「そしてゼーレヴェは大洋を渡り、陸へと上る……」
「ちょっと、ちょっと、何なのよ、これ!」
キーボードを叩きながら藍羽浅葱は思わず叫んだ。その声すらも、基地内にけたたましく響き渡る警告音に掻き消されていく。
コンピューターの画面に次々と浮かび上がるのは『音信途絶』の文字。それも、相手は主要な政府機関や軍事施設ばかりだ。挙げ句の果てに、民生通信までダウンし始めている。完全に異常事態であった。
各施設との通信を回復しようと悪戦苦闘する浅葱だったが、ある一つの報告が彼女の目に飛び込んできた。
『民間機がロンドン南方にて北上する飛行船団を目撃』
「『飛行船』って……。戦争でも始める気なの……?」
「その通り」
聞き慣れた声に浅葱が振り返ると、扉を背に立っていたのは、南宮那月。
「戦争が、始まったのだ」
「おい、見ろよ!」
「何あれ?」
「アハハッ、すごい!」
ロンドン市民は空を見上げていた。
突如として頭上に出現した飛行船を、ある者は好奇心から、またある者は奇異の目で、とにかく皆が見上げていた。
それに乗る者が半世紀前の大戦の亡霊たちとも知らずに……。
「大隊総員、
そして、ロンドン市民が見上げる飛行船の内部。
「諸君。夜が来た……」
1000人の部下を前に立つのは、あの男。
「無敵の敗残兵諸君。最古参の新兵諸君……」
チビで太った、眼鏡の親衛隊が言った。
「満願成就の夜が来た! 戦争の夜へようこそ!」
「「「「「オー!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」
敗残兵たちが雄叫びを上げる。
今夜こそ、彼らの半世紀ぶりの晴れ舞台だ。
「ゾーリン。ゾーリン・ブリッツ中尉」
「御前に」
少佐が大鎌の女将校を呼んだ。
「我々の目標はヘルシング、そして暁古城の打倒だ。貴下中隊を先遣隊とする。ツェッペリンIIにて、ヘルシング本部へ急行せよ」
「了解」
「だが、強行は避けたまえ。私と本隊の到着を待つように」
「お手を煩わせることはありません。暁古城なしのヘルシングなど、赤子同然」
「んふふふ……」
少佐は笑いながら首を横に振る。
「あの女を甘く見るな。南宮那月と姫柊雪菜を甘く見るな」
まるで親しい友人を紹介するような口調で言う。
「南宮那月。彼女は養女とはいえヘルシングの末裔だぞ。史上最強のヴァンパイアハンターの一族の当主だ。あの暁古城が認めた、あの暁古城の主だ」
さらに続けて、
「そして、婦警。吸血鬼・姫柊雪菜。彼女は、奇跡のような存在だ。『冗談のような』と言っても良いがな。そして、おそらく、彼女は自分でも気が付いてすらいない。こいつは何とも楽しいことじゃないか」
ハハハハハハッ! と声に出して笑う。
「二人とも恐ろしく未熟で不完全で。だが、それ故に、私は彼女らを暁古城同様、宿敵に値すると結論している」
演説調だった声音を、子供を諭す時のそれに入れ替えて、少佐は言った。
「ゾーリン、もう一度言う。強行するな。私の到着を待て」
「……了解しました、大隊指揮官殿」
「よろしい! ならば堰を切れ! 戦争の濁流の堰を切れ!」
そして、少佐はお祭りが楽しみな子供のように言った。
「第一目標はロンドン全域!
テムズ西岸議事堂!
ビックベン!
首相官邸!
国防総省舎!
バッキンガム宮!
スコットランドヤード本庁!
ウェストミンスター寺院!
ピカデリー!
ソーホー!
シティー!
サザーク!
全て燃やせ!
中央政府院、セントポール大聖堂……」
「少佐、キャビネットウォールームスは?」
と、ドク。
「爆破しろ! 当然だ。不愉快極まる。欠片も残すな」
「トラファルガー広場はいかがしますか? 少佐殿」
と、ある兵士が。
「燃やせ。ネルソン像は倒せ。
ロンドン塔、大英博物館、大英図書館、全部破壊しろ。不愉快だ」
「タワーブリッジは?」
「落とせ。ロンドン橋もだ、歌の様に」
「帝国戦争博物館は?」
「爆破しろ。
目についた物は片端から壊し、目についた者は片端から喰らえ。
存分に食い、存分に飲め、この人口800万の帝都は、諸君らの晩飯と成り果てるのだ」
少佐にシャンパンの入ったグラスが差し出される。
「さあ、諸君!
殺したり殺されたりしよう!
死んだり死なせたりしよう!
さあ乾杯をしよう。
宴は遂に今宵、此の時より開かれたのだ!」
グラスを受け取り、掲げる。
「
「「「「「
そして、グラスを床に落として割った。
同時に、飛行船からロケット弾が発射された────。
数十発のロケット弾が、ロンドンの街並みを地獄絵図に塗り替える。
砕け散るレンガ造りの家々。
道を縦横に走る炎。
焼け落ちる英国旗。
逃げ惑う人々の阿鼻叫喚。
「まだだ……」
それを見た少佐は言う。
「
「はっ!」
『V1改全弾発射! 戦果は大打撃。大打撃!』
「まだだ。もっと戦果を。もっと戦火を!」
「綺麗だ……」
街を見下ろす兵士が言った。
「地獄が輝いている……」
「俺たちは化物だ……」
「あそこでしか生きられない……」
「あそこにしか行きたくない!」
『着上陸作戦開始! 降下兵団出撃せよ!』
「行くぞ、前線ブタ共! 戦争だ!」
オペレーションに従って兵士たちは飛び出した。
「売国奴め……」
足下に転がる、吸血鬼の死骸を見てクリストフ・ガルドシュは毒づいた。
今し方、侵入してきた彼らをどうにか殺し尽くしたところである。
「てっきり円卓内部で手引きをしていたのは貴様だと思っていたがな……」
「ヘルシングか。馬鹿を言うな。こいつらを殺す方が楽しいに決まっているだろう?」
「そうか」
「将軍! 英国内の主要軍施設・指揮中枢、約150ヶ所が音信途絶、もしくは正体不明の敵兵力と交戦中です!」
「ここと同じということか」
「ここも攻撃目標になっているはずだが、どうする? 逃げるか?」
「勝手にしろ。だが、ペンウッドの小娘は連れて行け」
「言われるまでもなく、そのつもりだ。『私も残る』などとほざいていたから眠らせてヘリに積み込んだ。今頃は女王と落ち合っているだろう」
「どうも今日はコンピューターが鈍いと思ったらそういうことか。なら、貴様もさっさと行け。仕事があるだろう? ヘルシング」
「まあな。ではさらばだ、ガルドシュ。せいぜい気をつけろ」
それだけ言うと、那月はヴァトラーを連れて、出ていった。
「帰るぞ! 市街を突っ切る!」
車に乗り込んだ2人だったが、彼らを覗き見る人影があった。
「ヘルシング局長、発見……」
飛行船の中、兵士たちと同様に、指揮官もまた食事にありついていた。尤も彼のは人間と変わらないのだが。
そこへ、ドクが近づいて報告した。
「少佐、南宮那月の所在が特定できました。現在、ロンドン市内をヘルシング本部へ向け、急速移動中とのことです」
「よし、捕捉しろ。本部にはたどり着かせるな」
「しかしながら、例の眷獣遣いが……」
「ああ、あの小僧か。全く、いつもいつも食事の邪魔をしてくれる」
「いかがなさいますか?」
「大尉を出撃させろ」
「よろしいので?」
「構わん。むしろ、彼にしかこれは務まらんだろう」
「!」
吸血鬼やグールを蹴散らしながら車を走らせていたヴァトラーが突然ブレーキを踏んだ。
「何事だ?」
「お嬢様。すぐに車をバックさせ、別ルートを探して脱出なさって下さい」
「ヴァトラー?」
「全速力でです、お嬢様。決して振り返らず、全速力でお進み下さい」
事ここに至って、那月も漸く気が付いた。先の道から、1人の男がこちらへ歩いてきていることに。
「今のこの私では、あそこのあやつにどれだけ時を保たせられるかわかりません」
那月が後部座席から運転席に移りながら言う。
「死ぬなよ」
「仰せのままに」
車は反対方向へ走り去った。
『南宮那月、移動中。街道を変え、急速移動。当該部隊に告ぐ、追撃せよ。追撃せよ』
「了解」「了解」「了解」
付近にいた吸血鬼たちが、一斉に那月の車に群がりだした。
「面倒な……」
那月は急カーブや急ブレーキをかけて払い落とそうとするが、すぐにまた追いつかれてしまう。
そしてとうとう、業を煮やした兵士の1人が
「食らえ!」
「!」
直撃こそ避けたものの、至近弾を受けた車の足が止まってしまった。
すかさず兵士がそこに取り付いた。
「我が大隊指揮官殿の命である! 覚悟!」
しかし、彼の振り上げたライフルの銃剣が、那月を貫くことはなかった。
替わりに、彼の首が宙を舞う。
剣を抜いた那月が車から降りてきた。
「往生際の悪いフロイラインだ。いくら足掻こうが、逃げようが無駄だ。諦めろ。最早、このロンドンに、このミディアンに、逃げる場所も隠れる場所も存在しない。諦めろ、人間!」
「『逃げる』? 『隠れる』? 『無駄』? 『諦めろ』? 『諦めろ』だと?」
しかし那月は引きはしない。
「なるほど、お前たちらしい言い種だ。人間でいることに耐えられなかった、お前たちのな。人間を舐めるな化物め。来い! 戦ってやる!」
「上等!」
1人の兵士が那月に襲いかかった。
彼もまた、那月を傷つけることは出来なかった。
しかし、今回は那月の剣も届いていない。替わりに、
「バイヨネット……」
兵士たちに動揺が広がる。
皆、この二つ名を持つ男を知っていた。
「お前は、バチカン・イスカリオテ第13課……」
「殺し屋……」
「首切り判事……」
「リジェネーター……」
「エンジェルダスト……」
「バイヨネット神父……」
各々がそれぞれの渾名で呼ぶ、この男の名は、
「アレクサンド・アンデルセン神父!」
「雲霞のような化物共を前にして、『かかってこい』? 『戦ってやる』?」
アンデルセンは那月に向けていた視線を、脇の建物の屋上へとずらした。
「聞いたか? ハインケル。聞いたか? アスタルテ」
そして、再び那月を見て、
「間違いない。こいつは、この女は、こいつらこそが、我々の怨敵よ。我々の宿敵よ」
「アンデルセン神父……」
ハインケルと呼ばれた女が声をかける。
「我らの仰せつかったご命令は、未だ『監視』のはず。まして、かのヘルシングを助けるとは、重大な越命行為では?」
「だからとて、ここで黙っていられるか! こいつらを打ち倒すのは我々だ! 打ち倒して良いのは我々だけだ! 誰にも渡さん! 誰にも邪魔はさせん! 誰にも! 誰にも!」
「ハァ……」
溜め息混じりに、ハインケルはタバコを吹かす。
「貴様、イスカリオテ……」
しかし、黙っていないのは、ミレニアムとて同じこと。
「邪魔立てするか……」
「やかましい。死人が喋るな」
那月とは打って変わって、こちらに対する反応は冷めていた。
「この私の眼前で死人が歩き、アンデッドが軍団を成し、戦列を組み、前進する……」
新たな銃剣を袖口から取り出した。
「唯一の理法を外れ、外道の法理を以て、通過を企てる者を、我々が、我らイスカリオテが、この私が、許しておけるものか」
ハインケルとアスタルテが道路へ下りてくる。
「貴様らは震えながらではなく、藁のように死ぬのだ。Amen」
両者が睨み合った。
「我らはうぬらに問う! 汝らは何ぞや!」
「「「「我らはイスカリオテ! イスカリオテのユダなり!」」」」
見えないところから声が届く。
「ならばイスカリオテよ、汝らに問う。汝らの右手に持つ物は、何ぞや」
「「「「短刀と毒薬なり」」」」
建物の影から続々と神父たちが姿を現す。
「ならばイスカリオテよ、汝らに問う。汝らの左手に持つ物はなんぞや」
「「「「銀貨三十と荒縄なり!」」」」
吸血鬼たちが武装神父隊に突撃を開始した。
「ならば! イスカリオテよ! 汝らは何ぞや!」
先頭の吸血鬼を一刀の元に斬り伏せつつ、アンデルセンは言う。
「我ら使徒にして使徒にあらず。
信徒にして信徒にあらず。
教徒にして教徒にあらず。
逆徒にして逆徒にあらず。
我らはただ主に従う者。
ただ伏して御主に許しを請い、ただ伏して御主の敵を打ち倒す!
闇夜で短刀を振るい、夕餉に毒を盛る死の一兵卒!
我ら死徒なり。死徒の群れなり。
我ら刺客なり。イスカリオテのユダなり。
時至らば、我ら銀貨三十神所に投げ込み、荒縄を以て己の素っ首吊り下げるなり!」
一気に13課の隊列に突っ込んで突き崩そうとするSSたちと、得物を抜いて迎え討つ13課が交錯する。
「「「「されば我ら徒党を組んで地獄へと下り、隊伍を組みて方陣を布き、740万5926の地獄の悪鬼と合戦所望するなり」」」」