ダンジョンに火を見出すのは間違っているだろうか? 作:捻くれたハグルマ
アイズ・ヴァレンシュタインのサーベル
折れないという 強力な性質を持ち合わせている
しかし 生まれついて折れぬ剣に 彼女は何を誓ったのだろう
折れぬ剣なしに 彼女の心は 守れない
襲撃があってから、アルとベルは一層訓練に力を入れた。
ヘスティアを守るにしても力量が圧倒的に足りない。
憧憬を追うためには、全くもって強さも速さもたくましさも足りない。
そういった実力不足を、二人は実感したからであった。
また、ベルはアルよりも焦りが出ていた。
アイズがレベル6になったからだ。
恋い焦がれる乙女の背中はより遠く、より高いところに離れてしまった。
それなのに、アイズは自身に対して「すごい」だとか「どうしてそんなに早く強くなれるのか」と言ってくる。
ベルはこれが情けなくて仕方がなかったのだ。
寝込みにキスしたいなどという煩悩に襲われることもあったが、訓練中はずっと鬱屈とした気持ちに悩まされていた。
アルはなんとなしにベルのそんな気持ちに気が付いた。
最初はアイズとの訓練で嬉しかったことや楽しかったことを逐一報告してきたのに、黙って武器を見つめていることが増えれば誰だって異変には気づくだろう。
それでも、アルはベルに対して何も言わなかった。
自分で乗り越えなくては劣等感は拭えないし、なによりアルにも悩みがあったからだ。
どうやってもマヌスに対しての恐怖が取り払えないのだ。
圧倒的な死のイメージを前にして、アルはいつも動けなくなってしまう。
前に進みたいのに進めないもどかしさが、アルをいつも以上に寡黙にさせるのであった。
二人が気分転換に通りをただただ歩いていると、ベルに声をかけて腕に飛びついてくる女が現れた。
「ベルさんっ!アルトリウスさん!」
「うぇっ?!シルさん?!」
「貴公も、随分と気に入られたものだなぁ……。」
「会いたかったんです!お二人とも、お時間はありますか?」
シルがベルの腕にすりつきながら、小悪魔のようなほほ笑みを作った。
アルはそれを見て、絶対に面倒なことか自分たちに都合の悪いことだろうなと思った。
短い付き合いだが、シルがこういう笑い方をするときは何かを企んでいる時だということぐらいは分かっていたのだ。
だが、アルはその時点で諦めていた。
なぜなら、どうあがこうともシルは上手いことベルを手玉に取ってしまうと思ったからだ。
「なんで皿洗いなんですかー!」
「まぁ、こんなことだろうとは思っていたよ……。」
アルとベルは、豊穣の女主人の調理場に立っていた。
目の前の流し台の上には何十枚もの皿やボウルが積み上げられていて、ベルの頭の高さくらいになっている。
ベルが、その惨状に嘆いていると、シルが調理場の入口の影からひょっこりと顔を出した。
「へへ、溜まっていたお仕事をサボ……いえ、休んでしまったらミアお母さんに叱られて、罰として……。」
「僕たち完全にとばっちりじゃないですかぁ!!」
「ベル、泣き言はよそう。普段弁当を作ってもらっている礼と考えれば、やれるだろう。」
アルは、気持ちを切り替えて目の前の皿に手を付けた。
いくらシルが都合よく二人を弄んでも。いくら弁当の味が悪い方向にとんでもなくエキセントリックであっても。
シルは二人にとってかけがえのない「いい人」であることには変わりはないのだ。
それだけでも、働く理由としては十分だった。
「まぁ、何も考えなくていいからやろうかな……。」
「ふふ、ならば今度は彫刻をやってみるといい。あれも存外無心になれるぞ。」
ベルもまた、悩まなくてすむならそれでいいと仕事に着手した。
それから二人が黙々と作業を続け、ようやく折り返し地点についたあたりで、リューがいつの間にか二人のそばに立っていた。
「これほど進んでいるのにまだこんなに残っている。この量は凶悪だ。手伝いましょう。」
「リューさん。」
「有り難い。二人よりも三人の方が早く仕事も終わりましょう。」
三人で皿洗いを進めながら、ベルがふとリューに話しかけた。
「そういえば、リューさんは元冒険者なんですよね?」
「はい、昔の話ですが……。」
「どうやったらランクアップって出来るんですか?ただモンスターを狩り続けていたらいいんでしょうか?」
リューは、皿洗いの手を止めてベルの目をしっかりと見つめた。
ランクアップを夢ではなく、現実的な目標として捉えている真剣な眼差しだった。
次にアルの顔を見上げると、黙ってはいるものの明確な答えを欲しがっていた。
リューは、二人に真実を教えることにした。
オラリオの冒険者の過半数をレベル1に押し留めている過酷なランクアップのルールを。
「それだけでは足りません。神をも驚かせるような功績を上げる、具体的には強大な相手を打破することが必要です。」
「なるほど。しかし、それでどうやって勝つのですか?恐怖に飲み込まれながらなおも戦って生き残ることが出来ますか?」
アルはリューからヒントを得ようとしていた。
圧倒的な強者たる、マヌスに対して立ち向かえる方法を探ろうとしていた。
「普通なら難しいでしょう。ですが、それを埋め合わせるのが技であり、駆け引きであり、何よりも勇気です。」
「技と駆け引き……。」
「勇気……。」
二人は、今の自分の課題に直面したような気がした。
ベルは、アイズに技と駆け引きが足りないと言われていたことを思い出していた。
アルは、足を震わせてマヌスの前に呆然と立ち尽くす自分自身を思い起こした。
弱点を、課題を乗り越えた先にランクアップがあるという現実が二人の目の前に突き付けられた。
「とはいえ、それだけで勝てるものでもない。一般的にはパーティーを組みます。
お二人はまだコンビ、パーティーというにはいささか少なすぎる。
本当に強さを求めるのであれば、新たな仲間を見つけなくてはなりません。
一人で敵わない相手でも、互いに弱点を補いあえば強大な敵を打倒せるようになるのです。
お二人とも、ランクアップの条件は言い換えれば冒険するということです。
人の数だけ、冒険があります。もし、お二人が冒険に直面したとき、その意味から逃げないでほしい。
冒険者の求めるものは、冒険の先にしかないのだから。」
アルもベルも、リューの言葉にひどく納得した。
冒険から逃げない事。
心折れずに立ち向かう事。
二人の胸の内に新たな指標が生まれた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「今日でベルの早朝訓練も終わりだなぁ。」
「うん。もうロキ・ファミリアの遠征が始まっちゃうから……。
けど、まだアイズさんにようやく反撃出来る様になり始めたぐらいだよ。」
翌日二人は、最後の早朝訓練を終えてホームでダンジョンに向かう準備を整えていた。
鎧にプロテクター、ナイフに盾に大剣、各々が武具の手入れをしながら、訓練の成果を語る。
あまり成長できていないと思って浮かない顔をしているベルを、アルはそっと撫でてやった。
「貴公、そんな顔をするな。レベル6相手に反撃が出来る様になり始めた、紛れもなく快挙だ。
特に、彼女は手加減が苦手なようだしな。」
「そうかなぁ。アルはどう?何かつかめた?」
ベルの質問に、アルは口ごもった。
アルも成長はしていた。
盾だけに頼りすぎない臨機応変な剣技も身に付き始めていた。
なんとなくだが内なる火を感じることも出来始めていた。
だが、肝心のマヌスへの挑戦だけは上手くいっていなかった。
「うぅむ、ぼちぼちだな。以前より剣は上達した。したがな、それでもまだ肝心な部分がダメだ。」
「そっかぁ……。けど諦めなかったら、いつかは必ず出来るよね。」
「あぁ、そうだろうな。取りあえずは11階層進出、攻略を目標にやってみるとしよう。」
準備を完全に終えた二人は、リリとの待ち合わせ場所に向かおうと地下室から出て行こうとした。
その様子に気が付いたヘスティアは、不可解な二人のステータスを見るのをやめて引き留めようとする。
「あっ、二人とも待つんだ!ステイタス!」
「すみません、帰ってから見ますね!」
「時間が押していまして、申し訳ない。行ってまいります。」
ヘスティアは、出ていく二人の背中を見送りながら、なんだか嫌な予感を感じるのであった。
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リリと合流して、三人は9階層まで下りてきていた。
いつになく物静かなルームを歩いていると、ベルがどこからかのぞき見をしている輩がいるような違和感を訴えた。
「なにか、視線感じない?ずっと誰かから見られてるような……。」
「私は何も感じないぞ?」
「リリもです。けど、この階層にはなんだか違和感を感じます。」
三人は、立ち止まって辺りの音に耳を澄ませた。
モンスターの鳴き声、断末魔。あるいは人の声や鎧のこすれる音。
それらが一つもしない。
ロキ・ファミリアの遠征のためなのかは分からないが、騒がしいはずのダンジョン内が静寂に包まれていた。
「まるで、あの日の時のような……。い、いや大丈夫だ!」
「いっ、行こうよ二人とも!」
「あっ、はい!」
アルの不穏な発言によって、ベルは身震いをした。
アルもまた、5階層での大敗を思い出していた。
死のイメージを振り払おうと、二人が空元気で前に歩き出し、リリがそれについていこうとした時。
ここにいてはいけない存在達の声が遠く響いた。
『ブォォォン……。』
『ゴァアァァ………。』
聞き覚えのある鳴き声とどこかおぞましい鳴き声の方へ咄嗟に振り向くと、三人は動きが固まった。
赤い皮膚に、力強く天を貫くように伸びた、片方は半端にへし折られている二本角。
片手には巨大な片刃の剣を持ち、それを地面にこすらせながら重い足音を響かせて向かってくる。
ミノタウロスの強化種が目の前にいた。
そして、もう一体はアルだけが知っていた。
山羊の頭蓋骨のような頭部をしたデーモン。
両手に石の大鉈をもって、一歩一歩着実に進んでくる。
最下層へと続く道に立ちふさがった今はもう滅びた種族、山羊頭のデーモンがそこにいた。
「なんで9階層にミノタウロスと
リリは、敵うはずがない相手を前にして、逃走を提案した。
恐怖と驚きによって動けない二人を強引にひっぱろうとして、なんとか意識を引き戻す。
「お二人とも!死にたいんですかっ!!」
リリが、叫びながら後ろにぐいと二人を引っ張った時、山羊頭のデーモンは行動を起こした。
両手に握った大鉈をぐぐっと体をひねりながら後ろに引いていく。
その姿を見たアルは、咄嗟に盾を構えた。
その瞬間、山羊頭は思いきり鉈を石柱に叩き付けた。
粉々に砕かれてつぶてとなった柱が矢のように飛んでいき、アル達を叩き飛ばした。
「うぐゥッ!なんという馬鹿力ッ!」
「リリはっ?!」
「無事、です……っ。仮面は割れちゃいましたけど……!」
何とか起き上がったリリは、顔を血で染めていた。
アルが庇いきれなかった石のつぶてが仮面に当たり、砕けたからだろう。
もしも仮面を着けていなかったら、リリの頭が砕かれていたに違いなかった。
「リリ、逃げるんだ。ベル、すまんが赤いミノタウロスを頼む。」
「分かった。リリ、生きてね。」
リリを置いて、二人は決死の覚悟を決めた。
リリの足ではどちらか一方を逃した時点で追いつかれてしまう。
一人が囮になったとしても、抑えきることは出来ない。
だから二人がかりで命がけで抑える、これしか思いつかなかったのだ。
「い、嫌です……!」
「ちいッ、来るぞ!」
「逃げろよ、リリぃ!」
躊躇っている暇を与えてくれるほど、モンスターは優しくない。
山羊頭も、ミノタウロスも、容赦なく距離を詰めてくる。
焦ったベルが強い口調でリリに怒鳴った。
リリは、二人の覚悟に触れて、涙を流しながら走り去っていった。
『ゴォォォア!!』
山羊頭の右腕が、筋肉がきしむ音を立てながら、力強く鉈を振るった。
アルは、素早く盾を構えてそれを受けた。
受けてしまったがゆえに、思いきり右に吹き飛ばされて、毬のように地面を転がっていった。
それをがむしゃらに山羊頭を追ったことで、ベルとミノタウロス、アルと山羊頭の一対一の構図が完成された。
ベルは、素早さだけならばミノタウロスと互角だった。
意地汚く、みっともなくひたすら避けて避けて避け続けた。
アルも、山羊頭の攻撃をかろうじて一撃だけなら盾受けできた。
左腕はビリビリとしびれ、何度も何度も地面に転がされながらも耐え続けた。
しかし、ベル側で状況が一変する。
ミノタウロスが地面に大刀を叩き付けたことで、砂埃が舞った。
そしてその砂埃に気を取られた一瞬で、ベルは手痛い一撃を受けてしまった。
ミノタウロスの持つ武器に気を取られて、角という原始的な武器を忘れていたのだ。
ベルは、左腕を緑のプロテクターごと貫かれたのだ。
「ぐうぁぁぁぁっ!!」
「ベルッ?!しまっ、ゴブァッ!!」
ベルの悲痛な叫びにアルはそちらに意識を割いた。
しかし、アルが盾受け出来ていたのは、しっかりと構えて体勢が整っていたからだ。
甘い構えに気づいた山羊頭は、二本の鉈を思いきり振って、アルをルームの真反対、ミノタウロスがいる方の壁まで叩き飛ばした。
轟音が鳴り響き、アルは前へ突っ伏した。
ベルも、角で高らかにかかげられた状態から地面に叩き付けられて、地面に倒れる。
「ベル様ぁっ!アル様ぁっ!」
リリが血を垂れ流しながら必死に連れてきた希望が、金色の風が、二人の前に降り立った。
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインがそこに立っていた。
「待ってて、今助けてあげるから。」
その一言、その優しいたった一言が、ベルの砕け散った心に灯をともした。
また助けられるのか、立ち上がらなくていいのか。
このままで、アイズの隣に立てるのか。
男としての矜持が、英雄を目指す魂が、救いを拒んだ。
ベルは、震えながら立ち上がってアイズの腕を引いた。
「いかないんだ……。
もう、アイズ・ヴァレンシュタインに助けられるわけにはいかないんだ!」
爛々と赤く燃え滾るような目に、アイズは引き込まれた。
あふれ出す闘志に、一瞬目が離せなくなった。
ベルは、そんなことは知らずに、未だ倒れ伏したままのアルに声をかけた。
「いつまで、寝てんだよっ、アルっ!強くなるって約束!
今ここで高みに手を伸ばさなくちゃダメなんだよ!
起きろっ、アルトリウス!深淵歩きを継ぐアルトリウスっ!」
ベルは、背中が熱くなっていく気がした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あぁ、どうやら私は負けたようだな。」
気絶したアルは深い闇の中の遺跡にごろりと大の字で寝ていた。
もう何度感じて震えたか分からない、マヌスの気配が強くなってくる。
いつもなら震えながら剣を構えているのに、起き上がる気力すらなかった。
「はは、現実の死が目の前に迫れば、お前と戦おうという気すら起きないな。」
アルは半ば諦めの境地に達していた。
自分が死に、ソウルがマヌスに取り込まれてしまったらどうなるか、想像できないわけではない。
アルの体はマヌスのものになり、化物となって闇をばらまくだろう。
それでも、アルは心が折れかけていた。
しかし、どんどんと背中が熱くなっていく。
背中に刻まれた炎の、ヘスティアのエンブレムが、
ベルとの誓約が、ベルの叫びが、強くなれ、強くなれと訴えかける。
立って戦えと怒鳴ってくる。
「ベル、いくら望んでも、深淵の力を扱う事すら出来ん私には奴は倒せまい。
あぁ、私に真の死の恐怖を与えた山羊頭のデーモンよ。私はお前の方が恐ろしい。
だがベルよ、貴公との誓い果たせぬことが我が最大の恥辱、悔恨となるだろうなぁ……。」
しかしアルは、諦めの境地に踏み入ったことで、一つの事に気が付いた。
今、自分はマヌスよりも山羊頭のデーモンが恐ろしいと。
死が恐ろしいと。
そして死を恐れて諦めて、誓いを果たせぬ自分が何よりも悔しいと。
その気づきが、心折れた先で見出した思いが、限界を突破する力を生み出した。
「……なれば、マヌスなど恐るるに足らんな。
いや、そもそも死がなんだというのだ。
誇りを失うことの方がよっぽど恐ろしいことではないか。
誓いを果たせぬことの方が、情けないに違いない。
あぁ、そうだ私はヘスティア様にも誓ったのだ。」
アルは、寝転がるのをやめて起き上がった。
眼前にはマヌスが迫っている。
だというのに、なぜかアルは笑っていた。
「ははっ、死ねない誓いと強くなる誓い。
どちらも果たそうではないか。
死んでも死なぬ不屈の闘志をもって、高みに至ろうではないか!
死にながらでも、私は勝つぞ!
あぁそうとも!不死の英雄のようにな!!」
アルは力強く聖剣を握った。
そして、マヌスの顔面に思い切り突き立てた。
お前など怖くはないと、からからと笑いながら。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ははは……。何、大したことではなかったな、待たせた。」
「アル……っ!」
意識を取り戻したアルは、剣を地面に突き立てて立ち上がった。
ベルは、アルの再起に歓喜した。
もっとも信頼する仲間が、共に戦ってくれるのだから当然だろう。
アルは周囲を見渡して、状況を確認した。
アイズを警戒して距離を取っている強敵二匹に、ロキ・ファミリアの面々とリリがいる。
そして、心配そうに自分を見つめるリヴェリアを見つけた。
「眼前には敵そして傍には姫君、か。まるで英雄譚だな。
ベルよ、こういう時貴公の大好きなアルゴノゥトならなんという?」
ゆっくりと立ち上がって変なことを言い出したアルに対して、ベルは少し笑ってしまった。
だが、自分の大好きな英雄も笑っただろう。
ベルは自分の行動に満足して、アルに答えた。
「かくして『役者』は揃った!好敵手達よ!
いざ、我らの『英雄譚』を始めよう!」
「ふふ、ならば私は私の役を演じよう。『騎士』を演じよう。
心折れてなお、立ち上がる騎士を演じよう。折れた聖剣を携えて、戦おう。」
アルとベルは、アイズたちの前に立った。
煌々と猛々しく燃え盛る闘志を胸に抱いて、姫達の前に立った。
ミノタウロスも、山羊頭のデーモンも、今か今かと待ちわびていたように武器を構えた。
「僕は、今日冒険をする。
だからカミサマ、力を貸してくださいっ!【フレアアームド】!」
ベルは
ベルの体から、白い焔が沸き上がる。
鎧を焦がし、服を突き破って、焔が太陽のように真っ白く輝き始める。
「我が神よ、我が内に眠る英傑達よ。
未熟な私にその火を熾すことを許したまえ。」
アルはそう呟いて、自身の眼前に聖剣の刀身をかざした。
顔の半分を剣に隠し、聖剣に語り掛ける。
「お前も、負けたままではいられないだろう。もう折れたくないだろう。
さぁ、行こう。あの敵を滅ぼそう。我が聖剣よ、もう一度力を貸してくれ。
幾億年の眠りから覚めて、勝利を掴もう。」
アルの体から闇が、炎が溢れ出す。
ぱちぱちと薪が燃え上るような音を立てて、アルの体から残り火が立つ。
渦を巻くようにして、アルの体を闇が纏っていく。
段々と炎が黒く染まっていき、ベルと鏡合わせのような黒炎がごうごうと燃え滾っていた。
そして、アルが眼前に構えた聖剣から闇が取り払われていき、徐々に青白い光を発し始める。
アルがもっと強く、もっと激しくと念じるとその刀身がより青く輝き始めた。
深淵に飲まれた聖剣は、ついに本来の姿を取り戻した。
アルトリウスのソウルと意志を継いだ者がついに為しえたのだった。
「綺麗……。」
アイズがそうぽつりと呟いた。
その場にいた誰もが、幻想的で神秘的な冒険譚の一場面と見間違えた。
どこまでも白く優しい焔と、どこまでも黒く勇ましい炎がダンジョンで燃え盛ったのだ。
そのまま、二人が真っ直ぐに己が宿敵に向かっていく。
宿敵たちもまた、強くなって戻ってきた敵に猛然と迫っていく。
助けに来たロキ・ファミリアのだれもが、そしてリリですらそれを止めなかった。
彼らの役は「観客」と「姫」に過ぎない。
「英雄」と「騎士」を与えられた二人だけが、戦う権利があるのだと無意識に悟ってしまっていた。
ベルが縦横無尽に駆け回って、ミノタウロスを削っていく。
持ち前のスピードで、ミノタウロスの剣をかわしながら表皮を焼きながら断ち切っていく。
しかし、それでは致命傷に至らない。
分厚いミノタウロスの皮は、
すれ違いながら切っているだけでは殺せない。
「オォォォッ!!」
アルは山羊頭と一進一退の攻防をしていた。
アルが切りつけた隙を山羊頭が狙い、それをかわしながらカウンターを入れていく。
しかし、ベルの武器ではミノタウロスを倒すには至らないことに気づいたアルは、勝負を仕掛けた。
雄たけびを上げて、低く低く地面に滑り込む。
盾を地面に叩き付けながら山羊頭の左足を軸に回転し、その膝の裏を剣で切りつける。
不死隊の剣技を、今ここで用いたのだ。
『ゴァッ?!』
「ゼァァァッ!!」
『グガァァァッ?!?!』
膝の裏を切られたことで、山羊頭は一瞬バランスを崩した。
その瞬間、アルは思いきり飛び上がった。
そして、高さと回転を用いて山羊頭の肘から先を切り飛ばした。
激痛に悲鳴を上げる山羊頭をよそに、アルは空中に刎ね飛ばされた腕を掴んで、目的のものを手に入れた。
「ベルッ、使えッ!」
アルはデーモンの大鉈をベルの方向に投げた。
回転しながら飛んでくるそれを、ベルは遠心力を殺さずに掴み、その回転をもってミノタウロスの大刀に叩き付けた。
ミノタウロスの大刀だけが砕け散り、破片がそこらに散らばる。
ベルは重くて腕では振れないそれを、脚力によって生み出されたスピードで巧みに操る。
大きな動きになるが、武器を失ったミノタウロスを相手取るには十分すぎた。
胸を、腹を、ずぱずぱと切り裂いて大きな傷を作り出すことに成功したのだ。
『ブォォォ……!』
『ガァァ……!』
これが最後の一撃になると悟った二匹の獣は、最高の姿勢を取った。
ミノタウロスは、両手両足をついて角による突撃の体勢に備えた。
山羊頭は最後に残った大鉈を肩に担いで、必殺の一撃を放つ準備を整えた。
アルも、ベルも、眼前の敵が備えたのを見て決死の覚悟を決めた。
アルは、先ほどの回転切りで盾の留め具が外れ盾を失っていた。
しかし、山羊頭相手に盾受けするのは愚策だと思い知らされていたアルは、ククリナイフを腰から引き抜いた。
聖剣を真っ直ぐに山羊頭に突き付け、逆手に持ったナイフを柄頭に沿わせるようにした構えた。
狙うはパリィ、ナイフによるパリィのみ。
ベルも、大鉈を捨てた。
最速で突っ込んでくるミノタウロス相手には、渡り合えないからだ。
相手が最速で来るならば、こちらも最速で戦う。
角で突いてくるならば、剣で貫き返す。
ベルの構えは意地と矜持の構えであった。
『ブォォォッ!!』
ミノタウロスがベルに突っ込んでいく。
ベルも白い光を後ろに残しながら、前へ駆けていく。
ベルはミノタウロスの角に、剣を叩き付けた。
そして、その力を受けてベルの体は角を軸に回転する。
ベルは計画通り、その力を跳躍に用いた。
今までのどんなときよりも高くベルは飛び上がった。
視界からベルが消えたことで、ミノタウロスは一瞬ためらいを見せた。
それが、生死を分けることになった。
「おりゃあぁぁぁぁっ!!」
落下致命攻撃、それがミノタウロスを襲った。
ミノタウロスは、ベルに首を思いきり貫かれて血を吐き出した。
しかし、まだ死ななかった。
目の前の白い敵を打ち滅ぼそうと腕を動かそうとした。
「プロミネンスバーストぉっ!」
しかし、それよりも早くベルの焔がミノタウロスの中で爆ぜた。
行き場を失った爆炎は、ミノタウロスの傷口を吹き飛ばす。
ベルはそのまま何度も叫んだ。
自身に勇気を与えてくれる魔法を。
英雄になることを望んで得た力を。
最後にミノタウロスは上半身を消し飛ばされて、灰と化した。
ベルは、ミノタウロスに勝利した。
「英雄」を全うしたのだ。
辛く苦しい戦いを、ベルは勝ち残った。
『ガァァ!!』
「ここだァッ!!!」
アルもまた、山羊頭と雌雄を決さんと飛び出した。
山羊頭が、アルを叩き潰さんと大鉈を振り下ろす。
アルはそれを待っていた。
渾身の力で、左手に握りしめたナイフを横に振るった。
ナイフが砕ける音を立てながら、山羊頭の渾身の一撃をはじき返すに至る。
すぐさま、アルは折れた刀身を山羊頭の目に向かって全力で投げつけた。
『ゴガァァッ?!』
山羊頭は目をつぶされたことで、やたらに暴れるしかなかった。
その隙にアルは闇を、火を強く強く引き出した。
そして腰を落として、足に思い切り力を籠める。
アルトリウスの剣技の最たるもの、尋常ならざる膂力を用いた一撃を、再現しようと。
「ゼェァァァァッ!!」
アルは山羊頭に向かって高く跳んだ。
思い切り体をひねって青白く輝く聖剣を山羊頭の頭に上から叩き付けた。
山羊頭が、真っ二つに割れた。
そして断末魔を上げることなく、灰になった。
それは静かな勝利だった。
敗者が断末魔を上げることもなく、勝者が勝鬨を上げることもなかった。
「観客」はただその勝利に圧倒されて声も出ず、「姫」達は「英雄」と「騎士」の後姿をただ見つめた。
「立ったまま、気絶してる……?」
ティオナは、天を仰いで立つベルが気絶していたことにようやく気がついた。
少しずつ、その場にいた者たちが二人の方に近寄っていく。
ベートは、ベルの背中が露出していたことに気が付いた。
躊躇いもなく、ベートはリヴェリアにあることを要求した。
「おい、アイツのステータスは?!」
「私にのぞき見をしろと?」
「いいから見ろってんだ!」
呆れたリヴェリアは、ベルの背中に刻まれた
そして、その驚くべき内容を読み上げた。
「アビリティ……オールSS。」
「嘘でしょ?!」
ベルのステータスに、ロキ・ファミリアの一同が驚いた。
アビリティは、基本的にSが最高の評価であり、それを超えることはない。
そして、Sに至れるものは、才能があってかつそのアビリティに秀でたものだけだ。
全てのアビリティを限界突破させられるような人間は、存在しないと言っても過言ではない。
リヴェリアはその秘密を探ろうと、もう少しだけ読み解こうとした。
しかし、それを止めようとするものがそっとリヴェリアの肩に手を置いた。
「それ以上は……。それ以上は、ご遠慮願おう……。
いくら、貴方であっても……。」
「お、お前っ。その傷で動けたのか?!」
アルは、身に余る力を引き出した反動で全身から血を垂らしていた。
山羊頭のせいで左腕は骨が折れている。
それでも、友のためにボロボロの体を引きずってベルをかばったのだ。
「がふッ……。ベート・ローガ殿。
我が友は、ベル・クラネルは雑魚などではない。
撤回を……。今こそ、あの時の言葉を……!」
アルは血を口から垂らしながら、ベートに問うた。
侮辱の撤回を、栄誉の承認を求めた。
ベートはじっとアルをにらんだ。
そして、呟いた。
「……撤回だ。こいつはトマト野郎じゃねぇ。兎野郎に格上げしといてやる。」
「くく……。はは、はははっ!
あぁ、今日は良き日だ。ベル、貴公はついにやったのだ……。
はは、本当に、頑張ったなぁ……。」
アルは、ベートの言葉に満足して、前に倒れ込んだ。
アルの前に立っていたリヴェリアは、アルの重い体を優しく受け止めた。
ローブが血で汚れるのも気にせず、優しく抱き留めた。
「おい、リヴェリア。そいつ貸せ。馬鹿ゾネス!
手前ェらが落ちてるもん拾ってやれ!盾と角と鉈だ!早くしろ!」
フィンは、珍しく救助活動を急ぐベートに驚きを隠せなかった。
団員の動機を知るのも、団長の役目だ。
フィンは微笑みながら、ベートに訊ねた。
「珍しいね。君が人を助けるなんて。」
「……これで三回目だからだ。」
「何がだい?」
「こいつは、酒場で俺に吠えた。それで一回。
ガレスの爺相手に立ち上がりやがった。それで二回。
今日、こいつは漢を見せた。三回だ。
三回、こいつは俺の予想を裏切った。それだけだ。」
ベートは気に食わないといった顔で、フィンを見た。
フィンは、それを好意的に解釈した。
この男は非常に
まだ弱いが、凄い男だからちょっとぐらい手を貸してやっている。
そんなことも素直に言えない男なのだ。
ロキ・ファミリア幹部は、フィンとティオネ以外は一時撤退を選択した。
ベートがボロ雑巾と化したアルを担ぎ、リヴェリアは傷を負いながらも必死に助けを求めて走り回ってついに倒れたリリを優しく抱きかかえた。
そして、疲弊しきったベルをアイズが背に抱え、やたらに重い二本の鉈とミノタウロスの角、そして大盾をティオナが運んだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「アイズ、お前は神ヘスティアを呼んで来い。他は遠征隊に合流だ。」
「ったく、手間かけさせやがって……。」
「ベートが一番先に運び始めたじゃん。」
「うっせぇ馬鹿ゾネス!」
ギルドの救護室に、怪我人を運び込んだロキ・ファミリアはリヴェリアを残して救護室から出ていく。
リヴェリアは、アルが眠るベッドのそばに椅子を置いた。
そして、安らかに眠っているアルの頭をそっと撫でた。
「全く無茶な戦いをして、お前は本当に手がかかる……。
お前は前もそうだったな。ミノタウロスに立ち向かったり、トラブルに突っ込んだりと……。別のファミリアだというのに、お前の無事が気になって仕方がない。
聞こえてはいないだろうが、もう二度と私を困らせるなよ?
恩を返すと言ったではないか、それまでは決して死ぬな。」
リヴェリアは、眠るアルに説教を垂れていた。
とても心配したからだ。
リリに導かれてたどり着いたとき、アルは突っ伏していた。
それを見ただけで肝が冷えた。
立ち上がってくれたから良かったが、アルの最後の攻撃はあまりにも無茶が過ぎた。決死のパリィをしたときは、心臓が止まってしまうかもしれないと思ったほどだった。
何故だかわからなかったが、リヴェリアはそんな戦い方を二度として欲しくなかったのだ。ありったけ説教を垂れた後に、リヴェリアは優しく微笑みながら、本当に言いたい言葉を呟いた。
「ふふ、だが今はこう言うべきなのだろうな。
よく、頑張った。それに、勇ましくて、なかなか格好良かったぞ……。」
そうして、気恥ずかしい言葉を述べていると、こんこんとドアが鳴った。
リヴェリアは立ち上がって、ドアを開けた。
そこには、アイズとヘスティアがいた。
「連れて、きた。」
「事情は大体聞いたよ。君たちにはお礼を言わなくちゃいけないね。」
部屋に入るや否や、ヘスティアはそう言った。
しかし、リヴェリアは、ヘスティアの言葉に首を横に振った。
彼らは紛れもなく、英傑だったからだ。
「我々はここに運んできただけだ。彼らは、彼ら自身の力で切り抜けた。」
「……そうか。それでも、ありがとう君たち。」
ヘスティアは、アイズとリヴェリアに頭を下げた。
大好きな眷属たちが無事に帰ってこれたのは、紛れもない彼らのおかげだからだ。
そっと涙を流しながら、ヘスティアは笑った。
そして、リヴェリアに声をかけた。
「すまない、少しだけ時間をくれないかリヴェリアくん。
少しだけ君と話がしたい。」
「承知した。アイズ、先に行ってくれ。」
「……分かった。」
アイズは、そっと救護室から出て行った。
暗い部屋の中で、ヘスティアとリヴェリアだけが対面していた。
「単刀直入に聞きたい。君は、アルくんのことが気になってたりするかい?」
「っ、それはどういう意味だ……!」
「ふふ、その反応で大体わかったよ。
君は、アルくんのことがちょっと気になってるみたいだね。」
ヘスティアは、すやすやと眠るベルとアルに駆け寄って、二人の寝顔を眺めた。
可愛らしい寝顔に心癒されて、またリヴェリアの方に向き直る。
「リヴェリアくん、どうか後悔しないでほしい。」
「先ほどから何を言っているかさっぱりだな……。」
「いや、結構本気さ。アルくんは、これから酷い運命に囚われるだろう。
悲しいけど、それが現実なんだと思う。ベルくんとは根本的に違いすぎる。
何がどう転んだとしても、アルくんの先に待っているのは恐ろしい何かだ。」
ヘスティアは、とても悲しそうな顔をした。
出来ることならば、二人にずっと笑っていてほしい。
だが、そうはいかないのだ。
だってアルは得体のしれない化物に等しいからだ。
深淵をコントロールし始めたところで、それは何一つ変わらない。
「ボクはこの子たちの神だ。たとえ何があろうとも、愛し続ける覚悟がある。
けど、正直ボク一人だけでこの子たちが迎える悲しみを慰めてやれるとは思えない。だから、もし君がアルくんのことが好きなんだったら……。
出来る限り、信じてあげてくれ。
そして、悔いが残らないように生きてほしいんだ。」
ヘスティアは真摯にリヴェリアに伝えた。
いつもなら、眷属に女の影アリと知れば怒り狂っているのに、冷静だった。
アルとリヴェリアの幸せのためだった。
いつか、アルが人も、神も、世界を敵に回したとしても傍で支え続けてやれる人がいて欲しい。
そして、アルを愛したい人がいるのであれば、生半可な道ではないことも伝えたい。
そういう真心であった。
「……参考にはさせていただこう。」
「君は素直じゃないねぇ。
そうだ、今日くらいはアルくんの頭を撫でてやってもいいんだぜ?特別だ!」
ヘスティアは、アルのベッドのそばに置かれた椅子をぽんぽんと叩いた。
最初に部屋に入った時に気が付いていたのだ。
不自然におかれた椅子の存在に。
ヘスティアはニヤニヤと笑ってリヴェリアを見つめた。
リヴェリアは顔が熱くなってくる気がした。
「……もう私は行く!」
「いいんだね?今日という日は二度とこないよ?」
「その代わり、伝えておいてくれ。『無茶はするな』と。」
リヴェリアが背を向けても、長い耳が真っ赤に染まっているのが丸わかりだった。
ヘスティアはそれをみて、くすりと笑った。
恋やら愛には無自覚な男を気に掛ける面倒で初心な女。
負けるつもりは毛頭ないが、愛のライバルとしては悪くないと思った。
「分かった、伝えておくよ。」
リヴェリアは、その答えを聞いて戸を開けてダンジョンへと向かった。
遠征前だというのに、顔の火照りは中々収まらなかった。
心の中で、今なおぐっすりと眠る大男に毒づきながらダンジョンの下へ下へと向かうのであった……。
古き深淵の聖剣
最後まで主と共にあり続けたがゆえに 深淵に飲まれた聖剣
悠久の時を経て ついに主のソウルとまた巡り合った
一度折れたがゆえに もう二度と折れることはない
勝利のために 主の敵を切り倒すのだ