純白の彼女は夢に堕ちた。
彼女は夢に翻弄され、さて自我を保てるのかと。
答えは、否。
「あぁ…」
遠のく意識
膨れ上がる劣情
また遠のく意識
脳髄に響き渡る感情は愛?憎悪?愛?憎悪?
愛
憎悪
憎悪
憎悪
「カメリア…だよね?」
「あら覚えててくれたのね、嬉しいわ。会いたかったわよ、灯音」
楽園の森で再会したあの時から、彼女は夢に侵されていた。
その身が人であったならば、自我を取り戻す事など有り得ないだろう。
皮肉にも、忌み嫌ってきた己の混血が彼女を救ったのだ。
十字の信仰により賜った神託にて、私は真理を知り得た。
そうか、今目の前にいる彼女こそがカメリアか。
「興味深い、実に興味深いとも」
土地が違えど、彼女もまた立派な渇仰者。
月光を信仰する気持ちは理解に苦しむが、彼女にとっての月光は私にとっての十字と相違無いのだろう。
長い前髪によって覆い隠された瞳を三日月状に細め、私は十字架を地に突き立てた。
隣の灯音が不安げな瞳で私を見つめる。
「メアリー。彼女は味方だけど、今は…。」
「理解っているさ、安心するといい」
灯音を宥め、静かに瞳を閉じる。
私の手になる魔術の基本は祈祷、信仰だ。
己が内に秘めたる十字への信仰を、限りなく高まった純度で流し込む。
果たしてこれは魔術と呼ぶのか…なかなかどうして不可解ではあるが、客観視するとそう見えるのであればきっとそうなのだろう。
信仰によって賜った奇跡の種別など、心底どうでも良いことだ。
「んふっ…ふふふ…灯音ェ〜!!!!」
十字に信仰を注いでいる僅かな間だったが、カメリアは傀儡のように不安定な動きで灯音に襲いかかった。
カメリアの大太刀が振り上げられ、ハーフヴァンパイアの膂力によって強く振り下ろされる。
いくら戦闘経験が豊富とはいえ、真人間である灯音の柔らかい体では簡単に分断されてしまうだろう。
しかしそんな事を許すほど、私は甘くない。
「暁光」
詠唱は不要。
祈祷によって信仰は充足に注がれた。
突き立てられた十字架から満ち溢れる暖かな光が、冷たい闇を包み込む。
その瞬間カメリアの動きがピタリと止まり、代わりに両の手の武器を落としてもがき始めた。
「うっ…うぅ……あぁっ!」
極光というわけではない。
しかし夢に侵されているカメリアにとって、その光は劇毒と相違なかったようだ。
その劇毒により、カメリアに纒わり付いていた違和感は黒い鏡を割ったように弾け飛んだ。
「カメリア!」
喉が詰まるような喘ぎ声が治まり、脱力し倒れゆくカメリアの体を抱き留める灯音。
恐らくこの2人は恋仲なのだろう。
悪夢に囲まれたこの状況で随分と呑気なものだが、別段私の使命に支障をきたすわけではない。
そもそも恋愛だとか友情だとか、そういった感情は私には理解ができない。
軽んじているわけではなく、単純に理解が及ばないだけなのだ。
いや、それこそ些事か。
私に求められているのは使命の完遂、ただそれだけだ。
「メアリー、カメリアに何したの?」
カメリアを抱き抱えながら、不安そうな目を私に向ける灯音。
ニュアンス的には少し憤りを感じかねない物言いだが、ただ心配なだけなのだろうということが灯音の口調や表情から読み取れた。
「…一時的だが、彼女を苛む悪夢を取り払っただけさ。じきに君のよく知る彼女が目覚めるだろうね」
「そっか、よかった。ありがと。」
私が真実を告げると、灯音はとても分かりやすく安堵の表情を浮かべた。
灯音がカメリアに向ける感情の全てには例外なく愛が多分に含まれている。
羨ましい限りだ。
「しかし、これもまた悪夢のひとつ…幾重にも積み上げられた台本は、未だ佳境には至らない」
この世界、この時空、この夢…
総じて奴の手になるもの。
その呪縛から逃れようといくら藻掻いても、それもまた奴の筋書きだろう。
「であれば、なんだというのだ?」
そう呟きながら、突き立てた十字が重い金属音を響かせる。
心底くだらないものだ。
それこそ、奴からすれば私の信じる神ですらも些細な存在なのだろう。
しかしそれ故に、幽鬼のように無気力な私が覚醒するというものだ。
奴がどのような悪夢を創ろうと、私にとっての全能は神以外に非ず。
眼下では未だ灯音がカメリアを抱き抱えている。
そんな二人を横目に、私は歩き始めた。
「灯音、先を急ごう」
「…うん、わかった。」
私は私の使命のため。
仲間との約束も勿論兼ねてはいるが、所詮は附帯した一点に過ぎない。
背教者を、殺す。
私にも慈悲はある。だからこそ、殺す。
何者であれ、全てにおいて死こそが救済なのだ。
奴がどんな背教者であっても、殺す前に我が神の偉大さを説けば、死しても殉教者たり得るのだから。
どれほど教えに反したとて、殉教という末路を辿るのであれば幸福極まりないことであろう。
私は思わず口角を吊り上げて灯音に語りかけた。
「いよいよ最終局面だよ。キミの物語も、私の物語も」
「……そう、なのかな。」
士気を上げる為の言葉だったのだが、灯音の反応はどうにも歯切れが悪かった。
大小問わず、きっと彼女にもまた重い結末が待っているのだろう。
私はそう解釈し、特にそれ以上考えることも無く再び歩き始めた。
「けれど、悪夢の輪廻には抗えないよ。」
灯音の消え入るように小さな呟きは、私の足音に掻き消された。