ダークファンタジー系海外小説の世界で人外に好かれる体質です 作:所羅門ヒトリモン
目が覚めると、全身の力が抜けていた。
「……」
太陽の光が窓から射し込む。
雪雲はどうやら夜の内に去って行ったらしい。
明るい青空が顔を覗かせていた。
「おはよう、ラズワルド」
「……おはよう、ママ」
「今日はお寝坊さんね」
「うん」
「朝ごはん、できたわ」
「わかった」
返事をし、のそりと身体を起こす。
身体は非常にダルかったが、起きてしまったからには、このどうしようもない一日を開始しなくてはならない。
眠気もなく、体調も特に悪いところはなし。
昨夜負った怪我も、すでにママの治療によって治っている。
余計な心配を起こさせて、やっぱりアイツら殺しとこう、なんてなったら大変だ。
「今朝は?」
「雪兎のスープ。ラズワルド、好きでしょう?」
「うん。わーい」
「ふふふ」
食卓に着き、器の中の肉を匙で掬う。
雪兎のスープ。
口当たりはいいし、別に嫌いじゃあないけれど、この世界で僕が食べたことのある食べ物って言ったら、だいたいコイツだ。他に答える術なんてない。
僕は真顔でスープを啜った。
ママはいつも通り、目玉を食べ始めた。
ブチュブチュ、ブチュブチュ。
咀嚼音がしばらく辺りに響く。
「……」
「ところで」
「?」
「ところで、今日が何の日か覚えてる? ラズワルド」
僕が虚無顔を晒し、思わずチベットスナギツネみたいになっていると、ママが唐突に言った。
「今日?」
「覚えてない? 昨日、約束したでしょう?」
「約束?」
「あらあら、この子ったら本当に覚えてないのかしら……」
困った子ね、と吐息を漏らす(雰囲気)ママ。
「昨日の夕方、明日は必ず素晴らしい日にしてあげるって、たしかにそう言ったはずよ?」
本当に覚えてない?
じっと注がれる金色の視線に、僕はそこで思い出した。
「……ああ、そういえば」
「もうっ、自分の誕生日プレゼントの話なんだから、忘れちゃダメじゃないの」
「アハハハハ」
なにぶん要らない物の話だったので……とは、到底言えるはずもなく。
僕は乾いた笑い声をあげることで場を誤魔化した。
昨夜、言われてみれば、たしかにそんな話をした。
しかし、その後にあったコトが色々ありすぎて、すっかり忘れてしまっていた。
元々、当初の予定では受け取らないつもりでいた物でもある。
頭の中から抜け落ちていても、多少は仕方ない。
(……とはいえ)
計画はパァ。
今現在こうして昨日と変わらぬ一日を始めてしまっていることからも分かるように、僕の明日はすでに途絶えている。
諦めの境地。
もう、何もかもやる気が出ない。
無気力症候群だ。
僕はこれから、死ぬまで雪兎を食べ続ける機械である。
最強? ああ、アレ。
ムリムリ。もう心折れました。そんなコトより雪兎オイシイ雪兎バンザイ!
「……まぁ、私も昨日までに準備出来なかったからね。もしかして、貰えないと思ってた? ごめんなさい。でも見て、ほら」
僕が内心でヤケになっていると、ママが徐に自身の胸元から小包を取り出した。
長方形。木製の箱。
布の中から出てきたのは、二十センチちょいくらいの細長い棒だった。
「……なんです? これ」
「あ、あら? 見て分からない?」
「棒……?」
「ウッ、い、一応手作りだから、気に入ってくれると嬉しいのだけど……」
「
想定外の言葉に軽く目を見張りながら、僕は思わず渡された木の棒を手に取る。
黒い。肌触りは滑らか。材質はやはり何らかの木。
パッと見は指揮棒のようだと思ったが、手に取ってみると何故か違うと分かった。
これは、そう。恐らくは……
「十歳の誕生日おめでとう。
それはキミの杖。魔法使いとして歩むキミへ、私から贈る特別なプレゼントだよ」
「──────」
「材質はハンノキ。色はラズワルドの髪と揃えてみたの。きっとよく馴染むはず」
「あ、ありが、とう……」
「ふふふ、気に入ってくれた?
ポイントは持ち手の部分にこしらえた羚羊の模様よ。私が傍にいることをいつでも思い出せるように、ね?」
「………………」
「それから、小さいけど幾つかラピスラズリも埋めて──」
……声が、遠かった。
言葉はしっかり耳の中へと吸い込まれているのに、頭がそれを吸収しない。
ママのはにかむような説明の声。
照れ臭そうで、どこか誇らしげな。
なのに、僕の世界からは急速に音が遠のいていく。
──杖。魔法使いの、杖。
それは、果たしてどういう物だっただろう。
このCOGの空の下、魔法使いにとって杖とはどういう物で、どういう証だったか。
(なん、で……?)
意味が分からない。
自分が何を手渡されたのかサッパリ理解できなかった。
だって、これは、この贈り物は。
(特別だ。特別な品なんだ。これは師匠から贈られる、
魔法使いが弟子へと与える最高の祝福。
お前もまた我らが同胞であると認め、真に仲間として迎え入れた証。
通過儀礼であり、伝統。
だが、だからこそ──
(分か、らない……どう、して……今さら……!)
目眩がする。
昨夜の件でただでさえ頭の中がグチャグチャなのに、その上トンカチで何度もバカスカ殴られたみたいに最悪な気分だ。ああ、吐き気がする。
僕は何だって、こんな、とんでもない不意打ちを、いつだってされなきゃならない?
神様、教えてください。
(チ、クショウが……ふざけるなよ。
貴女は、今まで一度だって僕に
……それなのに、よりにもよって。よりにもよって今日?)
僕が逃亡に失敗し、諦めに沈んだその次の日にこんなコトをするのか。
もしかして、狙ってやってたりする?
刻印騎士団は半壊した。
少なくとも、昨日僕が見た限りではほとんどの人員が殺されていたはずだ。
加えて、最後にママが唱えた“
魔法ゆえにいつかは効果が切れるといっても、ママの魔力は規格外。きっと、死ぬまで魔法が解けることはない。
事実上の全盲だ。
命こそ助かったといえども、代わりにこの先一生涯続く闇を与えられたとなれば、その絶望は深い。あまりにも深すぎる。
致命的な損害を受けた彼らが再び白嶺の魔女を討伐しに来る可能性は、ハッキリ言ってゼロに近い。
そして。
僕もまた、この期に及んでもはや救出なんて可能性は一欠片たりとも期待していない。
心がポキリと折れてしまっているから、誰かに助けてもらおうとかそんなコト……考えるだけで死にたくなってくる。
犯した罪は多く。
償えぬ咎は重い。
雪兎終身刑だ。
僕はもう僕みたいな人間を助けるつもりがない。
僕などこの先ずっと雪兎だけ食っていればいいのだ。
この雪と氷に
最後はきっと、
ああ、ゾッとしない人生だとも。
(でも構わない)
罰は厳しいからこそ意味を伴う。
軽くて温い罰なんて、そんなものは罰じゃない。
……だというのに。
「ふふっ、愛しい子。美しい夜色はキミにとっても似合ってる」
やめてくれ。貴女の愛情は受け止めきれない。
僕は臆病なんだ。
今だって恐怖が薄れることはない。
だいたい昨日の今日だぞ。どうして忘れられる?
あの姿が焼き付いて離れない。
離していいとも思わない。
──なのに。
(僕の中の十年間が、どうしようもなく貴女に心を許してしまっている……)
なるほど。
あれだけ特別なお祝いと前フリしていたのも今では頷ける。
たしかに、これは特別だと認めざるを得ない。
タイミングも卑怯だった。
僕はもうこの
愛に、沈む。
ズブズブだ。とっくの疾うに。
§ § §
日が中天に差し掛かった。
空は晴れ渡り、陽光が雪上を元気に跳ねる。
肌を指す寒気は依然として痛いほどだというのに、顔の一部が日焼けしつつあった。
「それで、死傷者の数は?」
「死者、三十六人。重傷、三人です」
「東側はほぼ全滅だね。残りは?」
「わたしを含めて五人。全員、目をやられました」
ザク、ザク、ザクと。
フェリシアは雪を踏み鳴らしながら報告する。
「解呪は試した?」
「はい。ですが、使い魔を含めて解決には至りませんでした」
「フェリシア。今はどうやって?」
「ヴェリタスの呪文を使って、思考演算で補っています」
「
「はい、師匠。まだ戦えます」
「ならばよし」
問われた質問に簡潔に答えると、師匠は軽く瞠目しつつも頷いた。
「にしても、さすがは音に聞こえし白嶺の魔女。やってくれる。ウチの精鋭がたった一夜で半分以下か」
「……申し訳ありません。わたしが保護対象の救出を優先した結果です。本部に戻ってから罰はいくらでも受けます」
「当然だね。白嶺の習性は本部の記録に残ってる。我々は当然それらを頭に叩き込んでからここへ来た。子どもを連れ出せばどうなるかは分かっていたはずだ」
「はい」
「──ふぅ。だけど、フェリシア。あなたが罰を受ける必要はないよ」
「え?」
「今回の作戦隊長はわたしだ。全ての責任はわたしが果たす。それにまぁ、師匠は弟子を守るものだからね」
頭の上にポンと置かれる手。
フェリシアは俯き、自身の不甲斐なさを恥じた。
師匠は優しく笑うが、フェリシアが招いた災禍はとても甚大だ。
三十六人もの刻印騎士団メンバーを失い、白嶺の下僕へと変え。
生き残った数少ない人員も、軒並み視力を失っている。
フェリシアは唯一使い魔の呪文によって再起可能だったが、およそ四十人あまりの人生を壊した咎は、到底許されるものではない。
責任を果たすというのなら、フェリシアこそその使命を全うするべき人間だ。
「──師匠」
「ん?」
「白嶺は必ず殺します」
「そうだね。人に害を齎す化け物は絶対に許さない。騎士団の鉄の誓いだ。だから──」
師匠はニッカリと微笑んだ。
「白嶺の魔女は今日潰す。奴が子どもを拾っていたのは実に幸運だった。
もう一度聞くけど、フェリシア? 白嶺の子が自殺を仄めかした瞬間、
「はい。白嶺はあの瞬間、わたしたちの殺害よりもラズワルド君の手当てを優先しました。証拠は今こうしてわたしが生きていることです」
「ならば希望はあるッ!!」
フェリシアが事実をありのままに話すと、師匠は感極まったように叫んだ。
紅い髪を振り乱し、焼け爛れた半面を笑顔に歪ませながら、女は天高く両の拳を握り締めていた。
外見は三十代前半。
しかし、フェリシアは知っていた。
目の前に立つこの女性こそ、刻印騎士団最強の魔法使い。
──
フェリシアの師匠にして、本作戦における最高火力。
現在の刻印騎士団の中で、白嶺の魔女にもしも真っ向から挑める可能性がある人間がいるとすれば、それはこの人であろう。
その理由は、団員の中で魔力が一番多いとか、使い魔が極めて強い
(……単純に、この人は手段を選ばないから)
復讐の鬼なのだ。
騎士団は皆、誰しも地獄の底を知っている人間ばかりで、その多くが復讐を誓っている。
しかし、フェリシアの師匠はその中でもひときわ……えぐい。
「あの、師匠。ラズワルド君は……」
「分かっているよ、フェリシア。男の子は助けるともさ。でも、白嶺を殺すにはこの方法しかない」
「ですが、やっぱりわたしは──」
「
「……」
名前にかけられた小さなプレッシャーに、フェリシアは口を噤んだ。
「そう。それでいい」
ポン、ポンと。
頭に乗っけられる手。
「いいかい。白嶺はもう三百年以上この地で野放しだ。
麓のひなびた村を見ただろう?
あそこの住人たち、誰も彼もわたしたちと正面から視線を合わせなかった。
きっと、子どもを生贄にする習慣は、ここ十年や二十年でできたものじゃない」
そも、考えてみれば不自然なことで。
白嶺の魔女ほどの存在が、ここ百年から二百年あまり刻印騎士団に補足されなかったのは何故なのか。
狂った化け物が災いを振り撒けば、たちどころに嗅ぎつけるのが騎士団である。
「今回だって、そのラズワルド君って子が
なにせ常冬の山は最北、極寒の土地。
人も魔も好き好んで住み着く場所ではない。
「すでに昨夜の未遂で奴には感づかれている。
遅かれ早かれ、白嶺はどこかへと巣を変えるだろう。その前に叩かなければ」
そして、魔女を殺す方法はすでに明らかになっていると。
紅髪の魔法使いは、強い怒りを持って断言した。
「白嶺の子を人質にする。それで奴は惨殺できる」