講堂の昏倒事件より数ヶ月にも渡り夏の暑い日にもその猛威は収まることはなかった。
講堂とエンマ荘の事件の時よりも大人数が倒れると言った事はないが、常人が昏倒することは連日続き学校の中は徐々に人が減り今魔法処はどこか物悲しく伽藍洞な様子であった。
そんな状況であるがために、とある学年では別学年と共同授業をやった方が効率がいいとまで言われる程に、生徒の数は日に日に減っていった。
「なんだが、怖いね。お昼休みだってのに、中庭に人が全然いないよ」
綾瀬は少し不安な様子で辺りを見渡していた。
私はエンマ荘で用意されていた弁当を食べながら、あることに引っかかり続けていた。
あの物品。更衣室で生徒の一人が所持していた呪物の石。
それだけが気に掛かり。あの怨嗟を固形化したら出来上がったような悪意の塊のような物を何故所持していたのか未だに納得できなかった。
そして、それを竜人が知っている風である事にも納得が出来なかった。
「きっと何かあるに違いないのだ」
「何かって?」
「何かなのだ。人には他言できないような者が! 我ら生徒があのような物を持っていようなど得心がいかん」
「ねえ、撫子ちゃん。さっきから話の意図が見えないんだけどどういう意味なの?」
私はかくかくしかじかと私はこの疑問の出所と例の呪物について綾瀬に説明した。
人を害する石の姿の呪物。空気を汚染して人の命を弱める呪いの品について私は詳しく説明をする。
「その石が今回の騒動の一件だっていうの?」
「間違いないのだ。天狗の勘が騒いで致し方ない!」
私は胸を張って羽根が
「撫子ちゃんは優しいね」
「ここは既に私の領土なのだ。何人とも侵すこと許さないのだ」
胸を張って、ふんすと鼻息を荒らげて自慢する。
ここ魔法処は既に私の砦であり、ある意味では私の“山”だ。
故に誰であろうと荒らす行為は許さない。誰でも自分の領域を荒らす人間は腹立たしいだろう、私だってそうだ。だから成敗せねばならないだろう。
「それで、これからどうするの?」
「竜人を締め上げるのだ!」
「誰が誰を締め上げるって?」
「ぴぃいっ!」
いきなり現れた竜人が私の首根っこを掴んで吊り下げる。
本当に唐突に現れるために大変心臓に悪い事この上ないし、口から悪くなった心臓がまろび出てしまいそうだった。
私を片手で吊り下げてまるで子猫を運ぶ親猫のような竜人。その目はジトっと私を見下して、鼻笑いをかましてくるではないか。
「フンッ……」
「ぬぁあっ! 下ろせ、下ろすのだぁ!」
「俺の聞き間違いがったら悪いがなぁ。天狗娘、お前が俺を締め上げるのか?」
「聞き間違いなのだ。竜人貴様の聞き間違いなのだ!」
「さすがに無理があるよ撫子ちゃん……」
私はバタバタと手足を振り回してその手を振りほどこうとするが所詮は私の筋力と体重では竜人の筋力に敵うはずはなく、嘲りを受けるしかない。
次第に情けなくなってきて涙を目元にいっぱい貯めて懇願するように言ってしまった。
「おろすのだぁ……ぐす、この、馬鹿もにょぉ!」
「泣くなよ。天狗だろ」
ぱっと手を離され地面に生還した私は機敏な速さで綾瀬の背に隠れて竜人を威嚇する。
ハーっと大きなため息を付いて竜人は呆れたように頭を掻いた。
「何考えてんのか知らねえが、俺に突っ掛かってくるな石槌。そんでもって妙な事には首を突っ込むな」
「うるさいうるさいうるさい! 私がどうしようと私の勝手なのである!」
「そりゃそうだが、はぁ。めんどくさいな。恨むぜ親父殿」
そう面倒くさそうに言い捨てた。
この男は本当に気に食わない。私を餓鬼が如く扱うし、何より天狗に対する畏怖の念と言うのがまるで感じられない。天狗とは讃えられ崇められる存在であるのが当たり前でありそれが当然の摂理だ。
しかしこの男と来たら、斜に構えて逆風を肩で切るように常識を無視してくる。
本当に気に食わない。気に食わない気に食わない。
「主が何を隠そうが私は絶対その尻尾を掴んでやるぞ!」
「何も隠しちゃいねえよ」
「嘘を言うでない。ではあの時の石ころは何なのだ」
その言葉の瞬間に竜人の目は鋭くなりぴしゃりと言い放った。
「お前が知る必要はない」
迫力のある威圧感で圧倒しようとする気迫に私は委縮しそうになるが、綾瀬の背越しであれば百人力だ。
「今隠しておるではないか! 無駄無駄無駄だなのだ! その真実を絶対知ってやるのだ!」
「ッチ。調べてもいいがどうなっても知らねえ。そこまで言うなら好きなだけ痛い目を見ればいさ」
「そうするのだ。早く失せよ。シッシッ!」
私は蠅でも払うがように手を振り回して竜人を追い払う。
それにため息で応じて竜人は教室へと戻ってゆく、その後ろ姿はどこか孤独を感じさせる物悲しい気配を感じて私は目を細めた。
これは気配と言うよりオーラと言うべきか、妙に冷たい雨雲のどんよりとした色の煙が竜人は包まれていた。
すると、占い学の兎喜がふらりと現れ竜人を呼び止めて何かしらを相談して初めて奥へと消えていった。
「最近安部君、先生から相談をよく受けてるね」
「あの者のことなどどうでも良いのだ! 全く私を猫のように扱いよって、気に食わないにも程があるのだ!」
腕を組んでぷりぷり怒る私を頭を撫でて慰めてくる綾瀬に、少なくとも友と呼べる存在がいることに私は満足した。
だが何故だろう。兎喜と竜人の相談する姿で何か引っかかりを感じた。
この引っ掛かりはあの石の呪物に関係するものと同じだ。まるで喉に魚の小骨が刺さったような不快感に捻って唸る私。
そしてそれは唐突に舞い降りる。
「──そうか……あれだったのだ‼」
「わぁ、びっくりした。どうしたの急に叫んで?」
「石の呪物の手掛かりがなんとなしだが分かったのだ!」
「え? 急に? 何もヒントはないようだけど」
「覚えておらぬか綾瀬よ。銀醸が日本魔法暦学の授業をした終わりに団芝三と富文が竜人を訪ねてきたことを」
「あー……、あ! あったねえそんな事。校長先生とお役所の人が安部君を訪ねて来たよね」
「そうだ! あの時、富文が持っておった木箱。あれの気配と石の呪物の気配がまるで一緒なのだ」
あの時に富文が持っていた木箱。その中身はあの石の呪物と同じように悪意が溢れていた。
まるで、この世界のすべてを呪っていると言わんばかりの禍々しい呪詛の妖気の気配が私の脳裏にこびり付いている。
「そうと分かれば、直ちに団芝三の元へ突撃なのだ。あの石の事を訊き出してやる!」
「待って、待ってって撫子ちゃん。校長先生に問い合わせたって無駄だと思うよ」
「ヌッ? なぜだ?」
「だって、先生たちの対応を見てよ。対応できない様子なんだし、私たちが動いたところでどうしようもないはずだよ」
「何を諦めておるのだ! 確かにそうかもしれんが、まずはあの石が何者かを調べて我々で対応できねば、自衛も出来まいぞ!」
私は無理を通して尻込みする綾瀬を無理やり鼓舞する。
重要な物品であるのならしまわれる場所は大体の見当がついている。
兎喜の管理であろうから、金の間の封印指定の管理倉庫、封印御所『天岩戸』であろうと思われる。
生徒では全くと言っていいほど、もっと言うのなら本来は魔法省が管理する筈の物品がこの学校内に持ち込まれた際に使用される封印を施す御所だ。
「今日、全授業が終わったら天岩戸に潜入するのだ!」
「ええ? 本当に言ってるの? あまり乗り気にならないなぁ」
綾瀬は気の進まない及び腰であったが私はごり押して無理にでも同行するようにと言い付けた。
コソコソと人目を盗んで金の間の奥へと進んで、教員準備室の奥へと到着する。
そこは収められているモノの危険性を誰もが知っている為に生徒はまず近寄ることのない場所。
封印御所『天岩戸』だ。
塗装の剥げた古臭い鉄扉にいくつもの護符が張りつけれ、そして太い荒縄が鉄扉を硬く縛り行く先を阻んでいた。
目に見えて分かる強固な封印の術だった。あまりにも強力な封印術であるが故に下手をすればむしろこの術が我らに攻撃を与えてくるかもしれない。
「綾瀬、行くぞ」
「う、うん」
私たちは覚えたての術であったが、試しに使ってみた。
杖を抜いて鉄扉へと向かって開錠の魔法を同時に使用する。
『
淡い光が鍵穴を照らし上げて鍵の構造が開錠へと示されるが、しかしながら開く気配はない。
「ならば、箱開けの魔法だ」
「わかっよ撫子ちゃん」
私たちは杖を振って唱えた。
『
しかしうんともすんとも言わない鉄扉。硬い岩を開くには
「何をしてるのですか?」
『きゃあああああああっ!』
気配無き場所よりいきなり声が飛んできて、私たち二人は悲鳴を上げて互いに張り付いてそれを見た。
赤橙の
「な、何者なのだ!」
「
「ぬ、主こそここで何をしておるのだ」
「私は天岩戸の封印品の研究と対処案の研究を任されている生徒です。貴方たちはここに何をしに来たのですか」
私たちは顔を見合わせた。
何と生徒でもここへの立ち入りを許可されているとは聞き及ばなかった。
天岩戸は本当に危険な物品ばかりを封印している為に誰もが命惜しさに近寄らない。それ故に教師陣も生徒の立ち入りを禁止しているモノばかりだと勝手に考えていたが、そうでもないようだ。
「私たち、ここの中身がちょっと気になって冒険しに来たんです。でも施錠されているようで」
綾瀬はそう言い無理に押し入ろうとしたことを誤魔化す。
「でしょうね。先生の許可のない生徒は立会人と共に入るしかないでしょうから」
淡白にそう答える
懐から取り出される鍵。その鍵の溝はグニグニと一時も変わることなく形を変え続け不定形な形をしていた。
「教師の許可、立会人は?」
「……ないです」
「ではお引き取りを。危険ですので」
「主が立会人になるのだ!」
私は
「無理です。断ります」
「そこを何とか頼むのだ!」
「断固としてお断りします」
梃子でも動きそうにない
あの竜人にあそこまで馬鹿にされてのうのうと生活をするほど私の心は寛容ではない。
あの石の正体を知り、竜人にどうしても叩きつけたかったのだ。
目を細めて
「帰る気はなさそうですね。では、ここの物品を絶対に触らないという条件でしたら見学だけなら」
「それでいいのだ!」
我儘な私に譲歩案を出してくれる
注意事項を事細かにまるで機械のように諳んじる
鍵穴に鍵を差し込んだ
鉄扉が開け放たれ。そこに広がっていたのは、悍ましいとしか表現しようのない気配の数々。
刀、能面、本、遺骸、よく分からない道具。
全て邪悪な闇の呪いに関する物品ばかりがそこに並び封印されていた。
「何も触らないでください。死にますよ」
刀の棚には権力者に不幸をもたらす刀工『村正』の一振があり、能面の当たりには苦しみの表情を浮かべてすすり泣く怪士面や、狂ったように笑う恵比寿があった。
平将門の頸を納めた骨壺の破片もあり、この日の元のありとあらゆる人を祟る呪いを一心に受けた者ばかりが並んでいた。
(綾瀬よ。木箱を探すのだ)
(……うん)
私たちは小声で打ち合わせて例の箱を探す。
薄暗い天岩戸の中でたった一つのモノを探すとなると少々骨だ。
いくら気配を探り、あの石と似たような雰囲気を漂わせたものを探すとしても他のモノがそれ以上に呪いを放ち過ぎていた。
今回ばかりは天狗の勘も意味をなさないような気がしていた。
「うわっぁ!」
いきなり石灯篭から悪霊が私の目の前に飛び出して驚かしてくるが、護符の封印で一定距離から動けずにそこで蠢き苦しんでいた。
呪いは熱と同じで移すしかない。熱のようにそこに篭りそして穢れ腐れてゆく。
己を汚さない為にはその呪いを移すしか手はない。このような悪霊怨霊はその典型だ。生きる人間に己の呪いを移して成仏しようとしているのだ。
邪悪過ぎる場所だ。只人であればこのような場所に長くいれば気が狂ってしまうこと請け合いだろう。
「撫子ちゃん!」
綾瀬の呼び声で私はそこへ向かった。
そして見つける木箱に収められた群を抜く穢れを放つ木箱。箱全体に封印の護符で固く閉じられたそれが静かに呪いを移そうと鎮座していた。
「あった。こやつだ」
「これが、昏倒の原因ね。……なんだか気持ち悪いよ……」
綾瀬は穢れに充てられたのか口を押えて今にも吐きそうになっていた。
そんな中でまるで当たり前のモノを見るかの如く軽やかな足取りで
綾瀬を気遣う様に背中をさすりながら聞いてくる。
「これが気になるのですか?」
「うむ、これは一体何なのだ。禍々しい事この上ない」
「これはここに封印された中でも最も新しいものです。呪殺の最高峰の品。純血派の生徒から押収したと井上がおっしゃっておりました」
「中身は何なのだ」
──殺生石と。