カポーン
夜遅くまでやっている人里の銭湯。
今夜はたまたま私達の他に客が居らず、完全なる貸切になっていた。
酔っ払いの貸切となれば馬鹿みたいに騒ぎそうなものであるが、酩酊酒乱の限りを尽くしていた私達は熱い湯に浸かることで漸く落ち着きを取り戻した。
冷静になった事で先程までの様々な言動、行為を省みた私達は三人全員が顔を真っ赤にして黙ったまま湯に浸かり続ける。
気づけば、私達は黙ったまま湯船に一時間浸かり続けていた。
未だに顔が赤いのは羞恥心?いや、それだけでは無い。
熱い湯に一時間も浸かり続けた事で、まるで茹でダコのように逆上せているのだろう。
静寂が支配する中、最初に声を発したのは夢月であった。
「…先上がってる」
「…うん。」
「…えぇ」
夢月は湯船から出て、軽くかけ湯を済ませてから脱衣場の方へ歩いていった。
それを見て我ながらおっさんのような感想を抱く私。
「…可愛い尻。」
「…灯音?まだ酔ってるの?」
まだ酔ってるのか…自分では落ち着いているつもりではあるから否定したい気持ちもあるが、正直こんな言葉が自然と口から出る事実がある以上、あながち否定できない。
「…ごめん、酔ってんのかも。」
「ふふっ、たくさん呑んだものねぇ…」
ちゃぷっと湯面を揺らし、大きな富士山の描かれた壁に寄りかかるカメリア。
顔が赤いながら、透き通るような白い肌がより鮮明に露出した。
胸を隠すように巻かれたタオルの間から見える脚、晒された腕、肩、首筋、胸元…
「やっぱ酔っ払ってんのかな…。」
これじゃあまるで私が変態みたいじゃあないか。
違うんだ、別にカメリアの肉体を求めているとかそういうわけじゃない。
ただその身体が目に入ると少し…少しだけ感情が何処か昂るのだ。
この昂りがどんな意味を齎すのかは分からないが、実はそこに何かしら特別な感情があるのかもしれない。
そんなことを考えながらボーッとカメリアの身体を見ていると、視界の少し上から綺麗な声が響いた。
「どうかした?そんなに私のこと見て」
「ん…。」
私がボーッと目線を当てていたのは首元。
突然の声に反応して目線を上げると、頬に手を当てて顔を傾けたカメリアが私を見つめていた。
真珠のように透き通る白い肌と対照的に、火照りを感じさせるような仄かに赤い顔のカメリア。
そんなカメリアに一瞬だけ見惚れてしまい、私は一瞬の間を置いてハっと我に返った。
慌てて顔を背ける私、どうしてしまったんだ私は。
「…っ別に、なんでもない。」
「変な灯音ね〜」
ふふっと微笑みながらカメリアは私を茶化す。
変だとか言われたって、そんなの私が一番思ってるよ。
自分が何考えてんのか全然わかんない。
そっぽを向いてボーッと考え事をする私だったが、流石にそろそろ逆上せてきたので立ち上がろうとする。
「どうしたのよ、灯音っ」
「えっ!カメリア!?」
立ち上がろうとした瞬間、突然カメリアが背後から私を包み込んだ。
触覚に届く濡れた柔らかい感覚、聴覚に届く透き通った声と温かい息遣い、嗅覚に届くシャンプーと何処か安心する匂い。
それらの感覚は私の思考を狂わすには充分であった。
「も、もう上がるから退いて…っ。」
一回湯冷めしないと、この無駄に昂った感情も治まらないだろう。
そうすることで、一度気持ちを落ち着かせたい。
しかし、それを許さないのがカメリア。
「じゃあ一人じゃ危ないし、一緒に上がりましょ?」
「え…なんでよ。」
逃がさないと言わんばかりに私の肩に顎を乗せるカメリア。
その両腕は私の胸を支えるようにして私を抱きしめていた。
駄目だ、このままじゃ私の中で何かが外れる気がする。
すぐにでも脱出をしないと。
「なーに?嫌なの?」
「嫌っていうか…とにかく上がらせてっ…」
「あっ、ちょっと灯音!」
私は強引にカメリアの拘束を振りほどいて立ち上がろうとする。
すると立ち上がった瞬間、視界が真っ暗になると共に意識が不明瞭な概念へと変容した。
ぐらり、ぐらりとゆっくりと大きく揺れる視界。
「えっ…。」
「灯音!?大丈夫ッ!?」
暗い視界の中で何とか感じ取れたものは、私を呼ぶカメリアの声と、カメリアの胸に顔を埋めた感触であった。
それはまるで枕のようで、私はそのまま意識を手放した。
──
───
────目が覚めると、見知らぬ木板の天井。
未だに明瞭としない意識の中、後頭部を支えている柔らかい感触が気になって私は手を触れる。
温かくてスベスベした細身の感触が二つ、私の頭を支えていた。
その二つの感触はビクリと跳ね上がり、身を震わせるような艶っぽい声を出した。
「ひゃっ…お目覚めね、灯音」
「カメリア…?なんで下着なの?」
すると艶っぽく感じる声と共に、大きさの等しい二つの山とカメリアの顔が私の顔を覗くように私の視界を支配した。
下着を着てタオルを羽織っているだけのカメリアは、状況を察するに私に膝枕をしてくれていたようだ。
カメリアはふふっと微笑み、指で私のお腹をスーッと撫でた。
そのゾクゾクっとする感触と共に、なにか違和感を感じる私。
「灯音なんて、このタオルどかせば裸なのよ?」
「えっ…?」
そう言ってカメリアは、私の頭を撫でてもう一方の手で団扇を私に仰いだ。
そうだ、私は銭湯で湯船から上がろうとして倒れたんだった。
ってことはもしかして、私が倒れてからカメリアはここに運んでずっと看病してくれていたのだろうか。
感謝と共になんだか申し訳なくなって起き上がろうとする私だが、カメリアの手に制止された。
「まだ少し危ないわ、ゆっくりして?」
「…わかった。ごめんね…ありがと。」
「いいのよ…あら、もうこんな時期なのね」
何かに気づいたように私から目線を外したカメリア。
それに釣られるように頭だけを動かしてカメリアと同じ方向を向く。
目線の先にはお洒落な露天風呂が大きな窓に隔てられて鎮座しており、その湯面には白い結晶がゆらゆらと降り注いでいた。
ふわふわとした白い結晶は湯面に触れた途端その姿を消失させ、風呂の温度をほんの少しずつ下げ続けている。
「雪だ。」
「故郷を思い出すわ」
「故郷…ね。」
カメリアの言う故郷とは…500年前の紅魔館のことではなく、ロシアの事なのだろう。
とはいえ紅魔館が故郷に当てはまらないというわけではなく、雪といえばロシアみたいなイメージだからロシアの事を言っているんだろうみたいな。
なんか文面おかしいな。
「そういえば、夢月は?」
「夢月は小腹空いてきたって、食堂に行ってるわよ」
「よく食べるな…。」
先述した通り、私達はお腹いっぱい料理を食べて肝臓いっぱい(?)お酒を呑んでから銭湯に来たのだ。
現に私はまだお腹いっぱいだし、そんなすぐに小腹が空くなんて夢月は消化が早いのかもしれない。
さて…とはいえ私もそろそろ起きないとね。
私はまだ暑いが、カメリアが風邪をひいてしまうかもしれない。
「灯音、まだゆっくりしてて?」
「大丈夫だよ、カメリアも服着ちゃって?」
「私は別に風邪ひくことは無いわよ?」
「いいから。」
「…もう」
私とカメリアはゆっくり立ち上がり、棚に置いた籠の着替えに身を包むのであった。
下着を先に着ていた分、少し早く着替えが終わったカメリアは「一服して待ってる」と言ってそそくさと出て行った。
…なんか不自然。
「それにしても、カメリアには後でお礼しないとな。」
下着を着ながらそう呟く私。
お礼と言っても口頭だけのものではなく、ちゃんと物理的な物でお礼をしたいわけだ。
とりあえずあとで飲み物は買おうと思っているが…と考えていると、ふと鏡に映る自分の姿に違和感を覚えた。
「…なにこれ?」
私の首元に赤い何かが付いている。
よく見えないので鏡に近づいてよーく見てみると、それは唇の形をした痣であった。
唇みたいな形の物にいつの間にかぶつけたのだろうか。
そんな訳、ないよね。
「…お礼は決まったね。」
鏡に映った真っ赤な自分の顔を見て鏡から目を逸らし、そそくさと服を着て脱衣場を後にするのであった。
受付で料金を支払って軽く食堂を覗いてみると、夢月が美味しそうにうどんを啜っていた。
私の視線に気づかないで夢中になっている夢月を見て、私は「また後で来よう」と呟いてそっと食堂を後にする。
そういえば雪が降っていたんだ。
銭湯内の売店で唐傘を購入して、三人で入…いや二人ならまだしも三人で相合傘は無理があるか。
仕方がない、少し料金は嵩むが三人分全部買っておくことにした。
購入した唐傘は鮮やかな朱に彩られており、どちらかといえば雪とはミスマッチかもしれないが十分に目を惹く美しいデザインである。
「さて、私も一服に行こうか。」
三本の唐傘を持った私は受付を通り過ぎ、靴を履いて玄関扉を開ける。
思っていた以上に冷たい風が私を吹き付けることでブルブルっと肩を震わせていると、玄関扉を出て左の壁伝いにあるベンチにカメリアが座って煙草を吸っているのが見えた。
ちょうど私に背を向けているカメリア。
しめしめと思った私はゆっくりとカメリアに近づき、背後からギュッとカメリアを抱き締めた。
「あらびっくり、どうしたの?灯音」
「どうしたの?って、心当たり無いの?カメリア」
カメリアを後ろから抱き締めたまま耳元で囁く私に、息に反応してかそれとも内容に反応してかは分からないがカメリアはビクッと肩を震わせた。
苦笑してどこか誤魔化そうとしている様子のカメリア。
「ふふ…お酒の力って怖いわね?」
「へぇ…でもこれ私が気失ってる時に付けたやつだよね?」
再びギクリとするカメリアに追い打ちをかけていく。
私の抵抗できない時にそういう事をするなんて許せない。
「気失ってる時にするなんて卑怯じゃん。」
「…嫌だった?」
「当たり前でしょ。」
「…そう…よね」
私は後ろからカメリアの髪を軽くかき上げ、顕になったカメリアの首元に唇を付けて息を大きく吸った。
音もなく静かに行われる行為に困惑しつつ、堪えるような声を出すカメリア。
カメリアの手が私の頭に触れる。
それに対して私は真っ赤に染まった顔を悟られないように隠しながら、カメリアの首元から唇を離す。
唇が触れていたカメリアの首元には、唇の形をした痣が生まれていた。
「ちゃんと起きてる時に、して。」
「灯音…嫌じゃないの?」
「勝手にされんのが気に入らないだけ。」
「…そうなのね」
私は未だ火照りの治まらない顔をカメリアの肩に埋めながら、背後からカメリアに抱き着き続けた。
それに対してカメリアは何を言うわけでもなく、見えないであろう私の頭をひたすら撫で続ける。
暫くの間抱き着き続けた後、私は絡めていた腕を離してカメリアの隣に座る。
少し残念そうな表情を浮かべるカメリアに気付かないフリをする私はジッポライターで煙草に火を灯し、大きく吸った煙をフーッと吐き出した。
数秒の静寂を破ったのは私がボソリと呟いた一言であった。
「さっきの…お酒の力じゃないから。」
私のその言葉に対し、驚いたように目を見開くカメリア。
数拍の間を置き、カメリアはふふっと笑った。
「……嬉しいわ、灯音。私も、そうよ」
先程カメリアが見せた一瞬の寂しげな表情はどこへやら、カメリアは目にいっぱいの雫を溜めながら私に微笑んだ。
その微笑みは非常に幸せそうで、私にとってもそれは幸せなものであった。
嬉しいのは私も一緒、けれどやっぱり恥ずかしくて顔を背けた私は誤魔化すように真っ赤な顔で呟く。
「…馬鹿。」
闇に相反する白が、疎らに黒のキャンパスを彩っていた。
既に歩行者は居らず、まるで二人だけの世界かのように錯覚する程の静寂。
その静寂の中で降り頻る雪、ほんの数平方メートル程の飛び出し屋根の下。
私達は寄り添い、お互いの指を絡めるのであった。