夜闇の中で大樹の灯に照らされたそれが尚一層美しく輝いていた。
振り下ろされるたびに紅化粧を施され、美女の唇を艶やかに染め上げる口紅のように赤々として美しい。
ずぶりとそれに潜り込む感触と来たら、それこそ情交の交わりの肉棒が女子の中へと入り込むが如く甘美に満ちた感触ではないか。
かの者にとってそれは忌まわしき行為であろうが、その者にとってはまさしく睦言のそれである。
報復と色事の狭間で生まれたその者だけが感じえる得も言われぬ快感にその者はべったりと顔にその紅を塗り付けて不気味に笑った。
「ははっ──はぁ、これこそ芸術也」
そう言ったその者はそれに口づけを交わして、深く、深く唇に歯を立てて紅を啜る。
もう、言わずもがな分かるだろう。それとは即ち、骸であった。
純白の祭服を着た魔女、その者の服は溢れ出る血で斑に染め上げられ、既に事切れている。
しかしながらその邪悪な本性はいびつに歪んだ『芸術』で正常なものが見れば異常な、異常なものが見れば賛美に値する芸術へとその亡骸を飾り立てていた。
亡骸に深い接吻を、その血を啜ることをやめたかの者は血腥い吐息をついて、その者の顔に焼印を杖で刻み込んだ。
これは私が作り上げたものだと言わんばかりに自らの通り名を、世間が呼ぶ我が名をその亡骸に刻み込む。
我が名を叫べ、我が名を呼べ、我は魔法族に仇なす者也。
飾ろうぞ、讃えようぞ、敬おうぞ。これを見て慄くがいい、これを見て叫ぶがいい。
この真実は誰もがその身に宿す醜悪をここに暴き立てんが為の芸術也。
「神の子と同じように、美しく、そして神々しく──」
うっとりとした様子でそれを望んで満足するかの者は、艶やかに紅に飾られたその姿を夜闇の底へ溶け込ませた。
闇に潜むは我らが者、彼はそれを受け入れてくれた。
ならばかの者の賛美する作品を送ろうぞ。
我が主の名前を叫べ、我が主の名で震えよ──ヴォルデモート卿のその名前をしっかりと。
「さて、皆集まったな」
ダンブルドアが言い、魔法処の生徒とホグワーツ生徒のほぼすべての生徒が集まった。
場所はヴァルプルギスの会場より少し離れた鬱蒼とした森の中だった。
さて、まず一つ目の疑問だ。ここは海より近くにあるにもかかわらず、青々と木々が茂っている。塩害など何のそのと言った具合に最早樹海の規模で木々が茂っているではないか。
環境的に場違いな光景に、みんな不思議そうにあたりを見渡していた。
魔法処とホグワーツの生徒を合わせて総人数二百人弱の大人数で森の中に分け入った私たちであったが、これより何をするのかと皆がワクワクした様子であったが私ばかりは震えて仕方がない。
何せこれは団芝三が企画した遊戯であり、ただでさえ化け狸の本性を隠し持った男がこのような事をやり出したとすとなれば、目的は一つだろう。
──徹底して化かしてくるのだ。
魔法処生徒ならば身をもって知っている。魔法処に措いて団芝三の通り名は『秋津一の化け狸』だ。
なんせ佐渡の『団三郎狸』、淡路島の『芝右衛門狸』、高松屋島の『太三郎狸』の三大化け狸総領たちがこの狸を己らの総領にすると決めたなのだ。只者ではないのは須らく当然のこと。
八面六臂、縦横無尽の化け力と来たら最早幻術の類だ。
魔法処で度々どこからともなく悲鳴が聞こえる原因は大概が団芝三の気晴らしの化かしに引っ掛かった生徒の誰かの声だ。
そしてここ最近のお気に入りの化かし相手は何を隠そう私。石槌撫子なのだから質が悪い。
事ある毎に私の衣料品に化けて脅かし、酷い時には巨大な達磨に化けて追いかけ回してきたことだろう。
あれ以来、私は達磨恐怖症だ。
何の意味があるのかと問質したことがあったが、団芝三の答えと来たら。
──天狗を化かす事、狸冥利に尽きようぞ。まっこと面白き哉──
その一言で終わったのだ。大変酷い話である。
面白いからと言って化かされる身にもなってほしいものだ。
しかし今回は団芝三の、その『面白いから』を満たすために開催された一世一代の大化かし大会だ。
ダンブルドアもそこそこの立場と見て取れるがよくもまあこのような催し物を許したものだ。
「さて、皆そろそろヴァルプルギスに飽きが来ていた頃合だろう? そこで我が友人の提案で、魔法処の生徒と共同で宝探しをしてもらおうと思う」
ダンブルドアはどこからともなく、手乗りサイズの狸の焼き物を取り出した。
「この森の中央の虚にこれを隠す。これを取ったら即終わり。いち早く見つけたモノに褒美をやろう」
にこやかに言うがどこか焦っている様子でそそくさと逃げていくではないか。
空を見上げれば木々の切れ間より教員たちが箒に乗って私たちを監視しているように飛び回っている。
本当に大丈夫だろうか。団芝三も先生だ、人の命を害するような化かし方はしないだろうが、それでも言い知れぬ不安があるのは確かだ。
皆が顔を見合わせていた。
ホグワーツ生徒は何とも楽し気な遊戯だと和気藹々とした表情であるのに対し、魔法処の生徒と来たら──この世の終わりのような表情で絶望していた。
「絶対、最悪な化かし方してくるよね」
「当たり前なのだ。あの団芝三だ、生温い化かしはしてこないのだ」
私と綾瀬、そして魔法処の生徒は頭を抱えて苦悩した。
さてどう攻略したものか。
雄々しく突き進んでいくホグワーツ一団に対し魔法処生徒は尻込みしてその場を動こうとしなかった。
「どうした? 臆病風邪でも吹かれたか!」
「早く来いよ! お家が恋しいのか!」
「降参した方がいいじゃないですか?」
挑発してくるマローダーズのジェームズ、シリウス、ルーピンの三人だったが後で泣きを見るのは目に見えている。
ほったらかすが吉と見た。
私たち魔法処生徒は身をもって団芝三の化け術の恐ろしさを知っている。
作戦会議は必要だろうと固まった。
「どうする? こんな森の中じゃ餌食もいいとこだ」
竜人はそう言い皆がそれに同意した。
「化け術の規模によるな。校長だって一匹だ、巨人に化けて俺らを追い回す気だぞ」
高学年生が言う。
確かにあり得る話だ。今迄は魔法処という限定された施設内での化け術であったために小規模であったが、ここまで大きい区域で、全力を出してくるとなればそれは分かったものではない。
虚仮威しか、いやそんな手心を加えてくれるほど団芝三は優しくない。それこそ体調を崩しても人を化かしたいといった大馬鹿だ。
決死隊が如く皆が尋常ではない目付きで覚悟を決めた。
「とにかくお宝の場所は分かっているんだ。森の中央、木の虚の中だ」
「向かうが吉なのだ。道中団芝三が化かしてくるが、気を確かに持つのだ」
団芝三八変化被害者総代表である私と知恵担当の竜人がそう言い私たちは問答無用に杖を抜いて、固まって行動することに決めた。
瞬間、森の奥より悲鳴が轟いてくるではないか。さっそくホグワーツ生徒が団芝三の餌食になったと見えた。
「気引き締めていくぞ」
『応!』
ほぼほぼ特攻隊が如き心境で覚悟を固めた魔法処生徒は森の中央に向かおうとした時だった。
地響きが辺りを鳴り響き、それは背後から聞こえてくるではないか。
皆が振り返り、見た時──摩訶不思議哉。木々が根っ子を足が如く振り上げてこちらに駆け寄ってくるではないか。しかもその幹は
『ギャアアアアアアアアッ!』
幾匹もそれが現れ私たちはちりじりになって逃げた。それは本当に愚かなことだと知らずに。
「あの者、今回は本気なのだ……」
「うん……本気過ぎて怖いよ」
私は綾瀬と共に逃げ、皆とははぐれてしまった。
心臓の高鳴りが治まらない。バクバクと恐怖から来る悪夢の光景にあちこちで悲鳴が轟いていた。
この悪夢が終わっていないと言う事は誰も森の中央に行けず、そして狸の焼き物を取れていないと言う事だろう。
団芝三の気が済むか、もしくは焼き物が取られるかしかこの悪夢を脱するすべはない。
私たち二人がこの岩陰に身を隠せているのも殆んど奇跡のようなもので、いつ団芝三が襲い掛かって来ても可笑しくはない。
ビクビクと私たちは周囲を見渡して安全であるかと逐次確認していた。
すると、森の奥より枯れ葉土塗れの者たちが見えたではないか。
マローダーズの二人とリリーではないか。ピーターとリーマスは運悪く逸れたのか姿が見えない。
「おい! おいリリー! こっちなのだ!」
私は出来るだけ声を押さえてリリーたちを呼び寄せた。
「一体何なんだこの森」
「地獄だ……」
相当な物を見て逃げ惑って来たのだろう。
勢いよく飛び出した彼らであったが、団芝三の化け術をたんと馳走されたのか、ジェームズとシリウスは満身創痍と言った様子であった。当然その原因は団芝三だろう。
「まるで幽鬼のようだ。生きておるか?」
「何とか……」
ジェームズは蚊の鳴くような声で答えた。
対するリリーはあまり衣服は汚れが目立たない。人となりの良い子には手心を加え、悪童へは徹底した化け術を馳走する団芝三の性根たるや、誠にいい根性をしている。
「悪戯は人を選ばねばな……」
「……そうだな」
原因は私たちだ。団芝三とダンブルドアに悪戯を仕掛けようとそれが失敗したのが運の尽きで、皆を巻き込んでの大悪戯大会が今地獄の様の如く広がっているのだから目を当てることもできない。
地獄、悪夢、死屍累々の修羅場だ。
河童に尻子玉を抜かれた子のように私たち三人は幽鬼の様だった。
とめどなく聞こえる悲鳴は森の中をどこまでも木霊してゆく。どうか私たちに団芝三の目が来ない事を祈りその者たちを生贄とすることを許し給う。
綾瀬、リリーは楽しんでいる様子であったが、しかしながら彼女らも我らが行動を共にするとなれば地獄を見ることだろう。
私たちは身を隠し一息つく暇もなく、それが目の前に現れた。
森の薄暗がりの奥から現れた奇怪な赤子。
筋骨隆々の両腕に愛らしい赤子の顔があり、下半身はヒョロヒョロとした燐寸棒のように細い足に茶色のおしめを付けているではないか。
ちぐはぐな見た目の赤子がわんわんと泣きながらこちらに向かってきた。
「気味が悪い……」
シリウスが言った。
そう気味が悪い。そうとしか言いようのない。
ただでさえこのような森でこの赤子は浮いているし、何より目に見えた罠である。
私たちは息を殺し、その赤子がどこぞへ行くのを見届け、息を着いた瞬間だった。
「おぎゃぁ」
耳元でその赤子の声が聞こえるではないか。
皆が振り返った時その赤子が群れを成してこちらに向かってくるではないか。
背筋を登ってくる恐怖に皆が駆け出した。どこへ向かえばいいのか、森の中央なのだが、そんなことどうでもいい。逃げるが一択である。
「キモイキモイキモイ!」
ジェームズはそうしきりに言って杖を抜いて魔法を放つが、赤子に当たれば一回り小さくなって増えるではないか。
こうなればもう手出しができない。悲鳴悲鳴の大合唱。
赤子が粘土のそれを混ぜ合わせるように形が崩れ、溶けあって出来上がるのは青色の象でパオンと一鳴きして私たちを追い回してくる。
「きゃっ!」
リリーがこけてしまう。
足元を見れば何やらツタがリリーの足を絡め捕ってその場に縛り付けているではないか。
質が悪い。団芝三の化け術の一端だった。
私たちは自らが持ちえる最大の武力を手にリリーを護ろうと象に立ち向かった。
「
ジェームズ、シリウスが爆破の魔法を象に放つとボトボトとその象の体が崩れて、今度はそれがコケシの大名行列となるではないか。
私と綾瀬はリリーの足に絡むツタをむしり取ろうとするが、頑丈だ。
どうもできない。ならば──。
「退くのだ!」
私は団扇を握りブンとコケシ共に一仰ぎしてやった。
仰いだ後に猛烈な突風が森全体を騒めかせるほどの強烈な風が木々のすべてを凪ぐ。
コケシ共は奇妙な笑い声をあげて風に吹かれた枯れ葉の如く飛ばされるていった。
何とかツタを千切った私たちは走って森の中央へと走った。
もうこんな余興は懲り懲りだ。化かされてなるものかと皆の心が一致した瞬間、森全体が珍妙な光景に様変わりするではないか。
曲技団のテントのような紅白模様の布に囲まれ森が瞬時に消え失せるではないか。
生徒全員の姿が見えた見晴らしのいいそこの中央に大中小の狸の焼き物が並んで鎮座しているではないか。
ファンファーレが鳴り響き、達磨に日本人形、ウラン硝子の人形らが奇妙な踊りを繰り広げて我々を翻弄してくる。
飛んで跳ねて、転がされ、いいように人形たちに弄ばれる生徒たちが胴上げのように人形たちに担ぎあげられ打ち上げられる。
驚きかな──私も胴上げをされる瞬間に理解した。
森の中に団芝三が潜んで化かしてくるのではない。森に団芝三が化けて皆を同時に化かしていたのだ。
『秋津一の化け狸』の名前は伊達ではない。このような大規模な化け術、ただの狸に出来ようものか。
奇妙なサーカスに連れ去れた私たちはいいように弄ばれた。
火の輪の間に投げ込まれ、獅子追い回され、道化の下らない芸を見せられ、遂には空中ブランコで吊るされる。
たんとその化け術の馳走となった時、いきなりその奇怪なサーカスは幕を閉じた。
身もボロボロの竜人が息絶え絶えに狸の焼き物を握り締めていた。
パッとその人形らの姿が消えて、辺りを見渡せば何もない平地に私たちは転がされていた。
中央の団芝三は玉袋の鈍痛に呻いてぶっ倒れている。ここまで阿呆な事をすれば体も悪くなるのは当たり前で要は私たちは団芝三の玉袋の上で弄ばれていたのだ。
「大概にしろよ……バカ校長……」
竜人も散々化かされたのか、地獄を気力だけで乗り切ったのか遂に気絶してしまった。
皆、そんな状況だった。出来の悪い悪夢の中でようやく生還できたことに胸を撫で下ろし、ゲロを吐くもの、泣きじゃくるもの、満身創痍で呆けているものと様々な様子だった。
「ぬぅう……玉が冷えてしまった……」
凍える玉を揉んで温める団芝三が気絶している竜人の頭を撫でていた。
狸を恐れるなかれ、それ即ち怪奇の申し子也。
狐の七変化、狸の八変化、貂の九化け、やれ恐ろしや。団芝三の奇怪珍妙な遊戯はこれにて幕を閉じたのだった。