バトルシップ・シスターズ   作:彼岸花ノ丘

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「お、お姉ちゃん、今のって……」

 

 アオイが震えた声で呼んできたが、アカネは答えない。答えられない。そんな余裕は、今のアカネには残っていないのだから。

 初めて聞いた鳴き声ではない。

 まるで地獄からやってきたかのような重低音、終末を告げるラッパのような音色、鋼鉄で作られた船をも揺さぶる激しさ、心臓を握り潰そうとする圧迫感……全てが『あの時』と変わらないのに、どうして忘れる事が出来るのか。

 この時を、ずっと、ずっと待っていたのだから。

 

「……全速前進」

 

「……え?」

 

「全速前進! 早く! アイツが逃げる前に!」

 

「で、でも」

 

 指示を出しても、アオイは中々行動に移さない。痺れを切らしたアカネは自分の手許にあるコンソールを操作し、船を動かす。アオイほど上手くはなくとも、アカネにだって船は動かせるのだ。

 エンジンが轟音を響かせ、『わだつみ』は真っ直ぐに突き進む。再び撃たれた砲撃を十センチ砲で貫き、ひたすら前へ前へと進んでいく。もうアカネは望遠レンズを覗き込んでいない。どうせあと少しすれば、司令室前方のガラスから目視で確認出来ると確信していた。

 そしてその確信の通り、地平線の向こうに『奴』は現れた。

 さながらそれは太陽のような姿。

 煌々とした輝きが電磁フィールドの光であると気付くのに、アカネは少なくない時間を必要とした。数々の海生物を、特に強大な力を持った大型種の捕獲を生業としてきたが、ここまで強力な電磁フィールドは『あの時』以来だ。

 見ればレーダーや計器も荒ぶっていた。放出されている電磁パルスの影響だろうが、これらの機器は並の海生物相手なら問題なく動くだけの性能を有している。だとすると、目の前の『奴』が出している電磁パルスは並の出力ではないのだろう。もしかするとこの暗雲は、放出された電磁パルスにより天候が狂わされた結果か。

 何もかもが規格外だ。だが、そんなのはとうに覚悟していた事である。

 自分達の両親を殺した存在が、そんじょそこらの海生物である筈もない。

 アカネは確信した。『こいつ』こそが『沖』からやってきた海生物であると。

 そして自分達の両親を殺した、敵であると。

 最早海中に浸かる事すら出来ないほど強力な電磁フィールドを纏い、その中を浮遊する海生物こそが!

 

「う、浮いてるって、そんな、噓……!?」

 

「……なんで生きてんのかしらねぇ、アイツ。魚って鰓呼吸じゃなかったのかしら? 浮遊するほど強い電磁フィールドを纏いながら、どうやって海水を口に運んでんのよ。つか、なんで魚が鳴いてんの? 声帯なんかないでしょうに」

 

 目前に居る生物の実在を信じられない様子のアオイに、アカネは同意しながらも分析を進める。自分が白昼夢を見ている訳ではない事は、傍で否定するアオイこそが証拠なのだから。

 それにしても大きい。

 あまりにも『未確認種』は巨大だった。ざっと見た限りだが……体長八百メートルを超えている。『わだつみ』の全長五百二十八メートルを大きく上回る海生物など、アカネは初めて目の当たりにした。

 しかし巨体ではあるが、身体のパーツは貧相だ。胸ビレも尾ビレも小さく、背ビレに至っては確認すら出来ない有り様。どれも泳ぐ役に立つとは思えない。いや、電磁フィールドによって浮遊しているのだから、実際役立たなくても問題はないのだろう。反面頭は異様に膨れ上がり、まるで全身の栄養が頭に集結しているかのようだ。鰓蓋は見付からず、身体の内側に隠れているのか、それとも見付け難いぐらい小さいのか。頭には三本の角のようなものがあり、それはぐにゃりと根元が動いて切っ先を『わだつみ』に向けて

 

「っ!? 不味い! 耐ショック体勢!」

 

 その切っ先と目が合った瞬間、アカネは反射的に叫んでいた。

 そこから間髪入れずに、『未確認種』の角が発光……否、火を噴く!

 角から吐き出されたのは、『アスカロン』『デュランダル』『レーヴァンテイン』を破壊した、三つの肉塊。目視可能な距離まで接近していた『わだつみ』に、迫り来る砲撃を躱すほどの機動性はない。

 砲弾は二つが着弾。爆発を起こし、『わだつみ』の前部甲板を吹き飛ばした!

 

「きゃああっ!? ほ、砲撃!? なんで、海生物が!?」

 

「たくっ、何が生態的には近海の種と大差ないよ。生体砲台なんて『現代兵器』を積んでる奴、近海の何処にもいないわよ!」

 

 予想外の事態に怯えるアオイだったが、アカネの闘志は未だ消えていない。すぐに船の状況を確認する。

 甲板の破壊に巻き込まれたのか、主砲である六十センチ砲が一つ吹き飛んだ。副砲である四十センチ砲も二つ、十センチ速射砲も六つ破損している。

 それでも『わだつみ』はまだ沈まない。正面を向ける四十センチ砲は十台もあり、主砲だってまだ三連装のものが一つ丸々残っている。

 アカネは被弾の揺れが収まらないうちからコンソールを操作し、使える砲門全てを『未確認種』へと向けた。六十センチ砲一門、四十センチ砲二十門、十センチ速射砲二門。同型艦すら一瞬で屠る最大火力を、容赦なくお見舞いする!

 放たれた無数の砲弾は一発たりとも狙いを外さず、『未確認種』が身体に纏う電磁フィールドを直撃した! 『未確認種』は苦しそうな呻きを上げ、その雄叫びは大海原の彼方にまで轟く。

 ――――が、それだけ。

 撃ち込んだ砲弾は、全て電磁フィールドを貫く事なく、表層で受け止められていた。

 

「なっ……噓よ、そんな!?」

 

 アカネは驚愕で顔を歪め、悲鳴混じりの声を上げる。四十センチ砲や十センチ速射砲が通用しないのはまだ理解出来る。それを受け止められる海生物は、今まで山ほど見てきたのだから。

 だが、主砲である六十センチ砲の近距離射撃すら防いだのは、この『未確認種』が初めてだ。近海の海生物相手ならばオーバースペックも良いところであるこの砲弾を、いとも容易く防ぐなどあり得ない。

 否、いとも容易く、というのは流石に過大評価だろうか。

 少なくとも六十センチ砲を受けた『未確認種』は呻きを上げており、何より、『わだつみ』に怒りの形相を向けていたのだから。

 『未確認種』は『わだつみ』と向き合うや、頭にある角から再び砲弾を放つ! 三度目の着弾は、三発全ての砲弾を受けてしまう。甲板は粉々になり、残り一つの主砲はへし折れ、副砲達も吹き飛んだ。最早前半分は船とは呼べない、スクラップの塊のような姿に変わり果てる。

 『わだつみ』を襲う揺れの激しさも、今までで一番強かった。

 

「きゃああああっ!?」

 

「ぐっ……前部砲台が……いや、まだ、まだいける! アオイ! 側面を向けて! 側面砲台と後部砲台で粉砕する!」

 

「ま、待ってお姉ちゃん!? もう浮かんでるのも精いっぱいなんだよ!? 後ろまで破壊されたら、船が持たな」

 

「持つ! 絶対に! この時のために、パパとママの仇のために今まで改造してきたのよ! こんな簡単に、負ける訳がない!」

 

 アオイの訴えを切り捨て、アカネは船を自分の手で動かす。重たい前部砲台が吹き飛んだからか、『わだつみ』の旋回速度は明らかに普段よりも速い。操縦を誤れば転覆しそうなほどに。

 しかし『未確認種』からすれば、愚鈍だったのだろう。

 『未確認種』はゆっくりと三本の角を動かし、アカネ達の居る操舵室にその切っ先を向けた。

 

「――――あっ」

 

 角の先端にある大きな空洞と自分の瞳が重なった時、アカネは自分の失態に気付く。

 気付いたところで、もう遅い。

 『未確認種』の角の奥で、なんらかの生体反応によるものか、紅蓮の光がほとばしり

 

「駄目ぇっ!」

 

 アカネの視界を、妹の悲鳴と共に『何か』が覆った。

 瞬間、爆音と共に放たれた砲撃は操舵室の真横に着弾。

 順当に起きた爆発により、操舵室のガラスと壁が吹き飛び、衝撃波がアカネの身を襲った。

 

「ぐぶっ! ぐ、ぅ……!?」

 

 頭が揺さぶられる。身体がバラバラになりそうな痛みが走り、耳鳴りが酷い。思わず目も閉じていて、何も分からなくなる。

 時間を数えるだけの余裕があれば、その衝撃がほんの十秒ほどですっかり収まったと知れただろう。しかし混乱していたアカネには、まるで何分も続いたような気がする。痛む頭を揺すり、荒れる息を整える。

 兎に角、現状だ。現状がどうなっているか分からなくては、次の手は打てない。

 未だ目も開けられない中、現状を知ろうとしてアカネは身体を動かし

 ずるりと、何かが自分の身体から滑り落ちた。

 その事に気付いた途端、目がパチリと開いた。何故かはアカネ自身にも分からない。分からないが、開かねばならない気がした。

 だからアカネは、目の当たりにする。

 自分に覆い被さるように、アオイがぐったりと横たわっている姿を。

 

「……アオイ?」

 

 無意識に、妹の名前を呼ぶ。アオイは何も答えてくれない。

 

「アオイ、アオイ」

 

 今度は身体を揺すった。揺するのを止めたら、アオイの身体も動くのを止めた。

 そしてアオイの身体を揺すっていた自分の手を見たら、真っ赤に汚れていた。

 

「は、あ、あ、あぁぁ……!?」

 

 頭から血が引いていくのが分かる。全身が震える。

 そして真っ白になった意識の中で、ハッキリとした言葉が浮かび上がる。

 アオイが、私を爆発から庇ってくれた。

 だからアオイが――――私を襲う筈だったものを、全て受けてくれたのだ。

 

「アオイ! アオイ、アオイ! ねぇ、返事してよ!? お願いだから! ねぇ!?」

 

 いくら揺さぶっても、いくら呼び掛けても、アオイはなんの反応も示してくれない。代わりに服はどんどん黒ずんでいって、べっとりとした『汚れ』がアカネの身体に付いていく。

 このままだとアオイが危ない。

 『このまま』という時点で既に悠長であったが、アカネは未だ現実が受け入れられなかった。急げばまだ大丈夫、今から手を打てば大丈夫……それ以外の考えを全て拒む。今はただただ、アオイが生きてくれる事だけを願っていて

 その祈りをへし折るように、地獄のラッパが鳴り響く。

 

「……………あ、は、はは」

 

 何故か、笑いが出てきた。

 破壊され、吹きさらしとなった操舵室の外に、憤怒で燃え盛る瞳が自分を見ている。

 そして全てを粉砕する角が、自分達の方を向いていた。もう何度も見ている光景の筈なのに、アカネは急にそれが怖くなる。ガタガタと身体が震え、勝手に動き出して……横たわったままのアオイの上に、覆い被さっていた。

 自分がどれだけ滑稽な事をしているのか、よく分かる。あの時笑いが出てきたのは、これからしようとしている事に心の奥底は気付いていて、それがあまりにもおかしかったからかも知れない。

 

「ごめんね、アオイ。こんな情けなくて、馬鹿なお姉ちゃんで」

 

 今の自分に出来るのは、あとはもう謝る事だけで――――

 『未確認種』の横顔で爆発が起きるまで、アカネは何も出来なかった。

 

「へ……?」

 

 呆然とするアカネだったが、大海原に甲高い……広域放送を行う寸前に流れる音が響き

 

【全艦隊、撃てぇえっ!】

 

 罵声にも似た声が、アカネの耳に突き刺さった。

 

「いっ!? こ、この声は……っ!?」

 

 広域放送の音により意識を取り戻したアカネは、慌ててアオイの耳に両手を当てる。

 刹那、身体を揺さぶるほどの爆音と共に、『未確認種』の身体で二度目の爆発が起きた!

 電磁フィールドに守られている『未確認種』は身体に傷一つ負っていないが、それでも爆風は鬱陶しいのか。今までアカネ達に向けていた角を逸らし、別の方角に狙いを定める。

 操舵室に居るアカネに、『未確認種』が狙っているものの姿は見えない。

 だが見えなくても、想像は出来る。あの放送の声は、間違いなく『彼』なのだ。間違えたくても間違えられるものか。気障ったらしくて、甘ったるくて……誰かへの気遣いばかりのあの声を。

 

「コウ!?」

 

【ははははっ! 未来の花嫁を傷付ける事は、このボクが許さないからね!】

 

 思わず出ていた彼の名前に、答えるかの如く、放送として流れるコウの声は高笑いをしていた。

 恐らくは仲間の船も一緒に攻撃しているのだろう。『未確認種』を守る電磁フィールドの上で、次々と爆発が起きていた。並の海生物なら既に破られているか、或いは死の恐怖を感じておめおめと逃げ出しているだろう。

 しかし『未確認種』は恐れるどころか、一層の怒りに震えた。電磁フィールドの輝きが更に増し、頭上の雷雲が急激に色濃さを増していく。

 まさか、今までは遊びだったのか?

 

【『わだつみ』! 急いでそこから退避しろ! こちらが時間を稼ぐ!】

 

 底知れぬ『未確認種』の力に震えるアカネに、コウの言葉が突き刺さる。我に返ったアカネは急いで通信機を探し、中々見付からなくておろおろしてしまう。

 

【早くするんだ! 君の船には、ボクの仲間達も乗っているんだぞ! 彼等まで死なす気か!】

 

 そんなアカネに、コウは渇を入れた。

 アカネは大きく自分の目を見開いた。それからゆっくりと閉じ、深く息を吸って、吐いて――――潤んだ目を袖で擦る。

 立ち上がったアカネはすぐに、何時もならアオイが座っている操舵席に座り、エンジンをフル稼働。同時に限界まで舵輪を回す!

 スクラップ同然の姿と化していた『わだつみ』だが、エンジンは未だ生きていた。アカネが突撃を繰り返した結果、損傷は前部上方に集中していたのだ。浸水も軽微で、発進に支障はなく、当分は沈みそうにもない。唸りを上げた動力機関は『わだつみ』をゆっくりと、少しずつ加速させていく。

 『未確認種』は逃げようとする『わだつみ』に気付いたのか、一瞬『わだつみ』の方へと振り返る――――が、コウ達の艦隊はその隙を突くように砲撃をお見舞いする。妨害された『未確認種』は咆哮を上げ、再びコウ達の方に向きを変えた。

 そして三本の角から、砲撃をお見舞いする。

 方向転換を終え、『未確認種』に背中を向けた『わだつみ』の視界には、助けに来てくれたコウ達の船が見えた。彼等は迫り来る砲撃を巧みに躱し、次々と艦砲を放つ。五隻もの船が絶え間なく砲撃を繰り返す姿は、正に人類の英知を感じさせた。

 だが、自然は人類を嘲笑う。

 『未確認種』は電磁フィールドの輝きを強めた、瞬間、猛然とコウ達の船目掛けて移動を始める。八百メートルという出鱈目な巨躯でありながら、先に走り出していた『わだつみ』を易々と追い抜く速さを出した。『わだつみ』のレーダーは破損しており正確な値は出せないが、アカネの長年の経験と勘が正しければ、百五十ノット……いや、『飛行』をしているのだから、時速二百七十キロオーバーと言うべきか。こんな速度が相手では、如何に駆逐艦級でも絶対に振り切れない。 

 そしてコウ達の船が加える苛烈な攻撃も、『未確認種』が纏う電磁フィールドは難なく耐え抜いていた。『わだつみ』の六十センチ砲すら易々と耐え抜いたのだ。速度四分の三未満、質量三分の一以下の四十センチ砲では何百発撃ち込もうと、『未確認種』の電磁フィールドは揺らがない。

 結末は目に見えている。だけど、それでも……言わずにはいられない。

 アカネは辺りを見渡し、ようやく操作盤から外れかかっている通信機を見付けた。ボロボロになっていたが、まだ使える。手を伸ばし、繋ぐはコウの船。

 

「次会ったら、結婚してあげるから! だから、だから必ず生きて帰って! 死んだら……許さないから!」

 

 最後にその言葉を告げ、アカネは通信を切る。震える手で舵輪を握り締めた。

 

「――――う、く、ああああああっ!」

 

 そして振り切るように、拒むように、アカネは船のエンジンを全開にする。

 『未確認種』から、コウ達の船から、何もかもから。

 アカネは、逃げ出したのだった。


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