アンデッド・アポカリプス ~ゾンビに嫌われた俺が行く終末世界~ 作:鬼管いすき
世界は唐突にあっけなく終わりを迎えた。
死者が歩き、生者を襲い、そして歩く死者の仲間入りをさせる。
そんな映画でよくあるゾンビアポカリプスが現実に起きてしまったのだ。
今思えば予兆はあった。
テレビやネットで連日、海外のニュースが取り上げられていた。
「中国で薬品工場が爆発」
「パリで大規模暴動発生」
「中東でバイオテロ。死者行方不明者十万人以上」
「米国で猟奇殺人が多発」
「インドで新種の狂犬病発生か」
正直に言うと「ああ、海外終わってんな」としか思わなかった。
海外の出来事なんて所詮は対岸の火事。
誰も真剣に考えたりはしなかっただろう。
あるニュースが流れるまでは。
「羽田空港が自衛隊により閉鎖される。犯人は細菌兵器を使用か?」
そこからのパニックはひどかった。
東京都内から避難をする車で高速道路が麻痺。
各地で車両事故が発生し、サイレンが鳴らない日はなかった。
政府が国家非常事態宣言を発令し、家から出ないようにとの避難指示が出された。
コンビニやスーパーから商品が消え、街からは人が消えた。
俺の勤めていた会社からも自宅待機の連絡が来て、妻の
「ねえ見てよ、
「えーどれどれ。うわっ、俺こういう動画苦手なんだけど。美香知ってて見せたでしょ」
その頃になると、動画サイトなどに歩く死体が人を食っている映像が流れるようになった。
そしてようやく、世界が終わり始めているのだと理解した。
窓の外からは毎日のように人とも獣ともつかない叫び声や唸り声が聞こえるようになった。
ある夜、外が異様に明るいのでカーテンを少し開けて外を見れば車や家が燃えていた。
消防に電話をするも当然繋がらない。
火の勢いは激しく、いつこのアパートに飛び火するかわからない。
人食いのゾンビがいるかもしれないが、ここにいたら火に巻かれて死んでしまう。
俺と美香は当面生きていく為に役立ちそうなものをリュックに詰め、外に出る準備を始めた。
ゾンビゲームなどで主な武器となる銃器などあるわけがないから、俺はゴルフクラブを美香は柄の長いモップを持つことにした。
市のホームページに市役所を防災対策拠点にしたと書かれていたので、市役所を目指す。
スマホの地図のアプリでルート案内をしてみると、自宅のアパートから市役所まで四キロほど。
火事で歩けない場所が多そうなので、狭い路地を避け広い通りを行く。
通りには乗り捨てられた車がおびただしい数あり、四車線道路が一車線になるほどだった。
ゾンビの生態がわからないので、懐中電灯を照らすことも控えて静かに歩く。
通りの店や建物の灯りは消えているが街灯が点いているので真っ暗闇ではない。
「恭平、見て」
「なんだ?」
美香の指差す方を見れば道路脇に止まったバス内で暴れる人影が見えた。
窓が汚れてよく見えないが、抵抗する一人の女性を何人かが捕まえようとしている。
捕まえる側が人なのかゾンビなのかはわからないが、ただ事ではないことだけは理解できた。
やがて、女性が捕まると、断末魔の絶叫が鳴り渡った。
「早く行こう、恭平。静かに。見つからないように」
「あ、ああ」
呆然としている俺の手をひいて歩き出す美香。
闇の中の惨劇に凍てついた心が、美香の手のひらから伝わる温かさで解けていく。
こんな状況でも冷静に行動ができる美香がとても頼もしく感じる。
俺たちは音を極力たてないようにして市役所までの暗い道を歩いた。
「恭平、止まって」
「どうした。ヤツらか?」
通りの先が車で狭くなっており、そこに佇む人が二人ほどいた。
ゆらゆらと揺れているそれは、なるほど、ゾンビらしい動きだ。
ライトの点いたままになった車に照らされてその様子がよくわかる。
サラリーマンだったのだろうか。
白いワイシャツはところどころ血で赤く染まっている。
白眼が黄色く濁り、だらしなく開けた口からは涎を垂らしていた。
「注意を引いてみる」
「どうやって? 危なくないか?」
「任せて」
どうしてうちの奥さんはこうも漢気に溢れているのだろう。
内心で頼りない自分にヘコんでいると、美香が足元に落ちていたハイヒールを拾った。
「きっとこれを履いていたら逃げられないから脱いだのね。ま、ちょうど良いわ」
「なにがちょうど良いんだ?」
「こうするのよ」
美香の腕から放たれたハイヒールは、曲線を描き、脇に停まっている車のボンネットにゴンと落ちた。
前方のゾンビがピクリと反応し、音のした方へとゆっくりと移動をする。
なるほど。ヤツらゾンビは音を頼りにしているようだ。
「今よ。ゆっくり、静かに」
「わかった」
まるで映画やドラマで見る特殊部隊のように動く。
まあこれは自分の中でだけであって、はたから見たら鈍臭そうな男がワタワタ動いているのだろうけど。
音のした方へゆっくり歩くゾンビの後ろを、静かに通り過ぎようとした、が。
「ウウゥァァ……」
「グァアアア……!!」
「くそ、気づかれたわ」
二人のゾンビがこちらを振り向き、鼻と眉間にしわを寄せ唸り声をあげた。
先ほどよりも早く歩いてくるゾンビを見て、ぞわりと背中に寒気が走る。
明らかに、ヒトではないなにか。
人間の形をしているのに、明らかにそれとは異なる。
息がうまくできなくなり、思考が働かなくなった。
この時になってようやく本当の意味で、ゾンビや人食いの意味がわかったのだろう。
体が拒否反応を起こし、恐怖で身がすくんでしまった。
俺も、食われてしまうのか。
「恭平。恭平! ゾンビが集まってくる! 走って!」
「う、あ、ああ」
美香の声で我にかえった。
今は逃げることに集中しないと本当に死ぬ。
腰の引けている俺の手を掴み、美香が先導して走っていく。
どこにこんなに潜んでいたのかと思える量のゾンビを振り切って、市役所までの道を必死に走る。
時折車の陰から出てくるゾンビは、美香の持つモップに押されてよろめいていた。
俺はその隙に走り抜けるだけ。
ある程度ゾンビとの距離が離れたところで、美香から「恭平」と声がかかった。
「もう少し、ゆっくり。早歩きくらいに」
「そうだな、流石に息が続かない……」
「体力つけないとね」
「そうだな……」
俺はお前と違ってずっと文系の部活だったんだよ、なんて言い訳が心の中に浮かぶ。
上背があるがヒョロい俺のどこを美香は気に入ったのか。
もっと筋肉質で頼りがいのある体に憧れる。
「人が居るわよ」
「本当だ」
市役所近くになると、前方に俺たちと同じように避難してきたのか、何人かの人が歩いている。
お婆さんを背負った男性、小学生が二人、ギャアギャアとうるさい高校生グループ。
高校生グループは他の人の姿が見えて安心したのか、声が大きくなっている。
「これ、マズくないか?」
「うん、マズい。後ろ見てみてよ」
「後ろ? うわっ」
振り返ればたくさんのゾンビが、通りをこちらに向かってきている。
声に誘われて来たヤツも居れば、俺と美香を追ってきたヤツも居るだろう。
ヤツらの執着心はヒグマ並なのかもしれない。
「どうしたらいいと思う?」
「市役所まで走る」
「他の人は?」
「騒いでいるヤツらは見捨てる。子供は助ける」
「あの老人は?」
「家族が助ける」
「んー、まあ緊急事態だし仕方ないか……」
美香のわかりやすい指示に従い行動に移す。
できるだけ安心させられるような笑顔を作り、小学生の方へ近づく。
低学年と高学年の女の子二人だった。
「やあ、君たちは二人だけで避難しているのかい?」
「私たちも市役所に避難しているんだけど一緒に行こっか」
「あ、はい。よろしくお願いします……」
高学年の子は返事を返してくれたが、低学年の子は不安そうにこちらを見上げていた。
良く見ればスカートから出ている膝が血だらけだ。
「転んじゃったのかい? 痛そうだね。おじさんがおぶってあげようか?」
「え、あ、あの、えと」
「良いのよ。足痛くて歩けないでしょ?」
「すみません、ありがとうございます……」
高学年の子に笑顔を向けてから低学年の子をおぶる。
背中にしょっていたリュックは美香が持ってくれた。
美香が高学年の子にそっと耳打ちをしている。
後ろからゾンビが来ていることを伝えたのだろう。
「え、いや……。早く逃げないと……!」
「静かに、冷静に。大声を上げたらゾンビがよって来るからね」
「は、はい」
「それじゃ、気持ち早めに歩くよ」
美香の早歩きに高学年の女の子はついていけず軽く小走りになっていた。
俺も低学年の女の子とはいえ人一人をおぶりながら早歩きするのはとても辛かった。
さきほどのお婆さんを背負った男性を思い出し、尊敬の念を抱く。
重いリュックを二つ持った美香が誰よりも早く歩く姿にも感服する。
うるさい集団とだいぶ離れたところで、前を歩いていた美香が「嘘……」と呟いた。
「美香、どうし……」
どうした? と続けたかったが、俺の口から言葉は出てこなかった。
市役所が、大量のゾンビに囲まれていたからだ。
「どうしようか?」
「考えてる。……できれば朝になって明るくなってから市役所の様子を見たいわ」
「なるほど。どこかで一晩あかすことになるのか」
市役所前の通りは、少し寂れた個人商店が並んでいる。
少し先に頑丈そうなシャッターの下りたバイクショップを見つけた。
「あそこにしよう。あのシャッターならそうそう壊されることはなさそうだ」
「そうね。でもどうやって入ろう? きっと鍵が閉まってる」
「壁際に俺が立つから、足場にして登って二階の窓から侵入できないかな」
「やってみましょう」
おぶっていた女の子を降ろし、美香からリュックを受け取る。
周りを警戒しつつバイクショップまで行く。
車が停まっている場所は、隙間にゾンビがいないかを入念に確認して進む。
幸いなことに、一人のゾンビとも会わずに済んだ。
バイクショップのインターホンを押してみるも何の反応もなし。
物音もしないから、中にゾンビはいなそうだった。
「この辺のゾンビは皆、市役所に集まってるのかも」
「そういえば市役所に近づくにつれゾンビを見る回数が減ったな」
「ということは相当数のゾンビがあそこにいるってことかあ。きついね」
「まあ、朝になってから確認すればいい。今は一刻も早く安全な屋内に避難したいよ」
「そうね。あ、恭平、そこ。そこに立ってて」
「了解」
登りやすいように中腰になり足を開く。
美香が俺の太ももに足をかけ、肩に乗り、二階の窓の格子を掴んだので、足を持ちぐっと背伸びをして持ち上げてやる。
美香の引っ張る力と俺の押す力が合わさると、意外と簡単に二階の窓からの侵入に成功してしまった。
「やった。窓の鍵が開いてる。ちょっと待ってて、玄関開けてくる」
「気をつけて」
美香は「わかった」と言うと家の中に入っていった。
一分もしないうちに、カチャと玄関の扉が開いた。
「早いな。ちゃんと警戒した?」
「うん、したした。ほら早く入って」
バイクショップの中は、一階に店舗と作業場があり、二階に仮眠室と倉庫と簡易的なキッチン、一畳くらいのシャワー室があった。
持ち主もゾンビもおらず、綺麗なものだった。
「とりあえず、その子の治療しちゃおっか。薬箱見つけた」
「そうだな」
背負っていたリュックを仮眠室に置き、薬箱から消毒液や化膿止めを出す。
女の子にはシャワー室で美香に足を洗ってもらう。
「痛い?」
「ううん。平気だよ!」
「偉いね。何年生?」
「二年生!」
笑顔で美香に返事をする女の子。
元気に話す様は微笑ましいが、人食いゾンビから身を隠しているというこの状況ではもう少し声を小さくして欲しいと思った。
人差し指を立てて口に置く仕草をすると、女の子は「あっ」と言って慌てて口を押さえた。
素直で賢い子だ。
女の子の治療も終わり、改めて二人と向き合う。
簡易式キッチンにはテーブルもあったので、そこで。
「ええと、そう言えば自己紹介をしていなかったね。俺は
「私は
「あ、はい、えっと、
「
高学年の子は優子ちゃんで、低学年の子が恵理奈ちゃんね。覚えた。
二人は地域住民と一緒に集団で避難していたところをゾンビに襲われ、両親とはぐれてしまった。
避難先は市役所だったので、両親と合流できるだろうと二人だけで向かっているところを、俺たちに声をかけられたそうだ。
「うん。きっとご両親は市役所の中で待っているはずだよ」
「朝になったらすぐ行くから、優子ちゃんと恵理奈ちゃんはもう寝ちゃいなさい?」
「うん、もう恵理奈ねむい……」
「あの、でもお布団ひとつしかないけど、お二人はどうするんですか」
優子ちゃんが心配そうに聞いてきた。
正直、寝ることとか考えていなかったが安心させるべく笑いながら言う。
「大人は少し寝なくても平気なのさ」
「下にソファがあったから、そこで寝るわよ」
「うん。下のソファで寝るから平気なのさ」
「ぷっ、ふふふ。わかりました。じゃあおやすみなさい」
優子ちゃんが笑いながらそう言ってきたので「おやすみ」と返す。
張り詰めた顔をしていたから少し心配だったが、これで少しでもリラックスできれば良いけど。
仮眠室に行く二人を見送ると、美香がため息を吐いた。
「優子ちゃんが笑ってくれて良かった。妹を守るために必死だったのね。まだ小さいのに。かわいそう」
「そうだね。守ってやらないと」
「うん。ご両親に届けるまでは……、せめて市役所での安全が確保できるまでは私たちで守るよ」
「ああ」
決意をする美香の横顔を見て、いろいろと考えてしまう。
俺と美香の付き合いは美香が十八歳の時からだから七年。
子供ができたら結婚をしようと約束していたが中々恵まれず、七回目の交際記念日に婚姻届を役所に提出。その一週間後にゾンビパニックが起きた。
実は新婚だったのだ。
妊娠なんてしたらゾンビから逃げられず死んでしまうかもしれない。
理性では理解していても本能はそうではなかったのだろう。
その夜、このような状況だというのに、久しぶりに美香と燃え上がった。