く間に増幅されていき、強制的に表へと飛び上がる。

 

 鯨飲濁流が遺した『種』に関しては、さすがに好相性だったか、直接触れて呪文を唱えるコトで、思わぬ覚醒効果を発揮する優れた副効果をも併せ持った。

 

 教えてくれた失楽の覡には、感謝してもしきれない。

 

 

「……いいや、それを言うなら、あの女にはすべてに感謝だ」

 

 

 王が死んだ後、鉄鎖流動は荒れに荒れた。

 崇敬し、憧憬し、自分が魔へと転じた最大の理由でもある英雄がまさかの消滅。

 その衝撃は計り知れず、信じていた世界に罅が入り込み、足元がガタガタと崩れ落ちていくような、どうしようもない不安が絶えず胸中に吹き荒れた。

 精神(ココロ)のバランスが乱れていくのが分かったし、数え切れないほどの自傷行為にも走った。

 己が領域としている『監禁城』にすら、その影響は顕れてしまったほどだ。

 あのまま無為に時を重ねていれば、いずれ鉄鎖流動は自己破綻から霊核にキズを得ていたかもしれない。

 

 そんな時に、あの女は現れた。

 

 失楽の覡、狂愛のエルフ。

 伴侶を喪った悲嘆に囚われながら、自身の非消滅ゆえに、伴侶の生存を疑わない。

 端的に言えば、頭のおかしくなってしまった哀れな女。

 ……しかし、鉄鎖流動にとって、失楽の覡こそは再度の希望だった。

 

 

「ここにひとつ、王の『種』があります。

 あなたならば、これを芽吹かせ……偉大なる後継者を育むことができるのではありませんか?」

 

「な、に──?」

 

「私は覡。失われし楽園の巫女。

 悪心萌芽の縛鎖狼よ、我が最愛──森神(シルウァヌス)を、再び大地へと根付かせるのです。

 さすれば、王が望んだ悪逆の世界が、今度こそ始まるコトでしょう。

 託宣はここに降りました。さぁ、選ぶのはあなたです──」

 

 

 なんて、言われてしまえば。

 もう、立ち止まってなどいられない。

 

 鉄鎖流動は身を起こし、覡とともにリンデンへとやって来た。

 

 ……そうして始まったのが、人界瓦解の大計画。

 鯨飲濁流の落胤を拾い集め、その萌芽を以って世に更なる暗黒を振り撒こうという……大いなる企みだ。

 

 リンデンはそのための足掛かりであり、王の遺志を継ぐための大切なイニシエーション。

 

 懸念となるのは、破魔の赤鉄に憤怒の剣。

 前者は侵入すれば、たとえ大魔であろうと無視できない速度で魔力を消耗してしまうし、後者に至ってはたかが人間と侮ったが最後、相当に痛い目を見るのは間違いない相手だ。組み合わされば厄介至極。

 

 だからこそ、人間に化ける能力を持つ鉄鎖流動が、最初に行動を開始した。

 

 城塞都市リンデンから遠く離れた餓狼の森より穴を掘り進め、赤鉄門の内奥──教会の地下墓所まで侵入。

 管理人と思しき男を見つけると手早く殺し、生皮を剥いでスッポリ変身。

 後は簡単で、豚を使った『種』の回収。

 ある程度終盤に差し掛かってからは、権力者を苗床にした萌芽の実験。

 

 ハゲ司教ミニャックには、覡が持っていた古びた種を。

 前大看板シルバーには、採れたてホヤホヤのヤツを使った。

 

 王子たちの姿が見えないのは、覡が施した『森のヴェール』による加護のためだ。

 エルフが持つ種族能力らしく、本来は無闇に森へ踏み入った不届き者を、ほんの数日間彷徨わせたりするのに使うらしい。

 

 恐ろしい女だと、つくづく思った。

 

 ……まぁ、それはさておき。

 

 

「機は上々──甘美なる復讐の誘惑には実に耐え難いが……俺たちには未だ、群青の空よりも優先して成すべきコトがある」

 

 

 レイノルドから受け取った小包を大切に握り締めながら、鉄鎖流動は「さて」と次なる目標へ思索を巡らせた。

 人類最高の退魔都市の完全崩壊を遂げるには、万全を期す必要がある。

 先ほどはつい復讐への熱意が燃えたぎってしまったが、冷静さは失っていない。

 腰抜けの城主、代表市議は後回しでも問題ないが、ここはやはり人間たちが最も身近に希望を抱きやすい秘宝匠組合から落としていきたいところ。

 

 

「……ちぃぃっとばかし、慎重過ぎる気もするがな。シルバーを仕留め損なったのもいただけねぇ。一度ケチがついた仕事っていうのは、最後までケチがつくもんだ」

 

 

 “悪心よ、萌芽せよ(ゲルミナティオ・ノズィーアン)”によって覚醒に至った王子たちは、鉄鎖流動の制御下にある。

 妙な首飾りをつけていたせいで、王子ともども取り替え児への察知が遅れてしまったが、あの瞬間、王子たちの動揺は鉄鎖流動の制御が危うくなるほど激しかった。

 

 王殺し──群青の空。

 

 彼の少年は、本当にあらゆる意味でその存在自体が度し難い。

 

 

「そうか」

 

 

 そこで、鉄鎖流動はハッと閃いた。

 鉄鎖流動が剥ぎ取った裘の中には、元々の持ち主の残留思念がひどくこびり付いている物がある。

 地下墓所の管理人。

 リンデンに入り込み初めに殺した男の生皮からは、レイノルドへの愚痴や上層部への不満が感じられた。

 

 ──その、ひとつに。

 

 

「有用な情報、み〜っけ! 

 ()()()()()。そうか、たしかにな! いいねぇ……! 打って付けの大物がいるじゃねぇかよ……!」

 

 

 人々の心にさざめきを起こすのに、何も鋼の英雄や秘宝匠たちだけを狙う必要はない。

 一国の最高峰権力者を殺してみせれば、リンデンだけでなく、王国全土で動揺が広がるだろう。

 たとえ始めは少ない影響でも、国の重要人物が死ねば、様々な余波が広がっていく。

 かつて、鉄鎖流動の生家が滅びた後、国もまた隣国に攻められ瞬く間に滅び去ってしまったように。

 衝撃によって安定性を欠いた人心の均衡は、たちまち脆く揺らぐのだ。

 

 ──悪心は、そういった時にこそ、面白いくらいに花を咲かせてくれる。

 

 

「人界瓦解、人界瓦解ッ……!

 く、くっくくく! なぁ、愉しいぜまったくよぉ!」

 

 

 鉄鎖流動は裘を被り人間へ化けると、王子を引き連れ地上へと向かった。

 

 

 

 






tips:鉄鎖流動

 発生年数およそ八十年規模の人狼の大魔。
 黒い毛並みとギチギチに肥大した筋肉を、常にジャラジャラと五月蝿い鉄枷・鉄鎖で飾っている(というか、半ば縫い付けられている)。

 人から魔へと転じた切っ掛けは、鯨飲濁流に右腕を噛みちぎられたコト。

 その際に視界に映った最美(鉄鎖流動視点)の光景に心底瞳を焼かれている。
 十六年にも及ぶ劣悪環境下での監禁生活は、彼から憎悪以外の感情をすべて奪い去ったが、悪辣なる悪鬼との出会いは彼に自我を取り戻させるほどの衝撃だった(=人狼種としての変異)。

 大柄な体躯や乱暴な口調から、さも豪快な性格をしている悪漢のように見えてしまうが、その本質は果たして──


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