アメイジング・ナデシコ   作:我楽娯兵

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純血派の過去 其の四

 あさま山荘より逃げだして私たちは京都の裏御所へと戻りました。

 現実感と言うものが私だけでなく、生徒全員から抜け出て、今迄の行いがまるで悪い夢を見ているようでした。

 しかしあの顔だけは私の頭の中でしっかりと思い出せました。

 坂口さんの涙に濡れたあの悲痛な顔だけが私たちを呪っているように思い出されるのです。

 震えました。全身が春も前にした京都の空気に当てられ、今迄溜め込んでいた恐怖で、信じられないくらいに震えて止まらない。

 どうにか山荘を抜け出しても、地獄への誘い声は未だに私たちをあちらへと引きずり込もうとして来てるのは当然でした。

 体を抱えて震えを押さえようとしても駄目でした。

 どうしようもない震えに耐えていましたが、同時に私と同じように耐えていた人がいたんです。

 みんな自分の事ばかりで気づきませんでした。

 バタリと倒れる音が聞えました。そちらを見ると。

 

「大久保先輩!」

 

 私は叫んでいました。

 腹から血を流して真っ青な顔で大久保先輩は倒れていました。

 何がどうなったのか、何がどうすればこうなるのか分かりませんでした。

 大久保先輩のお腹に親指サイズの穴が背中から腹部に向かい貫通していたのです。

 それはあさま山荘から脱出する際に魔法省の闇祓いが放った魔法が大久保先輩に当たっていたのです。

 私たちは所詮役所の役人、人を殺すことなんてできないと思っていましたが、その考えは甘かった。

 殺そうと思えば禍祓いは魔法使い、同胞を処刑する権限を持っていたのです。

 

「……──ヒュー、……──ヒュー」

 

 息も浅く戸の隙間より聞こえる風音のように弱弱しい息遣いの大久保先輩。

 

「大久保先輩、先輩! 死なないでください!」

 

「大久保! 先生! 大久保を直して下さいよ!」

 

 大男の先生は治癒の魔法を掛けだしますが、しかしながら山荘から裏御所まで飛んで戻る最中に誰も大久保先輩の負傷に気づかず飛んできたために多くの血が失われ、すでに手遅れになっていたのです。

 少々の出血ならどうにか出来た。でも今回は大きくその()()を上回り過ぎていたんです。

 先生たちが顔を見合わせ、大男の先生が顔を横に振りました。女性の先生は哀しそうに顔を伏せて静かに大久保先輩の隣に跪き、とある物を先輩の手に握りしめさせました。

 握りこぶしほどの大きさの石でした。

 

「大久保君、私たしは貴方の事を一生忘れないでしょう。貴方は優秀な生徒、いや、親しき友人でした」

 

「先生!」

 

「先生、大久保は助かるんですよね! なんでこんなに苦しそうなんですか!」

 

 先生は答えませんでした。救えるという確証のない事は一切言う気がなかったのです。

 大久保先輩に握らせた石は、今にして思えば苦しみを長引かせないための処置、殺生石を用いた殺人が行われていたのです。

 大久保先輩の蟲の息だった息遣いも途切れ途切れになり、遂には止まってしまいました。

 息をしなくなった先輩、大好きだった先輩。

 今は骸となり、ただそこにあるだけの、先輩の入れ物だった肉体。

 泣きたいのに、何故だろうか。人がこうもあっさり死んでしまうのかという衝撃の方が強くて涙が出てこなかった。

 私は卑劣な女です。

 自分の命ばかりが惜しくて仕方がない卑劣な女。大切な人が死んでも涙一つ見せない冷血な女。

 鹿島さんは大久保先輩の亡骸に縋りつき泣きじゃくっているのに、私はただ漠然と死んでしまった先輩を見下ろしていました。

 

「彼を埋めましょう。野ざらしにするのは礼儀に反する」

 

 先生はそう言いました。

 私たちはそれに同意しました。大久保先輩の遺体を運び、土へと埋めました。

 京都の船山にです。彼の墓を作りました。

 大久保先輩に親類はいませんでした。古くからの神社の息子でしたが、風土病に彼の両親は倒れ、一人っきりで魔法処に通っていました。

 疑いの声を上げる人はいませんでした。ある意味では好都合の人が死んだのです。

 彼に土を掛ける時、心の隅々まで黒い闇が私の心を蝕んでいきました。

 逃げ道は既に残されていない。最前の手立てを見出す事の出来ない私たちは先生に付いて行くしかできなかったのです。

 私たちは学校へ戻りました。あさま山荘の事件に関与していることを伏せて、素知らぬ顔で魔法処の席に腰を落ち着かせたのです。

 あさま山荘の事件は只人の世界のみならず、常人の世界にも大きな波紋を広げました。

 日刊神州新聞にも魔法族の関与が認められると報じられましたがその身元の判明には漕ぎつけず、捜査は難航していると報じられていました。

 先生の思惑通りに物事が推移していきました。大久保先輩の失踪も、学校に捜索を進言する者がいない為に自主退学という形で幕を閉じました。

 私があの合宿で経験した事と言えば言い知れない恐怖ばかりで、何をするにもあの光景が思い起こされ全ての事に手が付けられなくなりました。

 鹿島さんはあの合宿以来、精力的に純血派の結束を高めようと行動を開始していました。

 勉強会も何事もなかったかのようにいつも通り定期的に開かれ、先生たちも何もなかったように教壇に立って生徒たちに教鞭をとっていました。

 その教育は次第に純血を崇拝するような、禁裏様を尊び、現魔法省の隙を教えるようなものに変わっていることに私は気づきました。

 少しずつ、僅かに、誰にも気づかれないように。授業という名目で行われる洗脳。

 教育という名の洗脳。物事をはっきりと知らない子供に先生たちの授業は耳に優しい狂気だったのを私はそこで理解したのです。

 まるでこれは国家転覆を目論む芽を育てる行為と理解しました。

 今にして思えば不可解な点はいくらでもありました。まず勉強会の開催自体がおかしい、ここまで教えるのが上手い人なら然るべきところにいて当たり前、魔法への理解があるのなら磔の魔法を実践して見せるなど言語道断です。

 合宿自体も、裏御所での勉強会で事足りる事を何も私たちを数日間拘束する必要性がない。

 疑念はどんどん大きくなり、私は遂に誰も信用できなくなりました。

 先生も、魔法処の人も、学友も、そして──鹿島さんも。

 鹿島さんは合宿から戻って、先生の教えにのめり込んでいくのを私は身近に見て理解していました。

 あの合宿を共に経験した事で私は純血派の中でも上位の発言力を持つ生徒となっていました。

 

「私は、争いごとは無意味だと思います」

 

 純血派の会合がある度にそう言い続けました。

 会合と言っても純血派の学生たちの寄り合い、勉強会と称した討論会です。

 先生の思考に侵された鹿島さんは優しく私の言う事に反論しますが、頑として私は意見を変えず争いは無益だと言い続けました。

 次第に私の意見に賛同する人も出てきて、純血派でも鹿島勢力と私の勢力で争いが起きる事が多くなりました。

 大変無意味な行いでした。私は私に賛同してくれる人たちに何度も、何度も、繰り返し、耳に胼胝ができるほどに非暴力を訴えました。

 しかしそれでだけでは駄目だったのです。

 鹿島さんの言う事ももっともだったのです。正義は人の数だけ存在します。

 自分の正義、主張に近しい代表者の元に人は集まっていただけです。

 私の主張は非暴力。対する鹿島さんの主張は身を守る力を手に入れろと言う主張でした。

 非暴力ですべてが解決すればどれだけいい事か、人は生まれながらの暴力性を隠し持った生き物、何時でしたかもう忘れましたが、私の側から暴行を加えようとする動きが出たのです。

 転がりだした雪崩は止める事は人は出来ない。行きつく先まで行くまでです。

 自衛を楯に鹿島さんの勢力が私を慕う勢力を吊し上げ、過激な仕置き、セクトの皆さんに影響を受けたのか『総括』という名で私刑を行いました。

 私も捕まり、珊瑚の宮の四階に幽閉されました。

 

「もうやめてください! どれだけ争えば、どれだけ悲劇を繰り返せばいいのですか!」

 

 悲鳴で支配された珊瑚の宮の四階で、私は声を上げ続けましたが誰も聞く耳は持ってもらえませんでした。悲鳴ばかりが木霊して私の声は小さく、非力なものでした。

 非暴力は尊ぶべき事、しかし時にはその暴力も必要とされる時がありました。

 今がその時でした。しかし私は私を慕う人たちに鹿島さんの勢力に立ち向かえと言える勇気がなかった。

 ともに幽閉された人たちは次々と姿を消し、悲鳴も日常の環境音程になるぐらいに聞きました。

 私はもう、何もすべきではないのだとそう自分に言い聞かせて泣くことも、喚くことも、全てを放棄してそこにいました。

 何時でしょうか、この部屋から私以外がいなくなった時、鹿島さんが私を訪ねてきました。

 

「少しは状況を理解したか。木島」

 

「……ええ、もう純血派は貴方の下部です。意見する人はあの人たちのようになる、みんなそれを理解したでしょう」

 

 私はそう答えました。すべて諦めたのです。

 救い難い人たちに成り下がった人に救いを差し伸べる手もなくなり、その術もする気になれなかった。

 神がいるのなら私は神罰を願いました。私にそれが下ることを、そして彼らに救いが差し伸べられることを。

 すべて私が強い心を持っていれば、みんなに意見できるだけの勇気を持っていればこんな事にはならなかった。

 

「木島、いい加減目を覚ませ。俺はお前を殺したくはない」

 

「その言い方ですと、他の方はもういないのですね」

 

「……ああ」

 

 私は静かに諦めたように笑いました。少しでも彼らの手が血に染まっていない事を望んでいた私が馬鹿のよう。もう手立てがないのだ、みんな修羅へとなっているのだから。

 

「お前さえ、この計画に合意してくれれば今すぐ総括はやめる。どうする木島」

 

「計画?」

 

「ああ、これを使ったな」

 

 鹿島さんの手に握られた拳ほどの大きさの石。

 それには見覚えがありました大久保先輩の亡骸に握らせた石でした。

 

「賽の河原より、先生が取り寄せてくれた石『殺生石』だ。これを使った計画にお前も乗ってくれるか」

 

「どういった内容で?」

 

「こいつを富士山頂の噴火口に投げ入れ、噴火させる。細かな粉塵となった殺生石が全国に降り注ぎ陰陽寮の協力を扇ぎ、只人、純血の常人だけを守り、混血常人を全滅させる」

 

 私はそれを聞いて理解しました。

 鹿島さんは修羅ではない、先生の教えに侵され歪んだ『悪鬼』に成り下がったのです。

 もう何も言おうと聞く耳を持たない先生の教えの傀儡。人の死を死とも思わない愚鈍な悪鬼。

 私は諦めて天井に向かって笑って、鹿島さんに計画参加の有無を云いました。

 

「お断りさせてもらいます。私はまだ人の子です」

 

 私は杖を抜き、自分自身にその先を向けました。

 

「どうか、いつの日かあなたが人の道に戻れるように私は願います」

 

 自らに向けて稲妻の杖の軌跡を描き、唱えました。

 

死の呪い(アバダ ケダブラ)

 

 私が初めて勇気を出しまた瞬間でした。それが自殺の為の本当に些細な勇気。

 この計画に賛同し命惜しさに混血の人たちを皆殺すのは容易な逃げです。

 ですので私は初めて私のヒーローに背を向けることにしたのです。

 緑の閃光が私を包み、迅速でそして痛みのない『死』が私を受け入れてくれました。

 これは今にして思えば逃げだったのでしょうか。私にはそれを悔いてももう遅いのかもしれません。

 それでも私にとってこれが先生たち、延いては鹿島さんへの抵抗だったのです。

 魂が抜けて誰にも見えなくなった私は肉体を捨てて霊としてこの世界に縛り付けられました。

 霊力も生まれたばかりでまるで人界に影響を与える事の出来ない私でしたが、見て聞く事は出来ました。

 鹿島さんは自殺した私を抱いて、大声で泣いてくれました。

 私はもうその体には宿っていません。私はもう自殺を選んで死んだために、もうどこにも行くことはありませんでした。

 天国にも、地獄にも、()()()()

 

鹿島さん。わたしはもうどこにも行きません。もうどこにも

 

 私はもうこの世界が終わるまで、永遠にこの土地に縛られ続ける地縛霊。

 天国にも地獄にも行くことのない地縛霊。

 私は願うばかりでした。これ以上、鹿島さんが、純血派の皆さんが罪を重ねない事を。

 そして計画が阻止されることを、人を呪うこともできない私。それでよかった。

 私はどこまで行っても『なり損ない』。魔法使いでも、地縛霊でも何事も『なり損ない』。

 これが私の人生、『なり損ない』の人生でした。




過去話はこれで終わりです。

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