「ここで大人しくしていろ!」
拘束された状態で四階の用具備品室に投げ込まれた私はまるで蓑虫のように簀巻きにされ、まともに身動きもできずに転がるしな出来なかった。
濃厚な血の香りが珊瑚の宮の四階には漂っており、少なくともまともな所業を行っている場所ではない事はすぐに理解できる。あまつさえ同室のよしみに先客がおり、それは生徒であることは理解できたが、よくよく見れば皮膚は朽ちかけ、骨ばかり浮いた顔をした骸であった。その骸の顔は私に恭しく首を垂れていた。
「仲良くそこで転がってろ!」
ぴしゃりとそう言った生徒が部屋を後にする。
私は体をよじって拘束を解こうとするがびくともしない。大変頑丈な荒縄だ。
しかもそれが何重にも重ね掛けされた拘束魔法であるのなら私が自力で解くことはまず不可能であろうと思われた。これでは立つことも小水を足す事すらまともに出来ず、漏らして下着が黄色く黄ばんで気持ち悪い事になってしまう。
「うぬぬっ、ふぬぬぬっ!」
きつく縛り付けられた縄に少しでも隙間を開けるべく腕を広げ、羽根を広げて見るが、うんともすんとも緩まることなく、むしろ締め付けが激しくなった気さえする。
打つ手なしとはこの事だ。
自由の身の上がどれだけ喜ばしい事だったのか噛み締めて実感できる。
そして一体どれだけ純血派の生徒が残酷に目覚めれば事済むのか。所詮人のやる事、些細な悪事にしか殊更できないモノだと私は考えていたが、人間の想像力と行動力とは如何様にも醜く悲惨に拉げてしまうものなのだった。
容易に人を殺したのか。そこの骸が何よりもの証拠であった。
人の道を外れ、非道な外道の畜生へと奴らは堕ちた。救い難い連中だ。
どれだけの覚悟で、あのようになったのか、一体どれだけ決意で冥府の旅路に地獄を選んだのだろうか。
口惜しい、無念だ、悔しい限りだ。連中とて悪鬼へとならずとも生きる道はあっただろうに。それをこの様な道を選んだ連中に私は泣きたくなるばかりだ。
突如として激しい殴打の音が隣の部屋より聞こえ、絶叫の悲鳴が珊瑚の宮に響き渡った。
その声の主はすぐに分かった。
「ぐっがああああああああッ!」
「竜人! 竜人!」
喉が潰れんばかりの絶叫。容易に想像が付く、この音、この声。
純血派は原初的な方法に立ち返ったのだろう。忌まわしき磔の呪文など使わずとも人は人を苦しめる方法はいかようにも持ち得ている。
付いておるではないか。その両手が、その両腕が、その両足が、その両脚が。
根源的な暴力で、連中は竜人を痛めつけているのだ。
その殴打の音は痛々しく、私の押し込まれた部屋にも響き、私の行いを責め立てるように苛んでくる。
「やめろ! やめるのだ!」
「ああああああああッ!」
止まることのない竜人の悲鳴に私は己の愚かさに忸怩たる思いであった。
しかしどれだけ後悔しようと現在進行形で私への罰は行われている、私の耳を劈くように友の悲鳴を私の心の弱い箇所に的確にえぐり込んでくる。いっその事私を、私を痛めつければこんな思いはしなずに済んだ、竜人はただ私の身を案じて身を挺しただけのやつだ。
悪くはない。悪いのはただ一人。この私だった。
小一時間、余すことなく竜人の悲鳴を聞かされ私の心は既に憔悴しきっていた。
一体どれだけの仕打ちを受けたのだろう。あの強情な竜人が悲鳴を上げるほどのことなど、それこそ拷問のようなことを行わなければ出てこぬだろう。
私の瞳より、滴るものがある。
私は姿の見えぬ竜人に許しを乞うていた。隣の部屋にいるであろう竜人に、彼のいる部屋の壁に向かって、泣きながら謝っていた。
「こんなの、あんまりなのだ……許してくれ……竜人。ごめんなのだ。ごめんなさいなのだ……」
息が詰まる思いでただただ謝るしか私は出来なかった。
壁が薄いのか息も絶え絶えの竜人の吐息が聞こえ生きている事だけにひたすら安心した。
私の行動は間違いだったのだろうか。私は何もすべきではなかったのか。
ひたすらにその場で泣き崩れ、床を濡らして泣き喚いた。
「
いもしない者を頼る当たり私の未熟さが身に染みて理解できる。
私は、私と来たら──まだ餓鬼でしかなかったのだ。それが尊大にもこの学校を正すなどと調子の良い口上ばかりを並べ立て終いにはこの有様だ。
無様で、惨めで泣けてくる。
「あのう、だいじょうぶですか?」
矢庭に声を掛けられ、私はそちらに振り返った。
薄白い半透明な姿の女子生徒。その足は床には接地しておらず浮き上がっているではないか。
妖気の気配を感じその元を辿れば、同室の同居人の骸へとその霊の臍帯は繋がっていた。
「ぐっす! 主は……地縛霊か?」
「はい。木島典子と申します」
にこやかに笑って見せる典子であったが、土地への定着が緩いのか、話す声も揺れ動いているような気がする。
半透明なその姿、
「主は、何者なのだ?」
「私は、そこの骸の魂です」
「それは見ればわかる。なぜこのようなところで死んだなのだ?」
「それは……」
考え深そうに悩む典子が自分の遺体を静かに撫でて、語った。
「仲間内での揉め事が嫌になったんです。それでここで自殺しました」
「仲間内……主は純血派なのか?」
「そうですよ。昔の、今ほど過激ではなかった頃の生徒です」
苦々しく笑う典子が私の近くに寄って来て座った。
私に絡みついた拘束魔法を非力な力で解こうとしていたが、やはり所詮は地縛霊の力。どうしようもないようでなかなか解けずに悪戦苦闘している。
「隣の方は、お友達ですか?」
「そうなのだ……大切な、私を守ろうとして私以上の仕打ちを受けているのだ」
また泣きそうになる私はグッと零れそ落ちそうな涙を堪えて見るが、やはりどうにも我慢できず溢れ出た。
嗚咽がへたに響いて情けがない。これが天狗の一匹とは恥晒しもいいとこだ。
こんな体たらく私が
烏天狗にも劣る私に典子は触れられないが、私の背中を優しく撫でてくれた。
「大丈夫、お友達はもうすぐ解放される筈です」
「何故そうわかるのだ。あの悲鳴を主も聞いたであろう……このままで竜人が殺されてしまう」
「いいえ、本当にもうすぐ解放されます。だって計画の最終段階なんですから」
私はもぞもぞと身を動かして、芋虫のような動きで体を起こして竜人との部屋を隔てる壁に背を預けた。
典子の顔には嘘偽りを述べているような虚偽の色は見て取れず、真実を語っているようだった。
「純血派の内情をよく知っているようだな」
「はい。だって私はこの計画の発足当初から関わっていましたから」
誇らしげにそう語る典子の顔、しかしどこか罪悪感で押しつぶされそうな悲痛な表情であった。
私は聞いてみることにした。その計画とやらを。
「どういった計画なのだ。それは」
「お聞き苦しい話です。それでも聞きますか? 」
「勿論だ。話してほしいのだ」
「……わかりました。では結論から話しますと」
典子が言った。
「この計画は混血の魔法族をすべて呪殺させる計画です」
「この魔法処の混血の生徒をか」
「まさか、そんな小さな計画ではありません。日本全土の混血魔法族です」
言葉が出なかったあまりにも規模が違い過ぎた。
しかしだが、私はその話にどこか疑問に思えた。たかだか学生の集団が、国の行く末を決めるだけの行動力、そして計画力を持っているのだろうか。
日本全土となればそれこそ──。
「
「緑龍会? よくわかりませんが。あなたが思うのなら恐らくそうなのでしょう」
弱弱しく笑う典子。
彼女は純血派にしては奇妙なほどに心優しい。今の連中ならば恐らく私を笑いものにしてつるし上げるのが関の山。それを典子は一切せずむしろ親身になって私の傍によって自分の過去とその計画の過ちを話してくれた。
「純血派は確かに凶暴な側面があります。でも、ここまで酷くなったのはあの人と接触してから」
「あの人?」
「ええ。私たち純血派の意見をすべて肯定する親しき友のせいで」
「おい、部落。次の準備をしとけよ」
「……はい」
私は魔法処に入学して長年の間、ろくに成績を上げられず
当たり前です。だって黒色は闇の魔法を使うだけの力もない本当に出来損ないの証ですので。
戦中派、探求派の人だけでなく純血派の人も私を『なり損ない』と呼んでいました。
悔しさも、怒りも、三年も続けば心に浮かばなくなるくらい諦めていました。
でも、私にも心を許せる人がいた。
今の純血派の棟梁の鹿島さんと成績優秀者であった大久保先輩でした。
「手伝ってやるよ。そっち貸してくれ」
「見てられねえ。たく酷いことしやがるぜ」
酷いいじめに彼ら二人は私を陰ながら励ましてくれました。
いつもいつも、私なんて放っておけばいいのに。優しく私を励ましてくれました。
資料運びも、宿題の代替わりも一緒にやってくれて、私がいじめられている時はいつも駆けつけてくれました。
私はそれが本当にうれしくて、ろくにまともな魔法も使えない私に彼らが正しくて立派な魔法使いになることを願ってました。
「瑠璃講堂だよな。これ運ぶの」
「魔法理論だからそうに決まってるだろ大久保」
「……ありがとうございます。鹿島さん、大久保さん」
私は日陰者、それを照らしてくれるのがこの二人。私の眩しい目標で私を助けてくれるヒーローたち。
下宿先も一緒で、一緒に勉強をしているときが本当に楽しかった。
私たちは笑い合いながら、ここが違う、ここはこうだと。共に勉強会で学を極めてました。
私も彼らの前では本当に笑う事が出来ました。彼らだけは私の味方でいてくれるから。
杖を使った授業では私は失敗ばかり、使い魔をカップに変身させようとすれば、何匹も使い魔を殺してしまってよく泣きました。鍵開けの魔法ではむしろ鍵をかける魔法が使えるようになるほど、不器用な私。
そんな私に傍に立っていつまでもいつまでも教えてくれたんです。
でも、それも四年生の時に変わってしまいました。
大久保先輩が、私たち三人の勉強会から少しだけ抜けた時期がありました。
すぐに戻って来て大久保先輩が私たちを別の勉強会に誘ってくれました。
「学は絶対つく。この調子じゃぁ俺が五学年だけじゃなくて魔法処随一の成績を取っちまいそうだ」
えらく興奮気味の大久保先輩に私たちも少し興味を示して、ついていきました。
場所はたしか、京都の裏御所で開かれていた共同勉強会。
魔法処の生徒たちだけでなく多くの若人がそこに集まり、己の持論、そして思想、理論を展開しながら実践的な魔法、薬学、世界各地の魔法体系を繙く事が出来ました。
確かにそこは学力が付き、そして何よりその実技は何よりも実践的だった。
教諭の先生は優しく、手取り足取り教えてくれて、私は初めて黒色より脱する事が出来て、成績は見違えるほどに上がりました。
「大丈夫、私たちはいつもあなたたちを見ていますよ」
先生たちの口癖だった。
親身に私たちの親、保護者のように常に気を利かせて教えてくれる。
そんな先生たちに私たちはいつしか魔法処よりもここで教えを乞うた方が有意義であると結論に達しました。
鹿島さんも大久保先輩も私でさえもそう思えて、いつしか学校が寝食を行う場所と変わり、京都裏御所が私たちの学校に変わって行きました。
所詮魔法処は出席日数さえ足りていれば私たちは御所で手に入れた学力で成績は約束されている。
その事もあり、私たちは三人だけでなくほかの純血派の生徒を勉強会に呼んで共にそれを享受しようと考えました。
そしてこれが一番の間違いでした。
次第に私たち純血派メンバーは魔法処の学業を放棄して、勉強会での思想に溺れていきました。
私がその違和感を覚えたのは、先生の一人が闇の魔法を実践した瞬間からでした。
「今から、磔の魔法をお見せしましょう。誰か被験体になってもらえますか。大丈夫すぐに終わります」
純血派の生徒は面白半分で名乗りを上げて、磔の魔法を掛けられました。
耳を覆いたくなるような悲鳴と絶叫。この世の苦しみをすべて背負わされているような負の叫び声に私は怖くなってしまったのです。
そして、その勉強会には顔を出していましたが、勉学に集中が出来なくなり私は苦しみました。
また戻ってしまうのかと、そう言った恐怖もあり齧りついて勉強しましたがそのたびにあの純血派の生徒の悲鳴が呼び起こされて尻込みしてしまいました。
そしてそれを悟った先生は、皆をとある勉強合宿へと招待したのです。
その勉強合宿で私たち三人の運命が崩れていくのでした。
あさま山荘での勉強合宿でした。