東方空蝉録   作:Amaryllis___

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復讐ノ大火

灯莉とドーナツを食べた後、私はどうしても燻莉の事が頭から離れずにいた。

 

麓の街は未だ大火に包まれており、老若男女の悲鳴が響いている。

燻莉が出掛ける時の目的は、基本的に麓の町である。

いつもは麓の街で買い物を済ませ、なるべく人とは関わらないようにして早めに帰宅しているのだ。

 

 

 

「おかあさん、遅いね…」

 

 

「大丈夫、すぐ帰ってくるよ。」

 

 

 

現在、午後九時。

いつもなら燻莉はとっくに帰ってきており、私と灯莉に早く寝ろと促している時間。

今まで燻莉の帰りがここまで遅くなった事は無いし、燻莉の性格上、遅くなるなら私達に予め伝えておくはずだ。

 

しかし仮に燻莉に何かあったとして、それを灯莉に悟らせるわけにはいかない。

灯莉には早めに寝てもらおう、そう思った私は灯莉に歯を磨くよう促した。

 

 

 

「……灯莉、歯磨いて寝な?」

 

 

「はぁい」

 

 

暗い洗面所をパチパチと点滅しながら照らす白熱灯の下、私達は並んでシャコシャコと歯を磨き始める。

洗面所の鏡には、眠そうに歯を磨いている私達の姿が写っていた。

 

歯を磨き終え、蛇口を捻ることで無尽蔵に放出される冷たい水を半透明なコップに注ぎ、その水でガラガラとうがいをする私と灯莉。

 

 

 

「おねえちゃん、私先寝るね」

 

 

「うん、おやすみ。」

 

 

「おやすみなさい」

 

 

 

須臾に口に含んだだけの冷たい水が体温を下げたようで、うがいを終えた灯莉は寝室に向かい、そそくさと布団に潜り込んだ。

 

寝室と廊下を隔てる開けっ放しの障子に手をかけ、私は布団に潜り込んだ灯莉を見下ろして微笑む。

 

 

 

「ふふっ、ホントに寝るのが早いんだから。」

 

 

 

布団に潜り込んだ灯莉は既にスースーと静かな寝息を立てており、その気持ちよさそうな表情が良い夢を見ているのだろうという事を予想させた。

 

そんな灯莉の姿を見て癒された私は障子を静かに閉め、一人リビングから庭に向かう。

庭から麓を見下ろすと、街を包む大火は止むことを知らず、寧ろ酷く激しく燃え上がっていた。

 

 

 

「……母さん、私も行くよ。」

 

 

 

私の仮説はこうだ。

燻莉は「今夜は庭から見える景色が綺麗だ」と言っていた。

つまり、燻莉は街が大火に包まれるのを知っていたと見て良いだろう。

 

いや、知っていたと言うよりは…

 

 

 

「……行けばわかるよね。」

 

 

 

私は戸締りを念入りに済ませ、麓の街へ向かうことにした。

こんな山奥に人が来ることなんて無いが、戸締りはしておくに越したことはないだろう。

 

敷地内から出てアスファルトの道に出ようとした時、うちの倉庫の前にバールが落ちていることに気づいた。

おそらく祢音が何かの作業をした後に仕舞い忘れて放置していた物だろう。

 

 

 

「……父さん。」

 

 

 

私は何かあった時の事を考慮し、そのバールを持って行くことにする。

 

恐らく、時は一刻を争う。

 

私は麓の街へ続く、街灯もない真っ暗なアスファルトの道を走ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽はとうに没落し、暗黒に包まれたはずの街。

今夜に限り、その日常の光景は覆されていた。

 

何処を見ても暗い所など存在しない。

街を包み込んだ赫い大火は、寒空の下を激しく暖めている。

そして耳に届くは止むことを知らない断末魔のような叫び。

 

その光景は、お世辞にもこの世のものとは思えなかった。

 

ぼーっと眺めていると、街の中央に座する大教会の屋根に突き刺さった十字架の上に立つ人影が見えた。

その人影は赫いフードを被っており、楽しそうに両手を広げている。

髪型も不明瞭であったが、私には分かった。

 

 

 

「……!母さん…っ!」

 

 

 

あれは燻莉。

私に今まで見せたことも無いような目で、悪魔のように邪悪な笑い方。

それは、お世辞にも綺麗とは言えない姿だった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

私にとって、灯莉にとっても、燻莉はいつも憧れだった。

綺麗で、優しくて、強くて…。

 

ずっと見てきたはずの燻莉の姿を疑ってしまい、私はついに口を塞いでしまった。

 

 

 

「……あら?」

 

 

 

絶句している私に気づいたのか、燻莉は十字架の上から飛び降りて私の元へ歩いてくる。

赫い衣服は紅い血に塗れており、燻莉自身にも多少の生傷が見て取れた。

 

しかし燻莉は自分の事などどうでも良いように、血塗れの手を拭いて、私の頭を撫でた。

 

 

 

「ごめんね、迎えに来てくれたのね。」

 

 

「…母さん、これは…?」

 

 

 

私が未だ大火に包まれている街を見てそう言うと、燻莉は強い不快感を孕んだ瞳で燃え盛る街を睨みつけた。

 

 

 

「これはもう要らないから、こうするわ。」

 

 

 

そう言って燻莉が手を翳すと、燻莉の掌から目を覆いたくなる程の大火が噴き出し、辛うじて原型を残していた残りの建物を全て灼き飛ばした。

 

何でこんなことをしたのか、本当なら聞くべきだったのだろう。

しかし私は燻莉が無事でいてくれたから、それで満足してしまった。

 

 

 

「帰りましょう、灯音。」

 

 

「……うん。」

 

 

 

私は、家族さえ無事で居てくれればそれでいい。

これ以上家族が減る事さえ無ければ、他の誰が死んでも心など痛まない。

 

しかし、この時点で私は気づくべきだったのだ。

 

 

 

 

 

街を滅ぼしたのにも関わらず、燻莉から漂う確かな殺意の残滓に。

 

 

 

 

 

「ふふっ…。」

 

 

 

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