かつては生命の脅威となり得る存在を封印する用途にもなっていた世界、“魔界”。
ある意味では地獄と同義にもとれるその世界で、特別異質な空間が存在していた。
暗く、冥く、一片の灯りも存在しない空間。
ただ、そこに満ちるは闇。純粋なる闇が展開されている。
そんな闇の中で、人…なのだろう。
そう、人の男女が怪しげな談話を繰り広げていた。
「キミの方、首尾はどうなんだい?」
一方は、背丈ほどもある十字架を携えた、何処か幽鬼のような雰囲気を持つ女性。
「どうもこうもねぇさ、やるしか無かろうよ」
或いは、黒衣に身を包んだガラの悪い男。
冥い生地の隙間から時折露出する手からは、黒い稲妻のような光が淡く放たれている。
「ふふっ、それもそうだ。どうせ私達に選択肢なんて残されていなかったね」
その女性は携えた十字架を地に突き立て、冥く微笑む。
突き立てられた十字架からは淡い光が放たれ、一片の灯りも存在し得なかった空間に灯りを生み出した。
「俺が言えた義理じゃ無いだろうが…テメェでテメェを破滅に導くような事はすんなよ」
「心配には及ばないさ。例えこの身が朽ち果てようとも、殉教者に至った私は永久に不滅なのだよ」
彼女は自らの正体を明かさない。
しかして特徴的な彼女の装い、雰囲気、性格からは、特に信心深い渇仰者であろう事が見て取れた。
殉教とは、己の全てを贄として神に捧ぐ行為。
彼女は殉教する事であらゆるものを超越した存在になれると信じて疑わないのだろう。
「フン…アンタがそう言うなら、それで良いんだろうさ」
「ふふっ。キミは鉄のような男だと思っていたけれど、心は羊毛の如く柔らかいわけだ」
「ケッ、顔で選んでんだよ」
男は冥い虚無の世界に唾を吐き捨てる。
吐き捨てるとはいえ、この世界に地と呼べるものは存在しないわけだが。
決して特別な関係とは言えない二人は、そんな闇の中で緩やかに歩み始める。
「さぁて、一世一代の大仕事じゃい」
ささやかな淡い光に照らされていた僅かな空間が、再び分厚い闇に包まれた。
〇
岸に打ち据える波の音、鉄を嘲笑うように吹き付ける潮風。
凪いだ空は既に宵を示し、僅かながらも星々が姿を表している。
そして今、私達の前には
「……見つけたね」
「なるほど…この子がねぇ」
「…やっぱ何度見ても灯莉だな。」
「前見た時と全く同じ所に…」
破壊した道路標識を後ろ手に持ち、孤独に海を眺め続けている少女。
灯音が香霖堂の外で見た騒霊、カナ・アナベラルその人であった。
私達の声に気づいたその少女はゆっくりと振り返り、私達…いや、私を見て微笑んだ。
「こんばんは、お姉さんの事はよく知ってるよ」
「灯莉…じゃないんだよね、君は。」
実の妹である灯莉と瓜二つの顔。
あの時、燻莉の手によって命を落とした灯莉の顔。
けれど彼女の纏う雰囲気からは、どこか儚げなものを感じた。
「灯莉…ではないけど、ある意味では灯莉とも言える…かな。」
「カナだけに?」
「ふ…蓮子は少し黙ってて。」
「ちょっと笑ってんじゃん」
こんなくだらないやり取りを見たカナは、釣られたように私に笑いかけた。
「ふふ、割と面白い」
その笑顔が、また余計に幼き頃の灯莉を思い出させる。
これが、私達とカナの出会いであった。