「あっづい……本当に4月なのかこれ」
咲いていた桜が散り始めたのを見てぼんやりと春を感じながら俺は坂を上っている。今年も桜の開花が早かったので新学年が始まるこの時期には散ってしまっている。
「あーあ……今年は結局花見も出来なかったなあ」
4月8日。普通の人間であれば嬉し恥ずかしのクラス発表があるし、もちろん俺が通う文月学園でもそれは例外ではない。
ただ、俺にはそれを楽しみにできない理由があった。正面に門が見えてくるとそこに一人の巨漢が立っていることに気がつく。
「おおっ、久しぶりだな八坂!」
「おはようございます、西村先生。お変わりなくお元気なようで何よりです」
そこにいるのは西村宗一先生だ。ゴリラの様な体躯を持つ彼は生徒達から鉄人と呼ばれている。悪い先生ではないが、笑顔が恐ろしい。
「うむ、おはよう」
「あ、そうだ。先に渡しておきますね。これ謹慎処分中の課題です」
会ったら渡そうと思っていた。カバンからプリントの束を取り出して先生に差し出す。それを受け取るとパラパラと最初の数ページを捲ると例の小さい子供が見たら泣き出しそうな顔で笑う。
「春休みも問題なく勉学に取り組んでいたようだな。どうだ、二年もやっていけそうか?」
「ええまあ。数学以外ならどうにでもなると思います」
「お前の場合数学もできない訳では無いからな……」
「そこで目を逸らさんでください。頼むからあの先生をどうにかして下さいよ……」
「いやあ、人の趣味に口を出すのは……」
自慢ではないが、俺は数学以外の科目であればこの学年の首席にも並ぶことができる。ただ、数学だけはとある事件以降一切勉強できていない為、著しく得点が低い。
「……まあいいです。それはそうと、その先生が手に持っている紙をいただけますか?」
「おおっ、そうだったな。これがお前のクラスだ」
西村先生の手には、課題のプリント束の他に小さな封筒が握られている。失念していたのか、気を取り直したかのようにそれをこちらに渡してくる。
「まあ、見なくても想像はつきますけどね……っと、やっぱり」
封筒の中には『八坂晴人 Fクラス』と書かれた紙が入っていた。
ここ、文月学園のシステ厶は一言で言うと学力至上主義だ。毎年4月に二、三年生を対象として行われる振り分け試験の結果により、まず生徒はAからFの6つのクラスに分類される。
Aクラスは最高峰、Fクラスはド底辺なわけだが俺はその後者、即ちFクラス行きになったわけだ。
「俺はそもそも未受験ですからね、仕方ないといえば仕方ないです」
そう、俺はちょうど振り分け試験の日に謹慎処分を受けていてそれの受験ができていない。この試験は遅刻早退欠席のいかなる理由があろうと再試験は行われない為、当日受けられなければ『全科目零点』扱いとなる。
「学年主任を含めた数人の教師はこの判断に対して異議を申し立てはしたのだがな。その悉くが却下された」
「高橋先生が?」
「ああ、ものすごい剣幕だったよ。中立の立場にいた俺も圧倒された」
意外なことを聞かされて少し驚いた。あの人はルールに対して非常に厳格な人だから、てっきり『騒ぎを起こした結果だから自業自得』とでも言うかと思っていた。
「今回の件は、俺も含めた教師にも問題点はあった。それをお前一人に責任として押し付けるのはおかしいだろう、と言っていたな。学園長もそれに対してはぐうの音も出ない様だったがあの人も頑固だからな」
「想像がつきますね……とりあえず、その先生方には機を見てお礼を言っておきます」
「おう、そうしろ。そういえば、木下姉も随分とお前のことを心配していたぞ、会ったら声をかけてやれよ」
木下姉……アイツが?
「まあ、はい。わかりました。それじゃ、失礼します」
「ウム、今年1年を有意義なものにするように」
西村先生に軽く会釈をして自分の教室へと向かうことにしたのだった。
数分後、俺の目の前にはボロボロの廃屋があった。思わず顔を引き攣らせて教室上部にしっかりと「2-F」の文字が刻まれているのを見て溜め息が漏れる。
「ウッソだろ……マジで
幾ら住めば都とは言っても限度はある。このボロボロの場所をねぐらにして快適であると感じられる日は果たしてくるのだろうか。
それ以前に衛生面とか健康面とか、諸々大丈夫なんだろうか?よくこれで教室としての体が通るものであると諦めと共に思わず苦笑が浮かぶ。
とりあえず扉を開けて教室の中を確認しようとすると、目の前には何故かパンイチで教壇から教室全体を見渡している
「よう、久しぶりだな晴──」
挨拶をされる前にピシャリ、と扉を閉めて教室に背を向ける。よーし、今日は屋上で一日過ごすとしよう。少なくとも教室にいるよりは平和で快適に過ごせるに違いない。うん、名案だ。
目の前から現実逃避に浸っていると背後の扉が乱暴に開けられる。
「おい待て、晴人。お前俺の顔を見るや否や全力で逃げようとしてんじゃねぇぞ?!」
「少なくとも下着のみで教壇に立っている男は俺の知り合いにいねぇよ、雄二」
仕方が無いので振り返って変態の方に目を向ける。無駄に引き締まった身体を見せつけるかのような誰も得しない露出をしている変態に改めて問うことにした。この変態は俺の戦友にして悪友、坂本雄二だ。
「で?今度は何をしたらそうなるってんだよ、雄二」
「……翔子に全部追い剥ぎされた」
「それはわかる。いや、正直わかりたくもないがわかる。お前の唯一の天敵だからな。肝心な話はそこから先なのさ、雄二。一体全体何をどうしたら服を剥ぎ取られるなんて結末になるんだ?」
こいつの幼馴染、霧島翔子はちょっと特殊なのだ。容姿端麗、眉目秀麗、才色兼備。そういった言葉が列挙されて作り上げられた女──それが大体の人間が霧島翔子に抱く印象だ。実際に彼女は常にこの学園の首席であるし、模試の上位にも名を連ねるとんでも少女だ。
ただ、彼女の実質を知る俺達はそうもいかない。一言で言うのなら『天才と狂人は紙一重』ってヤツだ。紛れもなく天才の霧島翔子だが、同時に重度の天然でもある。こと、この俺の悪友こと変態──もとい坂本雄二が絡むと大体論理的思考を放棄する。
恋は盲目、とはよく言ったもので幼馴染の雄二にベタ惚れしている霧島は自身の愛を伝える為ならなんでもする。それはもう恐ろしいくらいに手段を選ばない。
「今朝、とうとうベッドに潜り込まれててな。朝起こしに来るのはともかくとして、それはやめろって言ったら校舎に入ってから服を全部剥ぎ取られた」
……そう、だからこれも愛情表現の一環なのだ。多分、きっと、恐らく。
「公衆の面前で剥かなくなっただけ成長したな、霧島」
「感慨深げに言うな!結局俺は剥ぎ取られてんだよ!!何も変わりゃしねえ!!」
「わーったわーった。お前はとりあえずトイレに引き篭ってろ。俺が制服返してもらってくるよ」
「……恩に着る」
哀愁を漂わせながらトイレに向かう雄二の姿を見てなんとも言えない気持ちになった俺は霧島が居るであろうAクラスへと向かう事になったのだった。
「相変わらず好待遇だなぁ、Aクラスは」
学園の顔、と言っても過言ではないだろうこの学園きっての秀才達が固まっている教室なのだから当然といえば当然の事だ。とはいえ、Fクラスの中を見た後だとなんとなく不平等感を覚えてしまう。
リクライニングシートに鍵付きの個人ロッカー、ドリンクバーにお菓子まで常設されている。本当にここは学校の設備なのか、と突っ込みたくなるがグッと飲み込む。
良くも悪くもこの学園は実力主義なのだから。どのクラスに居る人間もその事は概ね理解している。仕方がないと割り切って改めて教室を覗き込む。
「さてっと……霧島は何処に…………おっ、いたいた」
廊下からクラス内を覗いて一際大きな生徒の塊に目を向ける。まだHRが始まるには時間があるからか談笑しているようだ。周りにも特に知らない仲は居ないので躊躇う必要も無い。扉を開けて正面から真っ直ぐ霧島の方へ向かう。
「おはよう、霧島代表──元代表の方がいいか?」
塊の中心にいる黒くキレイにまとめられたロングヘアの持ち主に挨拶と共に近づいていく。すると振り返り普段は殆ど崩さない鉄面皮を崩して呆れたように肩を竦める。
「…………おはよう、八坂元次席」
「悪かったからその言い方はやめてくれ」
出会い頭の挨拶にも見事に返してくる辺り、今日も絶好調らしい。軽く謝罪を入れていると霧島の隣に立っている男子が眼鏡を押し上げながらこちらを睨んでくる。
「おやおや、僕達には挨拶もナシなのかい?少し会わないうちに心が冷えきってしまったかな?」
「バカいえ。今はとりあえず目的の霧島に話しかけただけだ。まぁ?お前の事を記憶の片隅にも止めておけなかったのは俺の落ち度だよなぁ、ごめんな久保くん」
ぐぬぬ、と皮肉をあっさり返されて悔しげに歯軋りしているのは久保利光。優秀な眼鏡である。
「僕のキャラをメガネで立てようとするのは辞めてくれるかな?!」
まあ久保の事は置いといて、本当に久しぶりにこの元クラスメイトとは会うことになる。俺は三学期の頭から昨日まで謹慎を受けていた為、まる三ヶ月ぶりである。そのメンツは昨年と殆ど変化していない。
「佐藤も、変わりなく壮健なようで何よりだ」
「ふふっ、おはようございます晴人くん」
こちらも眼鏡だが、佐藤美穂は文学少女という出で立ちだ。まあその実、お淑やかな雰囲気に反してお転婆だったりするのだが。
「アタシへの挨拶もなしとは、随分デカくなったものね、晴人?」
「ああ、優子か。おはようさん。別に気づかなかったわけじゃねえよ」
「……まあいいわ、おはよう。アンタはこの三ヶ月でも特に何も変わってないみたいね?」
後ろから声をかけてきたのは木下優子。ショートヘアにキツい目付きが特徴の女だ。因みに、去年の段階でコイツの成績は霧島、俺、久保の直ぐ下の4位だった。
「まあまあ、男子三日会わざれば刮目してみよって諺もあるくらいだし」
「それで?こんな朝から?
……怒ってる、間違いなく怒ってるな優子のヤツ。途中で割り込んでくるし、腕を組みながらこっちを睨んでるし。
「……お前のその毒舌はまあいい。メインの用事はお前んとこの代表が持っていった坂本雄二の制服を穏便に返して貰おうってところだ」
一旦優子は無視して霧島の方に目を向ける。と、机の上にある制服をぎゅっと抱き寄せる。
「…………だめ、渡さない」
「そこをなんとか頼む、教室に半裸の変態がいて、しかもそれが旧知とか勘弁してくれないか?」
「…………嫌、渡さない」
確固たる意思を感じる。もはや渡す気は皆無らしい……ならば仕方ない。かくなる上は──
「時に霧島。ここに雄二が筋トレをして汗を滴らせている時の写真があるんだが──」「…………持っていくといい。制服なら何時でも手に入る」
秘技、
「流石だね、晴人。君には毎度毎度、度肝を抜かれるよ……」
「ふっふっふ、どんな奴とでも交渉ができるように情報収集を行うのは基本だぜ、久保クン?」
「褒めたつもりは無いんだけどな……」
「狡い手を使わせたら右に出る者はいないもの。晴人はそういう人間よ」
「あ、あはは……」
得意げに話している所で優子に水を差されるが、まあいいだろう。怒りから呆れにシフトしただけでも進歩だ。
「んじゃあな、お前ら。俺は自分の教室に戻るよ」
「あ!ちょっと待ちなさいよ晴人!!」
用は済ませたので教室を出ようとしたところで優子に引き止められる。
「んだよ、俺はHRの前までに雄二にこれを渡さにゃならんから手短に頼むぞ?」
「大丈夫。アンタにとりあえず言っておくのは一つだけ──秀吉のこと、よろしくね。アンタと同じクラスでしょうから、アイツが馬鹿やらないようにお目付け役をアンタに任せるわ」
「はいはい。安心しろよ。無茶はさせねぇから」
「ええ、私からはそれだけよ。後、精々成績でアタシ達に負けたりしないように気をつけなさい?余裕ぶっこいてるとアタシ達に足元をすくわれるわよ。アンタが次席だったのはもう三ヶ月前の話なのだから」
「フン…………安い挑発だが乗っといてやる。ちょうどいいハンデをくれてやったんだ。今度は俺といい勝負してくれよ、四位さん?」
「〜〜〜〜〜っ!!!!」
「それじゃあな、優子」
「あっこら、言い逃げすんじゃな──」
ピシャリ、と教室の扉を閉める。防音性の高いこの部屋は基本的に音を通さないので、あいつが何を言っているのかは最後まで聞かなかった。
そうしなければ、自分の内心から湧き出る
「おもしれぇ……やっぱここは退屈しねぇな」
これから数時間後、更に波乱の学園生活が幕を開けることになるのをこの時の俺は知る由もなかった。
「…………あ、礼を言うの忘れてた」
はい、というわけで中身がだいぶ変わっていますね。こんな感じで、今の自分に書ける面白い文章を書きつつも、リメイク前をできるだけ踏襲していきたいと思っているので改めてよろしくお願いします。