「ここが僕の新しい家……」
孤児院の前で、少年が神父と話していた。
「先生、僕は何故ここにいるのか? 何故、父様、母様も迎えに来ないのか? 僕が妾の子だからなのでしょう?」
神父は膝を折り、少年と目線を合わせた。
「友達なんか要らない。仲間なんか要らない。父様、母様も要らない。僕は偉くなる」
少年は言う。
「偉くなってやる。偉くなって、誰もかも見返してやる!」
それが、バチカン特務局第13課『イスカリオテ』機関長、エンリコ・マクスウェルと、アレクサンド・アンデルセン神父との出会いだった。
「局長。局長。起きて下さい、局長。マクスウェル局長」
「ん……」
神父に声をかけられたマクスウェルが仮眠から目覚める。
昔の夢を見ていた気がするが、よく思い出せない。
「先遣したアンデルセンらの武装神父隊が南宮那月を確保。追撃する最後の大隊と戦闘に入りました」
「猪武者め……。監視だけで、交戦は控えろと言ったのに……」
立ち上がったマクスウェルは、対岸に視線を向けた。
「よく燃えてるな。まるで煉獄」
「帝都ロンドンはもはや壊滅状態。ロンドン大空襲以来の大火災です。死者の数は見当も付きません。そして、どれほどがアンデッドになっているか……」
「神罰だ。馬鹿が背伸びして異端開いて悦に入ってるから、こうなるんだ。いい気味だ」
「左様で」
神父たちは声を上げて笑った。
「米国は?」
「大混乱です。ホワイトハウスは今も炎上中です。何しろ議事の最中に、大統領補佐官が吸血鬼になり、大統領他、閣僚13人を皆殺しにしましたので」
「そうなるだろうね……」
「米支部は展開済みですが?」
「被害が広がるようなら行動しろ。でなくば、こちらから手を出すな。連中の混乱はこっちにも好都合だ。せいぜいダラダラさせとけ」
「しかし、今のところ連中の活動はそれだけです。何故でしょうか?」
「興味がない。邪魔さえされなければそれで充分。英国とヘルシング、暁古城以外興味がない。あのデブは……、デブの少佐は、バチカンすら興味の対象外だ」
マクスウェルが拳を振るう。
「そうはいくか。横合いから思い切り殴りつける!」
大仰な態度でマクスウェルは続ける。
「そうだとも! 我々は、異教徒と化物から、英国を欧州へと奪還するのだ!」
(異教徒と化物は殺していいんだ。俺は先生からそう教わった)
マクスウェルが陸の方に向き直る。
今回の決戦のために集結した、カトリックの名だたる騎士団の構成員たちが、みな彼の前に膝をついた。
「教皇猊下の御命により、我ら参陣致しました」
騎士団長の1人が言う。
「同時に、マクスウェル司教は昇進。大司教になられます。我ら軍団は第九次十字軍を結成、総指揮権力をマクスウェル大司教猊下に委ねます!」
一瞬の沈黙。
「Amen!!! 全身全霊でお受けする! 目標は大英帝国・死都ロンドン! 熱狂的再征服、レコンキスタを、発動する!」
「「「「「Amen!!!!!!!!!」」」」」
騎士たちは隊列を組んで、続々とヘリに搭乗を始める。
「第13課のこの私が、鬼子と呼ばれ忌み嫌われた食い詰め者の成れの果てが、大司教だと? 軍団指揮者だと? フハハハハッ……」
マクスウェル大司教の哄笑が、夜のドーバーに溶けていく。
「局長!」
「ん?」
1人の神父がマクスウェルの哄笑を終わらせた。
「何事だ?」
「こ、これを……」
差し出されたのは、数十枚の衛星写真。
「大西洋上の英空母が……」
「動いている? 航行しているのか! 馬鹿を言え! あの大火災だぞ! 航行など……」
「速度は僅かに数ノットですが、確実に移動しています、ロンドンに!」
「暁古城が……」
「来る……」
神父たちの間に動揺が走る。しかし、
「構わんよ。ヘルシングもミレニアムも、暁古城も消えてなくなる。最後にリングで拳を突き上げるのは我々だ」
そして言う。
「全軍進撃! 神罰の地上代行の時来たれり!」
『ゾーリン、進撃せよ』
「了解。ツェッペリンII、エンジン始動! ゾーリン・ブリッツ支隊、進撃! 目標、ヘルシング本部!」
帝都の空を巨大な影が駆けていく。
「何人残った?」
手近なSSを殲滅したところでアンデルセンが部下に問うた。
「おおよそ半数と推定。敵兵の戦力を予想より上方修正します」
「ナチどもの死体を焼却しろ! 跡も残すな!」
「私は帰るぞ」
唐突に那月が言った。
「どこへ行く?」
ハインケルが銃口で制止する。
「私の屋敷へだ。私には私の務めがある。指揮官としての務めがな。私は帰らねばならん」
「そうはいかん。あなたの身柄は我々が預からせてもらう」
「ほう……」
ハインケルと……、武装神父隊と那月が睨み合う。
「脅しは効かんぞ。私は屋敷へ帰る。撃ちたくば撃て」
「馬鹿な……」
アンデルセンが口を開いた。
「丸腰の女を集団で、意のままにする。まるで強姦魔だな」
「うっ……」
「では私は帰る。だが女の夜道は物騒だ。送れ」
「わかった。送ってやろう」
「良いんですか? アンデルセン神父。これは責任問題を問われますよ?」
初老の神父が言った。
「構わん、この方が良い。マクスウェルのやり方は賢しすぎる」
「間もなくヘルシング本部上空です」
「よし。総員戦闘準備!」
その瞬間、けたたましく警報機が騒ぎ出した。
「何事だ?」
『侵入者です! 装甲をぶち抜いて中に飛び込んで来ました!』
「何だと! 数は? 武装は? 一体そいつは誰だ!」
『数は一人……。姫柊雪菜です!』
「!」
『至急機関室に応援を! もう保ちません! う、うわあッ!』
「どうした! 応答しろ! 応答しろ!」
応答はなかったが、替わりに船体がぐらりと安定を失った。
「き、機関停止! このままでは高度を維持できません!」
「チッ……。総員脱出! パラシュートを着ける暇はない。飛び降りろ。私は機関室へ行く。あの女を始末する」
「了解、全艦に達します!」
そして、ツェッペリンIIは、ヘルシング本部を目前に、墜落した。
「落ちたぞ!」
ヘルシング本部では傭兵たちの歓声が聞こえていた。しかし、
「まだだよ……。彼らは人間じゃないんだ……」
優麻の言葉の通り、落下地点ではゆっくりと多数の人影が蠢いていた。
「残存兵員42名! 中尉は姫柊雪菜と現在交戦中!」
「さらに、重火器の全てを失逸……」
そんな状況である兵士が言った。
「充分だ」
「ヤツらを皆殺しにするには充分だ」
「皆殺しだ」
「皆殺しだ」
「行くぞー! 突撃ー!」
「「「「「ウオー!!!!!!」」」」」
「やってくれたわね」
「はい」
雪菜とゾーリンは、落下して炎上中の飛行船の内部で向かい合っていた。
「こんな小娘にやられるとはね。少佐の予想が当たった形になったか。だけど……」
ゾーリンがくわえていた煙草を捨てる。
「お前の首をとれれば、全て解決ってわけよね!」
「そう簡単にはいきません! ハァ!」
雪菜の雪霞狼の連撃をゾーリンが大鎌でいなす。隙を見て放った、首への鎌の一閃を、今度は雪菜が後退して躱す。そのまま、追いすがって上から大鎌を振り下ろすが、それが身に達する前に雪菜が雪霞狼を横薙ぎに払う。
「チィ……」
すんでで回避したゾーリンだが、どちらかと言えば、押されているのは彼女の方であった。
「次はその首をもらいます」
雪菜が雪霞狼を構えて突撃の姿勢をとった。
しかし、そこでゾーリンがフッと笑った。
「何がおかしいんですか?」
「ハッ! 今にわかる!」
「!」
ゾーリンが左手を床に叩きつける。同時に、体中に記された模様がザワザワと震え始めた。そして、蟲のような動きで床に流れ出していく。
「お前の負けだ、姫柊雪菜!」
次の瞬間、雪菜の視界は暗転し、意識には暗闇が広がった。
「な、にを……」
「そんなもん、まだ序の口よ」
「え……?」
一瞬後、言葉の意味を理解した雪菜は、まるで子供のように泣き叫んでいた。
「吸血鬼。人間離れした反射神経や運動能力を持ち、獣のように殺気を感じ、恐ろしい怪力を放つ」
傭兵たちを前に優麻が話す。
「人間の殺気を感じ、動きを読み、心を盗んで、鋭く動く。銃撃剣戟を容易く避け、相手を襲い、血を貪る」
その言葉とは裏腹に、顔には不安は浮かんでいない。
「じゃあ、こんなのはどうかな?」
進撃する吸血鬼の足下が爆発した。
「じ、地雷原! 地雷原だ!」
自然、彼らの足が止まった。
すかさず、
「今だ!」
「了解!」
傭兵が残りの地雷を遠隔起爆した。
クレイモアに仕込まれた無数の銀球が兵士たちを飲み込んだ。
「間髪入れずに行くよ!」
続いて屋敷3階に置かれた擲弾砲陣が火を噴いた。階下のライフル隊も弾幕射撃を開始する。
吸血鬼たちは地に伏せたまま、頭を上げられなくなった。
「隊長、大成功です! ヤツら、ピクリとも動かなくなりました」
「何か企んでるかな、あれは。でもまあ、近づけなきゃ僕らの勝ちだ。後は古城たちの帰りを待つだけでいい」
優麻の表情が一瞬緩んだ。一瞬だけ。
「大変です、隊長! あれを!」
血相を変えて叫んだ傭兵の指差す先を見て、優麻は言葉を失った。
「中尉!」
「待たせたわね」
兵士たちが伏せる掩蔽物の陰に、ゾーリンが追い付いてきた。切り落とした姫柊雪菜の首を携えたゾーリン・ブリッツ中尉が。
「一気に落とすぞ」
再びゾーリンの模様が蠢き出した。
異常はすぐに現れた。
「冗談だろ……」
月の光を欠けさせるほどの大きさの巨人が、屋敷を守る傭兵たちの前に姿を現した。
動揺して攻撃の手を止めた傭兵たちに、巨人は大鎌を振り下ろした。
「うわあッ!」
それは屋敷をまるでダンボールのように叩き潰し、中にいた傭兵たちに襲いかかった。
すぐに彼らの手や足が飛ばされる。
「ウアー!!!!」
「イテー! イテーよ!」
「俺の、俺の腕がー!」
「何なんだよ! 何なんだよ、これ!」
「た、助けてくれぇ! 誰か、誰かー!」
「畜生、俺の脚がー! ああーッ!」
屋敷の廊下に傭兵たちの断末魔が響き渡る。
しかし、そんな状況でも動じない人間が1人いた。
(幻覚か……)
仙都木優麻だった。
(いくらなんでも無茶苦茶すぎるよ)
しかしながら、完全に術中に嵌まってしまったらしい傭兵たちは、彼女の呼び掛けにも碌に返事をしない。
「元を断つしかないのか……」
そう呟いた優麻は、腰からナイフを抜いた。躊躇なく、自らの左手にそれを突き立てる。
「ッ!……」
激痛に耐え、優麻が目を開けると、どこも壊れていないヘルシング本部の廊下に転がった、悲鳴を上げる無傷の傭兵たちが、視界に飛び込んできた。
窓の外に目を遣ると、地面に手をついて、呪文を唱えるように口を動かしているゾーリン・ブリッツの姿が目に入った。
「借りるよ」
優麻は、隣でうずくまっている傭兵から狙撃銃をふんだくると、ゾーリンに照準をつけ、撃った。
風で流された弾丸は、僅かに彼女の頭蓋を避け、頬の表面をえぐり取った。
ゾーリンが怯んだためか、傭兵たちが意識を取り戻し出した。
「た、隊長、これは一体? 俺たちゃ、さっきまで何を?」
「幻覚だよ」
「幻覚? じゃあ、あのどデカい鎌持った女も、腕が切り落とされたのも?」
「そう、幻覚だよ。悪夢を見せられてたってわけさ。僕らみんなね。でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないみたいだよ」
頭に疑問符を浮かべる傭兵たちだったが、1階の窓ガラスの割れる音を聞いて、全てを悟った。
「入られた……」
「そう……」
全員の顔に絶望が浮かぶ。
「よし、それじゃあ、プランBと行こうか。円卓の間に立て籠もろう。あそこなら、多少は……」
「隊長!」
1人の傭兵が優麻の言葉を遮った。
「なんだい?」
「そんなことしたって無駄っすよ。わかってんでしょ? 姫柊雪菜はもういない。暁古城も南宮那月も帰ってこない。俺たちだけで、連中と戦うはめになるんですよ?」
「そうだね? だから?」
「『だから?』じゃありませんよ! このままじゃ、俺たち……」
「死ぬね」
「!」
優麻は事も無げに言った。
「僕らは傭兵だよ? はした金のために殺し合いをするのが仕事さ。今更、死ぬのがどうこうなんて言ったってしようがないじゃないか」
「ふ、ふざけるな! 俺たちの命を何だと……」
「おい! お前、いい加減にしろ!」
「うるせえ!」
別の1人が宥めようとするが止まらない。
「もう俺たちゃ、おしま……」
「まだ終わってない」
優麻が力強く言った。
「! ……冗談は止めて下さいよ。もう後は、俺たちみんな、連中の餌になる以外……」
「まだだよ。分の悪い賭けだけどね。まだ、カードが1枚だけ、ワイルドワードがたった1枚だけ残ってる。どうする? ここでただ食われるのを待つか? それとも、イチかバチか、起死回生の一手に全てを賭けるか?」
優麻の言葉に今まで不平を言っていた傭兵が押し黙る。そして、
「乗ってやろうじゃないですか! ええ! やってやりますとも!」
「よし!」
優麻は満足そうに頷いた。
「じゃあみんな、僕に命を預けてもらうよ。残った兵隊は全部、円卓の間に集結。無理なら遅延攻撃で出来る限りの時間稼ぎを。弾薬と手榴弾をありったけ持って」
「了解!」
「もう一回言うけど、これは一発勝負だよ。負けたら全滅だ。死に物狂いで行くよ!」
「「「「「オー!!!!!!!!」」」」」
「まだだ。まだ戦争は始まったばかりだ」
飛行船デウス・エクス・マキナの指揮所で少佐が笑う。
「もっと、もっとすごくなる。いやいや、そうでなくては、困る」
ハハハハと、哄笑が飛行船の中に響く。
「ハハハハッ!」
ヘルシング本部に突入していく兵士たちの後ろで、ゾーリンもまた笑っていた。
「さあ、もう許さない。さあ、もう助からない!」
屋敷内には早くも、兵士たちの“食べ残し”が溢れていた。