修学旅行
「修学旅行でああああああああああああっる!」
郭公の奇声が高らかに教室に轟いた。
年も跨いで桜が蕾より花を着ける丁度良い日の事であった。
瞬きを忘れた郭公の狂気の声が窓ガラスを震わせて高らかに宣言される。
「しゅうがくりょうこう?」
私は何事かと首を捻って不思議がる。修学とは学問を修め習うことであろうが、旅行とはどういった意味合いなのだろうか。
不思議で不思議で仕方がない。それに修学旅行があるなどと魔法処に籍を置いてからここまで聞いたことがない。
どれだけ考えようとも疑問は解消されない。
そんな中、スッと手を上げた竜人が郭公へ質問した。
「先生、魔法処に修学旅行なんてものあったんですか?」
「
何とも引っかかる言い方をする郭公が、修学旅行のしおりを配布して説明をした。
何でもここ三年間は魔法処の修学旅行は行われていなかったそうだ。その理由というのも、修学に行くための手段である船の出入り口が珊瑚の宮にあり、純血派によって占拠されていた為に出入りもままならず、お蔵入りになっていたそうだ。
そして今回、去年に私と綾瀬、竜人の三人で純血派の凶行を止めて、勢いを失った純血派は珊瑚の宮を手放す形で、本来の生徒の形に収まった。
そしてこの修学旅行、今迄行けていなかった二年生である私たちから三年四年と学年を合わせて修学旅行を決行するに至ったそうだ。
学校外への移動手段を得た学校側も大手を振って、本来あった行事を行えるようになり恙無く教師としての仕事が増えたと野治や鬼灯が嘆いていた。
しかしながら私たち学生にはそんなことは関係がない。
私を除いたほぼすべての学友が歓喜の声を上げた。
「先生! 修学旅行はどこへ行くんですか?」
ワクワクした様子の綾瀬が郭公に質問を投げかけた。
「欧州であああああああっる!」
「あの……欧州のどこですか?」
「欧州でああああああああああっる!」
頑として主張を変えなかった郭公の狂気の声に、困惑の顔を浮かべる皆に、しおりを勝手に読み進めていた竜人がポツリとそれを見て呟いた。
「ヴァルプルギスに参加予定……? マジかよ」
『ええぇ!』
皆が驚いて嬉しさから騒めき立った。
私もしおりの日程表を見た。欧州に寄港後、『生徒全員でヴァルプルギスの夜に参列』と記載されている。
何なのだろうかヴァルプルギスなるものとは。何かの催し物なのだろうか。
「綾瀬よ。このう”ぁるぷるぎす? とはなんなのだ?」
「あ、そっか。撫子ちゃんは絶対日本から出る事はないから知らないよね」
綾瀬は説明した。
「ヴァルプルギスの夜。ヨーロッパで行われる春の到来を祝う魔女魔法使いの行事だよ。お祭りって言ったらいいのかな。世界中見てもヴァルプルギスの夜ほど大きなお祭りはないと思う。国も跨いで一ヶ月毎夜行われるんだよ」
「ほう。祭とな」
火事と喧嘩は江戸の花などと江戸っ子じみた事は言わないまでも私も祭は大好きだ。魅惑の甘味の数々は優に及ばず、香具師の見世物は何とも楽しいものか。
私も少し心惹かれてしまい、何とも楽しみになってきた。
「いやしかし待つのだ。私は外来語の成績はよろしくないのだ……」
「ははは……、そうだったね」
一応ではあるが魔法処には只人の子供の通う学校の様に外来語の授業がある。その授業の名目としては杖術の正しいスペルを学ぶためであり、下手くそなスペルではまともな魔法が使えないからだ。
私はそこそこ杖術の成績は良い方だが、単語単語の発声である為に、林檎をアップルと言うに困らないのと同じだ。
しかし外来語の授業と来たら日常会話、文法や、発声、読み書きなど様々な日本の外で必要とされる会話の基礎を教えられている。
私は海外に出る事はこういった行事ごとでしか出る事は綾瀬の言った通り絶対にない。
日本魔法界の権威の象徴たる天狗が、私事で南蛮へと行楽に行くなど言語道断だ。それ故に天狗は日本の外へ出る事はあり得ないのだ。
しかしだが、今回はその例には当てはまらない。学校行事という特例に当たる。
楽しみではあるが。
「言葉の壁は高いのだ……」
私は挫けそうになる。今更に語学の勉強をしたところで一日二日で身に付くものならここまで苦悩していないだろう。
頭を抱えてどうすべきか試思する。
「異国の神は高い塔を建てたぐらいで言語を割るなど、狭量なのだぁ……」
「ハハハ……勉強するなら手伝うよ」
優しく慰めてくれる綾瀬。語学では竜人に次ぐ成績を誇っている綾瀬の手助けがあれば百人力だが、それでも言語の壁は果てしなく高かろう。
「生家の正装を用意しておくのでああああああっる!」
そう言い郭公は蜘蛛の様にひっくり返り怨霊が如き動きで教室を後にした。
はて、正装とはと言うのは一体どういった意味なのだろうか。それの意味を知るのはこの後、放課後の事であった。
「え? 正装は必要でしょ?」
「そうなのか?」
私たちは夕日に暮れた広島の駅にて市内を巡る路面電車を待っていながら他愛無い話をしていた。
その日は珍しく、竜人と幾人かの学友が広島市内の『裏』に用があるらしく和気藹々と話をしていた。
「ただ祭に行くだけだろう? ならば浴衣でも山姥に見繕わせればよかろう」
「もう、違うよ撫子ちゃん」
私を揺する綾瀬の顔は何やら勿体ないと言った様子であった。
意味が分からない。わざわざ生家の正装、私の場合は山伏の僧衣を用意する意味が分からなかった。
ただ祭に行くだけの旅だ。それなのにわざわざ堅苦しい衣装を用意する意味が分からなかった。
そんな中隣に立って電車を待つ竜人が綾瀬の代わりに答えた。
「ヴァルプルギスの夜は祝いの場であると同時に見合いの場でもあるんだ」
「見合い?」
私は阿保丸出しの声で疑問符が頭の上で立ち上っていた。
見合いとは何か? 立ち合いの仕合でもあるのだろうか。果し合いに立ち会うのであればそれは確かに正装は必要だろう。そう思っていたが、全く別の答えだった。
「お前、見合いは見合いでも殺し合いの見合いじゃないぞ。
「みあい、見あい、み合い、見合い?」
「お子様にもほどがるな」
呆れたように竜人はため息を付いた。
「男女の逢引き誘いの場だってことだよ」
「なんと、いかがわしいにも程があるのだ! ヴァルプルギスの夜とは!」
「そうも言ってられないんだよ撫子ちゃん」
喚く私を宥めるように綾瀬が言う。
「昔から、魔法族はよく差別される側にあったから、確実な魔法族であることを証明された魔法族の祝祭の場は、婚姻の場であることが多いんだよ」
それは知らなかった。
歴史的背景を見れば確かに魔法族はよく差別の対象にされることが儘ある。
中世の魔女狩り、アメリカのセイラム魔女裁判、そしてホロコース。
何万人と魔法という特異な力を行使できると言うだけで、謂れもない罪を着せられ殺されてきた魔法族は数知れず。
そして何より、魔法族の出生率は悉く低い。日本はそれが特に顕著だ。
その為に出会いの場は世界的に大切にされ、ヴァルプルギスの夜もその例にもれず、大切な婚姻の場となっている。
逢引き、連れ引き、一夜の夢。まるで吉原炎上のそれではなかろうか。
男が向かう極楽道、女が売られる地獄道、全ては胡蝶の夢の中。
祭と春の息吹に中てられ、産めよ、殖やせよ子の産屋。
世界最大の祭ならば千・二千は優に及ばないだろう。産婆どれだけ必要になるだろうか。
「かどわかしには私は引っかからないのだ!」
腕を突き出し竜人を突き放す。
「何すんだ。あぶねえだろ! 路線に突き落とす気か!」
「貴様の甘言に私が股を開くほど易い女ではない!」
「てめえなんぞこっちから願い下げだ!」
「まあまあ、二人とも落ち着こうよ」
綾瀬が割って入り、私たちを落ち着かせた。
私は猫の威嚇のように毛を逆立て身を大きく見せて威嚇する。対する竜人は息をついて面倒だと言わんばかりの表情であった。
「ね、撫子ちゃん。この際だから一緒に服を仕立ててもらおうよ」
「ぬぅ……ふしだらな目的なのは嫌なのだが。私とて僧衣が欲しいのは否めぬ」
持ってはいるが最近少々丈が合わなくなってきていた。
年越しの際に一度石槌山に帰省して作務衣を着れば少々小さくなってきていた。
去年は天狗総会に参加していないが、毎年参加するのが天狗としてのお勤め、それには僧衣は必需品であるために確かに必要であった。
「私も、巫女服が胸のあたりが少しちっさくなってきてたから欲しかったんだよ。新しいの」
ゆっさゆっさ、バインバインと擬音を付けたくなるような綾瀬の豊満なそれに私は悔し涙が漏れそうだ。
「神がいるならきっと不公平な神なのだ……」
泣きたくもなるだろう。寝食を共にしているのにどうしてこうも差が開く。
綾瀬のそれは一年たっただけで一回り大きくなっているようで、ブラジャーを買い替えるのが面倒だと嘆くそれに私と来たら入学の際に制服を作る時に店主がおまけで作ってくれたそれで事足りている。
即ち成長していないのだ。
「綾瀬は“せくしゃる”なのだ……」
悔し涙でハンカチを濡らしたいがこれのせいで涙は枯れた。
干ばつの日照りも比ではなかろう。
丁度その時、チンチンと鈴を鳴らして到着した路面電車。真っ赤な塗装のその電車は常人にしか見えない魔法が掛けられた特殊な電車だった。
『裏宮島行き』と掲げられたそれに私たちは乗り込んで、電車は走り出した。
電車の中でワイワイと雑談に花を咲かせる私たちを尻目に路面電車は市内を走り抜け、そして遂には瀬戸内海の海面を走って、厳島神社の海面に立つ大鳥居を正面より電車は突入した。
広島の裏側。厳島神社の大鳥居はその入り口だった。
厳島は島全体が魔道に通ずる神域。それ故に魔法を修める者たちにとっては良き商売の場所になっていた。
『到着しました~。裏宮島、裏宮島で~す』
妙に間延びした車掌のアナウンスで扉が開き、私たちは裏宮島へ降りた。
私たちが向かったのは単物屋でありこの辺りでは最も品揃えのいい衣服を取り扱っている店だった。
『裏宮島仕立て請け負い』と看板が立てられ盛況な様子、それもその筈で客のほぼすべてが魔法処生徒であった。
理由は窺い知れる。今回の修学旅行に合わせて正装を見繕いに来ていたのだ。
店主は目を白黒させながら願ってもいない客足に大忙しのようであった。
「すいません。服を仕立てて欲しいんですけど」
「ハイハイちょっと待ってね。あぁ、今日はなんでこんなに忙しいんだか」
店主は慌ただしく走り回っていた。
私たちは服屋の中を見て回った。色鮮やかな単物の数々に、布の中で泳ぐ金魚、風にたなびく山茶花の柄が着物の中で動いていた。
絵画などの人物を動かす魔法の並行利用した着物たちが何とも目を楽しませてくれる。
竜人は店主に細かな指定をしている。
「竜人は狩衣でよかろう。何をそんなにしているする必要があるのだ?」
「六波羅局は陰陽寮だが、ちょっとばかし扱いが違うから制服も違うんだ。赤の半着に裁着袴、その上で軽装鎧が制服だ」
「なんとも堅苦しいのだ」
「お役所は堅苦しいもんだ」
竜人は赤の色まで詳しく注文していた。
私も適当な鈴懸や略袈裟を選んで買うが、天狗にはこのようなものは些細なものだ。
店を少し出て天を仰いで考える。
最も重要な物が欠けていた。
そう、団扇だ。
扇でも構わないが、何より天狗は団扇、扇を何よりもの証として重宝されている。
しかしながらそれを私は持っていなかった。
半人前の天狗には団扇、扇は与えらない事が多い。子息子女は当主襲名の際にその山と扇を譲り受けることになるのが習わしだ。
さてどうしたものか、私は考えあぐねているとき、右烏が私の肩に舞い降りて話す。
『修学旅行とな、団芝三より訊いたぞ』
「
しゃがれた声で右烏が騒ぎ立て、喋った。
恐らく
上烏、左烏、右烏。三匹の白烏は魂が繋がっている為に見聞きしたことはすべて共有され、只人の言葉で言わせてしまえば彼らは電話の役割を果たしている。
「そうなのだ。しかし、正装を用意するようにと云われどうすべきか悩みかねているのだ」
『団扇の事だな。安心しろ、もうそちらに送る段取りは付けておる』
何とも段取りが良い事か、聞けばなんと私が襲名する際の準備を私が産まれた時よりすでに進めてたと言うではないか。気の早い話である。
団扇は私が成人したのちに渡す予定であったが、今回の運び、こちらに上烏に運ばせるそうだ。
団扇の作りを聞けば、青龍の顎髭を骨に使い、紙はなんと顕仁殿が自らの手で漉いた和紙を使っているそうだ。
『強力な団扇だ。下手に扇げば台風が産まれる。軽々しく仰ぐ出ないぞ』
「わかったのだ!」
右烏は黙り、空へと戻っていった。
私は、暫く空を見上げ続けたが、次第にワクワクと心が躍り、その場でも踊り始めてもおかしくないぐらいに興奮した。
私の団扇、私の扇──ようやく私は一人前の天狗になれるのだ。