『お願い。雅邦! 銃を捨てて出てきて!』
日を跨いでいつの間にやら集まった警官たち。そして警官が持ってきたであろう装甲車から彼らの親が説得の為に投降するようにと呼び掛けてくる。
私は耳を両手で塞いで物陰に隠れるようにして、ただの弱者としてこのあさま山荘の一室で蹲っていた。
争いごとは嫌い。戦いなんて嫌い。人が死ぬはもっと嫌い。
平和を愛しているなんて大仰な事は言いません、ただ平穏を求めていたのです。
僅かなさざ波が立つ人生、それが私が望んだ人生でした。
それがこんな大きな津波のようなものは望んでいませんでした。
私たち学生も、大人たちも、先生もベッドルームの一室に固まって警察、親の呼び掛けに耳を苛まれながら静かな時を過ごしました。
『お願い。雅邦! バカなことは早く辞めなさい』
吉野さんが苛立ったような、悲しむようなそんな様子で猟銃の木製部分に爪を立てて、メキメキと嫌な音が部屋中に聞こえました。
彼らも私達から見れば大人でしたが、それでもまだまだ世間一般から見れば『子供』とまではいかないまでも『青年』と呼べる年です。両親の庇護に甘んじれる歳でした。
未来もあり、将来もある筈でした。しかし、こんなことになってしまった以上はその未来は閉ざされたも同然でした。
吉野さんのお母様が呼びかけで、こう言いました。
『雅邦、お母さんを撃てますか』
悲痛で悲劇的な挑発でした。その声は潤んで今にも号泣せんばかりの声で私たちの心に他者の親であったとしてもその声が突き刺さりました。
苛立ちか、吉野さんは頭を激しく掻きむしり立ち上がり、窓に猟銃を突き出し警察隊に向かって発砲しました。
ズドンと一発、撃ち放たれた弾丸がキンと甲高い音を立ててどこかに着弾したことを報せ、吉野さんは息苦しそうに息を切らして戻ってきました。
生みの親に銃口を向けてあまつさえその親に発砲するなどどれだけの決意と覚悟が必要な事だろうか、もはや人の道には戻れないモノとばかりの強烈な覚悟でその引き金を引いたのでしょう。
僅かな嗚咽を漏らして吉野さんは泣いていました。坂口さんはその背中をさすり慰めていました。
「君のお母さんはインテリだからよく話すね」
「そうですよ。これだけの状況であれだけ雄弁に話せる女性は相違ない。僕は羨ましいです」
坂口さんに便乗して鹿島さんも共に吉野さんを慰めていました。
小さな声でありがとう、ありがとう、と弱弱しく答える吉野さんのその小さな姿に私は彼らも人の子であるのだと思いました。
どれだけ非道な行いに手を染めたとしても、親を愛する心は捨てていませんでした。
時間は普通に、通常通りに流れている筈なのにその気まぐれな感覚は今の私をひどく長い時間の牢獄へと幽閉され、一分がそれこそ一時間に感じてしまうほどでした。
正午過ぎでか、セクトメンバーの方々の動きが慌ただしくなり始めました。
外を覗く吉野さんは母親に向かい発砲したことで箍が外れたのかもうストッパーがなくなり、誰でも打てる状況になり始めていました。
私たち生徒も外を覗いたとき、一人の男性が軽快な足取りであさま山荘へと向かってきているではありませんか。
その人は緊張感に欠けると言いますか、どこか道化のように面白半分の足取りでこちらに向かってきていました。
『山荘の学生諸君。この人は警察官ではない。民間人だから撃たないように』
警官隊が私たちへと向かってそう言います。服装からして一般人であるのは分かりましたが、その道化は俺を見ろと言わんばかりその勇士を披露しているようでした。
吉野さんの顔が真っ赤に染まって、空へと向かって一発発砲しました。
しかし道化の人は止まることはありませんでした。
玄関を叩いて道化は語りかけてきます。
「僕たちは文化人だ。文化人同士、話し合いで解決しようじゃないか。僕の身柄と人質の交換だ!」
そう言う彼は、玄関先に置かれた果物籠、警察側が用意した差し入れを持って叫びました。
坂口さんが急ぎ玄関先に降りて、バリケードの隙間からその男を睨みつけていました。
私たち生徒はその様子を物陰から隠れて見ている事しかできず、張り詰めた実際の現場の空気に固唾を呑むばかりです。
すると道化は後ろに振り返り、警官隊にウインクやジェスチャーをしていました。
それを見た坂口さんは拳銃を取り出してバリケードの隙間から発砲しました。
乾いた音が響いてすぐバタリと倒れる彼は、額から血を流していました。
血の気が引きました。彼らは躊躇なく撃ったのです。
その男に私たちも不信感があったのは否めません。しかし撃つまでの不信感ではなかった。
しかし坂口さんは拳銃で撃ったのです。
警官隊が押し寄せて、何とか這いずるように逃げていく男、その男はすぐに警官隊の後ろに隠れてしまいました。
散乱する果物、リンゴやメロン、ブドウやバナナが彼の血で染まり汚れている光景が何とも虚しさを掻き立てました。
現実を体験させるために先生はどうして私たちをここに連れてきたのだろうかとその疑問が浮かびました。実践のためと言っても、杖を使った本当に平和な合宿を想像していた私が馬鹿のよう。
実践、それは現実に私たちが行動することを示していたのです。
怖くて怖くて仕方がない。私は既に恐怖の虜。
二階の風呂場の物置に身を隠して只震えて過ごしました。
ズドン、ズドン。
外からは銃声が聞こえ、そのたびに悲鳴の声を押し殺して必死に隠れていました。
どれだけ時間がたったでしょうか。
日も暮れてたことも分からないくらいに私は隠れ潜んで、必死に現実から目を背けました。
メガホンからの呼びかけが絶え間なく聞こえ、その声が私には地獄からの呼び声に聞こえて、一言一言が死への誘い声のように聞こえました。
私が息を殺して隠れていると外が騒がしくなり次の瞬間窓ガラスが割れる音が聞こえ。私は身を震わせて恐怖に震えました。
遂に警官隊が突入してきたのだと思いました。
しかしそれは勘違いで、入り込んできたのは──。
「──ひっ!」
声が次いで喉から溢れました。白い靄が物置の扉の隙間から侵入してくるではありませんか。
次第に目が痛くなり涙が否応なしに溢れ、鼻水も溢れました。
顔の粘膜という粘膜が痛みを佩びて我慢できないくらいの痛みが私を襲ったのです。
私は物置から飛び出て外を見た時、風呂場が白い靄で覆い隠されているではありませんか。
それは警官隊が撃ち込んだ催涙弾の制圧行動でした。
私はその場から逃げて、煙の届かない場所へと向かいました。
煙の勢いはとどまることを知らずあちこちの部屋にその効果を広げて先生が魔法で煙を抑え込む頃には生徒先生を含めて全ての人がその餌食になっていました。
鼻水涙の濁流がついぞ溢れて止まらない。
そんななか坂口さんがレモンを目の周り、肌の見える箇所にこすりつけているではないですか。
「クエン酸の洗浄作用で催涙弾を、洗い流す」
そう言って彼は全員の顔や手の肌の見える部分にレモンをこすり付けました。
警官隊が強硬突入を始めたとセクトの方々は言っておりましたが、しかしその責め方はどこか余裕のある責め方で強くは突入してこなかったそうです。
時間感覚ももうグチャグチャです。何日目の日かも私は既に理解していませんでした。
警官隊が人質の顔を見せるようにと云いましたが頑として応じないセクトの皆さん。
そして坂東さんの親御さんが到着して説得が開始されました。坂東さんは静かにそれを聞き、沈黙で応答しました。
最早誰も引けない所まで来ているのです。
吉野さんの心境を思えば、坂東さんも親の説得に応じるなどという行動は出来るはずがない。
それは同志を裏切る行為だから。
そして警官隊の本腰を入れた行動が始まりました。
その日の正午ごろに、警官隊の一団にとある車が到着しました。放水車でした。
車の上部に付けられた銃座のような放水器具からこの寒い日の中にあさま山荘へと水がぶちまけられるではありませんか。凍えるような寒さにさらに冷たさが加わり、私たちはいてもたってもいれられませんでいた。
「では反撃でもしましょうか」
先生がそう言いました。それは生徒たちに対する号令で攻撃命令と同義でした。
私を除いたすべてが杖を抜いて、セクトの皆さんは猟銃に手を掛けました。
放水車に向かい生徒たちは魔法を使い物を投げつけ、セクトの皆さんは銃撃で応戦を開始しました。
同調圧力というのでしょうか、私もその空気に呑まれ杖を手に瓦礫を警官隊に向かって投擲していました。
バリケードやドアが放水で破壊されて、夜も更けてきても警官隊の手は緩まりませんでした。
警官隊が流す大音量の雑音。そして投石の攻撃。
どれだけ耳を塞ごうとも骨に響くような音が私たちを襲い、投げつけられる石が壁に当たりその音が常に攻撃されているよ感じさせ、一時も気が休まりませんでした。
次第に衰弱して、遂には不眠になりました。
皆がカリカリと怒りっぽくなり些細な事で言い争う姿が目に付くようになりました。
先生たちもあまりよい状況ではないので、セクトの人たちと相談する時間が増えました。
「あまり状況は芳しくありません。この際脱出も考えた方が」
吉野さんがそう言いました。
「逃げ場なんてありませんよ。ここを退いても彼らはどこまでも追ってくるでしょう」
先生の言う事はもっともです。
セクトの人たちも、それの手助けし幇助した私たちもすでに逃げ道は残されていないのです。
せかせかと働きアリのように周囲の脱出方法を見て回り、しかしその道筋はもとよりない事が分かっただけでした。
警官隊の呼びかけで人質の顔を見せるようにと、再度呼び掛けてきます。
坂口さんは窓の隙間から外を覗き、鼻笑いのようなものを漏らしていました。
まるで自暴自棄の様子。私は信じられませんでした、何故そこまでしてこの様な事を続けられるのか。
「なんでそんなに命を粗末に扱えるのですか」
坂口さんは笑って答えました。
「大丈夫。君たちを楯にしようなんて絶対にないから」
優しくそう答えてくれましたが、もう何が何だか分からない。
その場を離れた私は今にも足元から崩れてしまいそうになりながらふらふらと歩いて行きました。
どこに向かったのかも分からずに私はただあさま山荘の中を歩いてまるで幽鬼のようでした。
「木島──木島!」
「おい、しっかりしろ!」
「え?」
鹿島さんと大久保先輩の呼び声で私は現実に引き戻されました。
まるで体から魂が抜けだしまるでラジコンを操作しているようなそんな感覚に支配されている私の様子をおかしく思ったのか、心配そうな顔で私に声を掛けてくれたのです。
「……先輩、先輩!」
私はその場で泣き崩れどうすればよかったのかとすべてを悔いるようにわんわんと泣きました。
先輩たち二人が私を慰めてくれます。現状を呑み込めず、覚悟もなく、愚鈍な私を優しく包み込むような優しさで私を慰めてくれました。
「どうすれば……いったい私はどうすればよかったんですか」
「…………」
「とにかく落ち着けよ。こんな所で泣いてもどうしようもない」
鹿島さんの言う通り。どうしようもない。
いや、正確に言うのならどうにもならない。
後にも先にも行けないどん詰まり。どこまでも、どこまでも転げ落ちてゆくしか、道がない。
もう、何もかもが嫌になっていきました。こんなことになるのならと考えますが、やはり鹿島さんと大久保先輩を見捨てる事が出来ず、ただただついていく事しか私にはできなかったのです。
強い心が欲しい、何物にも動じない。何物にも揺るがされない強靭な心が欲しい。何度それをこれが始まり思った事か。
非力な私を、私は呪いました。
無力な私を、私は呪いました。
少しでも力があれば、少しでも知恵が回れば、こんな事態を回避できたはずです。
学なんて今の状況では何にも役にたたない。必要とされているのはただの戦力でした。
大切な人に縋りつくだけの私はここには必要とされない存在です。
なのに此処にいてただ泣き喚いている。足手まといもいい所、まさに魔法使いの『なり損ない』です。
何者にも慣れない、弱者にも慣れない只の道端の石ころ同然の女でした。
残酷な時間は私たちを囃し立てて刻々と最後の時を刻み続けていました。
27日のいつ頃か、先生が私たち全員を呼び出しました。セクトの人も一緒です。
魔法処生徒八名、セクトメンバー五名、先生二名の総計十五名。
皆が一か所に集まりました。
全員が不眠と異様な緊張感で顔つきがおかしくなっていました。
まるで決戦を控えた戦士のように。この例えは今にして思えば間違っていなかったのです。
「警察隊の、接近行動が大変多くなり始めました。来るべき時は近い」
先生はそう言いこれからの行動を伝えました。
「おそらく、明日には強行突入を始めるでしょう。生徒の皆さん。遂にあなたたちも戦闘の実戦をしてもらうことになります」
誰かの唾を呑む音が聞えました。当たり前です。
常人が只人の世界に波紋を落とすなど聞いたことがない。隠れ潜む存在が波風を立てるなど言語道断です。ですが先生はそれをしろというのです。
私以外の生徒の皆さんは覚悟を決めたような顔で、いつでもその懐に収めた杖の柄に手を伸ばさんばかりの気迫を出していました。
「ラジオからの事件関係の放送がなくなりました。今夜、遅くても明日にはここは戦場になるでしょう。貴方たちは既に我らの生徒ではない。親しき友人。戦列を囲む勇ましき戦士です」
「ああ、俺たち連合赤軍も君たちの加盟を歓迎する。ともにこの腐った世の中を正すのだ」
先生、坂口さんはそう言いました。
狂った教義、狂った思想。それももう私たちは判断できなくなりつつありました。
恐怖から徐々に徐々に。私に至っては判断も何もありませんでした恐怖でその場から動けずにいたのです。
終わりの時は既にすぐそこまで来ていました。
2月28日、私たちの人生が大きく崩れた日にちの事でした。